inspiration-macrobiotique・随想古事記

マクロビオティックインスピレーション・随想古事記・日本語と歴史・バベルの塔・日々雑感

唐津のひれふり山

2017-02-28 15:19:04 | Weblog

唐津に出掛けていた夫がお土産にお菓子を買ってきてくれました。

    

                            

 

松露饅頭で有名な唐津の老舗のお菓子で、その名も何と『ひれふり山』というお菓子でした。もちろんそれは佐用姫伝説にちなんだものと思いますが、私の『ヒレフリ山』教室でも第1回目にその悲しい伝説や有名な大国主とスセリビメの物語に触れて、古代の人々が『ヒレ』というものにどういう感覚を持っていたのか話し合ったものです。「その名に惹かれて買って来た・・・・・」と、細長いお菓子包みを手渡されました。松露饅頭の緑がピンクになったような包み紙で、これにはちょっと~~~~~という感じでしたが、包みを開いて出てきた中の箱をみると私好み(?)のデザインで嬉しくなりました。中のお菓子は、

 

                                       

    

松露饅頭が松の葉についた露のように真ん丸・・・・・なお饅頭のところを、ちょっと俵型にしたような大福(?)といった感じです。姑の妹が唐津出身の方に縁付いていましたので、よくお土産にいただいたもので小さな可愛い松露饅頭はなじみがありました。この『ひれふり山』というお菓子もとても可愛らしく良い感じです。何より大きくないのが嬉しい!!!!!名前に愛着も感じました。・・・・・包み紙は佐用姫好み?????かと思うことにしておきましょう。

                


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豆炭炬燵

2017-02-24 20:22:41 | 自然食品和みさん

やっと自宅に戻ったなあ~~~~~とかみしめる余裕を取り戻しています。片付け荷物に埋もれていたのが、少しづつ家の中に秩序が戻って日常生活が楽になりました。

そんな中一番のヒットは、豆炭炬燵!!!!!これは最高です。帰郷して間もないころは豆炭炬燵を作ることも思いつきませんでしたが、片付け荷物を見て途方に暮れて・・・・・くたびれて・・・・・「炬燵を作ろうか!!!!!それも豆炭炬燵を!!!!!」夫と二人同意に達しました。この炬燵は14~5年前(?)平戸の自然食品和みさんから買ったものがもとです。豆炭も素性の良いものを分けてもらっていました。それが復活して・・・・・あまりの心地好さに、朝まで炬燵で寝てしまいそうです。電気炬燵は長時間入っていると皮膚がチカチカしてきて我慢できなくなりますが、豆炭の輻射熱というか・・・・・これは体の芯からほわ~んと暖かくなって・・・・・実は豆炭とその容器に和みさんの一工夫があって、この豆炭炬燵はそれはそれは気持ちが良いものです。

                                       

 

というわけで、「極楽、極楽」と言いながらこの炬燵で暖かく一日を締めくくっています。間もなく2月も終わろうとしていますが、もう少しこの炬燵のお世話になりそうです。写真は豆炭の容器と炬燵の容器の収納庫。中央は火熾しで豆炭を火にかけているところです。昭和の2~30年ころに戻ったような懐かしい映像ではありませんか?子供の頃に帰ったような楽しい作業です。

 


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春の味・芹の胡麻和え

2017-02-19 10:25:46 | Weblog

市場でみずみずしい芹を見つけました。何とは無しに春めいて『芹の胡麻和え』を胡麻たっぷりで作りました。いつもは春菊と半々にすることが多いのですが、今回は正真正銘の『芹の胡麻和え』・・・・・なので、白ゴマたっぷりにしました。水仙が咲いて、梅の花が咲いて・・・・・暖かくなって・・・・・春の気配がいっぱいになってくると、心楽しくなってきますよね。幸せを感じます。

 

そんな長閑な日を送ることが出来ることを本当に幸せだと思いますが、お隣の韓国や時代劇のような北朝鮮の現状・・・・・中(華人民共和)国や中近東の国々・・・・・ヨーロッパも一つにはなれそうもないし、そればかりか世界を牽引していた(?)アメリカ合衆国まで何だか怪しげになってきました。私達日本人は『国』というものについてもっと現実的にならなければいけない時期に来ていることをひしひしと感じさせられます。私達の国日本もそんな危うい世界情勢の中に存在しているのに、私達は国がいつまでもあってすべてを保証してくれるという幻想を抱いているような気がします。

かの昔孔子様が王道政治を説かれて、人の踏むべき道を『徳』として示されました。そして具体例として『仁・義・礼・・・』などの徳の現れ方を述べておられますが、高校時代の論語の授業で『仁』について、後に孟子が解説(?)したとされる『惻隠の情』・・・・・『思いやり』だと先生が話されたのを思い出します。要するに他人を思いやる人間関係が社会の基盤であり、王道政治(国)の基本であり、人の道なんですよね。だけど、それがこの世の難しさ・・・・・良かれと思っていても至らなければ思いやりが思わぬ事態を生むことになる・・・・・トランプ大統領のアメリカファーストが、隣人を困惑させ、回りまわってアメリカを困惑させる・・・・・

20世紀の世界平和主義者たちは世界連邦を夢見ましたが、20世紀も21世紀も『クニサヅチのみこと』の鉄槌をもっての平定を容認できない以上実現は不可能に近い・・・・・私達の日本だけが2000年も前にその鉄槌『くぶつち』でもって、日本民族に(当時の苦しみによって)溶融錬金できた現代の幸せを世界中に広げられるかどうか・・・・・これもまた限りなく難しい。マクロビオティックの桜沢先生も久司先生も『見果てぬ夢』だと言われました。私達はどうしたらよいのでしょうか。

 

こんなに危うく流動的な世界情勢の中でも、平和な日本の四季が巡って!!!!!・・・・・戦争と平和は反対語ではないと思います。平和のために戦争が起こり、戦争のさなかにも平和な一時はある。戦争やその他の悲惨な出来事が個人の遭遇する体験であるならば、それこそ思いやりの『仁』以外に解決策はないし、『仁』をもって行われる王道政治を実現するしかありません。孔子様の昔に戻ってしまいます・・・・・それでも今平戸に春が巡ってきて、『芹の胡麻和え』を楽しみ、和みの堀江さんにもう一つの春の味『メバルの煮つけ』を食べさせなければ・・・・・と思っています。若かりし頃小説(多分檀一雄の)を読んで以来の空想の味だそうです。塩焼きもおいしいけれど、メバルはお煮つけが格別だと思います。

 

 


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引っ越し片付けのまにまに

2017-02-11 22:50:19 | Weblog

昨年末故郷に戻って・・・・・新年を迎えお正月を過ぎ立春も過ぎ・・・・・延々と片づけをしています。というのも、大方の家財道具を置いて『手鍋一つで』に近い状態で上京し8年もの長い間に増えてしまった本類や所帯道具を『元々道具が埋まっている家に埋め込まなければならない』という事態に陥ってしまったからです。それで夫共々『人生の整理』を決心して・・・・・死後に残さないほうが良いようなものを『片付けよう!!!!!』とばかりに片付けていますが・・・・・ 

なかなかに大変で・・・・・1年がかりになるか、2年がかりになるか・・・・・入れる場所を空けるために不用品を捨てたり譲ったり、無理やり始末したり、長い留守の間に傷んでしまったものを取り換えたり、疲れて「気長にやろう!!!!!」と片付けのまにまにテレビを見て・・・・・時代劇やら、昭和を回顧する歌謡曲の番組を見たり・・・・・懐かしい顔や美しい声に引っ越し疲れを忘れたりしています。

 

そんなテレビ番組の中で気が付いたことがあります。と言うより、以前から気になっていたのですが、今回『記事にしておこう』と思ったことがあります。それは日本語の音についてです。戦前戦中の歌手にははっきりと守られている日本語の音についての決まり(?)が、戦後の『昭和の歌手』では美空ひばりでははっきりと守られており、森昌子にはまったく無い・・・・・この愛くるしい少女歌手が出て来た時は本当にびっくりしました。そして物凄い違和感を感じたのも、歌の文句もあったのでしょうが、その『決まり』のせいが大きかったような気がします。

歌の題名は『先生』・・・・・この言葉の読み音は『センセエ』のはずでした。おくり仮名は『センセイ』で『センセエ』と読む・・・・・という『決まり』だったはずです。だけど、森昌子は『センセイ』という音にして歌っていました。これは一体どういうことだったんでしょう。私が習ってきた『決まり』は何だったのか?????『おうま(馬)』は『オンマ』、『い(行)く』は『ユク』・・・・・というようなわけで、昭和の回顧番組に国語としての懐かしさも感じています。そして依然として違和感を禁じ得ないでいます。これは、私が知らないばかりで、既に決着のついた問題なのでしょうか。

 

 

 

 


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