inspiration-macrobiotique・随想古事記

マクロビオティックインスピレーション・随想古事記・日本語と歴史・バベルの塔・日々雑感

次回の教室

2012-07-30 19:57:04 | 教室情報
8月はお休みです!!   9月は29日です。

ところで反省点・・・・・いつも思うのは、滅多に食べない《おまんじゅう》や《餃子》などの皮についてです。質の良い小麦粉で作れば、あんなに重たい地粉でなくてもいいんじゃなかろうか・・・・・?ベケットでおまんじゅうを作った時もそう思いました。あんなにして無理におまんじゅうを食べる必要もないのではなかろうか・・・・?と。食べ物の一部を捨てないようにとの心掛けは尊いけれど、そんなものをしょっちゅう食べ無ければ、ふすまはふすまで何かに出来るのでは・・・・・??と思います。

それぞれ自分の食生活に合わせてお決めください。それから時間の都合で凍らせ豆腐を煮ませんでしたが、うすくち醤油で煮含ませて冷ましてからの方がもっとしっとりしますので、そのようにお願いします。バナナの餃子はお菓子のようで楽しかったですね。おナスの餃子は芥子を加えても美味しかったかもしれません。今年のように暑い夏はお薦めです。


それでは9月まで暑さにめげないでお過ごしください。またお会いしましょう。




それでは今日も:

     私達は横田めぐみさん達を取り戻さなければならない!!!




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日蓮と白隠

2012-07-26 13:56:37 | その時々・武漢ウィルス騒動・・・2020

先日夢に日蓮上人が現れました。そしてあれこれお話をしているうちに、なんと日蓮上人は白隠禅師になってしまわれました。夢の中で、『日蓮上人は白隠禅師に生まれ変わられたのか・・・・』と、なんとなく得心しましたが、これは面白いことだと思います。日蓮上人は13世紀にお生まれになって、約400年後17世紀の江戸時代にまた生まれて白隠禅師になられた・・・・・

日蓮宗にはお経の前に必ず(?)唱える『開経偈(かいきょうげ)』なるものがありますが、これは日蓮上人の知りえたことに対する喜びのお言葉だと思います。その中に『・・・願わくば如来の第一義を解せん・・・・』というくだりがあります。
それを読んだ時、ここまでわかっていながら・・・・・?といぶかしく思ったものです。でも日蓮上人は敢えてそう言われた・・・・・ご自分の中に不自由をお感じになったのだと思います。

以前ブログでご紹介したとおり、『如来』なる実態をマクロビオティックの中に見出した私は、日蓮上人が『開経偈』のその中に明かしてなお不明になさったその『如来』なる言葉にこだわりがあったのでしょう。それが夢の中で白隠禅師になったのだと思います。

白隠禅師は短い『延命十句観音経(えんめいじっくかんのんぎょう)』なるお経を作って世の人々の心身の健康に寄与されました。それは『なるようにしてなるべきようになる』観音様の世界で、日蓮上人が『南無妙法蓮華経』と唱えさえすればよいとおっっしゃったのと似ていて、音波と言葉の認識の波動の上に成り立つ人間の暮らし方です。その中に『・・・与仏有因、与仏有縁、仏法僧縁・・・・・・念念従心起、念念不離心』と彼我の『如来』なるものについて示しておられます。

ひどく安堵しました。私は生家が臨済宗、結婚して日蓮宗になりました。その意味もなんとなく自分でつきました。お経というものを身近に感じておられますか。私の父は帰宅するといつも仏壇の前で、この『延命十句観音経』を唱えるのが日課でした。それで子供たちも小さいときから一緒にそらんじたものです。これは簡単ですから子供と唱えるのにちょうどいいお経です。

こういうわけで私はこのごろ、お仏壇の前で『開経偈』『延命十句観音経』というのが普通のルートになりました。




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平戸便り6

2012-07-25 09:31:33 | 教室情報
昨日帰宅しました。九州の豪雨も久方ぶりにやんでいます。実は土中の水の滲み出しがひどくて、地下室が冠水しました。汲み出しようのポンプがヒートアップして壊れてしまいました。我が家はただの水でしたが、土砂に埋もれた方々はどんなにつらいお気持ちでしょうか・・・・・


ところで土曜日はマクロビオティック教室とヒレフリ山教室です。皆様と2ヶ月ぶりにお会いします。楽しみにしています。調理実習のメニューテーマは『餃子』ですが、これはというお奨めがありましたら、お持ちよりいただいて教えてください!!




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コメント (2)
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日よけ暑さよけ

2012-07-18 13:51:26 | Weblog
良いことを考えついたのでご紹介します。お試しください。

今夏物セールの真っ最中!!!お買い物途中に麻100%のうす紫がかったグレーのストールを見つけました。何と半額だったのです。翌日お買い物に行こうとしてひらめきました。このストールを濡らして脱水機にかけ、それを巻いて出かけてみたらどうだろう・・・・・・私のような暮らしをしていると、暑いさなかにどうしてもお買い物に出かける羽目になる・・・・・汗をぬぐいぬぐい吉祥寺も1時間余り毎日歩きまわりました。夏は木綿か麻の服と決めていますが、麻の汗をかいても冷たい感触を思い出しました。

寒さよけのような格好で出かけました。何とこれが涼しいではありませんか。お店では首の周囲に巻いてストールは冷えるけれど、首は冷房よけみたいな感じで冷たくはありません・・・・うまくいきました、うまくいきました。

今日もこれから同じいでたちでお買い物に行きます。熱中症予防に最適です。




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公明選挙が消えた日

2012-07-14 09:40:21 | その時々2

随分ブログをお休みにしましたが、とうとう東京を引き払ったんです。それでとても雑用繁多でパソコンを見たくなかった???という次第です。ご無沙汰いたしました!!ですが突然『公明選挙』が消えた日を思い出しました。それも小沢さんが、『国民の生活が第一』なる民主主義の理念を自分の党だけの固有名詞にしてしまったからです。忘れもしません、『公明』なる選挙の理念を表す言葉が唯一つの政党の固有名詞になってしまった日を・・・・・・

あの時もそんなことが許されるのだろうか???とずいぶん憤慨しました。今度も同じですよね。あの日から日本の選挙に少なくとも存在した公明な選挙はなくなってしまい、今度は政党の理念から『国民の生活を第一に』という心掛けが消えるでしょう。これは私達の大脳の働きによります。理念が即物的認識になるのですから、その理念の心は消えてしまうのが当然です。その証拠に民主党は党の政治理念から『国民の生活が第一』なる項目を外してしまいました???!!!

そもそも選挙を手段とした民主主義なんて、草創期が最高の志に支えられており、段々劣悪化するのは自然の成り行きなんです。私達はその事をよく考えて、選挙を支える国民の精神の向上をその制度に組み込まない限り、最低の政治を作り出すことになるでしょう。私達一人一人の高貴な精神と向上心以外に、選挙を支えるものは見つかりません。彼のイプセンが言ったではありませんか、民主主義を支えるのは心の貴族だって・・・・・このパラドックスを現実にする方法を見つけない限り、私達は選挙に何の希望もありません。それなのに政治家達は選挙を一生懸命追いかけているのです!!!私達は坂道を転げ落ちているのと同じです。

なんだか絶望的になってきましたね・・・・・でもマクロビオティックと出会った者は知っていますよね。それは『食』によって可能でもあり不可能でもある・・・・・そしてそれ以外に方法はない・・・・・西洋ではダビテもイエスもそのことに言及し、ギリシャの哲学者も知っていました。我等が東洋でも昔から食に規制を加えてきました。ホツマツタエによれば天君(あまきみ)はチヨミ草を食し、桜澤先生によれば、朝廷によって日本国民の肉食が禁じられそれが取り消されたとは聞いたことがないそうですよね。仏教でも食の戒律がありました。全て『神の心』・『阿弥陀如来の心』を実現するためです。実はそれが選挙民の心でなければ、『無私』の政治家は選ばれないでしょう。

ところで高校(猶興館)の同級生から一冊の本をもらいました。それはこれまた同級生の中倉広敏さんが出された『無病法』(PHP研究所)という本です。これは16世紀から17世紀を生きたイタリアの貴族の体験的健康法です。そもそも中倉さんはローマ史の研究がテーマで、今回カエサルの『ガリア戦記』を翻訳出版したそうです。私も是非読もうと考えています。その中でローマ兵の頑強さが小麦を主体とした穀物食に支えられているという事実に行きあたったそうです。

その貴族はルイジ・コルナロというヴェネチアの人で102歳まで健康に活動しお昼寝から目覚めなかったという死に方をしたそうです・・・・・何と我等が理想ではありませんか。その人が自分の食べものとして選んだのは16世紀のパンと卵と肉とスープとワインだったそうです。16世紀ですからもちろんどれも自然なものです。パンは素朴なもの、つまり貴族が好んだ上等な白いパンではないと言っています。卵は黄身だけ、肉は少し、そして多分野菜スープも少し、その全量で一日約350グラム、それにワイン(多分赤)を一日に400cc、これが80歳台のコルナロ翁の一日の食事全量(2回分)だそうです。そして御多聞にもれず食事が足りないという外野席の意見で、量を15%強(つまり350gを400gに、ワインを450ccに)増やしたところひどく具合が悪くなって死にかけたのだそうです。

最も素晴らしいのは死の直前まで頭脳は明晰、老年がこれほど素晴らしいとは・・と幸せを喜んで暮らしたそうです。そうですよね、豊かな知識と経験に裏付けられた健康な老年が一番素晴らしいに決まっています。こうしてみると、マクロビオティックの徒にとっても一番大切なのはやはり最後の関門、食の量という問題ですね。そしてあれこれ食べてはならないという規制より、はるかに量の規制が大切になってきます。マクロビオティックを伝えるということが、食べても良い材料を使ってお料理を伝えるということより、マクロビオティックの目的は何か、つまり人生の目的は何かということに眼目をおかなければならないということがはっきりすると思います。

とどのつまり食べ物の種類が決めるものは精神の種類で、本当はその前に量の規制が正しくなされなければ、おそらく結局は何の意味もないのではないかとさえ思うようになりました。精神の種類を支えるものが、量という基礎なのです。生き方の問題です。選挙と結果の問題です。中倉さんの本をどうぞ読んでいただきたいと思います。




それでは今日もまた:

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