前記事、天帝とは誰かの問題提起から、一連の記事を書こうと思っています。それは、ちょっと早いかもしれないのですが、私の心の遺産を子供達に文字に残して小冊子にしようと思いついたからです。このブログに残したまま放置したら、いずれ消えてしまうでしょうから。子供の目に触れることも孫の目に触れることも無くなるのが、現代の核家族の運命のように思います。歴史が本当は個人個人の記憶の集合物であるはずなのに、集合する術が消えかかっている・・・・・家族というつながりこそが歴史に命を吹き込むものです。大事に守っていくべきものです。
今回は日本の歴史の背骨、『万世一系の天皇』についてです。現在最近皇位継承をめぐって国民の間でいろいろな意見が飛び交っていますが、この事態は全く異様な状態です。そもそも日本は戦後国や天皇というものに対して全く無関係な教育をしてきたがゆえに、自分の存在すら何にも依ってないかのような錯覚に支えられた国民になってしまいました。そしてひとたび問題が起きると、人権だ国の保証だと、訳の分からない欲求に取りつかれてしまいます。国との関係を明確に持っていないのに要求だけするというあさましい国民になってしまいました。自分が日本人であるという根拠を何も教えられてこなかったので、日本人であることもまるで偶然の他人事のようです。日本人は、日本という国の意味も知らずに、そのことを無視して生きています。
天皇とは日本の歴史そのものであって、私たち個人個人の名も知らぬ顔も知らない先祖がそれぞれの時代をそれぞれの天皇の名のもとに生きて命を繋いできました。有名な源氏物語は、『いずれのおほんときにか・・・・・』と言って何という帝の時代であったかという書き出しで始まります。そういう生きた年代感覚が天皇の在位期間であったのです。私たちの祖先は、その時の帝の世に生まれたという実感を繋いできました。私達は先祖をしのぶときに、例えば景行天皇の御代に生きた自分のご先祖様とか、誰それ天皇の御代に生きた私のご先祖様とかをしのぶのです。そしてそれが『君が代』の意味なのです。結論を先に言いましょう。その理由は後から述べたいと思います。
天皇とは日本の国柄です。天皇のおわす国が日本です。主義主張ではありません。皇統は私たちの背骨で、私達はその日本の小さな細胞の一つ一つです。同時代に生きている細胞たちはもちろん横につながっていますが、その一つ一つは縦のつながりをも持ってそこに存在しています。私達は束なのです。その縦のつながりは万世一系で保証され紡がれてきたのです。そのことを万世一系というのです。なぜそれが大事なのか・・・・・それは万世同じ歴史を営んでいる国民の証明だからです。私達は少なくとも神武元年の国民の子孫です。あの時いた人々の子孫なのです。私達はそういう一体感を持っています。皇統が一体感の証です。これは本当に稀なことであって、そういう歴史を持っている国民は、今ではこの地球上で日本だけになりました。これは今後作ることもできないありがたい事実です。日本人の義務は、この日本を守り続けることです。生きた人々の束を守ることです。
『万世一系』の反対語というか対象語は、『易姓革命』です。王朝が乗っ取られるか滅亡させられて交替するのです。中国大陸の内乱の歴史、戦争の歴史です。違う国の国民になるのです。『万世一系』は秩序と平和を維持して束の国民として生き続ける思想です。『万世一系』は『万世一姓』というのが元だろうと思います。その意味は、同姓による継承ということです。その姓については②に譲ろうと思いますが、なぜ『一系』に替えられたのかということを推測すると、それは皇室が姓を捨てられたからだと思います。私は子供の頃父から、『日本では一番上位におられる皇室と一番下位にいる被支配階級に姓がない』と教えられました。英国の王室はハノーバー家ですが、ギリシャ王家の夫君を迎えられて、エリザベス女王がマウントバッテンハノーバーと付け加えました。ヨーロッパの王室は大体みんな親戚で、国民とより外国の王家とのつながりが強いのです。みんなハノーバー王朝と言ってよいと思います。中世以降でさえそういう王家という世界に対して、神武天皇は二千年以上も前に『八紘一宇』、つまり『みんな一家族』と大和民族にまとめてしまわれて個別の姓を捨てられました。以来日本人は皇室を宗家の家長とした精神構造を作り上げました。日本人の宗家は『万世一系』になったのです。それがなぜ男系となるのかについて、次章②で述べたいと思います。