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inspiration-macrobiotique・随想古事記

マクロビオティックインスピレーション・随想古事記・日本語と歴史・バベルの塔・日々雑感

再度ご連絡

2008-08-31 22:39:31 | 教室情報
9月の教室は第2土曜日13日です.お間違いの無いようにお願いします.

娘典子より、8月23日『オーガニックベース in 田平』に出席なさった皆様にお伝えして欲しいとの伝言です.「もう少しお塩の加減を減らしてみて、楽な状態を見つけてください.レシピの通りの塩加減をするのではなく、まず半分位から試してみてください.うんと楽になれると思います.」

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新刊正誤表

2008-08-28 10:48:31 | Weblog
先日ご紹介しました久司先生の「顔でもわかる健康チェック」が日貿出版社より発刊されました.きっと皆様の中でマクロビオティックが立体的になるだろうと思います.

出版にあたっては久司先生のご援助はもとより、出版社の水野社長の熱意もあって、訂正事項がないように、挿絵もわかりやすいようにと心を砕いたつもりでしたが、「あるものだなあ!!」というのが感想です.初めてマクロビオティックに触れる方の誤解を防ぐためにこれだけはというものを一つだけブログに公表します.

『顔でもわかる健康チェック』p.17 陰陽表  
     明るさ 明るい(陰)暗い(陽) →  明るさ 暗い(陰)明るい(陽)

最初の望診法の『マクロビオティック健康診断法』の後書きにも触れましたが、望診法は自分や他人のあら捜しをするためのものではありません.現状認識をするためのものです.例え自分が悪相でも先祖代々受け継いだものを否定してはいけません.改心のチャンスと受け入れて自分に至った課程も大切に受け止めてください.先祖の悪業も自分の代で方向転換が出来るチャンスだと受け止めて欲しいと思います.

望診法の大家水野南北といわれる方は、稀に見る悪相だったそうです.でもそれで幸不幸を入れ替える『宇宙の法則』を食に見出されました.最悪の悪相の最善の回復法は『少食』だそうです.そして『捨てること』いつかもお話した『喜捨』、つまり自分の取り分をできる限り少なくして分け与える心です.自分も他人もそれぞれの先祖代々も大事にして、マクロビオティックの道を歩みたいと思います.



 

コメント (2)
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猫優先道路

2008-08-27 15:07:16 | Weblog
末息子が昨日帰りました.いつのまにかすっかり大人の風格を漂わせてきた子供達がいて、はるかに過ぎし日の子供達の面影を偲ばせる可愛い孫達がいます.本当に「ありがたき幸せ」だと思います.

そんな末息子と車で出かけると昔から、「ここは猫が出てくるから・・・・」「ここは狸がいるから・・・・」と注意を促されます.最も近いのは我が家の庭に侵入する2~300メートルの細い道・・・・・子猫たちがうろちょろするかと思えば山鳩がチョコチョコと歩いています.すずめの巣立ちの時期には子雀が方向も定まらず低空飛行して、危ない、危ない!

相手の猫様も私の車を認識しているのか、いつぞやは警笛を鳴らしても居座り、車を降りて追い払わなければなりませんでした.なめられたものです.でもこの地球上にそんな道路もあっていいですよね.私と猫の道路.息子と猫の道路.他の人が通っている時にはどうしているのでしょうか?

今回もそんな息子の大人になった横顔をみながら、ちっとも変わらない会話をした昔を思い出しました.

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今日はご連絡のみ

2008-08-27 00:11:50 | 教室情報
「オーガニックベース in 田平」にご参加いただいた皆様、遠路おこしいただき本当にありがとうございました.問題もあったかと思いますが無事終わってホッとしています.楽しい子守り騒動の数日間で現在気抜け状態です.それでお礼とご連絡のみです.

1.来月の教室は都合により、第2土曜日13日です.

2.私事でついでですが、娘2号がドイツからもブログを更新しています.日本語を書いたり見たり読んだりすると、頭がホッとするらしいです.それでよかったらコメントをしてやってください.とてもおかしいブログです.naonaoーkoバナシhttp://blog.goo.ne.jp/naonaoko05
コメント (4)
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久司先生の新刊

2008-08-10 11:04:15 | マクロビオティック
先日お話しました本が出版社から届きました.発行は今月の25日となっていますので、いつ頃店頭に並ぶのか分かりませんが、25日は主人の誕生日、私は図らずもプレゼントをしたということになりましょうか?

書名は『顔でもわかる健康チェック』、望診法の第2弾ですが、私としては心身の調整法、体調の回復法のまとめといった気分です.要するにマクロビオティックといったって普通のことを普通に(宇宙の法則に従って)展開していくだけなんです.魔法の杖なんてこの世にもあの世にもありません.魔法の杖のように見えるとしたら、それは目が曇っているからなんです.あるもの(真実)を見ないで、希望(都合のよいこと)をのみ見ているからなんです.

人間に生まれてきた世は何をする所かというと、判断力の鍛練の場です.この世はちょうどターニングポイントなので、飛躍的な成長を遂げることが可能です.だから昔から人生を奇妙でありがたいものとして捉えてきました.何が奇しくも妙なるかというと、宇宙の法に触れるチャンスが与えられるからなんです.そんな奇妙というものが如何にありえないものなのか、言っても言っても言い足りないその確率を例えて恒河沙、阿僧祇、那由他、不可思議などという仏教用語ができたのです.

本当は病気も判断力の鍛錬のきっかけでありがたいものなのです.だから死の一瞬までそのチャンスを頂いて、何がしかの進歩をして得るところを確認すべきなんです.得心して死ぬべきなんです.だからこそ他を殺してはいけないんです.動物界では食べるために殺してよかった生命同士ですが、人と生まれたからには殺してはいけません.でも動物と同じ体をもつ悲しさ、殺さずには生きていけません.だからこそ勿体無い、ありがたいんです.なるべく少なく殺生をするという心が倹約です.私たち日本人は代々お米一粒を大切にするよう教えられてきました.ありがたいことだと思います.

毎日のように殺人事件のニュースが届く世の中になりました.誰でもよいから道連れに・・・・・などという不心得も増えました.殺してはいけません.他人のチャンスを奪ってはいけません.子供の頃読んだ『修養全集』という本があります.その中に羊飼いの男の話が載っていました.その男は前世が分かる能力をもっていて、その男が言うには『自分は前世も前々世もその前もずっと羊飼いだった.だから現世で羊飼いをしているからまた来世も羊飼いに生まれるだろう.』でもその男は次は羊に生まれました.そして羊飼いに飼われてされる運命となりました.

この本はお釈迦様の解説がついた画期的(??)な本ですが、お釈迦様のお話によるとその羊飼いは七世前に羊飼いをしている時小さな蜘蛛を踏み潰しそうになった時助けてやったことがあったために、その次の世も次の世も羊飼いに生まれたのでした.そしてチャンスを七世も与えられたのに考えることなく同じことを繰り返して生きたので、それから七世羊に生まれなければなりませんでした.

動物に生まれると自分の波動を変えるという観点からは非常に困難な目にあいます.動物は、自分の運命というべきか状況というべきかは別として、たいてい受け入れる以外の選択肢はありません.そういう心理波動なんです.それ以上のものを知りたいとも、自分を改革しようとも思いません.そしてその波動が向上するか堕落するかは、私たち人間が死んだ後の状況と同じだと私は考えています.持っている波動と同調する波動に拾われるんです.その時自他はありません.拾うほうも拾われるほうも同じ条件です.誰に拾われるか??お釈迦様に拾われるか、イエスに拾われるか、日蓮上人に拾われるか、アマテラスオオミカミに拾われるか・・・・・・或いはこの世近くを彷徨っている霊魂(?)に拾われて更に重い心を引きずってしまうか・・・・・これはひとえに私達の心得たもの次第です.

少なくともこの地球を含む生命の環境では、人の世だけが波動としての飛躍のチャンスを与えられているような気がします.人生とは本当にありがたくもったいないものです.私たちも毎日小さな蜘蛛を助けてやらなければなりません.善業を積む以外、再び人間に生まれるために出来ることはありません.そして日々判断力の鍛錬に励みたいと思います!!!
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篤姫そのⅡ

2008-08-07 14:40:47 | Weblog
孫が東京に戻って、賑やかな毎日がまた静かになりました.一両日気が抜けてボーっとしていました.ちゃんばらごっこ、鉛筆戦争ゲーム、五目並べ、立体四目並べ、挟み碁、碁盤上陣ゲーム(?)、ダイヤモンドゲーム・・・・・・最後は珍しくジジタンも参加の“ババ抜き”!!!お風呂ではすもぐりの練習! 孫の一日は超過密スケジュールでした.

ちゃんばらごっこでは、たたき過ぎないように上質のカレンダーの紙を丸めて刀を作り、それでイザ!合戦!! 紙とはいえ遠慮無しの孫からたたかれた腕は半日くらい赤くなっていました.ジジタンはジジタンで筋肉競争です.鍛え方の実演から、パンチまで.ジジタンは孫が強いと喜ぶのですから、孫としては渾身のパンチをジジタンのお腹に・・・・・・しばらく後遺症で痛いと言っていました.

そんな数日間でしたが、日曜日には篤姫を見ました.私にテレビの時間をくれた孫とジジタンはといえば、ババ抜きの特訓!!心理戦の訓練です.ありがとう、お二人さん!! 孫は本当にかわいいものですが、食事も私が席につくまで手をつけずに待っていてくれました.ちゃんと周囲に注意を払っている・・・・と思うと誇らしくもあり頼もしくもあり、娘達のしつけを思いました.

孫とあまりに密度の濃い毎日だから?かどうかは分かりませんが、篤姫の展開がひどく雑に感じました.これまでの家定登場の場面に時間を割きすぎたのかもしれません・・・・・?でも家定とのファミリーストーリーは、『篤姫に本当にそんな関係があったのでありますように・・・』と思わずにはいられませんでしたよね.あれがあったればこそ生涯を家定の御台所として徳川家の人間として貫き通したのだと思いたいですよね.篤姫の鎮魂を祈るばかりです.

それにしても私は篤姫より既に十年以上も長生きをしています.帯刀も30代でこの世を去りました.島津斉彬も50歳.家定30代.西郷隆盛や大久保利通は?和宮も早世です.当時の人々は何を食べていたのでしょう.ここでやっとマクロビオティックらしくなりました.大岡越前だったか水戸黄門だったかは分かりませんが、テレビ番組の話に『鶴の吸い物』などというのが出てきますから、まあ鳥類はたまに食べたかもしれません.鴨とり権兵衛のお話もありますし.魚介類は食べたでしょう.しかし現代と全く違うのは、人工的な添加物が無いということでしょう.それに野菜だって自然に近い、有機農法だったと思われます.食べ物では圧倒的に有利だったはずです.それなのにこの人たちは皆短命ですよね.

身分が高かっただけ、粗食ではなかったかもしれません.でも油などの抽出物も嗜好品も果物類も少なかったはずです.江戸わずらいという白米によるビタミン不足の脚気があったと言われていますが、現代ほど精白技術も徹底してはいなかったはずです.調味料もみな自然の力を借りて製造されたはずです.薬剤を使った漂白などということもありませんでした.お酒を飲みすぎた? 男はあったかもしれません.暗殺された人もいるでしょう.怪我があったかもしれません.でも何より考えすぎたため、心労が多かったため、今で言うストレスが原因で短命だったような気がします.真剣勝負のような考え方をしたのでしょうね.良い食べ物で良い血液を作っても、ストレスで生命を阻害するのです.

とは言え考えずにポーッとして長生きしてもつまりません.とどのつまり、人間は死ぬのです.ですが心身をすり減らして死ぬのは考え物です.無為自然も何も考えない、何もしないというのではないのです.為す事考える事を“自然”にと言っているのです.そもそもどのようなのが自然なのか、どのように死ぬのか、これはマクロビオティックの最後の試験でもあると思います.食べ物だけではないことが分かっているのですから、考えるという人間の生き方の達人にならないといけません.頭の使い方に焦点を当てるべきだと思います.これから私の独断と偏見の発表テーマを『考え方と死に方』にしようと思います.そして一体人間の間に何をするべきなのかを考えていきたいと思います.
コメント (2)
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