inspiration-macrobiotique・随想古事記

マクロビオティックインスピレーション・随想古事記・日本語と歴史・バベルの塔・日々雑感

虚構を語る???

2017-08-30 09:20:46 | Weblog

平戸市田平町には書店が無くなって久しい・・・・・のですが、昨日はコンビニで本(とも言えない本?)を買いました。東京の紀伊国屋書店で中田先生の『脳の中の水分子』に出会った時以来の偶然の出会いでした。その本の名は【図解ホモサピエンスの歴史】・・・・・いい本でした。私は川崎真治先生の言語学的考察の亜流(カタカムナの研究に依った【日本語】を手引きにした言語学的考察)を自称しています。この本をパラパラとめくって買うことになったわけというのが、

 

       「全く存在しないものごとを語る能力」・・・・・「虚構」を獲得したホモ・サピエンス


という文字です。『言葉』による認識能力の始まりである『認識の言葉化・・・・・日本語』をテーマとしている私にとって捨てられない文字でした。全体像を知るうえでとても良い本だと思います。川崎先生の説にも大まかに符合している・・・・・それに安いと思います。出版社は、宝島社です。


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北海道マラソン

2017-08-28 14:13:59 | Weblog

北海道マラソンを見ました。たまたま番組表で見つけて、ついつい・・・・・という次第でしたが、駅伝好きの私はマラソンも好き。運動はほとんどが不得手でしたが、高校のマラソン大会は何となく好きでした。なぜかというと、マラソンって自分との戦いになりますよね。それを克服すると、フッと楽になって・・・・・それが嬉しい体験になることを知ったからです。でも私達のマラソン大会は冬だったような気がします。

この暑い時に!!!!!・・・・・と思いましたが、いつからかオリンピックが8月になったのですね。前回の東京オリンピックは秋でした。それを記念して『体育の日』が出来たんですよね。だけど今は暑さの真ん中でのオリンピック、選手には過酷な状況を乗り越えることが求められると解説者が言っていました。

 

箱根駅伝卒業生にはかなり厳しい現実が待っていると見えて、なかなか『箱根の息子たち』をテレビで応援する機会は少ない・・・・・し、なかなかマラソンは難しいらしい。そんな中、昨日は東海大のスカイブルーを思い出しました。そして久しぶり、あの美しいロングストライドがひた走るのを見ました。村澤選手、おめでとう!!!!!

 

マラソンでも勝ってほしいけれど、いつの日かオリンピックの種目に『駅伝』が入ることを心から望んでいます。東京オリンピックの種目になってほしかったのですが・・・・・歴史もあり、日本らしいと思います。


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日本語のアクセント

2017-08-19 21:18:58 | 日本語・古事記・歴史・日本人

先日来夫と『昭和の歌何とやら?????』というテレビ番組を見ています。今週は藤山一郎と東海林太郎の番組でした。先週のこの番組ではなんと、アイ・ジョージが出てきました。本当に久しぶりにその独特の面影を見ました。そしてこれまた何と軍歌も放送されました。私は父と歌った歌などで嬉しかったんですけれど、時代も変わってきたんだなあとしみじみ思います。感情的に拒否するのではなく、父祖の歩んだ時代を見つめなおす時期を迎えつつあるんだと感慨深いものがあります。

その同じ番組であんまり好きではなかった藤山一郎が、歌謡曲の日本語への違和感を表明していたことを知りました。それであの発声についてはまだ好きではありませんが、親しみを感じています。近ごろの訳の分からないどこにでもアクセントをつける歌い方が嫌いです。というより、日本語の危機を感じます。学校の音楽の時間に習った『シンコペーション』、その時は新鮮に感じたものですが、それが音符の世界ではなく日本語の言葉の上に起こると、意味が通じにくくなる・・・・・私達日本人は日本語で自分の肉体の波動も精神の波道も作ってきました。その伝統が失われると、日本人ではなくなると思います。

 

それからもう一つ、言葉の選び方の問題を感じています。昨年からわが国の根本にかかわる天皇陛下のご譲位問題が取りざたされるようになりました。このことに関しても一般的には『退位』という言葉が使われています。だけどそう聞かされると、ギクッとせずにはいられません。『退位』という言葉には辛さが付随しています。それを日本人は平気で自分たちの国に使っている・・・・・自分たちの国の継続に関して、そんなに無神経でいられるのか?????不思議でなりません。

人間が作った国という組織・・・・・何にその永続性の鍵があると思われますか。組織という単語は有機体という言葉と同じです。つまり機能をもって組織を維持している・・・・・という意味です。ですから手短に言えば、人体と同じようなものです。頭もあれば足もある・・・・・胴体もあれば手もある、消化器もあれば循環器もある・・・・・親指もあれば小指もある、大脳もあれば小脳もある・・・・・どれかだけが大切というわけではなく、どれもなくては困るものです。だけど人間は頭を上に飾って(?)、足をぬかるみで汚す・・・・・皮膚を磨きはするが、内臓のことは忘れている・・・・・そんなものです。だけど、大事でないかと言えば、そんなことはありません。爪の先が痛むと、私達はその痛みに全神経を向けるのですから。だけど、です。頭をなくしたら、私は私ではなくなります。永続性の鍵は『頭が変わらない』ということにあるのだと思います。

 

 

だから、私はいつ死んでもいいように、此処に私の主張を残したいと思います。『退位』という言葉には『させられる心』が潜んでいます。そんな言葉を私達は私達の顔である天皇陛下の地位について使ってはなりません。あくまで『ご譲位』である必要があります。途切れてはならないのです。それからもう一つ、私達の頭、つまり天皇の地位につかれる方は、『天之忍穂耳(アメノオシホミミ)』の血統であることを日本人が納得できる方です。それが『男系』の意味であって、そうやって日本人は歴史をつないできました。何代か遡って傍系の男系を探したことを古事記でも伝えています。女帝であってもかまいませんが、その場合は必ず『天之忍穂耳(アメノオシホミミ)』の男系と結婚していただく必要があります。人間として天皇陛下は日本人の中で一番不自由な方なのです。

 

これは余談ですが、組織の頭というものは大小を問わずそういうものです。家庭もそうですし、個人でもそうです。私達は頭を挿げ替えることは出来ませんし、頭に自由はありません。手足は動くので自由といえば自由ですが、手や足以外にはなれません。自由とはそんなものだと、分かって生きていくのが人の道だと思います。


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老化・加齢による代謝の低下?????

2017-08-13 00:47:50 | Weblog

この記事は60代から70代へ進学(?)しようとする者の、言わば、『卒論』のような感じで書いています。その年代年代の状況を、確実に知って整理したいと思います。

60代・・・・・これは人生において画期的な時代です。赤ん坊が幼児になり少年少女になり、そして青年になり成人になる・・・・・確かに画期的な事件に違いありませんが、この流れは1が2になり、やがて10になる迷いのない方向性を持っています。成人になって、ひよっこ成人からやがて大人へ、その精神性を磨き次世代への備えを確立して・・・・・自分の立ち位置がまだまだ世の中の真ん中にあるという実感の中にいます。子供たちが手元を離れてそれぞれ独立して、あれこれしているうちに老年期に入る心構えとでも言うべきか、『還暦』という節目を迎えます。そして年長者から言われ続けてきた『年を取ってみないとわからない・・・・・』ということを思い知ることになる、これが60代なのです。

まずは『あれ?』という訝しさを知ります。そういえば父や母が・・・・・何でもないことに咳き込んでみたり・・・・・階段を一気に上れなくなったり・・・・・私は、そうですねぇ、63歳ごろだったと思います。何だか太ってきたなあ~~~と、思いました。それまでは40年間ウェストを気にすることもなく、お気に入りのスカートの裾が擦り切れるまで着続けることが出来ました。主人が開業医を止めて、私はサラリーマンの女房になって、楽になったのか・・・・・と思いました。

それから、イボというか老人性疣贅というか、そういったものが腰の周りや顔の側面に目立つようになりました。「え?・・・・・これは、久司先生の言われていた『食べ過ぎ』の症状では?????」と、『マクロビオティック健康診断法』を翻訳していた頃を思い出しました。もともと小食で、甘いものは嫌い、脂っこいものは嫌い・・・・・揚げ物もあまり好きではない・・・・・と、マクロビオティックにはうってつけのような好みだったので、『食べ過ぎ』って言ってもねえ・・・・・と、少々お手上げ気分。傍からはそのくらい太っていた方が『見栄えが良い』などといわれる始末で、思考停止にして・・・・・数年過ごしました。

そうこうしているうちに、例の『膵炎騒動』を起こしたのが65歳。98%膵臓癌だと言われて・・・・・その顛末記もブログのシリーズ記事(膵炎体験記)にしました。内科に入院して膵炎の療法は『絶食』だと知りました。1ヶ月後に外科に入院して、手術を体験することになり貴重な術後も体験しました。幸い膵臓癌ではなく術後2週間で退院できました。(これはマクロビオティックという考えに基づいて暮らしてきた結果だろうと確信していますが、手術という衝撃の大きさは、間もなく丸3年になりますが、やっと影響が小さくなったかなというこの頃です。

それから、歯茎の問題。締まってくる問題と緩んでくる問題とが並行しやすくなって・・・・・一般的に言えば歯並びが悪くなるのと歯槽膿漏気味になる。これも究極的には代謝に関連していると思いますが、『歯槽膿漏気味』という問題は完全に解決しました。以前ご紹介したことのある『リフレッシュ塩浴法』・・・・・それに使うアルカリ塩と弱酸性塩を利用します。これを発見したのも入浴中、『ついでに歯茎もこれで磨こう』と思いついたのが始まりです。久司先生の『部分は全体を反映する』というお話しも思い出しました。それ以後毎日の歯磨きは『リフレッシュ歯磨き法(?)』になって、一度も歯が浮いたことはありません。

ですが、ますます太ってきました。「着れる服が無い!!!!!」・・・・・多治見にはデパートがありませんでしたが、近くに土岐アウトレットというところがあって、一軒だけ好みに近いお店があり夫に何度か連れて行ってもらいました。だけど・・・・・何故だろう?????・・・・・これが、『加齢による代謝の低下?????』術後の検査で消化酵素は正常に分泌していると言われました。『代謝って何?????』消化吸収はしても代謝が低下しているから、溜まる・・・・・太る。

代謝が低下する・・・・・って、どうなったのか。息子に聞いたら『代謝って生命活動そのものだからねえ』・・・・・死への準備?????、何がどうなって代謝が低下するのか・・・・・それが知りたいのよ。そう、『老化』というものは、そういうものだろう。上手に死にたいと思います。マクロビオティックを知り始めた頃は、上手に長生きをしたいと思いました。ですが最近は適当に死んだほうが良いと思っています。子供が生きているうちに死のうと思うようになりました。動けなくなったら、死のうと思います。だけど、身のうちに起こっている『老化』という現象を知りたいと思います。

年を取るごとに代謝が低下するのなら、不必要だから溜まるのなら、食べないほうが良いのか・・・・・そう思って暮らし始めた矢先、近ごろはやりの『酵素』なるものをもらいました。そういえば、久司先生も晩年『酵素』なるものを売って(?)いらしたなあ・・・・・、「どんなものか、ちょっと試してみるか?」・・・・・それで一週間くらいして『あれ?????』・・・・・「お腹が痩せてきた?????。昔のスカートが大丈夫?????」?????そして決定的なのは、下がっていた頬が、ドラ猫のように堂々とした(?)頬が、すっきりしてきました。首も太くなっていましたが、細くなってきました。これは一体どういうことでしょう。代謝の低下って・・・・・代謝機能の低下でなく、代謝条件の悪化ってこと?????食べ過ぎのせいだという老人性疣贅も消えてきました。

 

加齢による代謝の低下って、確かに人生の終末への始まりだと思います。それにも機序として数段階あるんですね。第一段階・・・・・代謝に関わる体内の必要条件の悪化・劣化。それから第二段階・・・・・代謝機能の低下。そして最終段階・・・・・代謝停止。そこを上手にエスカレートして死ななければなりません。太り過ぎて病気にならないように過ごすために『酵素』が必要なら、『酵素』を適当に補給すべきかもしれないと思います。そして年相応に機能を低下させて代謝を停止させなければならないと思います。その期間何を完成させるべきかは、言わずと知れた死の準備です。人生とは何か、死とは何か、自分は何だったのか・・・・・これを明らかにすること。無明の淵に沈むことなく、明らかに自分を解体すること・・・・・それを完成させるための時間が還暦以後の人生で、消化吸収代謝に関わるエネルギーをその完成に振り向けるための代謝の低下なのだろうと思います。穏やかな機能の低下と充実した精神活動を言葉化すること・・・・・これが私の理想です。そして『食』と『食の量』はそうした人生の鍵だと思います。後一年余で70代に突入します。年長の友人から『あなたはまだ若いからわからないのよ』と言われていますが、一つづつ思い知る時が来るのだろうと思います。


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