ところで今朝のみのもんたさんの口上を聞いていての感想です.『妊婦が安心して子供を産めないのは国の責任だ、行政の責任だ.』まあそれはそうなんです.システムを整えるのは文明社会の行政の仕事です.でもいつもそうやって国の責任だ、行政の責任だというのを聞くと空しい気持ちになってしまいます.あえて誰かの責任というなら、食の意味を忘れた国と国民の責任です.食を食品業界という経済市場に解放した人間の責任です.食の意味を教育しない国と広報しないマスコミの責任です.みんな忘れてしまったのです.『無知』が罪になるというのはこういうことだと思います.お気の毒な妊婦さんがマクロビオティックに少しでも御縁があったらと思います.司法関係と思われる女の人が、法律上の問題になるだろうと言及していましたが、一体誰を裁くというのでしょう.無知なる国民が無知なる行政を裁いて、結局無知なる己を裁くことになっているのです.どんどん社会は悪くなっていくに違いありません.空を見上げても、北極星を計る物差しを知らないのと同じですから.
マクロビオティックは『食』という事実とその意味を真正面にとらえた道です.『食』は変化するものという私達の宇宙の唯一の変化の方法です.宇宙は食によって変化しています.差があるところ、差を食して平均化するのです.人間の尺度では感知しないような勾配でも水は流れます.それと同じでこの宇宙がある限り永遠に続くのです.この法則が通用しないのはただ一つ、この相対世界(陰陽のある世界)を生み出した元の絶対世界だけです.その世界を無限、不可思議と言っているのです.無限は不可思議なんです.思議すべからず・・・・・つまり思議することが出来ない.それでも思うことは出来るんです.思うことは無限の働きですから.でも思議は出来ません.思議とはこういうものだと説明することなんです.無限というのは差がない世界なので、区別して説明することは出来ないのです.このお話をブログでしても不毛なので、この辺で止めて本題に戻ります.
『食とはどういうことか』、お考えになったことがおありですか.これは久司先生が以前私たちに宿題としてお出しになったことがあります.そのまま先生はお忘れになって、私達生徒に提出をお命じになったことはありません.でも私はその宿題のレポートを書こうとしたことによって、こうやってブログや教室でお話をすることが出来るようになりました.とどのつまり『食す』ということは『一体になる』ということなんです.始め同じ無限だったものが別々になって現れていて、それが出くわして引き合って一つになる、或いは新しい別のものになることなんです.その出会い方引き合い方を説明したのが、『陽は陰をひきつけ、陰は陽をひきつける.』『大陽は小陽を、大陰は小陰をひきつける.』という桜沢先生の変化の法則の二文です.
最初の文は、陰陽ほどに大きく違う性質のものが一つになって、陰陽のどちらか大きい方(食べた側)の性質になることを説明しています.陰陽間の引き合い方は否応なしで平均されます.第二の文は同じ性質のものは同じ傾向を持っているので、巻き込まれてしまってより大きな一つのものになるという意味です.異種の差と同種の差の引き合い方です.私達の現代の食事で言えば、肉を食べればアルコールやデザートが欲しくなり、一方でどんどんエスカレートしていくという次第です.そして極端になってまたその性質を転換するのです.つまりもう一つの変化の法則『陰陽はその究極で、陰は陽を生み陽は陰を生む.』私達の人体というある一定の陰陽の範囲で働いているシステムでは陰陽を超えて無限に変化し続けることは出来ません.病気になったり死を迎えたりします.病気になるのは病巣を排除して陰陽度を戻しシステムを維持しようとすることですし、死ぬことは今のシステムを見限り元の土に戻って新たな生命に生まれ変わろうとすることです.
動物の世界では病気が経過して死ぬということはあまりありません.病気になったら、肉食獣の餌になります.大群のヌーの中で狙われるのは、弱い一人前ではない個体です.つまり病気の個体か子供です.人間も含めてたまたま病気が経過する場合は生きたまま微生物の餌食となり、回復できなくなった場合は死んで屍を微生物に委ねて土に還るのです.動物の健康は、病気の無い成獣のことです.テレビの番組で草食獣が肉食獣に餌食になるのを、いえライオンの子殺しでさへ『自然の掟・・・・』と普通に言っています.いつから人間は自然界からはみ出してしまったのでしょうか.いつから独り人間のみに自然の掟を適用しなくなったのでしょうか.人間の社会は一体何処にあるのでしょうか.
明治までは少なくとも私達は食べ物の上に生きていました.そう思っていたと思います.社会の仕組みはお米の生産量の上に成り立っていました.「明日のお米が無い.」とは言っても、「明日のお金が無い.」とは言いませんでした.でも今では違います.私達はお金の上に生きています.食べ物はお金で買う物になりました.なるだけ安く買わねばなりません.或いはなるだけたくさん売らねばなりません.はたまたなるだけ手間を少なくしなければなりません.それが経済というものです.お金とはよく考えていないと、人間を自然から逸脱させるものだと思います.交換の物差しであったものが、交換の目的となり人間はその奴隷となったのです.人間社会の血液となったお金を抜き去ることはもう出来ません.
私達が健全になる方法は、ただ一つ私達の生命の真実を知ることです.私達の『食とは何か』を知り、何を食べるべきか、何を食べてもよいかを心得ることです.『食事』とは『食につかえまつる事』です.始めにお話したように食とは無限より受け継いだ変化の働きです.無限を私達は源(カミ)と呼び、その働きのことを神と呼んでいるのです.食事をするということは、神事を行っているのと同じで、マクロビオティックは『神につかえまつる道』でもあると思います.ですから本当の神に仕えるということは、身体の働きをよく知ることから始まります.身体の働きを滞りなく働かせる食べ物を知ることから始まります.食べ物は神様へのお供えであり、神様(身体の働き)が嫌われる食べ物をお供えするべきではありません.