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マクロビオティックインスピレーション・随想古事記・日本語と歴史・バベルの塔・日々雑感

しょうゆ麹納豆

2012-09-24 13:12:22 | マクロビオティック
この前しょうゆ麹についてあまり利用価値が見つからない趣旨の記事を書きましたが、ちょっと書きとめておきたいものに出くわしました。それは納豆をお醤油と刻みネギで食べるのではなく、しょうゆ麹と刻みネギで食べるというものです。これがちょっと思わせぶりな味です。粒でもひき割りでもうまくいきます。お試しいただく価値はあります。

そもそも糸引き納豆って我ら九州人にはあまり伝統的な味ではありません。久司先生も『人類は納豆を好きな人種と好きでない人種とに分かれる(?)』とふざけておっしゃっています。私が就学前父の勤務地が浜松(浜納豆が有名でした)だった頃、子供達を納豆にならすために父はお砂糖を混ぜて甘い納豆を作りました。大きくなるとお醤油にネギと辛子の一般的な味になりましたが、昔の九州人にとって納豆とはそんなものだったのではないかと思います。

長崎に住んでいた頃、私は3人の子供を抱えて『てんてこ舞い』でした。あまり日常を思い出せないほど過密スケジュールをこなしていました。そんな時代助けてくれた“トヨミさん”という若い時間制のお手伝いさんがいました。ご近所の方から『どなたですか?』と聞かれるたびに面倒だったので『妹です』と答えていた、本当に妹のようだった“トヨミさん”・・・・・その彼女が言いました。「私の知っている納豆は食べるけど、その納豆はだめです。」彼女は島原半島の有家(ありえ)の出身でした。彼女に教えてもらった記憶によると、島原半島の納豆は多分『もろみ納豆』のようなものだったのだと思います。野菜も刻んで入っていると聞きました。

多分しょうゆ麹納豆は、そのもろみ納豆に近い味だと思います。臭みもなくなりますし・・・・・これは人類を統一するかもしれません???。トヨミさんも食べられるかもしれないと、懐かしく思い出して記事を書きました。




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9月ももう終わりですね。

2012-09-24 08:39:29 | 教室情報
早いものでもう9月も末、秋分の日も過ぎて急に秋の気配が濃くなりました。今月末29日の教室で皆様にお会いできるのを楽しみにしています。メーンテーマは、『かぼちゃ』、です。それからお約束通り『なすの塩麹漬』の実習・・・・・ですが秋ナスを食べすぎないようにしたいと思います。すでに和みさんで準備をしていただいていますので、参加ご希望でお申し込みがまだの方は急いでご連絡をお願いします。

季節は夏の土用の季節を過ぎて、秋から冬へと回転しました。でも私達は、幸か不幸か、少しくらい地球に遅れても問題にはなりませんよね。まだアイスキャンデーを食べても、冷たい心太をポン酢で食べても、大してひどい目には遭いません。真冬に冷奴を炬燵に入って食べる人もいる・・・???すぐに応える人もいれば恐ろしく頑健な人もいる・・・・・・そうです、この世は不平等なんです。私の身体とあなたの身体は違います。そして頑健な人は、マクロビオティックには無関心で済ますことが出来ます。(本当はこの人たちは、精神の健康について考えなければいけないんです。宇宙の真実を知っているか、自問するべきなんです。)

問題はその不平等の身体の余裕を『いつ使い果たすか?』ということですよね。あるいはまたどれくらい体力の余力を持っているかですよね。ですから具合が悪くてマクロビオティックを始めても、すぐ完全無欠(?)の健康になる人もいれば、なかなか健康を取り戻せない人もいる・・・・・・あろうことか反応して揺れ動く人もいる・・・・・以前久司先生の英語版の翻訳をしていた時、『現代人は非常に弱くなっていて、塩の摂取に注意が必要だ』という旨を書いておられました。キャパシティの問題です。これは心身の問題すべてに当てはまります。マクロビオティックもある意味で本当のキャパシティイ回復と言えますが、見かけ上のキャパシティのある人は無関心になる恐れが、キャパシティを縮めてしまった人は過敏になる恐れを持っています。

でもどちらかと言えば、これは私の考えですが、この世でキャパシティの少ないことを自覚した人の方が幸せではないかと思います。何故かと言えば見かけ上キャパシティのある人は何にも変えずに人生を終わるか、或いはひどい晩年に遭遇する・・・・・可能性が高い。ですがキャパシティの少ない人は自分の現実と未来を変えることが出来ます。少なくともこの世の真理を知るチャンスに恵まれます。マクロビオティックに出会うことが出来ます。私達は幸運でした。有難うございます。

キャパシティに恵まれてひどい晩年に遭遇しておられる方・・・・・その場合も宇宙の真理を知るチャンスを持たれたのだと思います。それを知って死ぬのと知らずに死ぬのとでは雲泥の差なんです。寿命の余裕はないかもしれませんが、自由になって死ねます。次の人生の目標は定められます。程度の差はありますが、痛みも随分と軽減できると思います。




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世情この頃

2012-09-13 09:38:43 | Weblog
政治というか選挙というか、要するに政治以前の問題でニュース番組は大変です。もう混乱としか言いようのない事態です。そんな番組の中で、時の人橋本さんの言葉にまたカエサルを思い出しました。橋本さんは『今の時代に必要なのは“独裁”ですよ』と言いました。“独裁”という言葉が過激かどうか、それはどうその意味を受け取るかによりますが、私は『本当にそうだ』と思いました。それは、『迅速な決定』という意味においてです。橋本さんもその意味において、あえて過激な言葉を使ったのだと思います。

カエサルの時代のローマは、共和政ローマ、そして共和政が機能を失って(?)必要な決定を何も下せないローマ、だったんです。橋本さんは今日のカエサルかもしれません。

この世の政治体制で政治をあずかり知らない庶民が一番幸福なのは、最良の独裁なんです。その次か同等が機能する会議制、その次が多少混乱もあるがまとまりを持っている会議制・・・全然まとまらない会議制・・・恣意的独裁性が最悪というふうになって、統治形態が君主制か共和制かはあまり関係がなく、全然まとまらない会議制というのと悪人による恣意的独裁性というのの差は、たった一つ国民が今すぐ不幸になるかゆっくり時間をかけて不幸になるかの違いなんです。まあ生き延びているからそのうちひょんな事でよい決定が下されるかもしれませんから、全然まとまらない会議制がまし???ですか。

どんな良い制度もこの世のものである限り、段々風化(堕落)していきます。何処かで活を入れないといけませんが、解決策は『人間の向上心』以外にないんですよね。向上心というのはその人の志の先に見えるものを追うことですよね。その志を決めるものはその人の『なり』で、その『なり』を決めるものは『食』なんですよね。この小さい私達の声が届くことを祈って今日の記事を書きました。




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友情とfriendship

2012-09-11 07:46:22 | その時々・武漢ウィルス騒動・・・2020

最近記事でご紹介した高校の同級生の翻訳著書『ガリア戦記』であらためて考えさせられたことがあります。それは以前から引っ掛かっていたのですが、カエサルの言う『友人』『友情』なる言葉です。カエサルの言葉であるからには、それは今の『friend』であり『friendship』であることは間違いありません。だけれどそれが私達の使う言葉『友人』『友情』と同じなのか・・・・・日本人にとって『友』でない人は誰か、と言えばまあ語弊はあるにしても、『知らない人』なのではないかと・・・・・・

だけれど英語では『enemy』なんです!!!これは私達が誤解している証拠なのではないでしょうか。昨年のアメリカ合衆国の軍隊によって繰り広げられた『ともだち作戦』・・・・・そのフィルムを見た時、もしかして参加して働いてくれている兵隊さん達は、私達日本人と同じ『友達』を感じているのでは・・・・・・ととても嬉しかったのを思い出します。アメリカの人達はどんな思いで『ともだち作戦』と名付けたのでしょう。

でも日本人の心情と少なくとも英語(その兄弟語)を使っている人々の心情とは違っている・・・・・その事を理解して外国語を使わなければ非常に危うい気がします。昨今日本の小学校での英語教育の気運が高まっています。ここには非常に難しい問題が潜んでいると思います。私達が日本人でなくなるかもしれない・・・・・・私達はもっと国語である日本語を考えなくてはならないと思います。




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しょうゆ麹その後

2012-09-05 08:52:27 | Weblog
先日来しょうゆ麹をあれこれ試してみた上での私の結論(勿論これは好みの問題なので決定的な見解ではありませんが、)を言いますと、『しょうゆ麹』はそのものは美味しいけれど、調味料としてはあまり美味しくない・・・・・・のではと思います。

そもそもこれはお醤油醸造過程の状態に近いもので(或いは再仕込み状態?)、お醤油の持ち味である『清冽さ』において劣ると思います。お醤油がいかに完成された調味料であるか、本当に得心しました。

ただ糸こんにゃくの炒り煮をするときに、ほんの少しうすくち醤油に加えて味付けをしたところ、びっくりするくらい美味しかった(!!!)です。和え物に使うと、お醤油にお味噌を加えたような感じというのが一番近い気がします。泥臭くなって(?)、私のようなあっさり味好みには向かないと感じました。お醤油より味はまろやかというか、とろみがあるというか、そんな感じですが、基本的に塩麹にお醤油を加えて昆布だしで割ると、似たようなものが出来ます。

前の記事に追記(9/4)したコメントを、編集して別扱いにしました。





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