今はBSがあって随分と中国や韓国の歴史ドラマを見ることが出来る
隣国でありながら、遠いアメリカの歴史よりも知らなかった中国、韓国の歴史に触れるようになった
かの国の好き嫌いは別にして、隣国を知ることは知らないより良い
で、興味深いのは「易姓革命」
これは現在の王朝を滅ぼして、新たな一族が新しい王朝を興すことである
すなわち国家統一者が変わる度に国名も変わる
もっとも顕著なのは、隣の半島国家だ
金氏の「新羅」が高句麗、百済の鼎立を制して統一国家となった
その後、王氏が金氏から権力を奪って、「高麗」王朝を興した
その後、李氏が王氏を滅ぼして「朝鮮」王朝を興した
半島国王の下には、易姓革命を起こすチャンスがある地方領主が多数存在する
それでは我が国はどうだろうか
武家が幕府を開いたのは源氏が初めてだろう
源氏は三代で北条氏にとって代わられた
北条氏は後醍醐帝によって滅び、その後、足利氏が幕府を開いた
しかし乱世が続き その後、織田氏が足利氏を放逐して統一直前になったが反乱で頓挫
豊臣氏が織田氏を放逐して王座に就いたが二代で、徳川氏に滅ぼされる
武家の幕府は、隣の半島国家でいうところの王に等しい
ところが半島国家では王が最高権力者であるが、我が国では王である武家の上に、帝が君臨している
「帝(皇帝)」すなわち天皇だ、これが半島国家との決定的な権力構造の違いである
基本的には王である武家の統領は、「征夷大将軍」という地位を天皇から任命される形だ
明治維新の時の天皇の役割をみれば天皇の権威(権力とは違う)がよくわかる
だから国の為政者(幕府.将軍)が変わっても我が国の国名はずっと「日本」のままだ
「倭」という時代もあったようだが権力者とは無関係だ
半島国同様、幕府の下には幕府転覆のチャンスを持つ地方領主が数多存在している
明治維新はそれである、だが幕府に取って代わろうとする勢力はあっても「天皇」を滅ぼして「天皇」
になろうと考えた地方権力者は一人も居ない、幕府の将軍さえも「帝威」を利用したり、信長のように
「帝威」を無視しようとした者は居るが、あるいは天皇軍と戦争をして天皇を島流しにして自分に
都合の良い新天皇をたてた者はいたが、自ら「天皇」になろうとした者は歴史上r一人も居ない
これが世界で唯一の一系皇帝が続いた理由だ
日本の帝位は信長、秀吉、家康といった超越した独裁権力者さえも犯せざる特別のものなのだ、
日本人の神に対する恐れなのだろうか?
時代毎に天皇の権威は変わったが今現在も続いている
中国では半島国家同様に権力構造は一段しか無い、しかし半島国家と違うのは、その一段は王ではなく
皇帝である。
皇帝と言っても、日本のように一系で2700年近く続いている家系では無い、半島の王と同じ易姓革命の
皇帝である、だから革命の度に唐、宋、明、清など国名が変わっている
とうぜん地方には易姓革命を起こしうる権力者がひしめいている
しかも異民族が侵略してきて国を造り皇帝になる例もあった「金」「元」「清」
なぜ中国が皇帝で、半島国家は王なのか、それは歴史上、常に中国は半島国家を従属国家としていたか
らだ
半島国家で王位継承などがある度に、中国の皇帝に許可を求めなければならなかった
李氏朝鮮の国家名も当時の中国皇帝(明国)から選んでもらったという
中国皇帝は半島国の最高権力者に「皇帝」を名乗ることを許さなかった、つねに半島国では「王」である
王は皇帝の下という考えである
半島国に皇帝が誕生したのは1895年ころ「日清戦争」で日本が清を破り、清の影響力を朝鮮から駆逐し
て、朝鮮を「大韓帝国」として「朝鮮王」に「皇帝」を名乗らせた時だ
しかしそれも僅か15年ほどで「日韓併合」が起こり、半島国家での皇帝は以前も以後もこの時だけである
「チャングムの誓い」(原題 テ.チャングム)などを見ても、いかに半島国家が大陸の中国の顔色をうかが
い、その影響下にあったかがよくわかる
中国の大臣や官僚が訪れる度に、半島の王は土下座して出迎えたと言うくらいだ、さすがに韓国ドラマで
はそこまでやらないが右往左往する場面はときどき韓国ドラマで見ることが出来る
日本の権力の二重構造が、中国、半島国の間でおこなわれていたのは面白い現象だ
今も米国と中国の間で揺れ動く韓国の姿は、歴史の面影を垣間見ることが出来る。
