やっと再読が終わり(?)ましたが、この本は読みにくい・・・・・分かりやすいのは第7章と第8章のみでした。その中で、ちょっとだけご紹介しておきたいと思いますが、特に私達の明治以降の歴史は、良いことも悪いことも含めて、全て世界の思惑の交錯する中で起こったということが良く分かりました。そして今日の日ロの領土問題が如何に起こったのか、私の伯父も含めていかに日本人が抑留されたのか、良く分かりました。
この本の中で誰もが興味をもつであろうと思う内容の中に『イワノフのコップ』というものがあります。それは第6章の一部ですが、原爆投下後の1945年8月16日、『スターリンの命令で二名のソ連諜報員が広島と長崎に行った』んだそうです。ソ連公使のミハイル・イワノフとソ連大使館員ゲルマン・セルゲーエフだそうです。その二人が受けた命令は『爆心地を突き止め、爆発の際に出来るくぼみの深さを測定すること』だったのだそうです。彼らの受けた命令の是非は別として、この世のものとも思われない人類史上初めての惨状を見ることになります。そして二人は現在私達が言う『放射線被爆症』になりました。当時は誰もそんなことが起こるとは知りませんでした。以前お話しした通り、私の祖父は三日後の長崎に入って救助活動をしたのです。多くの人々が広島に、長崎に入ったと思います。
無事東京に戻ったセルゲーエフは健康を害し帰国して当時不明だった病気で亡くなったそうです。イワノフの方はそれからもう一年東京で勤務し、モスクワに召還され、ブルデンコ記念軍事病院に入院させられあらゆる検査をされたそうです。そしてセルゲーエフとイワノフに起こった健康上の違いに対する結論は『血中アルコール』だったそうです。イワノフを救ったのは彼が飲んでいた(あるいは飲まずにはいられなかった?)『サントリーウィスキー』との結論だったのだそうです。そして2012年11月、イワノフは100歳を迎えたのだそうです。日本人の中では頑健だった私の祖父は80にならず白血病を発病し亡くなりました。
その時以来ソ連の原子力施設で働く従業員はすべて44ミリグラムのアルコール摂取が義務付けられたそうです。原子力潜水艦ではこの摂取すべきアルコールのことを、日常のルーティーンの中で『イワノフのコップ』と呼んでいるそうです。これは日本の(少なくともマクロビオティック上の)考え方とずいぶん異なっています。長崎の秋月辰一郎教授の体験から、あのチェルノヴイリの事故以来『味噌』が盛んにソ連に届けられたと聞いています。もちろん日本人と外国人の体質の差、伝統的食事の差など考慮するべきことはたくさんあります。・・・・・だけど、だけど・・・・うならされてしまうばかりです。よくよく考えてみたいと思います。
第7章は『ロシアにおける日本人捕虜』という章題です。ここは理解しやすいのでそれぞれお読みになられたらいいと思います。私は伯父のことが偲ばれて、スターリン体制のソ連に憤りを抑えることが出来ません。これは正確な人数すら分からない、日本人66万人余に対するソ連の国家犯罪です。北朝鮮の国家犯罪・拉致と同じです。凍てつくシベリヤで亡くなった伯父を追悼せずにはおられません。その中にこんな文章がありました。それは、『何十万人の日本の人々が「行方不明」の親族について何も知らず、何処かで生きているのではないかと秘かな希望を抱き続けていることなどソ連の役人たちにとってはどうでもいいことだった。』という残酷な文章です。
私達は希望を抱き続けるしかないではありませんか!!!横田めぐみさんのご両親もそうにちがいありません。私の伯母もそうだったに違いありません。伯父の両親である私の祖父母もそうであったに違いありません。伯父の死はかなり経ってから従者の話として伝わってはいましたが、それでも目の当たりにしていない限り身近であればある程かすかな希望として、心の中に生き続けるものです。それがどんなに辛いものであるか・・・・・日々胸をつぶされ心身は傷つけられるのです。亡くなった方々に鎮魂の祈りをささげその親族は慰められなければなりません。そういう意味でこの本『知られざる日露二百年』の第7章は全国民が読むべきだと思います。
それでは今日も:
私達は横田めぐみさん達を取り戻さなければならない!!!