inspiration-macrobiotique・随想古事記

マクロビオティックインスピレーション・随想古事記・日本語と歴史・バベルの塔・日々雑感

食事

2008-10-28 11:28:16 | マクロビオティック
このところの雨ですっかり肌寒くなって来ました.実家の「とんご柿」が一つもないというのを知った方々から、私の秋の風物詩であるとんご柿を頂きました.これで今年の秋も暮れようというものです.しばらく記事を書かずにいましたが、孫の七五三の準備をしていました.私の大昔の羽織を呉服屋さんに孫娘の晴れ着に仕立てなおしてもらいました.木綿の肌着がないというので手作りにして可愛い半襟をかけました.布地の残りで髪飾りのリボンと下げ袋を作りました.久方に手作りの楽しみを味わいました.

ところで今朝のみのもんたさんの口上を聞いていての感想です.『妊婦が安心して子供を産めないのは国の責任だ、行政の責任だ.』まあそれはそうなんです.システムを整えるのは文明社会の行政の仕事です.でもいつもそうやって国の責任だ、行政の責任だというのを聞くと空しい気持ちになってしまいます.あえて誰かの責任というなら、食の意味を忘れた国と国民の責任です.食を食品業界という経済市場に解放した人間の責任です.食の意味を教育しない国と広報しないマスコミの責任です.みんな忘れてしまったのです.『無知』が罪になるというのはこういうことだと思います.お気の毒な妊婦さんがマクロビオティックに少しでも御縁があったらと思います.司法関係と思われる女の人が、法律上の問題になるだろうと言及していましたが、一体誰を裁くというのでしょう.無知なる国民が無知なる行政を裁いて、結局無知なる己を裁くことになっているのです.どんどん社会は悪くなっていくに違いありません.空を見上げても、北極星を計る物差しを知らないのと同じですから.

マクロビオティックは『食』という事実とその意味を真正面にとらえた道です.『食』は変化するものという私達の宇宙の唯一の変化の方法です.宇宙は食によって変化しています.差があるところ、差を食して平均化するのです.人間の尺度では感知しないような勾配でも水は流れます.それと同じでこの宇宙がある限り永遠に続くのです.この法則が通用しないのはただ一つ、この相対世界(陰陽のある世界)を生み出した元の絶対世界だけです.その世界を無限、不可思議と言っているのです.無限は不可思議なんです.思議すべからず・・・・・つまり思議することが出来ない.それでも思うことは出来るんです.思うことは無限の働きですから.でも思議は出来ません.思議とはこういうものだと説明することなんです.無限というのは差がない世界なので、区別して説明することは出来ないのです.このお話をブログでしても不毛なので、この辺で止めて本題に戻ります.

『食とはどういうことか』、お考えになったことがおありですか.これは久司先生が以前私たちに宿題としてお出しになったことがあります.そのまま先生はお忘れになって、私達生徒に提出をお命じになったことはありません.でも私はその宿題のレポートを書こうとしたことによって、こうやってブログや教室でお話をすることが出来るようになりました.とどのつまり『食す』ということは『一体になる』ということなんです.始め同じ無限だったものが別々になって現れていて、それが出くわして引き合って一つになる、或いは新しい別のものになることなんです.その出会い方引き合い方を説明したのが、『陽は陰をひきつけ、陰は陽をひきつける.』『大陽は小陽を、大陰は小陰をひきつける.』という桜沢先生の変化の法則の二文です.

最初の文は、陰陽ほどに大きく違う性質のものが一つになって、陰陽のどちらか大きい方(食べた側)の性質になることを説明しています.陰陽間の引き合い方は否応なしで平均されます.第二の文は同じ性質のものは同じ傾向を持っているので、巻き込まれてしまってより大きな一つのものになるという意味です.異種の差と同種の差の引き合い方です.私達の現代の食事で言えば、肉を食べればアルコールやデザートが欲しくなり、一方でどんどんエスカレートしていくという次第です.そして極端になってまたその性質を転換するのです.つまりもう一つの変化の法則『陰陽はその究極で、陰は陽を生み陽は陰を生む.』私達の人体というある一定の陰陽の範囲で働いているシステムでは陰陽を超えて無限に変化し続けることは出来ません.病気になったり死を迎えたりします.病気になるのは病巣を排除して陰陽度を戻しシステムを維持しようとすることですし、死ぬことは今のシステムを見限り元の土に戻って新たな生命に生まれ変わろうとすることです.

動物の世界では病気が経過して死ぬということはあまりありません.病気になったら、肉食獣の餌になります.大群のヌーの中で狙われるのは、弱い一人前ではない個体です.つまり病気の個体か子供です.人間も含めてたまたま病気が経過する場合は生きたまま微生物の餌食となり、回復できなくなった場合は死んで屍を微生物に委ねて土に還るのです.動物の健康は、病気の無い成獣のことです.テレビの番組で草食獣が肉食獣に餌食になるのを、いえライオンの子殺しでさへ『自然の掟・・・・』と普通に言っています.いつから人間は自然界からはみ出してしまったのでしょうか.いつから独り人間のみに自然の掟を適用しなくなったのでしょうか.人間の社会は一体何処にあるのでしょうか.

明治までは少なくとも私達は食べ物の上に生きていました.そう思っていたと思います.社会の仕組みはお米の生産量の上に成り立っていました.「明日のお米が無い.」とは言っても、「明日のお金が無い.」とは言いませんでした.でも今では違います.私達はお金の上に生きています.食べ物はお金で買う物になりました.なるだけ安く買わねばなりません.或いはなるだけたくさん売らねばなりません.はたまたなるだけ手間を少なくしなければなりません.それが経済というものです.お金とはよく考えていないと、人間を自然から逸脱させるものだと思います.交換の物差しであったものが、交換の目的となり人間はその奴隷となったのです.人間社会の血液となったお金を抜き去ることはもう出来ません.

私達が健全になる方法は、ただ一つ私達の生命の真実を知ることです.私達の『食とは何か』を知り、何を食べるべきか、何を食べてもよいかを心得ることです.『食事』とは『食につかえまつる事』です.始めにお話したように食とは無限より受け継いだ変化の働きです.無限を私達は源(カミ)と呼び、その働きのことを神と呼んでいるのです.食事をするということは、神事を行っているのと同じで、マクロビオティックは『神につかえまつる道』でもあると思います.ですから本当の神に仕えるということは、身体の働きをよく知ることから始まります.身体の働きを滞りなく働かせる食べ物を知ることから始まります.食べ物は神様へのお供えであり、神様(身体の働き)が嫌われる食べ物をお供えするべきではありません.
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

望診法

2008-10-13 16:13:50 | 出版記事
久司先生の新刊『顔でもわかる健康チェック』を読んで下さった方の感想を聞きました.その主旨は『これを信じたら、自分は辛すぎるから、読むだけで本気にしない』というものでした.なるほど.なるほど・・・・・そうですよね.自己否定はよくありません.


皆さんはどう読んでおられるのでしょうか.幸い完璧な人相だったとします.その方は何の問題も抱えておられないでしょうか?不幸にも最悪の人相だったとしましょう.その方には何の良い事も無いでしょうか?現実は『さにあらず、さにあらず!!』ですよね.これは一体どういうことでしょうか.最もその前に完璧な人相も最悪の人相も殆んどありえませんけれど.

たとえば私は福耳ではありません.豊かな耳たぶには恵まれていません.夫は相当良い耳をしています.(それで悪食にも耐えられる・・・・・????)実の母は福耳を持っていました.でも敬愛して止まぬ父は耳たぶの無い貧相な耳でした.私は父の耳に似たというわけです.弟たちは母に似て福耳を持っています.私と年子の弟に、母の食事がどのように影響したのかと思います.母がどんなに敗戦直後の貧しい食生活だったのか想像に余りあるものがあります.

父は公職追放の身ですから、農業をしていました.お米は作っていましたし、おイモもありました.自家用の季節の野菜も作っていたと思います.二毛作ですから麦も作っていました.幾ばくかの増収をと、祖父と父は鶏も飼って卵を売ることになりました.雛が初めて来た日には、寒さよけの電灯を低くつけた玄関が、ピヨピヨと黄色い50羽ばかりの可愛い雛で溢れました.庭に広い運動場つきの鶏小屋が出来たのを覚えています.運動場にはオンドリ用に高い止まり木があって、飛び出ないように金網でぐるりと囲ってありました.鶏小屋が大騒ぎの時は青大将が卵を取りにやって来たときです.餌をやろうとして雄鶏からつつかれて痛かったのを覚えています.そうやって羊を一頭買いました.着るものが無いので羊を飼って毛を刈り、私達のセーターを編んでくれました.覚えているのは薄い小豆色に黄色い猫を胸のところに編みこんだセーターです.弟はどんなのだったのか覚えていません.丸裸にされた羊はよく覚えています.どんなに涼しかっただろうと、すっかり貧相(?)になった羊のことを思い出します.

まあそんな風で母の妊娠時代は日本国中どこも豊かだったとはいえません.でも私には耳たぶが無い!!そして我が子はとみれば、娘たちは私に似ており、スソ息子は豊かな耳たぶをもっています.一月早産をしてしまった上の息子には耳たぶが無い・・・・(遺伝を考えなければ、耳たぶは妊娠最後の一月に正しい食事をした証しかもしれません.)つまり私たちは父と母の遺伝体質をつぎはぎに持っているというわけです.遺伝には古い遺伝と新しい遺伝があると思います.古い遺伝は父母を含めた祖先から、新しい遺伝は母の食生活からというわけです.そうやって遺伝は積み重なっていったのだと思います.

良くない人相だからといって、私たちが悪い人間かと言うと、それは決まっていません.皆様ご存知の江戸時代の観相学の大家、水野南北先生は稀に見るほどの悪相だったそうですが、その悪相、つまり悪運を大転換する方法を食に見出されたのです.南北先生は自分の悪相にただ悲嘆したのではありません.自分を責めたのでもありません.自分の現状を徹底的に認識したのだと思います.そして自分に宿った最良の魂を持って、自分の開運に邁進したのだと思います.そうして自分の観相学を完成させたのです.そして偉大なことは開運(つまりは人相の改善)の方法まで提示したことです.水野南北の“マクロビオティック”です.

唇などの粘膜ややわらかい陰性のものは、その厚みなど食事ですぐに変えられます.開口部の大きさも、その周囲の変化で変わりえます.人間の顔など、目などの造作が一ミリもない位大きかったり離れたりで、美人になったり不美人になったりします.心のもち方も変わって来ますし・・・・耳たぶや爪のように長年の内に少しは変化するものもあります.マクロビオティックを実践してみるとみんなすっきりとしてきます.肌など驚くほど違いますよね.骨格など硬い陽性のものは、私達の自分の人生で変えることは難しいでしょう.背は高くはなりません.でもつき方などの付属的なものは変えられるかもしれません.歯並びなどは歯茎の変化で多少変わっていきます.さて変えられないものをどうするか・・・・?これは悩むべきではありません.受け入れるべきです.先祖の愛だと思ってください.与えられた条件でどのように美しい雰囲気を醸し出すかが、マクロビオティックの腕の見せ所と思ってください.そして良い新しい遺伝形質を積み重ねていくのが私達今を生きている人間の仕事です.

ちなみに耳たぶのない人、女の人には救いがあります!!!福耳は財産のシンボルでもあります.女はただでさへ現実思考なのです.目の前にいる我が子を置いて、遠い理想を語ることはありません.だから欲張りなんです.それで耳たぶのある女は欲が深すぎるということになります.耳たぶのない女は欲が無く慎み深いのです.福耳を持っている女の方は、そんなことには耳を貸さないで善相だと信じてください.男で耳たぶの無い人は、富貴に目もくれず理想に邁進する人かもしれません.精神性の高い人で地上の夢を捨てたのかもしれません.福耳の女の人を妻にして下さい.

望診法の本を肯定的に建設的に使っていただきたいと思います.身体という形に表れたものには変えることが出来ないものもたくさんありますが、形にする前の見えない力の形は確実に変わっています.それで変わりやすいものから徐々に変わっていきます.エネルギーそのものである考えなどはすぐに変わっていきます.未知の世界を知ることにもなります.ご一緒にマクロビオティックの道を行じていきたいと思います.

コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ぬかどこ

2008-10-09 00:39:31 | 出版記事
農業をやっている従弟が農業に使う微生物を活かして作ったという“ぬかどこ”を持ってきてくれました.開けてみると麹のような甘い何とも言えないにおいがします.そしてぬか漬けに手ごろな大きさのナスを一緒に持ってきてくれました.

マクロビオティックを知ってからあんまり使わなくなったナスですが、それでも長年日本人が愛してきたナスです.一富士、二鷹、三なすび???初夢の縁起物にまでなっています.トマトやピーマンは普及が明治以後ですが、ナスは日本人の食卓にいつ頃からあったんでしょうか.私はナスが大好きでした.色もきれいだし・・・・、形も面白いし・・・・・、幼い日母が語った〈茄子紺〉という単語に惹かれたのかもしれません.それにそれに今年は特に葉物が無くて、ナスしかないような日がありました.先日娘の所に行って分かったのは、東京には9月にもオーガニックの葉物も蕪までも何でもあるということです.東京ではどんなメニューも簡単です.でも田舎(平戸方面)では、毎日同じものばかり、やっと10月になって間引き菜がちらほらという状況です.安全野菜は弟や従弟達がくれる茄子しかありません!

私には母の味の〈アチャラ漬け〉も懐かしい.焼き茄子のあの芳醇なジュース(?)は特筆すべきだし・・・・それに何よりも茄子のぬか漬けが好きだったんです.特にへたの近くの首の部分が.でも茄子はなかなか上手には漬かりません.きゅうりのように簡単ではありません.それなのに従弟が言うにはその微生物とやらのおかげでナスも簡単に美味しく漬かるというのです!!!

半信半疑ながら非常に期待してやってみました.時間をおいて取り出せるよう3本漬けてみました.明くる朝1本を出してみると、何と良さそうな感じです.味見をしてみると、なるほど自慢もしようというものです.美味しく漬かっているではありませんか.漬かり過ぎないようにお昼には残りも出してしまいました.それから人参を漬けてみたり、キャベツを漬けてみたり、どれも上首尾、ぬかどこも臭くありません.ただ茄子はしっかり塩で揉まないとうまく漬かりません.

マクロビオティックの訓練は陰陽を上手に扱って自由になることだそうです.夏の終わりから貰う物はナスばかりでしたがまもなく終わります.さればされば、うまく茄子をお料理しましょう.と言うわけで皆におすそ分けして、あんまり食べすぎないように気をつけて・・・・・切り抜けるしかありません.お醤油やお味噌と相性抜群です.今日のお昼はぬか漬け茄子のチャーハンにしてみました.これがまた乙な味でしたよ.

今日は弟から大根の間引き菜と栗を貰いました.残念ながら今年は父の思い出のとんご柿は無いのだそうです.でも10センチくらいの間引き菜は、父が『小菜の汁』と言って、何が無くてもこれさへあればと、戦後の食糧難の時期に楽しみにしていた味です.根っこも柔らかく美味しいのです.もやしも髭根を取るととてもきれいですが、味が物足りなくなります.根のまま食べられる小菜の汁は本当に美味しいと思います.栗は当たり年だそうです.栗ご飯が楽しみです.

大昔の人たちは栗をどうやって食べたのでしょうか.椎の実は生でも食べられると思います.私も食べたことがあります.でもマテやどんぐり、栗は渋皮のえぐみがきつくて、生では食べにくい??煮ても渋皮はきついですよね.石の包丁で向くのも大変だったでしょう.なかなかたくさんは食べられそうにもありません.やっぱりイネ科の種子(穀類)は食べやすかったんだろうと思います.それに『桃栗三年柿八年』と比べてすぐに実りがあります.こぼれた種から芽が出て収穫できた時の喜びはどんなだったのでしょうか.農耕への道はやはり人間の辿るべき運命(?)だったのだろうと思います.

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

姑の着物

2008-10-05 13:55:44 | 和服について
今日は夫は朝から福岡での講演会を聴きに出かけました.のんびりとした雨の日曜日です.それで先月手元に戻ってきた姑の形見の着物に手を通すことにしました.洗い張りに出したまま呉服屋さんの手違いで7年余りも行方知れずになっていた着物です.もう諦めていましたが、それがまた帰って来ました.心ほのぼのと嬉しく、手を通すのを楽しみにしていましたので、チャンス到来!!とばかりに・・・・・

でも頭の中で考えていた長襦袢は半襟がかかっていませんでした.半襟をかけている間に来客でもあれば目も当てられません.仕方ない!袖丈が5分足りないけれど、もう一つのに・・・・と着てしまいました.私は袖の振りから何となくたゆたっている長襦袢の袖が見えるのが好きなんです.それでいつも長襦袢の袖丈のほうが心持ち長いんです.特に羽織の袖がそうなんですけれど、近頃は羽織を重ねることも少なくなってしまいました.でも背に腹は代えられない・・・・・ちょっと短めにぴったり落ち着いた袖の振りだけれどいいことにしましょう.

袖丈の短い長襦袢は、実の母の形見用に作りました.実の母は背丈が低かったので袖丈が短いのです.二人の形見に囲まれて、それから普段着用は袖丈を短く、外出用は以前のようにと、2種類で着分けることにしました.それでまあ何とか来客や宅急便さんの来る前に落ち着きました.久しぶりに手を通した大島の薄いシャリ感に心地良さを感じ、半幅帯ながら背筋を伸ばす効果にこれまた気持ちよさを感じています.

新聞をとりに診療所の玄関まで下りていきましたら、折りしも通りかかった軽トラックの運転をしておられた方から物珍しそうに眺められました.和服を着るということがそれほどに普通でなくなったんですね.日本人の民族衣装です.それも世界で1,2を争うほどに美しい民族衣装だと思います.日本人の美意識を映して余りある芸術だと思います.私もまもなく満60歳を迎えます.これを機にもう少し和服のある暮らしを楽しみたいと思っています.これから長襦袢に半襟を掛けておきましょう.そうしたらいつでも好きなのを選ぶことができますから.家の中にまで漂ってきた金木犀の香りを楽しみながら、針仕事をするというのも久しくなかった優雅の午後です.夫の家出(?)が楽しいです????

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今年もまた

2008-10-04 23:45:37 | 季節・週末散歩

花の香の季節がやって来ました.まだ蕾が固く色も薄くひっそりとした風情ですが、その香は風に運ばれて遠くまで届いて、「ああ今年もまたその季節が巡ってきたのだなあ」としみじみ思います.木犀が咲き始めました.まだまだ黄緑がかった白い薄い黄色の蕾をつけています.我が家のシンボルのような金木犀は、姑の父が昭和28年に苗を植えたものです.何となく日立の宣伝、「その木何の木気になる木・・・・」に似た大きな木になりました.香りは誰に対するメッセージなのでしょうか.しばらくすると黄金色の花をびっしりと咲かせて、そして黄金色の絨毯を敷き詰めたようになるでしょう.

紫蘇の穂の収穫を終えて、紫蘇の実の塩漬けを作りました.薫り高い紫蘇の実をしごくと、指先は灰汁で真っ黒に染まります.この紫蘇の実の塩漬けは、ご飯によし、パスタによし、野菜の炒め物によし・・・・と色々に楽しめます.でもかご一杯摘んで瓶詰め2本というところでしょうか.娘夫婦にも送りました.紫蘇の穂を摘んでいたら、ありが紫蘇の種を集めにもう登っていました.蟻はたいしたものですね.ちゃんと美味しい種のあるところを知っています.

もうしばらくするとまた来年のために種をたくさん地に落として枯れてしまいます.蟻もまた忙しく立ち働くことでしょう.そして蟻の残した種が来春また芽を出し青々と茂ります.私たちもその繰り返しを愛でて、一日一日をつむぐように暮らしていく・・・・自然の彩りの中に暮らしていけることを幸せに思います.成人して都会に住む子供達に秋の便りを届けるのも、母の楽しみの一つです.私の伯母は紫蘇の穂を味噌漬にしていました.味醂で甘くした練り味噌を作り紫蘇の穂にまぶしつけるのです.伯母は唐辛子を少し加えて伯父や従兄弟のおつまみにしていました.歯でしごいて食べるのも楽しかったことを覚えています.

今度のマクロビオティック教室では、この紫蘇の実を炊き上がったご飯に混ぜてお味見をして頂く予定です.


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする