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inspiration-macrobiotique・随想古事記

マクロビオティックインスピレーション・随想古事記・日本語と歴史・バベルの塔・日々雑感

蕗の薹味噌

2009-02-02 16:18:10 | 出版記事
蕗の薹味噌を私流に作りました.春の香りが体中に広がります.庭先に出てきたのを切り取りましたが、これまた蕗のなんともいえない香りに包まれました.幸せな気持ちになってどうして食べようかと思案するのも楽しいですね.てんぷらにするよりも穏やかに楽しめる味噌を作りました.マクロビオティックでは茹でこぼさないことが多いのですが、春の野草は別の話です.塩を加えて茹でこぼし刻みました.それから土鍋を使って『ねぎ味噌』のやり方を応用します.でも味噌は豆味噌で作ります.それに海の昆布を加えて、それは美味しく出来上がりました.ご飯に乗せれば、ぷ~んと春の香り、黄緑色の香りです.

そういえば春は香りの世界です.お正月から蝋梅の香り.それから水仙の香り、そして白梅が咲き始めました.嗅覚は味覚の世界とくっついていて、視覚よりもっと原始的な体験のような気がします.それでとても幸せなご飯を頂いています.どうぞお試しください.これからでてくる蕗の葉でもセロリの葉でも同じように出来ます.春ごぼうでも出来ますね.陰陽を考えて味噌を加減すれば、マクロビオティックの楽しい実習です.
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忘年野外パーティー

2008-12-28 13:45:12 | 出版記事
26日金曜日、夜7時から夫の親しいお仲間たち20名余と同伴の夫人、計25名ばかりで冬の星の瞬く我が家の庭でパーティーを開きました.そもそもの発端は、ふぐの災難(?)、牡蠣の災難(?)が社会をにぎわすたびに、それぞれの被害者を友に持つお仲間達がせめてもの人助けに使ってやろうというへそ曲がり者の(?)パーティーです.それで最近は『ノロパーティー』と、ノロウィルス騒ぎ以来の名称です.

牡蠣を10キロ購入し、お酒は持ち寄り、それ以外は季節柄到来するマクロビアンとしては困ってしまうタラバガニやズワイガ二、ジンギスカン用の北海道からのお肉やいただきものの牛肉・・・・・我が家の冷凍庫の大整理!!メンバーご自慢の自家生産の椎茸、直系60センチもある大ボールいっぱいのお野菜、これまた患者さんから頂いた白米をこの時とばかりに炊いておむすびを100個作りました.まいたけの炊き込みご飯のおむすびもあります.父のご自慢の酢みかん・金柑子(きんこうじ)ももいで来ました.従業員からの大根もおろし大根になりました.

暖房はドラム缶改造の暖炉です.メンバーのお一人が山の倒木を切って軽トラック一杯の薪を作ってきてくれました.燃やし係はすぐに現れます.火遊びは楽しいのです.主人の祖父もそうでしたが、ボケてしまった人によくあるかたずけて燃やしてしまう癖は人間のやや本能的な癖なのではと思います.威勢良く火花を散らして薪が燃えます.暗闇に本当にきれいです.暖炉を取り囲んで雑談に花が咲きます.熱い番茶は好評です.見上げれば星がきれいです.

これまたドラム缶を判割りにしたバーベキュー用のコンロに網と鉄板をかけ、俄かコックさんたちが立ち働いて女どもは幸せです.何にもしなくていいのです!!!奈良か平安の昔かえでを炊いてお酒を温めるというのがありましたが、薪の匂いが立ちこめる中でお燗も炭火の上、焼酎のお湯割りに金柑子とそれぞれが勝手に楽しんでいます.牡蠣焼き名人も登場して焼け具合を確かめる音が響きます.二次会が終わったのは夜も更けて23時を過ぎていました.

ドラム缶が真っ赤になるほど高温になった火の中に紙皿もコップも竹箸もみんな燃やしてしまってごみは何にも残りませんでした.つわものどもが夢の後は灰だけの、雨が降らない限り雪でも楽しいという冬の野外パーティーでした.
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ヒヨの災難

2008-11-11 11:40:41 | 出版記事
今朝主人と朝食をとっていましたら、ヒヨが真向かいの梅ノ木に飛んで来ました.「ヒヨが来る季節になりましたねェ.あのヒヨは『これは蜜柑がなる木だ』と思っているのよ.」と笑って話ました.また我が家の“俄か飼育係”が活躍するなあ.....と思いました.

そのとき『ドン』と音がしたと思ったら、ヒヨがタイルの犬走りに落ちてもがいています.首を曲げて嘴を開き、羽を片方広げて回っています.『ああ、ダメかなあ....』と思いつつちょっと見ていると助けた方がよいような気がして庭に下りました.羽を傷つけないよう、それよりストレスを受けてショックを起こさないよう念じながら包み込むように抱き上げました.ヒヨは強い鳥なんですね、元気な体温を感じました.それで頭を茂みのほうに向けて蕗の根元において、仕方が無いのでパームヒーリングの実践です.じっと念波を送っていたら、横たわっていたのが姿勢を立て直して鳥らしくちょこんととまっているように落ち着きました.でもまだ嘴は開いたままです.時々瞬きらしく、ぱち!ッとします.尻尾を少しずつ動かしています.これまで...と思って、最後に背中をなでて首をなでてやりました.母の形見の絹の上っ張りが軽いので、寒くないように暗いように蕗の葉に覆い被せてテントにしてその場を離れました.何しろ傷ついた野生の鳥は、人間が介入するだけでショックですし、死ぬこともあるのです.あと出来ることはその場を離れて猫の番をするくらいです.シマもいますし、野良猫やそこらの飼い猫もいるのですから.

何処からかヒヨの鳴き声も聞こえます.家族の誰かが呼んでいるのでしょうか.その声も勇気づけるに違いありません.私も今度は念力療法(遠隔療法)しかありません.10分も経ったころそっと覗いてみました.目をぱちくりしながらじっとそこに居ました.でも嘴はちゃんと閉じています.『あ、嬉しいな』と思った瞬間、羽ばたいてすぐ前のアジサイの枝に止まりました.これまた『飛べた!!』と思った瞬間、今度は遠くに飛んでいってしまいました.診療中の夫にも伝言で伝えました.嬉しかったです.今日はヒヨからよい思い出をプレゼントされました.

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望診法

2008-10-13 16:13:50 | 出版記事
久司先生の新刊『顔でもわかる健康チェック』を読んで下さった方の感想を聞きました.その主旨は『これを信じたら、自分は辛すぎるから、読むだけで本気にしない』というものでした.なるほど.なるほど・・・・・そうですよね.自己否定はよくありません.


皆さんはどう読んでおられるのでしょうか.幸い完璧な人相だったとします.その方は何の問題も抱えておられないでしょうか?不幸にも最悪の人相だったとしましょう.その方には何の良い事も無いでしょうか?現実は『さにあらず、さにあらず!!』ですよね.これは一体どういうことでしょうか.最もその前に完璧な人相も最悪の人相も殆んどありえませんけれど.

たとえば私は福耳ではありません.豊かな耳たぶには恵まれていません.夫は相当良い耳をしています.(それで悪食にも耐えられる・・・・・????)実の母は福耳を持っていました.でも敬愛して止まぬ父は耳たぶの無い貧相な耳でした.私は父の耳に似たというわけです.弟たちは母に似て福耳を持っています.私と年子の弟に、母の食事がどのように影響したのかと思います.母がどんなに敗戦直後の貧しい食生活だったのか想像に余りあるものがあります.

父は公職追放の身ですから、農業をしていました.お米は作っていましたし、おイモもありました.自家用の季節の野菜も作っていたと思います.二毛作ですから麦も作っていました.幾ばくかの増収をと、祖父と父は鶏も飼って卵を売ることになりました.雛が初めて来た日には、寒さよけの電灯を低くつけた玄関が、ピヨピヨと黄色い50羽ばかりの可愛い雛で溢れました.庭に広い運動場つきの鶏小屋が出来たのを覚えています.運動場にはオンドリ用に高い止まり木があって、飛び出ないように金網でぐるりと囲ってありました.鶏小屋が大騒ぎの時は青大将が卵を取りにやって来たときです.餌をやろうとして雄鶏からつつかれて痛かったのを覚えています.そうやって羊を一頭買いました.着るものが無いので羊を飼って毛を刈り、私達のセーターを編んでくれました.覚えているのは薄い小豆色に黄色い猫を胸のところに編みこんだセーターです.弟はどんなのだったのか覚えていません.丸裸にされた羊はよく覚えています.どんなに涼しかっただろうと、すっかり貧相(?)になった羊のことを思い出します.

まあそんな風で母の妊娠時代は日本国中どこも豊かだったとはいえません.でも私には耳たぶが無い!!そして我が子はとみれば、娘たちは私に似ており、スソ息子は豊かな耳たぶをもっています.一月早産をしてしまった上の息子には耳たぶが無い・・・・(遺伝を考えなければ、耳たぶは妊娠最後の一月に正しい食事をした証しかもしれません.)つまり私たちは父と母の遺伝体質をつぎはぎに持っているというわけです.遺伝には古い遺伝と新しい遺伝があると思います.古い遺伝は父母を含めた祖先から、新しい遺伝は母の食生活からというわけです.そうやって遺伝は積み重なっていったのだと思います.

良くない人相だからといって、私たちが悪い人間かと言うと、それは決まっていません.皆様ご存知の江戸時代の観相学の大家、水野南北先生は稀に見るほどの悪相だったそうですが、その悪相、つまり悪運を大転換する方法を食に見出されたのです.南北先生は自分の悪相にただ悲嘆したのではありません.自分を責めたのでもありません.自分の現状を徹底的に認識したのだと思います.そして自分に宿った最良の魂を持って、自分の開運に邁進したのだと思います.そうして自分の観相学を完成させたのです.そして偉大なことは開運(つまりは人相の改善)の方法まで提示したことです.水野南北の“マクロビオティック”です.

唇などの粘膜ややわらかい陰性のものは、その厚みなど食事ですぐに変えられます.開口部の大きさも、その周囲の変化で変わりえます.人間の顔など、目などの造作が一ミリもない位大きかったり離れたりで、美人になったり不美人になったりします.心のもち方も変わって来ますし・・・・耳たぶや爪のように長年の内に少しは変化するものもあります.マクロビオティックを実践してみるとみんなすっきりとしてきます.肌など驚くほど違いますよね.骨格など硬い陽性のものは、私達の自分の人生で変えることは難しいでしょう.背は高くはなりません.でもつき方などの付属的なものは変えられるかもしれません.歯並びなどは歯茎の変化で多少変わっていきます.さて変えられないものをどうするか・・・・?これは悩むべきではありません.受け入れるべきです.先祖の愛だと思ってください.与えられた条件でどのように美しい雰囲気を醸し出すかが、マクロビオティックの腕の見せ所と思ってください.そして良い新しい遺伝形質を積み重ねていくのが私達今を生きている人間の仕事です.

ちなみに耳たぶのない人、女の人には救いがあります!!!福耳は財産のシンボルでもあります.女はただでさへ現実思考なのです.目の前にいる我が子を置いて、遠い理想を語ることはありません.だから欲張りなんです.それで耳たぶのある女は欲が深すぎるということになります.耳たぶのない女は欲が無く慎み深いのです.福耳を持っている女の方は、そんなことには耳を貸さないで善相だと信じてください.男で耳たぶの無い人は、富貴に目もくれず理想に邁進する人かもしれません.精神性の高い人で地上の夢を捨てたのかもしれません.福耳の女の人を妻にして下さい.

望診法の本を肯定的に建設的に使っていただきたいと思います.身体という形に表れたものには変えることが出来ないものもたくさんありますが、形にする前の見えない力の形は確実に変わっています.それで変わりやすいものから徐々に変わっていきます.エネルギーそのものである考えなどはすぐに変わっていきます.未知の世界を知ることにもなります.ご一緒にマクロビオティックの道を行じていきたいと思います.

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ぬかどこ

2008-10-09 00:39:31 | 出版記事
農業をやっている従弟が農業に使う微生物を活かして作ったという“ぬかどこ”を持ってきてくれました.開けてみると麹のような甘い何とも言えないにおいがします.そしてぬか漬けに手ごろな大きさのナスを一緒に持ってきてくれました.

マクロビオティックを知ってからあんまり使わなくなったナスですが、それでも長年日本人が愛してきたナスです.一富士、二鷹、三なすび???初夢の縁起物にまでなっています.トマトやピーマンは普及が明治以後ですが、ナスは日本人の食卓にいつ頃からあったんでしょうか.私はナスが大好きでした.色もきれいだし・・・・、形も面白いし・・・・・、幼い日母が語った〈茄子紺〉という単語に惹かれたのかもしれません.それにそれに今年は特に葉物が無くて、ナスしかないような日がありました.先日娘の所に行って分かったのは、東京には9月にもオーガニックの葉物も蕪までも何でもあるということです.東京ではどんなメニューも簡単です.でも田舎(平戸方面)では、毎日同じものばかり、やっと10月になって間引き菜がちらほらという状況です.安全野菜は弟や従弟達がくれる茄子しかありません!

私には母の味の〈アチャラ漬け〉も懐かしい.焼き茄子のあの芳醇なジュース(?)は特筆すべきだし・・・・それに何よりも茄子のぬか漬けが好きだったんです.特にへたの近くの首の部分が.でも茄子はなかなか上手には漬かりません.きゅうりのように簡単ではありません.それなのに従弟が言うにはその微生物とやらのおかげでナスも簡単に美味しく漬かるというのです!!!

半信半疑ながら非常に期待してやってみました.時間をおいて取り出せるよう3本漬けてみました.明くる朝1本を出してみると、何と良さそうな感じです.味見をしてみると、なるほど自慢もしようというものです.美味しく漬かっているではありませんか.漬かり過ぎないようにお昼には残りも出してしまいました.それから人参を漬けてみたり、キャベツを漬けてみたり、どれも上首尾、ぬかどこも臭くありません.ただ茄子はしっかり塩で揉まないとうまく漬かりません.

マクロビオティックの訓練は陰陽を上手に扱って自由になることだそうです.夏の終わりから貰う物はナスばかりでしたがまもなく終わります.さればされば、うまく茄子をお料理しましょう.と言うわけで皆におすそ分けして、あんまり食べすぎないように気をつけて・・・・・切り抜けるしかありません.お醤油やお味噌と相性抜群です.今日のお昼はぬか漬け茄子のチャーハンにしてみました.これがまた乙な味でしたよ.

今日は弟から大根の間引き菜と栗を貰いました.残念ながら今年は父の思い出のとんご柿は無いのだそうです.でも10センチくらいの間引き菜は、父が『小菜の汁』と言って、何が無くてもこれさへあればと、戦後の食糧難の時期に楽しみにしていた味です.根っこも柔らかく美味しいのです.もやしも髭根を取るととてもきれいですが、味が物足りなくなります.根のまま食べられる小菜の汁は本当に美味しいと思います.栗は当たり年だそうです.栗ご飯が楽しみです.

大昔の人たちは栗をどうやって食べたのでしょうか.椎の実は生でも食べられると思います.私も食べたことがあります.でもマテやどんぐり、栗は渋皮のえぐみがきつくて、生では食べにくい??煮ても渋皮はきついですよね.石の包丁で向くのも大変だったでしょう.なかなかたくさんは食べられそうにもありません.やっぱりイネ科の種子(穀類)は食べやすかったんだろうと思います.それに『桃栗三年柿八年』と比べてすぐに実りがあります.こぼれた種から芽が出て収穫できた時の喜びはどんなだったのでしょうか.農耕への道はやはり人間の辿るべき運命(?)だったのだろうと思います.

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哀れ牛の子

2008-09-04 15:23:50 | 出版記事
我が家では昨年もお話したアヒルと鴨の混成親子のぬいぐるみ“ガアガアちゃん”が三羽やっと定位置に落ち着きました.孫達が今年もやっぱり抱いてあちこち連れてまわりました.愛くるしいカルガモの子供たちとアヒルのお母さん(?)です.子供は何でもかわいいですよね.人間の子も猫の子も犬の子も・・・・・・ライオンの子だってワニの子だって可愛いことに違いはありません.カマキリの巣や蜘蛛の巣からやみくもに出て来る小さな小さな子供達だってかわいいと思います.それなのに日本で飼われている乳牛の子供の事をご存知ですか?乳牛の現実をご存知ですか?以前テレビ放送で知ったのですが、それはそれは悲惨な目を覆うばかりの状況です.

そこには見るも無惨聞くも無惨の乳牛の母と子の現状が映し出されていました.皆さん、乳牛ってお乳がでる牛と思っていらっしゃいませんか?でもでも考えてみてください.お乳が出るというのは哺乳類のメスの特徴です.お乳って何のために出るのでしょうか.お乳は子供のために出るのです.お乳は子供を産まないと出ないのです.乳牛だって同じです.

現代の人間の女性は我が子に与えるお乳で手いっぱい・・・・・.昔のような貰い乳だってままなりません.一滴だって我が子に与えたい大切なお乳です.でも乳牛の母は可愛い我が子に与えたいお乳を無理矢理搾乳機につながれて人間のために搾り取られるのです.母牛の温かい乳房を横取りされた哀れ子牛はというと、良くて絞った牛乳の一部を、最悪の場合は何でしたか忘れましたけれど人工的なお乳代わりの飼料を与えられるのだそうです.子牛に母の乳房の味を知らせてはならないのだそうです.人間が横取りできなくなるからです.乳牛の母と子は完全に母と子特有の至福を奪われてしまっています.そして母牛は牛乳を出し続ける為に無理やり妊娠させられ出産させられ続けるのです.

そして挙句の果てには乳牛として見切りをつけられ、なんと肉牛として売られるのだそうです.子牛もオスが生まれれば殆んどが肉牛として飼育され数年後にされます.メスはまた悲惨な母の運命をたどります.こんなことをしていいのですか?自分の平和と幸福を主張できますか?平和な日本に生まれて権利を主張することは容易いことです.でも物言わぬ動物たちにこんな仕打ちをして、自分たちだけの幸福を主張できるのでしょうか.

もう少し違う酪農のあり方ってないのでしょうか.子牛からほんの少し分けてもらうような・・・・・母牛と子牛の幸福の味がする牛乳ってないのでしょうか?そんなに無茶苦茶消費するから、本来離乳後は飲まない乳をいつまでも飲むから、体に過重な負担をかけて病気になるんです.母牛の悲しみの味がする牛乳を横取りして飲んで幸せになれるはずがないというものではないのでしょうか?牛乳は母牛と子牛からのおすそ分けとして高級品にすればいいのだと思います.なんでも人間が安価に大量に食べて良い訳がありません.食べ物はいのちと引き換えです.つつましく分かち合っていきたいものです.そしてもっともっと自分が食べているもののことを知るべきだと思います.

牛科の動物はことさら可愛い目をしています.あの目を思い出してください.あの可愛い目は、何も言わずにじっと現実を受け入れてヌレヌレと見つめています.人間が恥ずべき態度を改めるべきではないでしょうか.
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ぎっくり腰

2008-07-16 11:37:38 | 出版記事
二週間くらい前、不覚にも「ぎっくり腰」になりました.これで生涯3回目です.一番初めはマクロビオティックに出会う前で、言い訳に事欠かない仕事中でした.引越荷物を持ち上げた時、体の中で『ぶちっ』という音を聞きました.その日はヘナチョコになったものの働きどおしで終りました.そして明くる朝の惨状はご想像に任せます.とにかく動けなくなりました.元通りになるまでに2週間以上かかりました.でもこれが、夫の漢方処方のヒントになったのですから、それはそれでまあよいことにしています.

2回目はいつだったか、でもその時ぎっくり腰というものに対する考え方が自分の中で完成(?)しました.ヘルニアと違う通常のいわゆる「ぎっくり腰」の惨状の原因は、患部周囲の「凝り」だと思います.それで凝らないようにすればよいのです.それで直ぐにリラックスして横になり、患部に自然に集まる緊張をとりました.力を抜くことが一番大事です.これが功を奏して、ぎっくり腰はひどいことにならずに治ってしまいました.もちろん夫の漢方薬の助けも借りました.人にも教えようとしたのですが、力を抜くことが意外に困難で大方の人が力を抜けないことが分かりました.今でもこれが問題です.

さて今回のぎっくり腰のお土産は、「予知」です.何かノビテいるなあと感じていました.二日ばかり違和感を感じておりましたが、舅の7回忌の準備などで心せわしく、「それがすんだら・・・・・」と体を無視していたところ、あろうことかその7回忌の法事の前夜、「ぶちっ」と聞いてはいけない音を聞きました.こんなことを今更夫には言うにいえない、どうしようとまあ隠れて漢方薬を飲みました.そして夫が寝静まってから脱力療法を自分に施しました.「あくる日もしも凝り固まっていたら、仕方がない、腰に注射をしてもらおう」と決心して寝ました.明くる朝どうだろうと思いながら体を動かすと、やや“強ばり”がありましたが、自分でほぐすとまあスムーズとは言えませんが動けます.及び腰と右捻りがちょっと辛いだけです.「やれやれ・・・・」何とかなりそうだと安心しました.私のぎこちない動きように、直ぐにばれてしまいましたけれど・・・・・それでもお蔭様で無事7回忌を済ませることが出来ました.

マクロビオティックをやっていると何事につけその原因について自分で大体思い当たるものです.私にもいけないと思いながらわがままをしている原因らしきものがありました.それは夫に付き合って毎日(?)スイカを食べました.夫は本当に強い体質をご先祖様のおかげで持っています.それでこの暑さにスイカが美味しい!!!私はきうりと味噌にしておけば良かったのですが、量は減らしたものの同じ回数食べました.どうなるだろうと思いつつ、半ば試してみました.「やっぱり!!」ぎっくり腰になるわ、皮膚はややイリイリ感が増すわ・・・・・汗を噴出してその汗も気持ち悪い・・・・・

こうなると以前お教えしたことのある「リフレッシュ塩浴法!」体表によく無いものを浮き出させて洗い流す、アルカリ塩と酸性塩を使った塩もみ浴法です.夏は体に溜まった物を自然に汗と共に排出しています.それで夏は絶好の排出の季節でもあります.おかげですっきり爽快になってきました.夜も皮膚がすっきりしていると寝付きやすいのです.我が家は樹に囲まれているせいか、夜風はひんやりとしていますから寝やすいのですが、それでも皮膚がイリイリするとよく眠れません.すっかり生き返りました.この塩浴法はおすすめです.それからぎっくり腰には脱力療法です!お近くならば、主人の漢方薬もお試しください.その時脱力療法もお教えいたしましょう.既に強ばった方も大丈夫です.夫の伝家の宝刀、注射があります.随分前のこと、平戸の南部のほうから『ここにはよく効く注射があると聞いた』と、痛い腰を引きずって尋ねてこられた患者さんもお望みどおり、お帰りは楽になって帰られました.
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ヨーロッパの里山

2008-06-11 11:40:46 | 出版記事
季節が巡って、また泰山木の白い花が咲いています.私にとっては大学生活を思い出すきっかけです.あの泰山木はどういう運命を辿ったのでしょうか.大学移転の影響を受けたのでしょうか.我が家の泰山木は35年も前、結婚してこの家に来た時から、懐かしさを寄せてきた木です.

ところで日曜日、NHKの番組『ダーウィンが来る(?)』を見ました.それを見て娘婿のクリスが『日本に一般的に売ってある食品の質が悪い』と言っていた意味をまざまざと見せられました.ヨーロッパには日本で絶滅したコウノトリが生きている!この意味を私達はもっと考えなくてはならないと思います.

農夫がトラクターを操って進むその後をコウノトリは追いかけて虫や蛙をついばんでいました.ヨーロッパの農業は、例えばカバや水牛が背中に鳥を乗せて暮らしているのと同じ自然の形を保っているのです.干渉するでもなく無視するでもない関係は、敵対するでもなく甘えるでもありません.自然の風景となっていました.要するに食の連鎖が保たれているのです.害虫(?)がいなければ、コウノトリは生きていけないのです.ねずみがいなければ、ふくろうは生きていけないのです.人間のみが収穫を得るようには自然は出来ていません.日本人は田んぼに農薬を撒き化学肥料を入れることで一時的に収量をあげたかもしれません.でも多くの生物を死滅させ、今では土地の疲弊に泣いています.その上水も空気も汚染してしまいました.

ヨーロッパの年老いた農夫の納屋にはふくろうが住みついていました.庭の木のうろにはヤマネが住みついていました.ヤマネは農夫の収穫を失敬していますが、農夫はそれもありで暮らしてきました.ヤマネは増えすぎるとふくろうが太ります.天敵同士は自然のバランスが保たれています.長い目で見るとその関係は冷徹です.人間の一時的な収量増も、自然のスパンで見ればいつか地力が落ちて収量減となります.それを何とか人間は知恵を絞って次から次へと人工の力を借りていますが、なかなか難しい問題を抱えています.量を確保しても質の問題が浮かび上がってきているのです.昔の人参と今の人参は同じ力を持っていません.有機農法、或いは自然農法の人参の味を、一般の慣行栽培の人参は持っていません.サプリメントで補いますか?一時的には収量増と同じ結果を生むでしょう.その急場しのぎに甘えていると、次は人体システムの異変だろうと思います.

そろそろ私達人間は思い上がりを捨てるべきではないでしょうか.私達も単なる自然の一部で、コウノトリと同じであることを認識すべきではないでしょうか.私達の捨てたものが、他の動物のえさとなる世界を取り戻すべきではないでしょうか.私たちは平気な顔をしてコウノトリを死に追いやって暮らしてきたのです.賠償を求められるわけでもありません.罪を問われるわけでもありません.そんな自然のおきて破りの上に私達は乗っています.最近の犯罪の土壌は案外こんな私達の破廉恥さに在るのではないかとさえ思います.

カバの背中に乗っている鳥や、大きなサメの皮膚にくっついている魚を考えるにつけ、私達が獲得してきた多細胞のシステムを考えてしまいます.社会という動物の生活構造や植物の群生を考えてしまいます.宇宙という大きな観点から見れば、カバの背中に乗っている鳥は、カバという多細胞動物の縁のほうのゆるいつながりを持った細胞の一つではないだろうかと・・・・・・植物は地球に固定しているけれども、動物はついたり離れたりしている・・・・・・地球という多細胞生物の自由に(?)動く細胞の一つではないだろうかと・・・・・私達人間は特別ではありません.コウノトリもふくろうもヤマネもねずみもみな同じです.

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人の進化(仮説)

2008-03-27 23:16:01 | 出版記事
夫が時々ブログで記事にしていた皆様ご存知?のテレビドラマ、『チャングム』の最終回のお話に次のような会話がありました.

「お魚はどうして目を開いたままなんだろう?どうして?」「じゃあお母さんが目を閉じさせて見せてあげる!」・・・・・???

これを聞いた瞬間、進化についてのインスピレーションの渦が始まり何とか整理がついて、今文章にしています.これはまさに独断と偏見の類ですが、論争の種になって皆様に考えて頂けたらと思います.久司先生の『トーマスによる福音書』の一説ではありませんが、私は此処に種を蒔きたいと思います.

先ずご存知の通り、魚類に瞼はありません.したがって寝ても覚めても目は見開いたままです.動物が瞼を獲得するのは、乾燥から目を守る必要が生じた(?)上陸後のことです.卵が固い殻を持つようになったのも同じ理由です.上陸直後の両生類の卵はまだ乾燥に弱く水の中や泡に包まれていますが、爬虫類になると固い卵を産むようになって生息区域も広がりました.蛙の卵と亀の卵を想像していただけるとよいと思います.

爬虫類を経て哺乳類が発生してきますが、爬虫類から人に至る哺乳類には三種類あると思います.1には卵を産む哺乳類.2には胎盤が発達しない有袋類.3に胎盤を持つ哺乳類.爬虫類の中にも、例えばマムシのように母体内で卵を孵化させるものもいます.ともあれ三種類の哺乳類はそのまま胎盤を獲得する進化の歴史だと思います.鳥類は恐竜の生き残りとも言われ、哺乳類への経路から早くに分岐した進化経路を持っています.

胎盤を詳しく調べてみると大変興味深いものがあります.胎盤には胎児性の部分と母体性の部分がありますが、私の考えですが、母体性の部分は胎児性組織の侵入による母体の対応だと思います.ヤドリギみたいに根を張るのです.そして必要がなくなると、脱落しやすいようにその根を溶かしてしまうのではないかと思うのです.夫に聞いたのですが、母体性の胎盤の大部分は出産時期には薄くなって脱落後には膜となるそうです.子宮の収縮によってはがれるのかとも思うのですが、その発端が何なのか、何を契機に収縮が始まるのか、もしかすると陣痛は胎児側からの脱落開始による母体側の止血反応かもしれません.

有袋類は何故あんなに小さい子を生むのか?そしてオーストラリアの特殊な条件でのみ生き残ったのか?ということを考えると、それが卵性から胎性への過渡で、哺乳類にとって胎盤の獲得が如何に有利な事件であったことがしのばれます.パンダは今でも小さな小さな子を産みます.胎盤完成組への過渡でしょうか.大方の哺乳類は子宮の中で卵を孵化させ成長させて誕生させることになりました.こうした変化は孵化させ得る卵の数の少なさを乗り越えて確実に種を保存する必要性を満たすものでした.魚類や珊瑚の気の遠くなるような卵の数と育児放棄(?)に対して、両生類の一部以降から哺乳類に至るまでの産卵数と育児の実態を考えてください.肉食系の哺乳類では大体2頭から6頭、草食の哺乳類や霊長類では通常1頭からせいぜい2頭です.人間も自然状態では1人かたまに2人です.

出産に関して霊長類を哺乳類から別つものが何かといえば、それは子供の未成熟度です.肉食草食を問わず哺乳類の子供は一年もすればとにもかくにも一人前になります.しかし霊長類の子供は乳児から長い青少年時代をすごします.人間ともなればその未熟ぶりは群を抜いて、法律上は20年、マクロビオティックで言えば女は7年、男は8年の2倍かからなければ身体的に成熟しません.もしかすると精神の成熟は、それぞれその8倍、いわゆる還暦前後にならないと完成しないのかもしれないのです.これは人間を他と別つ大脳の発達によると思います.このために人間は家族を単位とした社会を獲得発展させました.社会というものは、進化上子宮と胎盤の同列にあるものかもしれません.

胎性の出産には、胎児の娩出と共に胎盤の娩出を伴います.胎児にも膜が残っているので呼吸を容易にさせるため母親は子供をなめ胎盤を食べます.草食動物でも雌だけは出産の度に肉食をすることになります.何故食べるようになったかは分かりません.1.にはなめているうちに.2.には危険を避けるための学習によって.3.には出産による体力の回復のため(という説もありますが、私はそうは思っていません.)

しからば人間は?これからが私の仮説です.私の知る限り人間はある時胎盤を食べることをやめました.手を使えなければ舐めてやるしかない我が子ですが、手を持った人間はある時から胎盤を土に返すことにしました.チンパンジーもゴリラも胎盤を食べるそうです.でもイザナギイザナミはアマテラスの胎盤を『恵那山』に埋めました.神々のお話は人間の記憶です.その『ある時』がいつなのか、これを考えると上の答えが見つかるような気がします.多分社会による安全の確保によってだろうと私は思います.そしてこれからが今回のインスピレーションなのですが、鬼子母神伝説とは一体何なのでしょうか?このお話は考えれば考えるほど異様なものです.

鬼子母神ってご存知ですか?私の知る限りでは、我が子を愛して人間の子を食べる鬼女ですよね.お釈迦様がお諌めお諭しになって我が子を奪われる悲しみを知り、それから子供の守り神になりました.それでも人の子の味が忘れられないために、ざくろを食べるのだとか・・・・これは一体何のことでしょうか?血に染まった赤い裂けた口の鬼女・・・・・これも記憶に違いありません.鬼子母神ってまだ胎盤を食べていた頃の記憶ではないかと思うのです.そしてお釈迦様は人間の精神性の象徴に後代の人が考えついたのではないかと思うのです.長いこと女は不浄だとも言われてきました.月のものがあるからとの説もありますが、鬼子母神の記憶からではないかと思います.精進料理を生み出した人間の方向性を思うと、女の如何ともしがたい出産にまつわる生理や行動は不浄かもしれません.何しろ出産に関する私達の記憶は、竜宮城から海岸にやってきて出産したトヨタマ姫の“わに”の姿まで遡るのですから.

これは人間が動物から一線を画した事件ではないかと思います.身体という動物に重ねて、精神の所在である大脳を発達させた人間の最も新しい進化ではなかったかと思います.そしてその過渡期間中、なかなか雌の名残を捨てきれなかった“不浄な”女の記憶が鬼子母神ではなかったかと思うのです.

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マクロビオティック考・クレービング

2008-02-10 13:43:11 | 出版記事
どういう訳か何故クレービングが起こるかということを説明している夢を見ました.それでちょっとまとめて備忘録にしたいと思います.ところでクレービングとはどういうものかご存知ですか?体験したことはおありですか?

元々のクレービング(Craving)の意味は「切に欲しがること」です.問題のクレービングが何を切に欲しがるかと言えば、今まで持っていたもので今は無くなったものをです.まあ禁断症状ですね.マクロビオティックでも何でもそうなのですが、改善或いは改革が大きいほど、或いは依存していた期間が長いほど必ず強く遭遇するものです.食事にとどまらず、生活様式全般に当てはまります.

それにしても何故体は悪いものをも要求するのでしょうか?そしてそれが理性を振り払うほど強いのでしょうか.砂糖、チョコレート、タバコ、お酒、ひいては人格を破壊し社会をも破壊する麻薬・・・・・こうしてみると陰性のものばかりが槍玉に上がっていますが、当然陽性のものでも起こります.お肉ばかり食べていた人が急に完全に菜食にするのは難しい.濃い味になれた舌には塩分を薄くするのも難しい.ですが人間の存在と社会にとって、陰性のものの方に止めなければならない必要度が高いものが多いのです.それで多くの人々がチョコレートなどの陰性食品にクレービングを体験することになります.そしてさらにはそんなものを切望する自分に罪悪感さえ持ってしまうこともあるのです.

一般的に言って陽性のものは食べることが出来る量の幅が狭い.それに比べて陰性のものはいくらでも食べることが出来る??こうして麻痺状態に陥りやすい性質があります.その結果体は健気にも与えられた条件でフル操業をするようになります.あちこちにごみだめ(悪弊)も増えるのですが、長い時間の内にチョコレートで働きやすい体を作ります.そうした状況で突然頭が一念発起、『チョコレートはもう食べない!』と宣言するのです.当然稼動条件が不備になります.司令官が戦闘開始の采を振っても、ロジスティック担当兵が『兵糧がありません!矢が足りません!』と注進するのと同じです.体は『チョコレートが足りません!!』と信号を送るでしょう.血中にチョコレートの残骸が少なくなればなるほど激しい信号を送るでしょう.それが切望の仕組みです.

こうしてみるとクレービングは体制変化の過渡の状況です.では何をしなければならないかというと、我慢の有効な方法を考えることです.信長のように軍律を厳しくして兵を恐怖によって統制するか・・・・・これは罪悪感をますばかりで神経系統(伝令)を正しく能力発揮させることが出来ません.間違った命令が伝わる可能性もあり、ますますクレービングがひどくなるかもしれません.要はロジスティック担当兵を安心させなければならないのです.『チョコレートは無いけれどもこれがあるさ』と.そういう訳でマクロビオティックの現況は、体に優しいお菓子とケーキが花盛り??!!でも娘ではないけれど、それでもまだましです.そうしているうちに、体は他の稼動条件を作っていくことでしょう.時間稼ぎです.問題意識さえしっかり持っていれば、時間稼ぎは有効です.

軍事という男の最たる(?)歴史においてさえも、最重要事項とみなされているロジスティック、兵站(補給)です.その担当官の注進は正しく考慮されるべきです.ましてや体のシステムの最重要事項は生存です.そのための信号を私達は正しく処理しなければなりません.そうしなければ、次から次へと矢の催促が届くでしょう.クレービングが代用品の補充を必要としている信号であれば、マクロビオティックの先達がたくさんの代用品の開発された理由が分かろうというものです.それほどクレービングは深刻な問題でもあるのですね.
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マクロビオティック考・理想と現実

2007-10-11 11:28:54 | 出版記事
マクロビオティックを知って、喜びに溢れ真理への確信に燃えて突き進んだ日を懐かしく(?)思い返しておられる皆様に申し上げます.皆様の理想と現実はいかがだったでしょうか.このことを新しくマクロビオティックを学ぼうとされている方々に発表する必要があるのではないかと思うのです.半分は老婆心、半分は余計なおせっかいかもしれません.

そもそも理想とは何なのでしょうか.敢えて申し上げます!理想とは永遠の目標です.したがってこの世に実現することはありません.そのわけは理想は絶対世界のものだからです.私達はその絶対無限の世界から、この相対有限の世界に生まれてきました.それで回帰を願望に目標に理想にして、私達の無限への回帰の旅を進んでいます.頭で無限のイメージはどんなにでも描くことが出来ますが、現実にはどうしても具体化することは出来ません.このことは個人的規模で日々体験しておられましょうし、世界規模で共産主義という理想を追い求めた人もいます.でもそれは永遠の夢なのです.理想的な現実を獲得した瞬間から、反理想的な現実が出現してくるのが相対世界の宿命です.

というわけでマクロビオティックの理想と現実はどうでしょうか.理想を語ることはその人の夢ですからいろいろどんなにでも出来ます.「大いなる命を生きる」マクロビオティック!!でもその現実は玄米ご飯を食べることから始まります.野菜を塩と火で調理して食べることから始まります.目標を人間の中庸に置いたとしましょう.自分の生活が中庸から大きく外れている時は、その中庸も定めやすいものです.動物性を取らない!砂糖やアルコールを取らない!陰陽の出すぎを外せばよいのです.でも段々その最初の中庸に近くなって来たらどうするのでしょうか.

たいていはもっと厳格により正しい食を求めます.陰陽は?量は?自分の状態は?次から次へと物差しの目盛りは細かくなっていくでしょう.そして行き詰まりを感じる人もいます.健康に関して、精神に関して、家族や社会的状況に関して・・・・・そんなとき皆様はどうして次のステップに進まれたのでしょうか.大体行き詰まりというものは、飛躍の前触れです.飛躍というのも大きく言うと2種類あります.飛躍するということは絶壁があるということです.その絶壁は前にそそり立っているのか、崖っ淵となっているのか.飛び上がるのか飛び降りるのか.以前ご紹介した中田先生のバイナリー理論ではありませんが、二者択一です.でもどちらも進歩なんです.突き進むか、それとも修正するか.この世はまさにバイナリー!!でも捨ててしまうことは出来ないのです.今ある自分を捨てることは出来ません.

突き進む人は修験者の道を選んだのです.これから難行苦行の末に真理を発見するでしょう???或いは途中で修正を選ぶかもしれません.ですからこのお話は修正を選んだ場合用です.修正って要するに自分に合わせるわけです.そうしないと進めないわけですから賢い選択です.このことを久司先生は既に予見されていて、自己改善の道が次の三段階を螺旋状に繰り返しながら進むと言っておられます.
          1)原則の厳守
          2)束縛の解放
          3)超越と自由

これを考えますと、悩んだ時には気分転換が必要ということになります.排除したものを食べてみて自分をチェックするのもよいでしょう.誰か他人の意見を聞くこともよいでしょう.もう一度復習しなおしてもよいのです.行き詰まるということは、自分が答えを出す準備が出来たということでもあるのです.問題意識を持ったということですから.そのときにしてはいけないことは唯一つ.自分と他人を責めることです.それ以外であれば、何でも構いません.やってみて自分の道を見つけ出してください.2)の段階、3)の段階に入って、また1)に戻り2)、3)と繰り返して人生を完成するのです.たくさんの道連れさんがいます.先輩達もいます.先輩は後輩から昔の記憶を呼び戻してもらうのです.みんな先輩であり後輩です.

久司先生のイエスについてのお話はとても興味深いものです.教えて頂いたイエスの言葉です.
          『後が先になり、先が後になる!』
キリスト教徒でなくとも、イエスの言葉をかみしめて生きたいと思います.

余談ながら突き進んだ人はどうなるでしょうか.それはある日ふと跳び上がった自分を発見します.3)に行きます.いつかまた1)に戻ります.どれも同じです.

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クマと もりと ひとと

2007-10-02 15:09:46 | 出版記事
これは日本熊森協会の小冊子の題名です.最初のページに、「愛は言葉でなく、行動である」とぽつんと書かれています.私達大人は、わかってはいるけれど行動出来ません.ニュースで熊が射殺されたと聞くたびに胸をいためますが、何が出来るというわけでもなく心の隅のほうに押しやってしまいます.この日本熊森協会はそれを見過ごすことの出来なかった兵庫県尼崎市の武庫東中学校の生徒達に後押しされて森山先生という方が作られた自然保護団体です.さっき読んだばかりです.平戸の「自然食品店・和み」から貰ってきました.

この小冊子は無料で配布されていますが、一冊につきカンパを100円を希望されています(だから100円で買っていただくというわけです).教えていただいて行動費にして頂けるのですから、カンパさせていただくお礼を言わなければならないと思います.小冊子を読んでいただければ分かりますが、日本は森の国であったこと.森に雨が降り、地に潜り、湧き出した水を私達が頂いていること.田畑が潤され、私達が飢えないでいること.森は動植物全体で生きていること.熊の生き方が森を生かしていること.昆虫が、植物が、菌類が・・・・・全部あってこそ全部が生きられること.

棲む場所を奪われると、大きい動物の危機から順々にやって来ること.生態系が崩れると、危機は連鎖反応的に起こっていくこと.一度絶滅した動物は二度と戻らないこと.私達日本人は、トキの絶滅を知っています.どんなに国家規模でお金をつぎ込んでも、命は戻らないことを知っています.トキにはトキの感情があるはずでしょうから、人間の都合で勝手に番いをつくって、やれ産めと言ってみたところで・・・・・と、ご苦労をなさっている映像を見ながら空しい感想を抱いたことを覚えています.トキの棲む場所は森の周辺地域でした.熊の棲む場所は森そのものです.森の心臓の危機と言ってよいと思います.トキの危機は、森の危機の予言だったのです.熊の危機は、人間の危機の予言です.

蟻の社会、蜂の社会をご存知ですよね.私達は蟻一匹、蜂一匹を見て、蟻の巣、蜂の巣に驚嘆します.でも蟻一匹、蜂一匹は、私達の細胞一つ一つかもしれません.その証拠(?)に、働き蟻や働き蜂は生涯何も食べません.女王蟻も女王蜂も卵を産むだけ.全くの分業社会です.人体は蜂の巣、蟻の巣と同じかもしれません.多細胞動物の進化を教えられるような気がします.この世は宇宙の秩序を作った力が支配する世界ですから、何でも同じなのだと思います.大きい目で見るか、小さい目で見るか.私達人間は自分だけを大きな目で感じて、自分以下のものも自分以上のものも小さな目で見ていると思います.科学は自分も小さい目で見てきましたけれど.

森は一つの生き物です.そこに棲む動物達は血液みたいなものです.あっち行きこっち行きして暮らしています.それが森の健康です.私達人間は森周辺に住む生き物です.森の健康に支えられています.私達マクロビオティックの徒は、何よりも知っている筈です.「身土不二」だということを.桜沢先生のおっしゃる通り、言行一致、決して嘘をつかない!だったら何かの予算を削らなければなりません.幸いなことに少食が究極の生活です.里に下りてこなければならなかった熊の生活を思って、飢えてみましょう.哀れな熊をしのんで、食べ物を求めてうろつきまわる思いを感じてみましょう.そして日本熊森協会の活動に寄付をして下さい.

日本熊森協会:0798-22-4190
       Eメール:jbfa@nifty.com
       ホームページ:http://homepage2.nifty.com/kumamori/

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とんご柿

2007-09-30 22:56:05 | 出版記事
とんご柿が今年もまた手元に届きました.実家より弟が届けてくれました.実家には私が小さい子供の頃から同じ姿の柿の木があります.先年亡くなった母がお嫁入りした時にも、同じだったと言っていましたから、多分80年以上経っていると思います.弟が言うには一度台風で上部が折れて同じくらいの背丈になったと言っています.直径5~6センチくらいの小さなコマのような形をした甘柿がなります.コマのように尖っているので、とんがっている柿、とんご柿というのだと思います.固いゴマ柿です.野生に近い柿です.

娘第2号から弟はたくさん届けてはいけないと言われていると笑いながら、たくさん届けてくれました.お台所に行くたび(?)に柿をむいて食べています.娘から叱られるだろうなあと思いながら.小さい時の思い出が無い方には大して美味しくないのかもしれません.何しろ原種に近いような柿です.種がたくさんあります.よく噛まないとゴロゴロします.昨年でしたか、記事にしたように、私にとっては懐かしい父の味です.父から可愛がられているという思い出の味です.

自分のことを振り返ってみると、子供は思い込みで生きていくのだなあと思います.世の中の親子がそんな思い込みで結ばれるなら、辛いことも苦しいことも乗り越えられるのではないかと思います.私は父からそんな思い出を貰いましたが、私は子供達にそんな思い出を作ってやれたのだろうかと気がかりです.とんご柿はそんな反省の味でもあります.

そんな娘2号は来年2月に姪の、娘にとっては従姉妹の結婚式に帰ってきます.今月でなくてよかった!娘夫婦のセルフバランシングは、教室の生徒さんにも大変興味があるらしいことが分かりました.娘1号の授業も「オーガニックベース・イン田平」と称してお産で帰省した時に実現して生徒さんに喜んで頂きました.2,3月は例年教室はお休みですが、2月に「セルフバランシング・イン田平」を単発コースで開きたいなと思っています.導引も同じ起源にあります.日常生活する上で、体の調整は必要です.マクロビオティックの一部だと思います.これから交渉ですが・・・・

セルフバランシングに興味を持ってくださる方は、娘達の広告サイトをご覧頂きたいと思います.

http://blog.goo.ne.jp/quellesen
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あご風

2007-09-16 21:15:16 | 出版記事
今朝窓を開けたら北風が吹いていました.私達の住んでいる平戸地方では、北風が吹き始めるとあご漁が始まるので、北風をあご風と呼んできました.高校時代は教室の窓からあご漁の船が見えたものです.そして「秋になったなあ」と思い「冬を迎えるのだなあ」と思うのです.年々漁獲量が減っていく平戸のあご漁ですが、それでも依然として季節の風物詩であることに変わりはありません.

あごは飛び魚のことですが、平戸で捕れる飛び魚は小ぶりです.飛び魚は長い胸びれを広げてグライダーのように滑空します.高校時代通学する船に飛び込んで来たこともあります.船の上から眺める飛び魚の姿は本当にきれいです.鳥が空を飛ぶようになった時には、飛び魚のような時期もあったのでしょうか.進化の妙を思います.

そんな飛び魚の体は内臓が少ないので、丸干しに向いています.油が少ないのです.平戸人の記憶にあるあごは白身の美味しい干し魚です.規格外(?)の飛び魚は丸ごと炭焼きにして干し、高級なだし用のあごになります.一部は上等のあごも特上のだし用にします.平戸のお正月はあごだし抜きには考えられません.昆布とあごを一晩水に漬けてだしにします.煮出したものと違って上品な味です.塩味のお雑煮用です.醤油味には数分沸騰させますが、極短くしないとあご臭くなってお料理の味を損ねます.

昔のあごは塩気を強くしてコチンコチンに干しました.焼いて紙に包み出刃包丁の峰や金槌でたたいて骨離れをよくしたものです.塩気をきかせないと保存がきかなかったからですが、冷蔵庫がある今では塩気の薄い生干しもあります.主に鹿児島や五島などで捕れる大きな飛び魚を平戸では「うばあご」と呼びます.「ウ」とは大きいという意味です.いわしの大きいのを、おおばいわしと呼びますよね.あれと同じです.主人の母は大きいことや多いことを「ウーカ」と言っていました.それを聞いたとき本当にびっくりしたものです.古代の日本語の音が生きている!と感激したものです.うばあごは三枚卸も簡単ですし、白身の淡白なお魚です.蒸してカボスを利かせてもおいしいものです.茸と土瓶蒸しもいいでしょう.お魚がお好きな方はお試しください.

まだまだ日中は暑いのですが、平戸は秋を迎えました.マクロビオティック教室も昨日また始まりました.もうすぐ「とんご柿」も色付くでしょう.楽しみです.

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ぶくぶく装置

2007-07-23 10:52:14 | 出版記事
21日に教室の1学期が無事終了しました.教室を始まって以来最初のお魚料理でした.アジのおろし方から皮のはぎ方、たたき方、すり方、・・・・・アジの身を背骨からこそげとればおろし方が下手でも大丈夫!!日頃のお料理より生臭い時間を過ごしましたね.平戸は海の側ですから新しいお魚がたくさんですが、それでもお魚臭かったですよね.でも最後の試食は皆さん満足だったのでしょうか?男の人の参加が普段より多かったので、すりこぎ要員に期待していましたけれど・・・・?主人のお手本は本人の言うがごとく力の見せ場でした.ああいう風にすりこぎもすりおろすつもりでどうぞ???

随分使わなかった出刃包丁を研ぎに出し柄も付け替え替えました.特大のまな板も久方ぶりに登場しました.若い人たちが日頃使わない(?)包丁や扱いなれないとがったお魚のひれの鋭さにおっかなびっくりでしたが、ほとんど怪我も無く無事楽しく終わってホッとしています.食べるということと生き物の命のつながりも実感できたのではないかと思います.

お魚をきれいに美味しくするための抜気装置というものを説明しました.野菜にでも何にでも利用できるのですが、特にお肉やお魚を利用する時は欠かせないものです.私が勝手に「ぶくぶく」とその過程名で通称しています.マクロビオティックでは殆んど登場してこないお肉やお魚ですが、お客様に合わせたり、主人や息子の希望に応えて私は時々料理をします.そのとき威力を発揮するのが、このぶくぶく装置です.

先ず大きなボールに海水濃度に近い3%塩水を作ります.丸ごとのお魚や塊肉はこの濃度で、おろし身や薄切り肉は1~2%に薄めます.その中に金魚の飼育ケースよろしく酸素を送り込んでお魚やお肉を入れます.5分もすればお肉の場合には特に原爆のきのこ雲のようになります.汚れていればいるほどひどいのです.天然の取れたてのお魚では殆んど出てきません.野菜も1%程度でぶくぶくをすると、美味しくいきいきとします.特に腸の中で様々な不都合を作り出す脂肪や蛋白質の腐敗をせめて食べる前には最低限にしようという装置です.

時々平戸の自然食品店“和み”さんの広告?をしていますが、これも和み製です.多分新しい金魚の酸素装置でも構いませんが、和みさんのは様々な工夫がしてあります.それほど高いものではありませんので気になる方はお尋ねください.0950-23-2566、和みです.お塩もエネルギーのあるお塩ほど、汚れを取り去る力と細胞を活性復元する力がありますのでよいお塩をお使いください.ぶくぶくのきのこ雲は見ものです.あれを一度見れば、せずにはおれません.

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