神様がくれた休日 (ホッとしたい時間)


神様がくれた素晴らしい人生(yottin blog)

明治維新の大魔術

2015年09月22日 22時32分02秒 | 日本史

明治維新でどうしてもわからなかったのが

なぜ長州、薩摩など革命軍の大名(殿様)があっさりと

新政府のいいなりになってしまったかと言うことだ

新政府、すなわち各藩の殿様の家来たちである

 

だが先日ホームページのトップページを差し替えていてわかった

トップページは、URLとリンクしている

トップページには私の場合index.htmlを充ててある

トップページを根本から変更する場合は新しいトップページを造った方が早い

そして新しいページにindex.htmlをページの名前にする

そして旧のトップページをいったん棚上げしておいて

新しいページを登録してしまう

そして旧のトップを削除する

 

まさに明治維新はこの手で殿様をだまして、排除したのだ

大名の領地から遙かに離れた江戸に、帝をお連れして遷都してを行う

そして帝の命という形で中央集権の新政府をつくり、維新の先導者たちが政府の要職に就き

司法、行政、立法、警察、軍事を牛耳ってしまう

地方大名が反乱を興しても簡単に鎮圧できるだけの中央政府軍を作り上げる。

そのシステムが出来るまでは地方大名は江戸時代のままの形で残し

中央で役に立つ(力や能力)人間だけを、中央に引き抜く

そして中央が盤石になったとき、一気に地方大名に帝の名で、大名の軍の解体を命じる

そして大名には名誉職の貴族という称号を与えて知事に任命、藩を解散させる(武士の失業)

廃藩置県が行われ、能力の無い大名は政治が出来ないのでこれを廃し

中央官僚を県知事に送り込んで、その県(藩)を中央政府の直轄にする

この時点で、大名は、かっての家臣の風下になったことに気づくが、もう遅い

トップページの置き換えはこうして完了する

 

失業した武士が各地で反乱を起こすが各個撃破されて、皆首を切られてしまう

新政府の大臣でさえ新政府に刃向かえば容赦なく殺される

西郷隆盛、江藤新平などがその例だ

 

大名の失敗は、徳川との戦争に先頭に立たなかったことだ

京、大坂、江戸に自ら乗り込まなかったことだ

田舎でのんびりと勝利の報告を待っていたから、家来にいいようにやられてしまった

先頭に立っていれば、手柄を立てた家臣が上に立とうとしたとき「無礼者!」で

それを阻止することが出来たはずだ

だが、それだけの知恵と力が、革命下級武士団より劣っていたのだ

もし大名が先頭に立っていたなら結局、明治維新は成功しなかったろう

 

今、田舎でも若い知恵者の集団があちらこちらでイベントを大々的に行う

年老いた我々は、それを横目で見るだけで何も出来ない

吉田拓郎の歌の通り、新しい海に漕ぎ出すのは、新しい水夫なのだ

歴史はいつも繰り返す

そして次々に若い英雄が現れて、古い英雄を凌駕していくのだ

僕の通った道は、やがてきみが通る道

 

 


平成時代劇が、かっこいい

2015年09月22日 17時34分12秒 | 映画/ドラマ/アニメ

最近BSで何本か時代劇を見た

幕末もの、仇討ちものなど・・・時代劇というと

大昔は江戸時代の武士がそのまま映画に出ているような

泥臭くて、かび臭くて、野生そのもので、殺伐としている

そんな俳優が演じるから、戦国や殺陣がリアルだった

 

最近見た映画は、中井貴一、役所広司、佐藤浩市などが主演

なかなかみんな味のある俳優になっていた

どの映画も昭和時代劇に比べるとスマートでライトで清潔でかっこいい

知性的で清潔な主役、重くない人情劇、脚本の妙に寄るところが大だが

まさに平成時代劇である

黒沢明監督のリアルで汚れて、野獣的でまっすぐで無慈悲

三船敏郎キャラそのものからみると、全く違う時代劇だ

リアル時代劇から、ライト時代劇への変化は

くみ取り便所からシャワートイレに変化したのに似ている

 

西部劇もアメリカ製、ジョンフォード&ジョンウェインのリアル西部劇から

イタリア製のマカロニウェスタン=ライトな西部劇の流行(1960年代)

にへんかしたことがあった。

それに似ている

 

平成時代劇は、過去の時代劇で定番化した「忠臣蔵」「幕末物」を

視点を変えることで定番物をあたらしい時代劇に変えて、観客を引きずり込む

「その後の・・・」あるいは、集団の中の一人を主役にしたり

いわゆる完全なフィクションである

それ故に自由な発想と表現ができて面白い仕上がりになる

但し、当然愚作も出てくる、見終わって「面白かったなあ」と思えば

それは良い映画なのだ、そういう意味では良い映画をBSは選択しているとも言える。

 


復讐ドラマは面白いが 

2015年09月13日 21時41分25秒 | 映画/ドラマ/アニメ

ちょっと沈んでるなあ

昨夜の飲み会も燃焼不良 相棒が来なくて

一次会で帰宅 21時・・・あああ

ビールだけで2時間半 大好きな日本酒も飲まず

韓ドラ見ながら寝てしまった

 

韓国どうでもよくなったが 韓ドラは相変わらず面白い

何が面白いって、恨みを晴らす「復讐ドラマ」がやたら多い

絶対ありえない複雑な人間関係の絡み合いが面白い

整形美女のオンパレードが面白い

 

日本の復讐劇の代表は「忠臣蔵」と「水戸黄門」

だけど韓ドラのようにドロドロねちゃねちゃしないのが日本的

忠臣蔵のテーマは復讐だが、たしかに浅野殿様は

「乱心ではござらぬ、遺恨でござる」と言い張るが

殿の敵を討つ赤穂浪士に恨みの念はない

あるのは主君への義理立て

あるいは亡き殿に、あの世から「よくやってくれたなあ」と褒めてもらいたいという気持ち

親と子の情念だ

復讐ドラマより人情ドラマの要素が強い

どこで感動するかと言えば「吉良の首を取ったシーンではない」

吉良の間者に悟られまいと、奥方を大石が欺いて叱責軽べつを受けながら

最後の別れをしたあと、奥方が大石らの本意に気づく場面

あるいは裁可の日まで、大名屋敷お預けとなった時、手厚く保護する大名の男気

また、討ち入りの時、高提灯を立てて庭を照らしてくれた隣家の殿様の心遣い

こうした「男心に男が惚れた」俗に言う浪花節、これが日本人好みなのだ

優しい心を投げ捨て夜叉となり、にくい敵をこれでもかと追い込んで

相手が瀕死になるまで復讐を続ける韓ドラとは少し焦点が異なる。

「水戸黄門」も復讐劇だ

悪代官とやくざモノが結託して、まじめに働く貧乏人や商人をひどい目に遭わせる

時には無念の死を遂げる者もある

途方に暮れたときに、水戸黄門一行が通りがかって悪人を懲らしめる

それだけで聴衆は胸がスカッとする

これが日本人の感覚だ

悪人も弱ったら許してやろうという仏教的な思想なのか

日本人の不思議さだ