ずっとずっと昔のお話です。海幸彦と山幸彦という兄弟がおりました。海幸彦は海で魚をとり、山幸彦は山で獣を追って暮らしていました。ある日弟の山幸彦が兄の海幸彦に言いました。「一日だけ釣竿と弓を交換して、いつもと違うことをしてみようよ。」海幸彦は嫌がりましたが、山幸彦が余りに熱心に頼むのでいやいやながら交換することにしました。
山幸彦は喜んで海に出かけ釣りを始めました。なかなか釣れません。とうとう一匹も釣れませんでした。そればかりか大事な海幸彦に借りた釣り針をなくしてしまったのです。海幸彦も慣れない狩りで何の獲物も無く帰ってきました。山幸彦は海幸彦に大事な針をなくしたことを正直に話して心から謝りました。しかし海幸彦は許してくれません。山幸彦は自分の刀を溶かして千本の針を作り、兄の海幸彦にお詫びをしました。それでも海幸彦は、どうしても失くした釣り針を返してくれと言って許してくれません。すっかり困ってしまった山幸彦が海岸で途方に暮れていると、白いお髭のおじいさんが現れて、「海津神(わたつかみ・海の神様)なら分かるだろうから教えてもらいなさい」と、海津神の宮殿への道筋を教えてくれました。教えられた通り進んでいくと井戸と大きな香木(かつらぎ)がありました。おじいさんの指示通りその大きな木に登っていると、宮殿の侍女が水を汲みにやってきました。
水を汲もうと井戸を覗き込んだ侍女が井戸に映っている山幸彦を見つけました。山幸彦は水を飲ませてくれるように頼みます。侍女がさし出した容器に、山幸彦は自分の首にかけていた珠を口に含んで吐き入れます。するとその球が容器の底にはり付いてとれなくなりました。仕方なく侍女はそのまま水を汲んで宮殿に戻りお姫様に水を差し出します。その珠を見つけたお姫様が怪しんで侍女に尋ねました。井戸にやってきて木に上にいる美しい若者を見つけたお姫様は、父の海津神にその話をしました。すると海津神は「その方は日の神の御子に違いない。丁重にお通しするように」と言い付けました。お姫様に連れられてやってきた山幸彦を、海津神は大切にもてなし娘の豊玉姫と結婚させます。山幸彦はこの海津神の宮殿で三年間幸せに過ごしました。
ある日心にかかっていた海幸彦の釣り針を思ってふとため息をつきます。それを怪しんだ豊玉姫が海津神に山幸彦のため息を報告しました。山幸彦から訳を聞いた海津神は調査を開始、ふかの喉に引っ掛かっていた釣り針を探し出しました。大喜びに喜んで山幸彦は海幸彦に釣り針を返しました。それから山幸彦はまた山で獣を追い海幸彦は海で魚を釣って暮らしましたとさ・・・・・
子供が最初に聞くおとぎ話としてはこれくらいまでのものですが、日本人なら誰もが知っている『海幸山幸』の話です。成長するにつれてこの後日談というか続きというか、詳しい神話に触れるようになります。関連記事2006年7月『
海幸山幸』
海幸彦の本名は『火照命(ホデリノミコト)』と言い、山幸彦は『火遠理命(ホヲリノミコト)』と言います。父君は天孫降臨のニニギノミコト、母君は日本神話の美人の筆頭コノハナノサクヤヒメです。
海津神は釣り針を持たせて山幸彦を葦原の中津国にお帰しします。その時海津神は山幸彦に、海幸彦に釣り針をかえす時の呪文『この鉤(かぎ)は、オボ鉤(おぼち)・スス鉤(すすち)・マジ鉤(まじち)・ウル鉤(うるち)』と唱えて後ろ向きにお渡しなさい』と二つの玉を授けます。山幸彦は言われたとおりに釣り針を海幸彦に返します。海津神は天地の水を司る竜神ですから、山幸彦の国は豊かな実りに恵まれます。しかし海幸彦は何をやってもうまく行きません。海津神の予言通り三年の内に貧しくなって山幸彦の国に攻め込んできました。その時山幸彦は海津神からもらった『塩盈珠(しおみつのたま)』で海幸彦の軍勢を溺れさせてしまいます。海幸彦はとうとう降参して許しを請い、山幸彦の守護の役をする家来になろうと誓います。そこで山幸彦はもう一つの『塩乾珠(しおひるのたま)』で洪水を治め兄の命をお許しになるのです。こうして山幸彦はニニギノミコトの跡を継いで大王になられます。山幸彦の日本史上のお名前は、天津日高日子穂々手見命(アマツヒコヒコホホデミノミコト)、神武天皇のおじい様です。
この物語は沢山の示唆を含んでいます。
第一に、山幸彦が道具の取り換えを申し出ること。これは人間にありそうな話です。何気ない毎日の暮らしが、いかに長閑で幸せなものだったか、後で知るのです。如何に後悔しても役に立ちません。
第二に、海幸彦はそれを嫌うこと。これは出雲の国譲りと同じく、強制的なものを感じさせます。取り換えは乗っ取りに通じているからです。
第三に、海幸彦は山幸彦の同母兄であるにもかかわらず、邪まな性格とされていること。アマテラスとスサノオの関係と似ています。そしてこれから神話に登場してくる兄弟の物語はいつも弟が正義を体現しています。神話の兄弟の血筋はあてにならないのかもしれません。
第四に、海津神が竜神であること。日本列島の原住民を思わせます。そして
第五に、海幸彦はその名前からは海津神側、つまり原住民族ではないかと思われます。だとすれば海幸山幸の争いも理解できると思います。
第六に、山幸彦は海津神の娘と結婚して治水権を受け継ぐこと。海津神が天孫に支配権を譲ったことを意味しています。その譲られた地が、山幸彦がお帰りになった『葦原の中津国』であると語っています。
第七に、おとぎ話にきまって出て来る白いお髭のおじいさんは何者か。このおじいさんは住吉の翁とも呼ばれていますが、たいていは『塩椎(土)の翁』と呼ばれています。この『椎』は足名椎・手名椎の『椎』と同じです。ホツマ伝えには前述の若姫とアチヒコの仲人役で出てきます。神格に近いけれども、氏素性をはっきりした記事はありません。川崎真治先生の著書に触れるまで私にはわかりませんでした。海津神に近い蛇族の国津神です。
第八に、竜宮城に行く浦島太郎との関係。幼い日浦島太郎の話を聞きました。「ヨサの浜辺で浦島は、・・・・・」母の語りはいつもこういう出だしで始まりました。子供心に「ヨサって何処だろう」と思ったものです。長ずるにつれて『与謝蕪村』を知り、『依網羅の娘子』を知り、その依網羅娘子と人麻呂の相聞歌『角の浦みを浦無しと・・・・・・』を知りました。様々な伝承が彼方此方でつながれている不思議な感じを胸に温めたまま長い年月を過ごしてきました。そして師と仰ぐ最後(多分)の御縁を頂いた川崎真治先生の著書に触れました。
山幸彦には次に大切なお話し『ナギサタケウガヤフキアワセズノミコトの出産』の場面が続いています。
山幸彦と結婚なさった豊玉姫は、出産を間近に控えられ山幸彦の許を訪ねて来られます。『日の神子を海津神の宮殿で産むことは出来ない』とおっしゃるのです。それで山幸彦、つまりホヲリノミコトは急いで海岸に産屋をお建てになります。その時急に豊玉姫は産気づかれて、夫の君に『出産をする時は本来の姿に戻るものですから、決して産屋をのぞかないでください』と約束を取り付けられます。そしてまだ完成していない(鵜の羽を草代わりにして屋根を葺いていたが未だ出来上がっていない)産屋にお入りになります。この時お生まれになるのが、この事件を象徴するお名前を持つ『波限建鵜草葺不合命(なぎさたけ・うがや・ふきあえずのみこと)』で、その意味は『海辺に立てた産屋の屋根が出来上がらないうちにお生まれになった御子』という意味です。名前というものがその人の氏素性生い立ちを語るものだということを納得させられます。神々のお名前、歴史上の人物の名前をもう一度確認してみたいと思ってしまいます。
ところで私達は『覗くな』という昔話で有名なものを三つ知っています。第一が既にご紹介した『イザナギ』のお話、第二がこの『豊玉姫』のお話、第三が『鶴の恩返し』のお話しです。禁止されると気になってしまう人間の心情をついていてなかなか面白いお話です。
今回の豊玉姫のお話しは、覗いてしまった山幸彦に豊玉姫は次のようにおっしゃいます。『これから毎日海津神の宮殿から通ってお世話をしようと思っていたのに、貴方が覗いて私の姿を見ておしまいになったのでそれも出来ません。』豊玉姫は海津神の娘で、出産の時鰐の姿に戻っていたのを恥ずかしく思われたのです。そして『海坂』の戸をふさいで海津神の宮殿に帰っておしまいになります。これは大変興味深いお話しだと思います。私達が人間に生まれる前の記憶の一部だと私は考えています。それもこれは皇統につながるお話しなので、決して卑しんだり怪しんだりしているのではありません。そしてもう一つ、豊玉姫は『海坂』を閉じて海にお帰りになりました。私達はこの時海と往来する道を失いました。この坂は境界を意味するもので、イザナギノミコトも黄泉の『平坂』に戸を立てて塞がれたことを私達は知っています。その時生き帰る道を失い、今回海の中へ自由に行く道を失いました。
古事記には生命の発生から進化の歴史を語っているのではないかと思わせる記事がいくつかあります。『ウマシアシカビヒコジ』の神にカビ類の時代、『ヒルコ』姫に無脊椎動物時代、『ワニ』の姿での出産に爬虫類の時代などです。海岸に来て卵を産む大海亀は、産卵後決して子どもの世話をしません。爬虫類までは水の世界と陸の世界を往復します。この豊玉姫のお話もそんな事を考えさせられます。神話というものは重層的に私達の記憶(つまり過去)を語り継いでいるにちがいありません。(umisachi & yamasachi)
それでは今日も:
私達は横田めぐみさん達を取り戻さなければならない!!!