神様がくれた休日 (ホッとしたい時間)


神様がくれた素晴らしい人生(yottin blog)

計画的な生活

2017年03月31日 20時24分54秒 | yottin日記

生活なんて書いたけど、一日の大部分を職場で過ごしているから

「計画的な一日の仕事」と書き換えよう

正月にタイムスケジュールの手帳を買って、4月間近になってようやく使い出した

正確に言うと、昨日から書き始めて、今日のスケジュールは昨日書いた

そして今日になって、スケジュールどおりにやろうと思ったが、朝の仕入

会社での準備仕事、そこまでがスケジュールどおりでそこから先はめちゃくちゃ

午前中に隣町で会社で使う家具の下見に行く計画だったのに途中で気が変わった

月末故に、市内での支払いを優先させた方がいいという気が起きた

それで銀行へ行ったが、ATMは長蛇の列で大幅に時間がずれてしまい

おまけに、支払先へ行ったら「昨日事務員さんが支払って行かれましたよ」

とんだ無駄足、その足で犬猫医院へPネコの避妊手術の支払いに出向いたら

昼休み中、じゃあ電気屋の支払いを先にと思って向かったが、お金が足りない

そんなバカなことばかりやっていていっこうに前に進まず、結局午後になったら

あちらこちらの老人から夕食おかずを頼まれて結局、隣町へ行くのは中止に

とにかく社員の計画を立てて仕事配分するのは特異だが、自分の事となるとまったく

この通りで、計画通りにならない

やはり一日が終わった後に、順次今日の出来事を記していく方が良い様だ

 


Pねこ 癒やし

2017年03月30日 18時52分47秒 | フーテンの寅ねこ わんにゃん

毎日仕事が終わって家に帰ると、Pネコが玄関まで出迎えてくれる

「にゃーにゃー」と甘え声を出して、先頭に立って二階の部屋まで先走る

とりあえずエサを与えてテレビをつける

階下に降りて夕飯を食べる間もテーブルの上でじっと見ていたり

足下にうずくまったり、テレビを見たりして離れない

食事が終わって2階の部屋に行ってテレビをつけると、ずっと足下でじゃれたり

座ったり、時には寝たりしてずっと一緒に過ごす

まあ「命の恩人だからな」なんて恩に着せて言ってみたりするが「にゃー」と簡単に聞き流す

ネコは犬と違って体が骨が無いように、くにゃくにゃだ、ほんの隙間でも入り込む

「穴があったら入りたい」とはネコの為の言葉の様だ

ネコを見ていると飽きない、仕事を忘れてホッとできる僅かな時間だ

 

     

 

    


アンコウ真っ盛り

2017年03月30日 08時56分50秒 | 花鳥と昆虫・爬虫類・魚

3月末に来て北国でもようやく暖かな日々が訪れています

気温も10度~15度くらいで、昨日は車の中では暑くてクーラーを入れました

そんな今朝も、「春だね」と魚屋が挨拶しているほどうららかであります

魚市場のセリ場には「ズワイガニ」「赤浅羽」「さわら」「春マス」「鯛」「ギス」「牡丹えび」などが並び

ひときは、「アンコウ」の多さが目をひきました

アンコウは冬の鍋の王様ですが、実は5月くらいまでずっと獲れるのです

春のアンコウはまずいと、お思いでしょうが実際はそうでもないです、けっこう美味しいのです

「花冷え」というように桜の満開時期でも体感は結構寒いので、夜にあんこう鍋やアンコウ汁を食べると

美味しいですよ

我々の地方では「田植えアンコウ」といって4月のアンコウの存在は知られています

価格も旬の2月に比べたら3分の1以下です、味はあまり変わらないので、今たっぷり食べるのが

利口なやり方かもしれませんね。


那須スキー場高校生遭難

2017年03月29日 16時37分26秒 | ニュースネタ

高校生と教師8人が遭難死した「雪崩事故」

注目点があった 通常では誰もが普段着でいけるレジャー施設の「スキー場」が遭難場所

だったこと

名前に「ファミリー」まで付いているから、我々外野はかなり家族連れが楽しめるスキー場の印象をもつ

遭難場所はスキー場のサイドにある雪深い急傾斜の林の斜面だという

それでもスキー場のゲレンデが見える位置だったと思う

問題は視界が悪い雪降りの悪天候だったということだ、だからゲレンデは見えなかったんだろう

深い雪をこざいて進むラッセル訓練だったから半身は雪に埋もれていただろう、そこに雪崩では逃げることも

できず、あっというまに高速の雪崩が覆い被さり、下の方まで雪に巻き込まれながら落下したのだろう

まさかのレジャー施設での大悲劇、山岳遭難としても8名の犠牲者というのは大事故だ。

スキー場とはいえ、既に休業に入っていたからゲレンデも雪の降るに任せて積もりっぱなしになっていただろう

返す返すも残念なのは常識で考えれば、8人も遭難死する様な場所には思えない場所だったことだ

北アルプスの深い山の中とか、そういったところでおこる様な大遭難が、こんな身近な場所で起きた。

もっとも自然現象だから希にゲレンデが雪崩に襲われてスキーヤーが飲み込まれたことは過去にもあったようだ

しかし今回の原因は企画指導者の状況判断ミスとしか考えられない

 

「撤退する勇気」という

私も高校山岳部で登山をしていたが、根性無しなので「冬山登山」と「岩登り」は絶対しないと言う条件で入部した

GWのはじまりの4月末に高校山岳部パーティ5名で、近くの1200m級の山に入った

通常の登山コースでは無く、大きな雪渓が谷から山頂まで伸びている北斜面を登って山頂を目指した

北国故、4月末とはいえまだ積雪は多かった、ただ日本海から吹き付ける強い風のおかげで斜面は比較的固くて

登山靴がすっぽりと埋まる様なことはなかった、そのかわり滑りやすい

アイゼンをつけて、20度から40度ほどの傾斜を斜めにジグザグに登っていく

出発して一時間も経たないうちにリーダーが転倒した、滑り落ちた

ピッケルで落下制動しようとしたが、そのピッケルがポ~ンと手から離れて飛んだ

悪いことにキスリングを背負った背中が下になっていて、足が浮いた形になっている

斜面はまっすぐ谷に向かって見事な一枚傾斜になっていた

「やばい!」とは当時の言葉では無いが、そんな気持ちになった

ところが運の良いことに30mほど落ちたところでリーダーの体が停まった、多分雪の深いテラス状の場所に

突っ込んだのだろう。

2人がグリセードをしてリーダーのところへ行った、私はゆっくり歩いて下った

リーダーはケガも無く元気だった「さあ道に戻ろう」と彼は言った

するとメンバーの一人が「下った方がいい、登って元の道へ行くより、下った方が楽だ」と言った

しかしリーダーは「下るのは危険だ、たいへんでも登って元のところまで行こう」と言い切った

それで彼もそれ以上言わずにみんなで黙々と登っていったのだ

天候は今にも雪が降りそうなどんよりした空だった

登り初めて三時間以上が過ぎたが山頂が見えてこない、大雪渓の所々に浮島の様に背の高い木が生えた

高台があった、そんな一つに上がって休憩した

一年生で一番身軽でひょうきんで登山技術もあるYくんが「偵察してきます」と言って上の方に登っていった

彼は3人兄妹の末っ子で、長男は地元で有名な山岳会のメンバーで新道を切り開いたり登山道整備を

したりしている本格的登山家、次男は我々の山岳部の先輩だった。

Yくんが戻ってきて「道を間違ったようです、この上は岩場になっていてとても登れるような場所ではないです」

と報告した。

もう薄暗くなってきている、普段なら明るい5時なのにどんよりした天候のせいで夜が近い

「今日はここで泊まる、テントの用意だ、それと食事の用意」

それなりの広さがある浮島、木も守ってくれる様に生えていて安心感がある

一晩ここで過ごしたが、夜なのか朝方なのか「ご~」という雪が滑り落ちていく音が2回ほど聞こえた

翌朝、われわれは登頂をあきらめて下山したのだった。

 

 

 

 

 

 


もう 未来で生きている

2017年03月28日 17時34分00秒 | 時代検証

もう2017年だよ、2000年が遠い未来だった高校時代から

ほんの僅かな時間でここまでやってきた

2000年でさえ超未来で、人々は一人乗りの円盤で空中を飛んで通勤しているはずだった

月くらいなら普通に観光旅行をしているはずだった

そのくらいしか西暦2000年を想像できなかった、タイムマシンが完成していると思ったかもしれない

現実は1970年と比べても、それほど変わっていない

1970年にあった生活機械が大進歩をとげただけで、まったく新しいものは何もできていない

田舎町は相変わらず田舎町で、そうそう未来になったなあと実感できるのは10数メートルの橋脚の上を

流線的に走って行く新幹線を見るときかな、それだけが科学が進歩したなあと感じるときだ

2001年宇宙の旅も的外れ、ターミネーターでは1997年に核戦争で人類の大部分が滅ぶ

そんなのも今日から見たら過去なんだなあ、随分遠い時代に来てしまった

2000年では50歳で老人になっていると高校時代に思っていた、50歳の自分が想像できなかった

なのに今は66歳、18歳の時と気持ちはあまり変わっていない、進化してない

ただ経験したことだけが積み重なって生き方が少しは上手になった

勿論、運動能力、体力、皮膚肌は衰えた、でもそれだけのこと、向上心も好奇心も衰えていない

未来なんてこんなものだったんだ

まもなく21世紀生まれの子供たちが高校を卒業して世の中に現れる、20世紀生まれと21世紀生まれが

数の上で逆転するのはいつ頃になるのだろうか、2050年か?

19世紀生まれは最年少で118歳、世界を探せばいるのだろうか?


選挙は面白い

2017年03月28日 10時54分40秒 | ニュースネタ

我が国では、明らかなところ凡そ2000年の歴史があるけれど

既にそこにはリーダーが存在していた

日本は当時、小国家が点在していたと「魏志倭人伝」に書かれている

卑弥呼は多分その中の一つの首長であって、統一国家の長では無かったと思われる

日本には建国以来のリーダー「天皇」と、天皇の下で施政実務を行う長、すなわち摂政関白

あるいは大臣がいた、だが平氏以来、武家の台頭により宮中の大臣は飾り物となり

天皇の政務代行を行ったのは武家になった、すなわち征夷大将軍、名分は天皇より軍事の全権を

授けられ夷敵を討伐するという名目

鎌倉、室町、江戸と国政を牛耳ってきたのは数少ない例を除き武家であった

明治維新が起こるまでは、日本の政治を司ったのは武力でもっとも強い者であった

明治維新から国政を行ったのは、明治天皇を頂いた者たちだった、そのリーダーは革命家たちの

互選で選ばれ、取り巻く議員たちはごく少数の金持ちの男子によって選ばれた。

日本のリーダー選出方法に大きな変化がおこったのは太平洋戦争で負けた後である

勝利者のアメリカによって憲法は作り替えられ、大多数を占めていた平民に選挙権が与えられた

まったく問題にされていなかった女性にも参政権が与えられた。

これより市町村、県、国会議員の選出は国民の直接選挙で決められる様になった

ただ国のトップは、最大政党の中から政党員の選挙で選ばれる間接選挙になっている

総理大臣は国民が選ぶのでは無く、国民が選んだ第一党の中で選ばれるのだ

 

国政はともかく、われわれ平凡な市民がもっとも身近で興味があるのは市町村議員の選挙だ

もうすぐ選挙とあって、町の中も少しずつ動きが出始めている

昔は封建的で地域の権力者(たいていは土木建設業者だった)が従業員や関連業者を配下にして

露骨な選挙運動を展開したものだったが、市民レベルが上がった現代では通用しなくなった。

 凡そ20名を選ぶことになるが、議員の選挙運動はそれぞれ特徴があって面白い

地域住民を頼りに地域内をこまめに挨拶して歩く人  野外パフォーマンスで注意をひく人

地元が小さくて他地域を切り取ろうと歩く人  大企業をバックに出ている人

党人  同級生頼み

だけど余裕を持って臨んでいる人というのは、議員活動の中で定期的に活動報告を出したり

日頃から政策をかかげ真剣に取り組んでいる人だ

そうした人は市内全域に顔も名前も売れている 選挙ポスターを見ても「あれは誰だ?」なんて

言われるようじゃちょっと危ない

最も当選20落選2くらいじゃ落選する方が難しいのだから、落選の危機感を持っているのは

よほど、日頃から何もやっていないんでしょうね 自信が無い

田舎議会で名誉欲でやっているようじゃ話にならないね

 

だけど様々な選挙に、投票を通じて国民が僅かながらも国政や市制に参加できると言うことは

とても幸せなことなんだ、世界には国民を奴隷化している独裁国家が存在しているし、選挙どころか

国内が内戦状態で国民の安全すら脅かされている国も多い。

経済力があり安定した国家であっても、国民に選挙権が与えられていない国もある

我が国の国民はいろいろ政治に対してもの申すが、物言えること自体が幸せだ

政府批判をしたとたんに拘束されて最悪殺されてしまう国だってあるのだから

 

国政選挙が平和裏にできるのは、その国が安定しているからだ

政府と国民の間に信頼があるからできることなのだ、以前、民主党が政権を担当したことがあるが

それによって国民の暮らしや、様々な法律などのルールが一転したわけでは無い

それは国民も知っているから安心して選挙に臨むし、自民党にしたって民主党政権になって粛正されるわけで

ないから敗れても「次の選挙では・・・・」と頑張れるのだ

日本は敗れた国家指導者が犯罪者に転落してしまう様な国ではない、それは民度が成熟している国家だからだ

選挙方法は時代と共に変化していくけれど、能ある議員と能なし議員が混じっての定数なら

能なし議員を排除した定数で十分なはずだ、2度にわたる市町村合併で、例えば合併前には3自治体で90人

の議員がいたものが、合併で一つの市になって35人の議員になっても充分市政は行われている。

経費の削減にはなっている様だ

道州制の導入案も時々出てくるけれど、こういうことなのだろうか?

 

 

 

 


カラオケは偉大な発明だ

2017年03月27日 12時31分58秒 | ライフスタイル

先日の夜はスナックで初めてダイアナロス&シュープリームスの「I hear a symphony」を

歌ってみた、1965年の大ヒットで全米チャート1位になった曲

こんな歌を演奏付きで歌えるのも「カラオケ」のおかげだ

私が今の業界に入ったのは30年前だが、当時のカラオケは4曲ほど入った「8トラ」が全盛で

それからコンパクトになって10数曲入ったカセットに変わったが、まだ歌詞カードを見ながら歌う

カラオケだった、その後は映像が出てくる画期的発明「レーザーディスク」の登場だ

これで歌詞カードがいらなくなった、ところが18cmLDなので保管がたいへんなのだ、我が店も

数百枚もたまり、納める機械がいっぱいになって新たに買い足さなければならなかった

この頃からJASRACが地方にまでやってきて著作権使用料の徴収が始まった

やがてレーザーディスクはカラオケCDになってコンパクトになり機械も小型化したのだ

そしてマイクロチップ、通信カラオケとどんどん進化してきた。

 

高校生の時、私はどうしても生オケでは無くて楽団の演奏で歌ってみたかった

そこにエレキバンド結成の話しが来て、一も二も無く仲間に入ったのだが、レパートリーが

少なすぎる、結局一番歌いたいBeatlesの曲にはメンバーは関心を示さなかった

それでコンポを買ってエコライザー機能を使ってレコードの音声部分を極力消して、演奏部分だけ

残す様にして、それをバックにして歌って悦に入っていたものだった

言わば、私なりのカラオケを作っていたのだった

 

カラオケも一般的になって簡単に歌える様になったけれど、当時は演歌など日本の歌ばかりだった

しかし今は英語は勿論、中国だろうが韓国だろうがフランス、イタリアなんでも歌いたい曲を歌える

様になった、何よりもBeatlesのほぼ全曲をカバーしているのが凄い

趣味が同じ友達と一緒に歌うとき本当に良い時代になったなあと思うのだ。

 

 

 

  


男だね稀勢の里! まさかここまでやるとは驚きだ

2017年03月27日 08時19分23秒 | 大相撲

14日目で優勝はほぼ照ノ富士で決まったかと思えた、千秋楽には直接対決で

稀勢の里は照ノ富士相手に2番続けて勝つしか優勝はない、だが昨日の鶴竜戦ではケガを庇って

自ら土俵を割らざるを得ない痛々しい相撲で負けた

それを見る限り、もしかしたら15日目は休場かという憶測さえ流れて当然だった

しかし、とうとう休まずに出場した、それだけでも見上げた根性だ

さんざん褒めておいて、日馬富士に負けた日からぼろくそに書いた私だが、一転してまた褒めている

結局、2番とも粘り腰で足が完全復調していない様な照ノ富士を土俵に這わせての「奇跡の逆転優勝」をとげた

まったくあっぱれとしか言いようが無い

しかし照ノ富士は2度目の優勝が目の前にぶら下がって半端ない緊張をしていたな

昨日までの朝青龍並みの怖い顔がどこかに消えて、泣きそうな少年の顔みたいだった

対戦前に照ノ富士が花道に登場したとき、後には久しぶりに「伊勢ヶ濱一門」の若者頭の姿が見えた

昨年の初場所、琴奨菊が優勝するまでは、白鵬、日馬富士、照ノ富士などの伊勢ヶ濱一門が優勝を独占

していたが、その後ぱったりと途絶えていたのだ、1年ぶりの伊勢ヶ濱一門からの優勝力士誕生かと誰もが

思っていただろう、残念としかいいようがない。

それにしても稀勢の里「あっぱれ!」、大横綱の第一歩を踏み出した。

琴奨菊は終盤、負けなくても良い「勢」「宝富士」に相次いで敗れたのが再昇進失敗の原因になった

千秋楽の相撲は見事だったのに残念だった、これで大関は遠ざかった、せっかく2横綱を倒したのに

なんにもならなかった、年齢的にも無理だろうな。

 

 


昨日の大相撲一番は警鐘だ

2017年03月25日 08時47分37秒 | 大相撲

昨日の日馬富士、稀勢の里戦を見て、改めて思ったね

日本人の美徳は「相手を思いやる気持ち」なのは確かだ、相手が粗雑であればあるほど

慈悲の気持ちを持って、より優しく接する。

それは裏返せば「自分がそうすれば、相手もそれをいずれわかって和む」という気持ちが

そこには「自己犠牲の気持」ちよりも「施しの気持ち」の方が強い、いわゆる「上から目線」

昨日の相撲で言えば、絶好調の稀勢の里は3~4敗の日馬富士を上から目線で見ていた

一方日馬富士は「このやろー」と言う気持ちで一泡吹かせようと、ただならぬ闘志を燃やしていた

傷ついている日馬富士を「惨めな思いをさせない程度に調理しよう」という稀勢の里の思いやりと

「相手がどうなろうとかまわない、とにかく勝つ!」という激しい気持ちの日馬富士がぶつかった

結果はあの通りだ、甘い予測で土俵に立った者と、ぶっ飛ばしてやると殺気だった者の差だ

稀勢の里から見れば「まさかの・・・・」日馬富士から見たら「思い通りの」

 

国際関係における日本の立場も今回の稀勢の里に似ている、世界には日馬富士の様な国があって

しかも日本と利害関係がある国もいくつかある

「相手を思いやる」「おもてなしの精神」は確かに美徳だが「美しい着物の下には常に鎧をつけて

優しい笑顔の下では相手の動きに気を配り続けなければならない」

相手は情け容赦なく殲滅しようと闘志をもやしているかもしれない

「良い人」だけで渡っていける時代では無くなっている、「油断も隙も無い時代」なのだ

「弱肉強食」、強い者同士が連携して弱い者を食い尽くすかもしれない

今の日本は傷ついた大きな水牛、後からコモドオオトカゲが狙っている、水牛の足取りが停まって、

倒れ込んだら食べ尽くしてやろうと狙っている、こんなビッグな食い物には滅多にありつけない。

今はそんな時代であることを意識しなければならない、水牛同士で喧嘩をしている場合では無い

稀勢の里の様に入院、あるいは力士生命が終わることさえある、今回はそんな教訓を得た一番だった。

 


恐るべしモンゴル魂

2017年03月24日 21時17分34秒 | 大相撲

まだ今日の相撲は見ていないんだがPC見てたら

日馬富士が、稀勢の里を壊したみたい

モンゴル人の負けず根性か、それとも地力なのか、ちょっとなめてたかも

照の富士も一敗を守って、気がつけばモンゴルペースに戻っていた

今、ビデオを見たけれど完敗だ! いつもどおりゆっくりと横綱相撲をとろうと思ったのか

しかし相手も横綱だった、体重差は50kg近いが日馬富士は年上の意地もあるし

先輩横綱の意地もある「なめんなよ~」って燃えたんだろうな

根性の勝負だったな、稀勢の里は完全に後手に回って、立ち上がりも一気に潜り込まれて

体をあっという間に起こされて棒立ちになったところでもろ差し、これじゃ力も入らず

日馬富士相手じゃ勝てるわけも無くあっという間に土俵下へ転がされて、そのまま病院送りか!

ちぇ! 情けない 好事魔多し、ここで一本気を引き締めるべきだったなあ、オレたち日本人客も

今場所は稀勢の里の楽々優勝だと思って、「今場所は決まっているから面白くないなあ」なんて言ってたのに

これで照の富士の2度目の優勝の芽も出てきた、高安も3連敗となったし日本人の優勝の芽は消えてと言って

良いだろう。

ぜんぜん力が入っていなかった者なあ稀勢の里は、全身を岩にして思い切り体当たりするべきだった

完全に当たり負け、それより勝負の執念負けだった。

日馬富士に脱帽!