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マクロビオティックインスピレーション・随想古事記・日本語と歴史・バベルの塔・日々雑感

ヒレフリ山教室訂正

2011-02-28 18:37:06 | 教室情報
ヒレフリ山メンバーの皆様、一年間お付き合いいただいてありがとうございました。ところでお話しの中に出てきた日蓮上人のお言葉、次のように漢字の訂正をいたします。

     能詮は報身
     所詮は法身(ホッシン)
     色相の文字は・・・・・・

お話した内容は変わりません。それではまた新年度の教室でお目にかかります。それまでご自分のインスピレーションを書き留めて自分で吟味してみてください。



それでは今日も:

     私達はまだ横田めぐみさん達を取り返していない!!
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カマキリの巣

2011-02-27 09:32:59 | 教室情報
昨日の2月26日、今年度のお料理教室とヒレフリ山教室を終えることが出来ました。暖かい一日で本当に幸せでした。ヒレフリ山教室では宿題の好きな歌のご披露にお答えして、私もお約束の『遠足』の歌もご披露しました。どうもありがとうございました。来年度は4月から始めます。4月23日、5、6、9、10、11月の最終土曜日の予定です。1、2月は予備月といたします。予定がおありでしょうから早めにご連絡しておきます。何しろ平戸は遠いですものね!

平戸には会員制のバスがあって、年会費3000円位で一年間無料(予約連絡が必要)の福岡往復バスがあります。福岡を朝の便で出ると教室にぎりぎり間に合いますので、それを利用して来てくださる方もいらっしゃいます。マクロビオティックとは無関係に、これから平戸は春の美味しい季節、お泊りがけで平戸探訪にお出かけください!(ちょっと平戸の宣伝をさせていただきました!)

ところで平戸の自宅のドウダンツツジの新芽の脇に、カマキリの巣を二つ見つけました。 あの小さな薄緑色のカマキリの赤ん坊(緑ん坊?)が大勢出てくるかと思うと、心うれしくなりました。カマキリの子って本当に可愛いのです。大人になって大きくなるとあの鎌の剣幕に押されて触れませんが、子カマキリは手のひらに乗せても大丈夫、とても柔らかで繊細です。間もなくです。ドウダンツツジも新芽の緑を吹き出すでしょう。楽しみです!!


そして今朝も希望を込めて:

     私達は横田めぐみさん達を取り戻すことが出来るだろうか!!!
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アメリカの食事情

2011-02-14 13:24:51 | マクロビオティック
先刻ちょっとつけたテレビ(NHK衛星)で、畜産などについて放送していました。それによると『大規模農場でトウモロコシの生産を行うようになり、肉牛などの飼料の基本がトウモロコシになった。すると繊維質の草を反芻するように進化している牛の消化器がアシドーシスを起こすようになり牛が死んでしまう。それを予防するために薬剤が使用される。そんな牛肉を人間は大量に食べている・・・・・・』とこういった内容でした。

短時間見ただけなので詳細は分かりませんが、アメリカのトウモロコシ事情のようでした。それによると、コーンスターチの摂取量もものすごいのだとか・・・・・。清涼飲料水の甘みはコーンスターチ(トウモロコシのでんぷん)がほとんどだとか。コーンスターチの取り過ぎは発酵しているようなすえたような体臭を生みだします。これが内臓や筋肉に貯蔵された脂肪で起こっているのでしょうね。アシドーシスって要するに結果として腐りかけているわけです。

食べるということは最も自然な行動の一つですから、食べ物が不自然になったら当然不自然な体になる以外ありませんよね。自然の摂理は恐ろしいものです。気がつかないということは、自然界では許されない事なのです。桜澤先生が最初『MI』を設立されましたよね。現在の日本CI協会ですね。『MI』って『Maison Ignoramus』の頭文字ですよね。『無知なるものの家』、あるいは『愚かなるものの家』と訳されていますよね。久司先生の御本でも『無知』の英語には『Ignore』を当てておられました。

私にその先生のお言葉に補足を加えさせていただくとすると、それは『不断にあるもの、つまり自然の摂理、そしてつまり宇宙の秩序に気がつかない者に気付かせるための家』という意味なのです。『ignore』という単語は普通は『無視する』という意味だとされています。知らずに無視する、つまり在るものが見えない・・・・・そして在りもしないものを在ると思う・・・・・人間の不幸はここに始まると思います。桜澤先生や久司先生、古くは釈迦や孔子やキリストの言葉をよく考えると、私たちは皆行きつくべき答えに行きつくと思います。


それでは今日も:

     私達は横田めぐみさん達をまだ取り返していない!!
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建国のおはなし

2011-02-12 08:33:11 | 父の懐
昨日は雪の建国記念日でした。この国民の祝日は、明治になって遠い昔の言い伝えの日を割り出して制定されたものです。昭和20年の敗戦後はアメリカ合衆国の占領政策により、主権を回復した後は日本人のアイデンティティの喪失の後遺症により、何か後ろめたい、進歩的ではないという祝日にされてしまいました。それを戦後60年余ずっと引きずってうやむやの中敗戦の“かせ”を知らない若者達は“進歩的”な教育により育てられ、口を閉ざした老人は人生を終え、国民一色何とはない休日へと性格を変えています。それでも不遜な政府が土日とくっつけて連休に出来ないのは、この祝日が2月11日という、限定的な性格のものだからです。

私は戦後間もない昭和24年に生まれました。戦後教育の環境にありましたが、なにしろこの世で最も敬愛したのは父親でしたから、かなり中和されて政治的な影響を受けることはありませんでした。父は幼年学校から陸軍士官学校を出、敗戦直前の特攻出撃予定時には陸軍大尉でした。私は『大尉の娘』というところです。そういう学校は国防という最も現実的な性格を帯びていましたから、当時の学校の中では最もドライな、理念的ではないつまり絵に描いたぼた餅ではない教育を父達は受けたと思います。父は記紀のおかしな所もおかしな所として教えてくれました。現在の日本の理念は『平和』ですが、教育現場は非現実的です。なぜかというと『平和』が与えられるべきものであって、みんなが守るものとして教えられないからです。守るためにはどうするのかという思考を抜きに理念として植えつけられるからです。

父は子供達にこの世の矛盾というものを教えたと思います。それを埋め合わせるものが、思い合いと譲り合う心だと教えたと思います。今でもよく思い出すのはちょっとした言葉づかいです。父は言いました。『朝鮮の人といいなさい。社会から朝鮮人という言葉に残る見下しのニュアンスが消えるまで。』私達にとって『日本人』と同列に並ぶべき言葉『朝鮮人』、私達が『日の本』と誇る『日本』、朝鮮の人は『朝日の鮮やかな』国『朝鮮』なんでしょうね。でも言葉というものには歴史という感情が含まれます。五族協和と言いながら、日本人は日本の優越を信じたかったんでしょうね。でも人間の出自を問題にしてはいけないと教えられました。どこの国にも立派な人とそうでない人がいる。立派な人はそうでない人が悪い心を起こさないようにその社会を作る。悪い人が少ない国が立派な人が多い国、つまり立派な国だと。

その遠い昔の2月11日、大和の国を建てられた(とされる)神武天皇は、国の理想を五族協和、つまりみんなの平和を『八紘一宇』という理念に込められました。『一つの家のようにしたい』と宣言されたのです。これを否定するのはやはり言葉を客観的に見ていない証拠だと思います。確かに国を建てるには武力をもってしたと思います。しかしそれは現代の世界情勢を見ても、一歩も進んではいません。現代社会でも武力で平和を守る以外、決定的な方法を見出せずにいるのです。日本書紀の編纂は時代を下って7、8世紀のことですから、当時の大和朝廷の理念かもしれません。それでもこれは建国理念として人類の最高傑作だと思います。イタリアの人々は自分達の建国を紀元前8世紀のロムルス・レムルスのローマに置いて、自分たちがトロイのエレンの子孫だと信じています。それでいいのだと思います。

父は子ども達とこの日には、紀元節の歌を合唱しました。『雲にそびゆる高千穂の・・・・・・・』そうして私たち兄弟は高千穂に降りて来られた神話を聞いたのです。こういう民族の物語は誇りの心を生みだすと思います。誇りは人生を律する大切で最も有効な規範だと思います。そして誇りを驕りに変えないのが教育だと思います。非常事態を過ぎると自然に湧きあがってくる驕りに対する戒めが『身の程を知る』という日本人の持ってきたつつましさでした。そのブレーキが利かなくなると破滅の危機ですが、大切に子孫を育て上げることが歴史の継承で、本来それ以外に人生の目的は無いのだと思います。怖れをもって人生を全うしたいと思います。


それでは今日も:

     私達は横田めぐみさん達を取り戻すことが出来るだろうか!!!
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霞か雲か

2011-02-07 08:31:01 | 季節・週末散歩

東京は相変わらずよいお天気で暖かいのですが、節分を境に富士山がかすんで見えなくなりました。『霞か雲か』は桜の花の形容ですが、こんな大気を形容するのにも合っているような気がします。空気の透明度というか、透析度というか、空気の性質がほんわりと変わってきているのですね。富士山を毎朝拝めないのは残念ですが、和やかな季節は嬉しい!!というちぐはぐな感情です。これから時々しか見えない富士山のありがたさが毎朝の楽しみです。



希望を込めて:今日私達は横田めぐみさん達を取り戻すことが出来るだろうか!!

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霊峰富士

2011-02-01 18:19:20 | 季節・週末散歩

2月になりました。間もなく立春です。今年のお正月は九州から東北までの日本海側と北日本で大雪の毎日、そこに住んでおられる方のご苦労は他人事ではありません。宮城県にいる長男の通勤の安全が心配事です。まだまだ続いていますが、立春の風が変化を連れて来てくれるよう祈っています。

それとは裏腹に関東は毎日晴れ続きで、今日はずいぶんと温かい一日でした。雪のニュースを見聞きするたびに気後れして記事に出来ませんでしたが、吉祥寺の住まいから遠くに望む雪をかぶった富士山の美しい姿に毎日幸せを感じています。まさしく霊峰富士です。毎朝眺める富士山は朝日で薄赤く染まっており、夕方の富士山は夕焼けにくっきりとしたシルエットです。これは平戸にいるときには思ってもみなかった幸せです。富士山って本当に素晴らしいと思います。見るものの心を清らかにしてしまいます。

私達日本人の誇りと憧れである富士山、あんな風になれたらいいですね。そこにあるだけで誰しもが心清らかになれるのですから。東京にいる間に美しい富士山を心に刻みたいと思います。



それでは今日も:
 
     私達は横田めぐみさん達を取り戻すことが出来なかった!!

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