本を二冊ご紹介したいと思います。まずは、最近私が聴講生になった藤井厳喜先生の本。
私には台湾についてずっともやもやがあります。それは私が小学生だった頃・・・・・その当時はまだ戦後間もなくていろいろな巡回映画やらお話やら、挙句の果てには、見世物のような怪力ショーまで小学校でありました。そんな中で、そのお話には感動して胸を熱くしたのですが、それがいったいどういう状況下で起こったのか、その後どうなったのか、それは歴史上どこにあるのか・・・・・いまだにわからないからです。
それは、多分福岡県豊前市の八屋小学校での思い出です。全校児童が講堂でお話を聞きました。その講師がどういう人だったのか、どうして台湾のお話をしたのか・・・・・・全く分かりません。だけど私にとって60年以上忘れられないお話になりました。
台湾には色々な部族の伝統が残っていて、(私は日本が台湾を清から割譲された後の話だと思うのですが)その統治に日本人がどのように苦労したか、そういうお話でした。その行政官は村民から慕われて成功していたのですが、ある時村人が相談にやって来ました。村人が言うには、『先祖代々受け継いできた祭礼が間近になった。自分たちは首狩り族で、生贄の首を祭壇にお供えしなくてはならない。何十年かに1回のお祭りで、今度だけ許してくれ・・・・・』というものでした。その行政官は、心を尽くして説得を試みたのですが、どうしてもうまくいきませんでした。
最後にその行政官は今度だけ、これから自分の言うことを聞くならと、許可を与えました。『今度の月夜の晩、衣をかぶって横笛を吹いている男がいるから、その男の首を取ってよい。が絶対にその被り物を取らずに首を取るように。』と約束させました。(子供心に私は、弁慶と遭遇した牛若丸のような衣装を想像したことを覚えていますが、それは時代錯誤の子供の間違いだったと思います。)そして、村人たちは本当だろうかと思いながら待ち構えていると、確かに男が現れて村人たちは飛びかかりました。その男が逃げずにじっと見たので、村人たちはちょっとひるんだそうです。それでも儀式を挙げなければならない村人たちは、その男の首を取りました。そしてその首をあらためて、村人たちは泣きました。それからどうなったのか、覚えていません。私も胸がいっぱいになって、泣いていたからです。
その行政官は、『ゴホウ(まさか?)』という名前だったという記憶なのですが、これも定かではありません。このお話の実際は何だったのか・・・・・知りたいと思います。それに我が平戸は『国姓爺合戦』で有名になった鄭成功ゆかりの地です。清に追われた明の王女(栴檀王女)を助けて鄭子龍・鄭成功親子が台湾に立てこもるお話です。鄭成功は平戸で生まれました。今でも鄭成功の記念碑があります。台湾と平戸とは繋がりがあり、『国姓爺せんべい』というワッフルのような格子模様の焼き跡がついたおせんべいが好きでした。このお話の真実を知りたいとずっと思っています。
本のご紹介から離れてしまいましたが、私達日本人にとって台湾という琉球列島の行きつく先の国が日本にとってどういう位置にあるのか、明治の先人たちがその重大な意味を理解していかなる苦労をして台湾統治に乗り出したのか、その台湾の人たちは如何にその時代の良いところを守り続けているか・・・・・台湾には20世紀に台湾人の『万葉集』が生まれたくらいです。その統治がどんなものだったかは推して知るべきだろうと思います。田中首相が唐突に台湾と断交して中華人民共和国と国交樹立した日を覚えています。あれはいったい何だったのか・・・・・その行きついたところが今回の『武漢発コロナウィルス騒動』だったのかと思わずにはおられません。台湾は見事に今回の騒動を処理しています。日本人にはもう一度台湾を考えてみる必要があると思います。国民は何故台湾と断交したのかを実感していません。それを埋めるために格好のテキストだと思います。
もう一つは娘から新刊が送られてきました。親として少し大人びた(?)娘を発見しました。
娘なので、多少のひいきをお許しいただいて、読んでいただければと思います。それにこれからはマクロビオティックも日頃の必要性を増すと思います。