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足びきのヨモツヒラサカ

2010-08-24 08:26:31 | 日本語・古事記・歴史・日本人
東京の我が家は井の頭公園に面した、平戸人としては高層マンションの上部ですが、そんな相当の高さまで蚊が上ってきます。そんな蚊を見つけるたびに、蚊の能力のすごさに感嘆しています。井の頭公園の池のボウフラは鯉や亀(?)の餌になっているのでしょうが、食物連鎖の妙と言うべきか、必ず天敵との遭遇をすり抜けて生き残る命があるように仕組まれています。そんな蚊が上ってきたのかと、ひととき感慨にひたるというわけです。その次の瞬間には私が天敵(?)になるのですが・・・・・

とまれそんな蚊の餌食になる時は、必ず私の血が蚊の好物、というより食べるべき食べ物に偏っている時!!私の場合で言えば、果物を食べすぎた時!!これはてきめんです。そして蚊はビールも好きみたい・・・・・!!ビールと言えば、ムカデもビールが好きなのではと思ったことがあります。ビールの飲み残しにムカデがいました。研究のテーマになるかもしれません。そんな人の吐く息や汗のにおいにひかれて蚊は上ってくるらしいのです。まあもっと上階の人々のおこぼれで立ち寄るのかもしれませんが・・・・・・?でも咬まれたということは蚊の餌になったということですから・・・・・・。

とこんな蚊の話がどうしてヨモツヒラサカに関係するのかと言いますと、先日私の本の中でご紹介したイザナギノミコトのくだりに出てきた果物のお話につながっています。イザナギノミコトが飾り物を投げ捨てられると追手のヨモツシコメの好む食べ物が生えてきました。ヨモツシコメが貪り食う時間を稼いでお逃げになります。この葡萄と筍のお話は本にご紹介しました。実はこのおはなしにはもう一つ続きがあります。ヨモツヒラサカに桃の木が生えていたのです。そしてそこになっていた桃の実をイザナギノミコトは投げつけられるのです。そして桃の実が追手を撃退したというのです。イザナギノミコトはお喜びになって、桃の実に名前をくださいます。オホカムツミノミコト・・・・・・。

古事記には桃の実がそんな特別のものとして語られています。私達は桃太郎という童話も知っています。そして私達にはあまり馴染みのないお話かもしれませんが、東洋では『西王母』という女神も桃を手に持っています。桃仁や桃核には薬用があるし・・・・・。

ただイザナギノミコトは桃の実を投げつけられたのです。その実で追手を撃たれたのです。礫のように固かったのだと思います。どちらにしても現代の私達の思う桃ではなかったような気がします。蜜の滴るような桃では貪り食わせる時間稼ぎにはなっても撃退は出来なかったでしょう。その間にヨモツヒラサカに大岩で戸を立てられたのです。そしてここでイザナギノミコトとイザナミノミコトは岩を間に立てて向かい合われます。イザナミノミコトは黄泉の国の大神としてこれから『一日に千人を殺す』と言われます。それに対してイザナギノミコトは『一日に千五百人を生もう』とおっしゃるのです。

これにより日本の国は人口が増えることになって豊かな国になることに決まったのですが、現在は少子化ですね。黄泉の国の大神様、イザナミノミコトの勢力が大きくなってきています。黄泉の国の食べ物を好む人が増えてきているのでしょうか?????そしてもう一つ余談ですが、「足びきの」という枕詞をご存知ですよね。これは山坂にかかる枕詞ですが、その始まりもこのヨモツヒラサカにあるといわれています。イザナギノミコトが追手を振り切って険しい坂を「足を引きずりながら」やっとの思いで逃げられた私達の言語学的な記憶です。それで『足びきの』は山坂にかかるのです。『足びきの』という言葉を聞くと、私達は山坂、ひいてはイザナギノミコトを思い出すようにインプットされています。これは「ホツマ伝え」という伝書にかかれています。
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ここかしこの道連れさん

2010-08-16 23:41:42 | Weblog
今回本を出していただいたおかげで、日本中の『ここかしこ』に道連れさんが出来そうです。読んで下さった方から嬉しい感想をいただいています。そしてきっと『知る』ことに続いて現れてくる『溝』をまたぎ超えてくださるようにと念じています。

それからこの際、私の本を出版して下さった日貿出版社のご紹介をしておきたいと思います。というのも久司先生の御縁でつながった日貿出版社は、本当は芸術的分野に素晴らしい本を数多く出している出版社です。美術や工芸の美しい本がたくさんあります。一度ホームページをご覧になるととても楽しいのではないかと思います。ホームページから出版図書の購入も出来ます。
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靖国神社

2010-08-14 08:54:44 | 父の懐
今週日曜日、主人と靖国神社に参詣しました。何度かご紹介した事がありますが、私の父は陸士56期の生き残りです。昭和20年の8月14日に特攻に出陣するはずでした。そしてたまたま生き残りました。同期のお仲間、先輩方たくさんの方々と「靖国で会おう」との固いお約束を残して、父は生き残り少数派になりました。

それからの父の人生は、価値観のひっくり返った戦後を、亡くなったお仲間たちと思いを交換し合うことで生きたと思います。父の憂国の情は多くの場合世の中に受け入れられなかったけれど、子供達には、特に私には大切な人生の基盤になりました。娘の目にはこの世で最も素晴らしい人に映った父が、こんなに心つつましく市井の片隅で細々と生きている!片時も昔のお仲間の事を忘れない!

故郷平戸ではまだまだ昔気質の人がいて、父に敬意を表して父の活動を許してくれました。でも誰一人として父程の心の叫びを持ちませんでした。持っていたにしても世の中は金権の趨勢に抗うことは出来ませんでした。父は父らしく死んだと思います。憂国の情もだし難く、熱い血を吐いて死にました。娘が最初にもっとも敬愛した人でした。

それで私は父の叫びを心の中に聴き続けています。父が昔朋友とかわしたお約束も生き続けています。

      『靖国で会おう。』

父は生き残りとして死にましたが、ことあるたびに、お仲間の方々と靖国に舞い降りて集っていると思います。私達はその思いの波動を尊重しなければ日本人として生きていけないのだと思います。国民とは過去未来にわたって生きているその国の人々の事であって、顕微鏡のサンプルのような切片ではないのだと思います。今の人だけの都合で何もかも軽々しく変えてはいけないのだと思います。時にはたやすくなくても歯を食いしばって美しい日本の心を守らなければならないと思います。多くの方々が敬愛してやまないご両親や家族、そして背後に続く子孫を守るために死んでいかれた事を思い続けなければなりません。これが歴史を背負った国民のあり様だと思います。

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我が子の如き

2010-08-04 07:50:22 | Weblog
昨日3日、我が子とも言うべき本を手元に届けて頂きました。著者の特権で最初(?)の3冊です。間近に見る表紙はデザイン段階の写真よりずっと落ち着いて穏やかでした。私の本が出版されるなんて、久司先生のおかげです。先生の御本を翻訳させていただいた御縁でつながりました。本当に有難うございます。

3日は姑の命日です。私の1冊を舅姑に供え、1冊を生家の両親に供え、残りの1冊を夫に献上(?)しました。皆様のお目に触れるのは来週だと思います。出版がことのほか嬉しいのは、勿論本が出来るそのことにもありますが、私の小さな活動『ヒレフリ山教室』に参加してくださるメンバーを増やせるのではないかと思うからです。今までなかなか増やせそうにもありませんでした。

『ヒレフリ山教室』は誰もが参加できるのですが、やはり御縁があるかないかが関門です。訳が分からない教室では意味がありませんし、生きることを「行う」ことの意味を探る教室ですから、少し下準備が必要です。それで参加資格というのもおかしいのですが、これまでに私のマクロビオティック教室に1年以上参加して下さった方というラインを引いています。来年からは今回の本を繰り返し読んでくださった方の中でご希望があれば参加していただけると思います。それがことのほか嬉しいのです。
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