急性膵炎が本当に急性だったためか沈静化も早く(?)痛みもすっかりなくなりました。次の週には各種の検査、造影剤を使ったMRI、内視鏡的胃カメラ(CTスキャン?)に内視鏡的逆行性膵胆管造影検査・・・・・を受けました。検査開始の前に私と主人は内科の先生から初期の膵臓癌を疑っているとのお話を聞きました。原因の三分の一は食事やタバコやアルコールなど、三分の一が胆石、後の三分の一は不明であることなどを教えていただきました。
検査に当たっての説明を受けながら、膵臓というのは検査という点からも治療という点からも、かなり厄介な位置にあるらしい・・・・・ということを知りました。膵臓・・・というと『糖尿病』というのが一般的だと思いますが、まあ言わばそれは血液病というか内分泌病(?)、血液検査で分かります。だけど画像診断となると、胃や腸の後ろにあったり背骨や腎臓の向う側にあったり・・・・・生検をするにしても同じ理由でサンプルを取りにくい・・・・・万が一癌で癌細胞をこぼしてしまったら、とりかえしがつかない・・・・・それに加えて、膵液というものの性質もある。どうやら、膵臓は病気になってはいけないところらしい・・・・・
内視鏡的検査は軽い麻酔(?)をかけて行われるので、体への負担は別にして感覚的にはそれほど苦しいこともありませんでした。だけど、麻酔が覚めかけたのか周りの気配を感じ始めたころ、先生の声が聞こえてきました。どうやら外科の先生と手術の予定の相談のような・・・・・誰の相談なんだろう????・・・・・とぼんやり聞こえてくる声を聞いていました。最近は電子カルテなので、映像をかなりすぐに見ることができます。内科の先生から主人も共に説明をとのことで、私と主人は最終的な詳しい説明を聞きました。癌の可能性が濃厚であること、それも初期の初期段階で偶然膵炎を起こしたから発見したようなものであること、膵臓癌の確定は難しいこと・・・・・・いずれにしても早く手術をするのが良いので手術の予約をしておいたので考えてほしい・・・・・・といった内容でした。どうやら先生が検査室から電話なさっていたのは、私のことだったようです。主人は医者ですから入院直後の説明で大方分かっていたとは思いますが、私と違ってこの事態とその重大さとを医学的に理解したと思います。
私の方はと言えば、「へえ~~~、やっぱり本当なのか?????」、といった感想のほうが大きくて、「手術を受けるまでにどれくらい時間的余裕がありますか?半年くらいあるでしょうか?」とお尋ねしました。半年あれば、また食事規制をして・・・・・と髄膜腫の経験を思い出していました。ところが先生は「それは無理です。」とお答えになったのです。そして「一番早い予約で、来月の半ばころの手術予定を入れておきました。」と言われました。「やめるのは自由なので・・・・・よく考えて」とも付け加えてくださいました。
急性膵炎も治まり入院しての検査も大体終わったので、退院の許可が下りました。内科の先生は毎日必ず様子を見たり検査の結果を知らせたりと話しに来てくださるのですが、私のどうでもよいような不安にも誠実に答えてくださいました。この先生との信頼関係が、後に手術の決断をすることになる一つの要因だったことは間違いありません。手術の予定までに外科からの検査依頼があって通院予定が組まれましたが、一応私は15日間の入院生活を終えて帰宅しました。
残された時間は一月しかありません。その間に決心しなければなりません。子供たちにも最初は隠していたのですが途中で露見してしまったので、意見を聞くことができました。中でも医者である主人と息子は悲壮な決意をしたと思います。膵臓癌というものはそれほど見つかりにくく、見つかっても手遅れの場合が多い・・・・・アイパッドのジョブズ氏も膵臓癌が見つかって、医学的に処置ができそうにもない段階でマクロビオティックを最終的に選んだのだとか・・・・・残念ながら亡くなっています。後に分かったことですが、まさか久司先生までも・・・・・・とにもかくにもほとんど手遅れで、予後が悪い・・・・・ですが腫瘍マーカーもそれほど爆発的ではなく、多分膵頭部を切らなくてよい(開腹後の状況判断ではわからない、とのことでしたが)・・・・・しかし待ってはいられないということで、一月間のマクロビオティック的努力にすべてを託して、後はもう運を天に任せる以外にないと思いました。主人が落ち着いたら公表してもよいと言ってくれたことも励みになりました。
娘にバレてしまった時のことをよく覚えています。いつも主人が居ないことは職業がらありうることですし、これまでもいつものことでしたのでよかったのですが、なんともはや、電話中に入院病棟のチャイムが鳴り面会時間終了のお知らせが・・・・・・『何?』と訝しがる娘に『テレビよ・・・・』と胡麻化したものの、どうしてもこのところおかしいと思っていた娘は父親に電話しました。そして主人は子供たちにすべてを知らせました。
外科の先生方は手術の前にあらゆる情報を集められるらしく(そりゃあ、そうでしょうと思います。)、ペット検査を受けました。よほど特殊な検査なんだなあと実感しました。何しろ地下にあってかなり隔絶された感じです。放射能のせいで時間がたたないと外にも出られないんです。検査の内容は置きまして、そこで出会った人との会話を忘れることはないと思います。私より10も年上ではないと思いました。彼女は初めてだという私に、『もう3回目よ』と話してくれました。癌の化学療法も3回目を受けることになっているということでした。名前も知らない間柄でしたが、互いの身の上を親しみ思いやって短い話をしました。彼女は『もういいかなあって思うんだけど、人間はなかなか死なないよ』との言葉を残しました。私に頑張れと言ってくれたのだと思います。
こういう人たちとも会える・・・・・そこに付き添っている家族の思いにも触れることが出来たような気がしました。これも手術を受けてみるのも悪くない・・・・・と思ったきっかけにもなりました。マクロビオティックを知らないたくさんの人々が生きている・・・・・マクロビオティックの私が手術を受けたらどうなるのか・・・・・どちらかしか選択が出来ない人生で、どちらに転ぼうが後悔は決してするまいと思いました。
医者の主人も息子も手術希望でした。私はというとぎりぎりまで決断がつきかねていました。そんななかも検査や外科の外来受診、口腔外科受診・・・・と日程はあっという間に過ぎて、いよいよという時にもう一度最後と思って外科の先生に面談を申し込みました。「やめてもいいですか・・・・・」、先生は慌てられたと思います。『マーカーもわずかではあるが上がってきてますし・・・・・』と心配して『膵癌はデータがそろっては遅いんです』とおっしゃいました。そして『もしどうしてもという場合には、なるべく早く連絡してください』と言ってくださいました。
要するに、どちらとも状況で決断することは出来ないのだということがわかりました。手術をしなかったら、うまくすれば、このままひどいことにはならずに小康状態で生涯を終えることができるかもしれない。だけど最悪の場合は、あの時手術をしなかったから・・・・と私はいいかもしれないが、夫や子供たちは後悔するに違いない・・・・・最悪でなくとも、急性膵炎の痛みがまた起こるかもしれない・・・・・そして夫と子供たち(家族)にまあ迷惑をかけることになる。一人だと強がってみても、結局家族との関係なしには生きることが出来ません。病人には看護人が必要なんです。ペット診断の検査室で出会った彼女も他の患者さんもみな家族連れでした。ご家族との関わり合いを強く感じました・・・・・消化酵素を出す膵臓の腫瘍なんて何でできているのだろう・・・・・そしてたとえ手術がうまくいっても、予期せぬ出来事に見舞われるかもしれない・・・・・結局はどちらかに無理やり舵を切るしかないのだと分かりました。
退院後の血液検査のデータも画像検査も改善は見られません。私は手術を受けようと決心しました。どちらか一つだけしかない選択に良いことも悪いこともあるだろう、もう一つの選択にも同じだろう・・・・・だけど、それは比べることが出来ません。もう一つは無いのですから・・・・・・。最低条件として最も身近に居てどんなことになっても受け入れざるを得ない家族の後悔を最小にしなければと思いました。良いことも悪いことも、経験した後の自分を自分として、振り返ろうと決心しました。もう覚悟を決めて迷わないことにしました。マクロビオティックにも思い込みもあるし事故もある!!!!!膵炎にもなってしまったではないか!!!!!これがその時の心境でした。そしていよいよ手術のための入院・・・・・長くなりすぎますからこれは体験記(3)に回そうと思います。