もう5月と言うのに徳川の怪しい動きは全くみられない
攻め込んでくるという噂が流れたのは3月の事、それで織田信孝も防御、あわよくば攻め込む準備をしていたのだが
信忠からは先に手出しをしてはならぬと難く言われているからうかつに動けない
後詰をもらわない事には徳川には単独で勝てるわけがない、それで静かにしていたのだが、その宗家の調子がいまいちよろしくない
信忠になってからは北陸では負けどうしだし、四国攻めもすっかり影を潜めたし
羽柴秀吉にしたって毛利との戦いに進展が見られない。 信長なら怒って更迭するかもしれないが信忠は何も言わない
織田宗家自体が全く覇気のない集団と化している気がしてならない、自分自身ももはや徳川に対峙する意味があるのかもわからなくなった
攻めの織田が守りの織田になった感がある、これも信忠が悪いのだとこの頃思う
そんなおり突然に徳川から使者がやってきた、信孝自ら接見した
「織田様にはいろいろ誤解があるようです、わが主の家康は決して信孝様に敵対するものではありません
たまたま信雄様が織田家中の争いでわが徳川を頼ってこられたので、匿ったまででございます
「だが信雄は宗家に対して弓を向けた謀反人じゃ、織田家のことは織田家で処理するのはあたりまえ、徳川殿の関わる所ではないはず
即刻、信雄を渡せばわれらもあえて徳川殿とことを構えるわけではない、すぐにひきわたすように」信孝が使者にせまった
「信雄様は実は出家されて今は駿河の寺におられます、信長様のご最後をあらためてお考えになったようで『武家はもう嫌だ』と申されての出家だとか」
「なに!信雄が坊主になっただと? 信じられるものか、あの欲深き男が俗世を捨て去るものか」
「だが事実でございます、二度と美濃、尾張の地は踏まぬと申されました」
「信じられぬ、信雄自身の口から聞くまで信じはせぬぞ」
「そのようなご希望であれば日取りを決めて岡崎でお会いできるよう取り計らいましょう、重臣のどなたかを派遣して頂けば信雄様とお会いして頂けます」
「ふむ そこまで申すなら今日は譲っておこう、追って日を知らせる」
「信孝様、実はもっと重要なお話があります」
「なんじゃ?」
「駿府に明智光秀殿が来ております。わが殿は信孝様にだけお知らせしろと」
「なんと!なんと申した? 光秀と申したか」
「さようでございます、謀反人明智でございます」
「それは信雄どころではないわ! すぐに引き渡してもらおう」
「明智を捕らえていかがいたします?」
「知れたこと、この手で成敗してくれよう」
「かってに殺したとなれば果たして信忠様はいかように思われますかな?」
「わしの手柄というであろう」
「それで?」
「仇討ちじゃ、それで父上も浮かばれるというものだ」
「光秀の価値はそれだけでございますか? ならばお渡しできませぬ」
「なに?」
「今の織田宗家を見るに頼りにないましょうや? 越中を上杉に取られ猛将と恐れられた佐々殿、佐久間殿いずれも討ち取られました
柴田勝家殿の采配にも陰りが見えております、また宗家も信濃、飛騨から上杉を討ちに行くべきが動く気配がありませぬ
もしかして宗家は病んでおられるのでは? 心の病でござる」
「たわけたこと! 余計なお世話だ」
「信孝様が宗家を引き受けるべきでは?」
「何を申す!わしは光秀のような謀反人にはならぬ」
「いいえ強きお方がお家の大事を守るのは当然のことでは」
「黙れ!出過ぎた真似を」
「ははー承知、われらはこれにて戻りますが、明智の事くれぐれも宗家には口外なさらず、いかにするかは信孝様がお考え下さい
場合によっては光秀は信孝様にお預けすると主は申しております」
信孝に光秀の存在がのしかかってきた、家康は殺すだけならば渡さぬと言っている、光秀を生かして使えと言っているのだ
(そんなことができるのか? 信忠は許すまい、だが殺したとてそれだけの事、どう使えというのか?)
信孝はどうしてよいかわからなくなった、唯一わかったのは徳川家康は自分には好意的だということである
そして信孝に暗に織田宗家の主になれと囁いている(いやいや、これは家康の悪だくみだ、われらを分裂させて漁夫の利を狙っているのだ)
信忠の体たらくと、家康の悪だくみ、どちらに重きを置けばいいのか信孝は判断しかねて目が回ったような気がしてきた
(余計なことをしらせてきたわ宗家には言ってはならぬというし、だが知ってしまった以上、内緒にしておくわけにもいくまい
だが言えばわしに命が下るであろう、徳川の最前線にいるのだからのう、だが単独で勝てるわけがない、宗家は援軍を出すか?
そうだ宗家の腹を探るのが最初だ)
数日後、信孝は織田宗家に使いを出した
「徳川に不穏な動きがある、われらは万一の時には真っ先に攻めかかるは必定であるが徳川勢は我らの数倍である
その時には宗家から万余の後詰を願えるのであろうか?」
しかし宗家の返事はそっけないものであった
「今北陸での戦は余談が許せない状況である、能登を奪われた以上、加賀も危うい、加賀を万一奪われたなら上杉は飛騨から一気に
美濃に攻め込むやもしれぬ、すでに丹羽長秀に命じて後詰として若狭、丹後の衆を越前に送り出したところだ
徳川勢も尾張、木曽から美濃を伺う気配がある、尾張は信孝と滝川で守り、美濃と近江の与力は木曾口に備える
手薄になった近江、丹後には羽柴の丹波勢を増援しているところである、信孝もわれらを頼らず必死の心がけで徳川を防ぐべし」
その頃、河内では秀吉黒田官兵衛が語っていた
「ふふふ いずれ近江の旧領を勝家から奪い取るつもりであったが、まさかむこうから転がり込んでくるとはのう
それもこれも勝家が越中でふがいない戦をしておるからよ」
「まことに運は天から降ってまいるのですなあ、かって信長様も加賀の手取川において上杉謙信公に手痛く痛めつけられたことがありました
あの時の大将も勝家でありましたなあ」
「ははは あの時は勝家のおつむの軽さが見えていた故、わしは信長様に無断で越前から引き揚げた、命がけであったがの」
「あの戦の話を聞いたが、まさに上杉謙信公は龍神の如く織田方をなぎ倒したとか、あの甲斐の虎と言われた武田信玄公さえ
正面からは決して謙信公と戦うことがなかったと申します、だが養子の景勝は凡将と聞きましたが軍師の直江兼続と言う男がなかなかのようで
此度の越中での大将は兼続だということです、とても柴田様ではかなわぬようですな」
「謙信公が兼続の若き時から目をつけて育てたということじゃ、あのような田舎にも立派な武将がいるものじゃ
わしは兼続をほしゅうてならぬ、上杉景勝も堅物で謙信公の言いつけをかたくなに守って領土拡大の欲はないと聞いておる
義に厚いのは越後人の特長やもな、案外たやすく景勝はわしと手を組むやもしれぬぞ、そのためにも柴田には犠牲になってもらうぞ」
「御意!」
織田信忠は越前、加賀の防衛線を固めるため戦線を押し上げようとしていた
倶利伽羅峠を防衛線として能登の猛将長連龍を大将に
また羽咋から河北にかけては前田勢が配置された
そして加賀尾山には柴田勝家が2万を率いて入り不破、金森などを配置した
そのため越前は手薄になったので北の庄城に長浜城から柴田勝豊が城代として入り、その補佐として若狭の丹羽長秀の家臣が付いた
信忠は、今やもっとも無傷で巨大な軍団となった羽柴秀吉を頼りにするしかなくなった、中国戦線の膠着をむしろ良しとして
秀吉軍を招いて近江の防衛を厚くしようと考えた、長浜城を柴田から返させて再び秀吉に与えた、秀吉はそこに羽柴信勝を入れた
安土城代は蒲生秀郷、膳所には島左近、最近坂本も得たらしい、いまだ安土天守が完成しないので信忠は岐阜城に入っている
蒲生は日野、甲賀、伊賀を領地として信忠の旗本の地位を固めている、秀吉にとって蒲生は扱いづらい者に見える
堅物だが、融通が利かぬわけではない、にこりともしない、妥協しない、思ったことはズバッと言う(いましばらく様子を見てみよう)
そして左近評は「島左近は変わり者よ、あやつは煮ても焼いても食えぬ」
いずれにしても秀吉は近江長浜、丹波、山城、河内、和泉、播磨と広大な領地を得ている、さらに備前50万石の宇喜多家も秀吉の手のうちである
言うまでも無いが池田、高山らの摂津衆は秀吉の与力大名である、淡路の仙石もすでに秀吉に従っているに等しい
今動かそうと思えば5万の兵を動かすことができる、堺から得た武器弾薬は織田家随一だ、さらに豊富な軍資金もある
ここで秀吉は勝負に出た、信忠に直訴した
「上様、北陸の戦況は芳しくありませぬ、失地も多くなり尾張境でも徳川勢に怪しい動きとか...
守りも大事でありまするが、減った分は増やすべきかと..上様、拙者の軍だけで結構です、光秀が潜む四国攻めをぜひおまかせ願いたく」
「なんと! 勝算はあるのか」
「おまかせあれ! 3ヶ月内には阿波、土佐を平定して長曾我部と光秀を上様の御前にひざまずかせてみせましょう」
「うむ! そなたならできるかももしれぬ よし許そう」
秀吉はすぐに手を打った、毛利の軍師安国寺恵瓊を呼んで言った
「小早川様に7月伊予に進軍するよう伝えて下され、われらは淡路から阿波、土佐を攻撃いたす
伊予の経営は切り取り次第、毛利様に献上申し上げる、宇喜多は讃岐を攻めて宇喜多領とする、そして宇喜多が抑えている備中領は毛利様にお返ししましょう」
「承知仕った」