この記事は60代から70代へ進学(?)しようとする者の、言わば、『卒論』のような感じで書いています。その年代年代の状況を、確実に知って整理したいと思います。
60代・・・・・これは人生において画期的な時代です。赤ん坊が幼児になり少年少女になり、そして青年になり成人になる・・・・・確かに画期的な事件に違いありませんが、この流れは1が2になり、やがて10になる迷いのない方向性を持っています。成人になって、ひよっこ成人からやがて大人へ、その精神性を磨き次世代への備えを確立して・・・・・自分の立ち位置がまだまだ世の中の真ん中にあるという実感の中にいます。子供たちが手元を離れてそれぞれ独立して、あれこれしているうちに老年期に入る心構えとでも言うべきか、『還暦』という節目を迎えます。そして年長者から言われ続けてきた『年を取ってみないとわからない・・・・・』ということを思い知ることになる、これが60代なのです。
まずは『あれ?』という訝しさを知ります。そういえば父や母が・・・・・何でもないことに咳き込んでみたり・・・・・階段を一気に上れなくなったり・・・・・私は、そうですねぇ、63歳ごろだったと思います。何だか太ってきたなあ~~~と、思いました。それまでは40年間ウェストを気にすることもなく、お気に入りのスカートの裾が擦り切れるまで着続けることが出来ました。主人が開業医を止めて、私はサラリーマンの女房になって、楽になったのか・・・・・と思いました。
それから、イボというか老人性疣贅というか、そういったものが腰の周りや顔の側面に目立つようになりました。「え?・・・・・これは、久司先生の言われていた『食べ過ぎ』の症状では?????」と、『マクロビオティック健康診断法』を翻訳していた頃を思い出しました。もともと小食で、甘いものは嫌い、脂っこいものは嫌い・・・・・揚げ物もあまり好きではない・・・・・と、マクロビオティックにはうってつけのような好みだったので、『食べ過ぎ』って言ってもねえ・・・・・と、少々お手上げ気分。傍からはそのくらい太っていた方が『見栄えが良い』などといわれる始末で、思考停止にして・・・・・数年過ごしました。
そうこうしているうちに、例の『膵炎騒動』を起こしたのが65歳。98%膵臓癌だと言われて・・・・・その顛末記もブログのシリーズ記事(膵炎体験記)にしました。内科に入院して膵炎の療法は『絶食』だと知りました。1ヶ月後に外科に入院して、手術を体験することになり貴重な術後も体験しました。幸い膵臓癌ではなく術後2週間で退院できました。(これはマクロビオティックという考えに基づいて暮らしてきた結果だろうと確信していますが、手術という衝撃の大きさは、間もなく丸3年になりますが、やっと影響が小さくなったかなというこの頃です。
それから、歯茎の問題。締まってくる問題と緩んでくる問題とが並行しやすくなって・・・・・一般的に言えば歯並びが悪くなるのと歯槽膿漏気味になる。これも究極的には代謝に関連していると思いますが、『歯槽膿漏気味』という問題は完全に解決しました。以前ご紹介したことのある『リフレッシュ塩浴法』・・・・・それに使うアルカリ塩と弱酸性塩を利用します。これを発見したのも入浴中、『ついでに歯茎もこれで磨こう』と思いついたのが始まりです。久司先生の『部分は全体を反映する』というお話しも思い出しました。それ以後毎日の歯磨きは『リフレッシュ歯磨き法(?)』になって、一度も歯が浮いたことはありません。
ですが、ますます太ってきました。「着れる服が無い!!!!!」・・・・・多治見にはデパートがありませんでしたが、近くに土岐アウトレットというところがあって、一軒だけ好みに近いお店があり夫に何度か連れて行ってもらいました。だけど・・・・・何故だろう?????・・・・・これが、『加齢による代謝の低下?????』術後の検査で消化酵素は正常に分泌していると言われました。『代謝って何?????』消化吸収はしても代謝が低下しているから、溜まる・・・・・太る。
代謝が低下する・・・・・って、どうなったのか。息子に聞いたら『代謝って生命活動そのものだからねえ』・・・・・死への準備?????、何がどうなって代謝が低下するのか・・・・・それが知りたいのよ。そう、『老化』というものは、そういうものだろう。上手に死にたいと思います。マクロビオティックを知り始めた頃は、上手に長生きをしたいと思いました。ですが最近は適当に死んだほうが良いと思っています。子供が生きているうちに死のうと思うようになりました。動けなくなったら、死のうと思います。だけど、身のうちに起こっている『老化』という現象を知りたいと思います。
年を取るごとに代謝が低下するのなら、不必要だから溜まるのなら、食べないほうが良いのか・・・・・そう思って暮らし始めた矢先、近ごろはやりの『酵素』なるものをもらいました。そういえば、久司先生も晩年『酵素』なるものを売って(?)いらしたなあ・・・・・、「どんなものか、ちょっと試してみるか?」・・・・・それで一週間くらいして『あれ?????』・・・・・「お腹が痩せてきた?????。昔のスカートが大丈夫?????」?????そして決定的なのは、下がっていた頬が、ドラ猫のように堂々とした(?)頬が、すっきりしてきました。首も太くなっていましたが、細くなってきました。これは一体どういうことでしょう。代謝の低下って・・・・・代謝機能の低下でなく、代謝条件の悪化ってこと?????食べ過ぎのせいだという老人性疣贅も消えてきました。
加齢による代謝の低下って、確かに人生の終末への始まりだと思います。それにも機序として数段階あるんですね。第一段階・・・・・代謝に関わる体内の必要条件の悪化・劣化。それから第二段階・・・・・代謝機能の低下。そして最終段階・・・・・代謝停止。そこを上手にエスカレートして死ななければなりません。太り過ぎて病気にならないように過ごすために『酵素』が必要なら、『酵素』を適当に補給すべきかもしれないと思います。そして年相応に機能を低下させて代謝を停止させなければならないと思います。その期間何を完成させるべきかは、言わずと知れた死の準備です。人生とは何か、死とは何か、自分は何だったのか・・・・・これを明らかにすること。無明の淵に沈むことなく、明らかに自分を解体すること・・・・・それを完成させるための時間が還暦以後の人生で、消化吸収代謝に関わるエネルギーをその完成に振り向けるための代謝の低下なのだろうと思います。穏やかな機能の低下と充実した精神活動を言葉化すること・・・・・これが私の理想です。そして『食』と『食の量』はそうした人生の鍵だと思います。後一年余で70代に突入します。年長の友人から『あなたはまだ若いからわからないのよ』と言われていますが、一つづつ思い知る時が来るのだろうと思います。