神様がくれた休日 (ホッとしたい時間)


神様がくれた素晴らしい人生(yottin blog)

奇跡の因縁

2015年11月21日 19時58分47秒 | 宗教

父の祖母の再婚相手、すなわち父の義祖父は慶応生まれ(江戸時代最後の年号)の硬骨漢だったという

その最後も、東京向島の理髪店で散髪中に、スーッと亡くなったそうで、床屋の親父が警察署に届けたという

その一件は、東京中央区役所から取り寄せた除籍謄本に詳しく書いてあった

彼の生国は栃木県の馬頭町と言うところで、今は那珂川町に入っている、そして16歳の時に県をまたいで

茨城県の玉川村、今は常陸大宮市に養子に入った

これがわかったのは、本格的にルーツ調べを始めた今年の夏前だった

 

さて、今度は今の話だが、いろいろな出来事があって、私の人相も悪くなっていたことに気づき転機一新ということで

「笑う門に福来たる」を掲げて笑顔の毎日を過ごしていたら、数日後に本当に「神様の使者」と言われる「ふくろう」が

我が家の玄関に降り立った一件は、このブログにもかいたばかりだ

だいたい「ふくろうさん」がこのタイミングでやってきたのも奇跡だが、自然界の不苦労を見たのは65年の人生で

初めてでもあった。

それだけでも奇跡だが、昨日急に思い立って「ふくろう信仰」に興味が出てきて、ネットで日本に「ふくろう神社」があるか

調べたんだ、すると少しというか一つだけというか「あった!」

どこだろう? と住所を見てびっくり! どっきり!

それは、参道の石段が中央で、栃木県と茨城県にまたがっているという全国でも珍しい神社だった

そして栃木県側は、那珂川町馬頭町、茨城県側は常陸大宮市だった・・・・・・! 

 


念ずれば通ずる

2015年11月17日 22時52分30秒 | 宗教

地獄極楽という類いの宗教は信じていない

いつも書くように、「地獄のような苦しみ」や「極楽のような楽しさ」は体験できる

しかし地獄極楽の苦しみ、楽しみと言っては見ても、それは仮にあったならば

「こうだろうという」という自分なりの解釈であって、それを自分なりの苦しみと楽しさに

当てはめただけの空想である。

しかし、信じるものはある、それはいつも書いているとおり魂の存在

魂は漫画に出てくる火の玉ではない、そもそも見えるのでは無く、感じるものである

だから霊感の強い人は特に感じたり、対話したり出来るという

だが対話は怪しい、そもそも魂は人では無い、生命体に入り込む「気」なのだ

「気」が話したり、肉体の滅亡後に特定の人間のまま存在していることは無い

「気」は「気」だから、たしかに「気」はあるのだ、それを感じることが出来る人は居るかもしれない

そして、そんな「気」を様々な形で操る大きな存在はあるだろう、なければ「気」は法則的に

存在することは無いはずだ、そしてそれをキリストやモハメッドや釈迦などの偉大な人間は

遙かに身近に感じて、その偉大な何かを「太陽の神」「神」「宇宙」と名付けたのだろうか。

 

「念ずれば通じる」のだ、それは「偉大な魂の創造主(単数か複数かは知らない)」に自分の

魂「気」が通じた時だ。

「信じる者は救われる」と同類だ

その偉大な何かを信仰する、あるいは通じるために間に人間を介するのか、己自信で

通じるのかは個人の自由だ、それが本当の宗教(信仰)の自由というものだ

 

 


不思議な日本人の信仰心

2015年11月15日 19時02分07秒 | 宗教

昔から「高島暦」と言っていたが、よくよく表紙を見たら

「神宮運勢暦」というのが正式だった

ともあれ、ここ10年ほど買っていなかったが、年齢の節目の成果

いろいろ迷いが生じるようになって、ここは一つ運勢暦にでもすがろうと思ったわけ

10年以上前は毎年買っていた、結婚式の良い日をお客さんに教えるために

しかし近年、結婚式事情が大変化していらなくなってしまったのだ

「神頼みか」って言う声もあるだろうが、神頼みではなく1年の生き方の柱を知りたい

それが正解かどうかは知らないが、少なくとも迷ったときにはどちらか選ぶ判断基準になる

それだけでも気は楽だ、大概のことは、悩むほどでも無いことが多いのに人間はあれこれと

先の心配ばかりして、あっちだこっちだ、いややっぱりあっちかも・・・なんて無駄時間を過ごす

それをしないためにも、結論がわかっていた方がらくなのだ

高島暦に限らず、細木?女史の「***人の運勢」というのも随分熟れているようだ

人間に人生の迷い在ればこそ、売れる本なのだ

大概の日本人は神も仏も真剣に信じていないと思う、だけども寺にも行くし、神社にも行く

観光旅行では必ず、神社仏閣が1つや2つコースに入っていて、自分の分だけで無く

お土産にたくさんのお守りを買ってくる

キリスト教徒でも無いのに、チャペル結婚式をしてキリストに結婚の誓いを行う

これは本当に不思議な日本人の特性だ、欧米人のように十字架だけ胸にぶら下げておしまい

とは行かないようだ

もっともキリスト教は、唯一神だが、日本には808万の神が居るわけだから、お守りの5つや10では

少ないくらいだ、おまけに福の神や金運の神、更には招き猫などの像まで

イザベラバードも新潟や福島、東北を旅して、どんな家にも大黒様のお札や偶像があると驚いている

信仰活動はしないけれど、困ったときにはすがりつく、私も含めて日本人の信仰はまことに不思議である


玄関に珍客来福

2015年11月14日 14時43分24秒 | 知人・友人

久々に動物もの

朝から台風並みの強風が今も吹き付けていますが

そのせいなのか珍客がやってきました

鳥です、玄関のガラスにぶつかって死んだのか失神したのかうずくまって

ぴくりともしません

山鳥みたいな大きさと色、死んでるのか?やだなあ 可哀想だな 仕事が増えたな

なんて思っていたら、やっこさん起き上がりました

なんと「ふくろう(みみずく?)です

すっくと立ち上がって、オレたちの方を見ています

動きません、目だけくるくるしています

とても可愛くて、飼おうかななんて一瞬思ったけど

自然の鳥を飼うことなどできません

相変わらず強風が吹き荒れ、飛ぶことが不可能なようです

鳥は鳥目と言って夜は見えません

だけどフクロウは反対で夜活動します

それじゃ昼は目が見えないのでしょうか心配です

夜まで保護しようかと思いましたが、方法が思いつきません

自然の鳥に触るのは衛生的にも良くありませんし・・・

獣医さんに電話して保護してもらおうかなんて言っていたら

突然、羽を広げて飛びました

ウサギくらいの鳥だと思っていたのに、羽根を広げたらとても大きい

少し飛んで、建物にぶつかって落ち、又飛んで二度停まっている車にぶつかり

それでも空に飛んでいきました、するとカラスが2匹で攻撃してきました

フクロウは必死で逃げています、大きさはフクロウの方が少し大きいです

見えなくなりました、カラスは補食で攻撃したのでは無く、縄張りから追い払ったのだと思いますが

心配です。

無事に安全なところまで行ったのでしょうか?


バックtoザ.フューチャー & リプレイ

2015年11月10日 21時41分16秒 | 映画/ドラマ/アニメ

バックtoザ.フューチャー もう何回こそ見たものか

この手のドタバタ劇は誠に面白い

一つの場面に3人の自分が同時にいるなんて考えられないことだが

さすがアメリカ的、スピルバーグ的

時系列的に新しい時間の自分が、古い時間の自分を見ている

そこは3次元的である故に、面白い

エクセルでこれをやってしまえば、たちまちエラーの矛盾が起こるはずだ

 

さて、先日「バック・・・2」を見ていて、私の愛読書「リプレイ」と共通場面があったのに気づいた

それは、野球なや競馬などの勝敗や勝利者が書いてある未来のスポーツ年鑑を今の時代に持ち込んで、賭で大勝ちして大金持ちになる場面

どちらもそうなる、但し「バック・・・」では敵役が大金持ちになってしまうのだが

 

「バック・・・」と「リプレイ」は、どちらも時代を行き来するのだが

「バック・・・」はタイムマシンを使っての時間移動 一方「リプレイ」は同じ人生を何度もやり直すパターンで

全く異なるのだ。

「バック」は結局、今の人の時系列的な人生の流れの中で、過去や未来に行くので実際に描かれる時間は1ヶ月も

経っていないのかも、ただ出発した時間より、少しだけ前に戻ったりはするが。

「リプレイ」、蘇ってから死ぬまでの人生を何回も繰り返す

そうしているうちに要領を覚えて、次の人生の生き方を考えながら死を待つようになる

しかし、生きている時間は次の人生を迎える度に短くなり、最後には・・・

すなわち、蘇ったときの年齢がどんどん高くなっていくと言うことだ、死ぬ日は同じなのに

穴に閉じ込められて、だんだん水位が上がってくるのに似ている

「バック」はタイムマシンを使って、両親も含めた情けない人生からの脱出がテーマだが

「リプレイ」は人生の時間は1分たりとも無駄にしてはいけないという教訓本だ

そして人生で一番大切なことを教えてくれる

「リプレイ」は一度呼んでみる価値は充分ある、私はもう5~6回は読み返しているが

いつ読んでも新鮮だ。

そして人生の寂しさ、はかなさも同時に思ってしまう だが読み終えるといつもさわやかな気分になる

 

 

 

 


韓国ドラマで見る易姓革命

2015年11月04日 08時14分02秒 | 韓国.北朝鮮.台湾.中国

今はBSがあって随分と中国や韓国の歴史ドラマを見ることが出来る

隣国でありながら、遠いアメリカの歴史よりも知らなかった中国、韓国の歴史に触れるようになった

かの国の好き嫌いは別にして、隣国を知ることは知らないより良い

で、興味深いのは「易姓革命」

これは現在の王朝を滅ぼして、新たな一族が新しい王朝を興すことである

すなわち国家統一者が変わる度に国名も変わる

もっとも顕著なのは、隣の半島国家だ

金氏の「新羅」が高句麗、百済の鼎立を制して統一国家となった

その後、王氏が金氏から権力を奪って、「高麗」王朝を興した

その後、李氏が王氏を滅ぼして「朝鮮」王朝を興した

半島国王の下には、易姓革命を起こすチャンスがある地方領主が多数存在する

 

それでは我が国はどうだろうか

武家が幕府を開いたのは源氏が初めてだろう

源氏は三代で北条氏にとって代わられた

北条氏は後醍醐帝によって滅び、その後、足利氏が幕府を開いた

しかし乱世が続き その後、織田氏が足利氏を放逐して統一直前になったが反乱で頓挫

豊臣氏が織田氏を放逐して王座に就いたが二代で、徳川氏に滅ぼされる

武家の幕府は、隣の半島国家でいうところの王に等しい

ところが半島国家では王が最高権力者であるが、我が国では王である武家の上に、帝が君臨している

「帝(皇帝)」すなわち天皇だ、これが半島国家との決定的な権力構造の違いである

基本的には王である武家の統領は、「征夷大将軍」という地位を天皇から任命される形だ

明治維新の時の天皇の役割をみれば天皇の権威(権力とは違う)がよくわかる

 だから国の為政者(幕府.将軍)が変わっても我が国の国名はずっと「日本」のままだ

「倭」という時代もあったようだが権力者とは無関係だ

半島国同様、幕府の下には幕府転覆のチャンスを持つ地方領主が数多存在している

明治維新はそれである、だが幕府に取って代わろうとする勢力はあっても「天皇」を滅ぼして「天皇」

になろうと考えた地方権力者は一人も居ない、幕府の将軍さえも「帝威」を利用したり、信長のように

「帝威」を無視しようとした者は居るが、あるいは天皇軍と戦争をして天皇を島流しにして自分に

都合の良い新天皇をたてた者はいたが、自ら「天皇」になろうとした者は歴史上r一人も居ない

これが世界で唯一の一系皇帝が続いた理由だ

日本の帝位は信長、秀吉、家康といった超越した独裁権力者さえも犯せざる特別のものなのだ、

日本人の神に対する恐れなのだろうか?

時代毎に天皇の権威は変わったが今現在も続いている

 

中国では半島国家同様に権力構造は一段しか無い、しかし半島国家と違うのは、その一段は王ではなく

皇帝である。

皇帝と言っても、日本のように一系で2700年近く続いている家系では無い、半島の王と同じ易姓革命の

皇帝である、だから革命の度に唐、宋、明、清など国名が変わっている

とうぜん地方には易姓革命を起こしうる権力者がひしめいている

しかも異民族が侵略してきて国を造り皇帝になる例もあった「金」「元」「清」

なぜ中国が皇帝で、半島国家は王なのか、それは歴史上、常に中国は半島国家を従属国家としていたか

らだ

半島国家で王位継承などがある度に、中国の皇帝に許可を求めなければならなかった

李氏朝鮮の国家名も当時の中国皇帝(明国)から選んでもらったという

中国皇帝は半島国の最高権力者に「皇帝」を名乗ることを許さなかった、つねに半島国では「王」である

王は皇帝の下という考えである

半島国に皇帝が誕生したのは1895年ころ「日清戦争」で日本が清を破り、清の影響力を朝鮮から駆逐し

て、朝鮮を「大韓帝国」として「朝鮮王」に「皇帝」を名乗らせた時だ

しかしそれも僅か15年ほどで「日韓併合」が起こり、半島国家での皇帝は以前も以後もこの時だけである

 

「チャングムの誓い」(原題 テ.チャングム)などを見ても、いかに半島国家が大陸の中国の顔色をうかが

い、その影響下にあったかがよくわかる

中国の大臣や官僚が訪れる度に、半島の王は土下座して出迎えたと言うくらいだ、さすがに韓国ドラマで

はそこまでやらないが右往左往する場面はときどき韓国ドラマで見ることが出来る

 

日本の権力の二重構造が、中国、半島国の間でおこなわれていたのは面白い現象だ

今も米国と中国の間で揺れ動く韓国の姿は、歴史の面影を垣間見ることが出来る。