『アインシュタイン博士の言葉』という記事を以前発表しましたが、そこで博士が言われた『尊い国』という言葉の訳を私なりにご紹介しました。そしてこれは遠い私の娘時代、父から聞かされた山鹿素行・中朝事実の『事実』と大きく重なっていました。
父はこう言いました。「素行先生は中朝事実で、『聖君の御代は、なあ~ンだ、我が国(中朝)に有ったじゃないか!!』、って言っておられるんだ。」・・・・・・・父は自衛隊を退官して富士市で本州製紙の寮の舎監をした後、故郷平戸に戻り自由に活動しました。何といっても平戸には山鹿流講堂『積徳堂』があります。父は当然平戸に有った『素行会』と関わりを持ちました。
江戸時代の儒学・兵法(というか軍学というか)者の山鹿素行は江戸徳川幕府の儒学批判をして、赤穂に『お預け』になったりしますが、我が平戸藩主・松浦(まつら)天祥公(てんしょうこう)鎮信(ちんしん)が深く感銘して交流し、素行本人は平戸に来ませんでしたが、その弟は平戸に招聘され山鹿流は平戸で命脈をつなぐことになり現在に至っています。彼の幕末の吉田松陰先生も橋本左内も、熱い心に突き動かされて平戸遊学を果たしています。『積徳堂』にこもって素行先生の著作に首を突っ込んだに違いありません。そして明治維新の心は素行先生にあり、その心を宿した身体は松陰先生とその弟子たちに有ったと思います。父はまた娘に言いました。「明治維新は松陰先生の首が落ちた時に始まったんだ。」(その悲しみと怒りが推進力になったという意味です。)
父は平成9年5月8日に亡くなりましたが、その年の夏お初盆のお祭りをしていた時、山鹿さんが素行先生の朱入りの『中朝事実』の実本を持ってお参りに来てくださり、私達に見せてくださいました。父に見て欲しかったと言ってくださいました。私達の偉大な先人の筆跡を前にして、心洗われ深い感動を覚えました。そして私は『父の背負子』を背中に継いで、やっと昨年『随想古事記』をこのブログに掲載しました。これは混迷の民族『五色人』を大和民族に統合することに成功した我らが朝廷の事実、つまり『中朝事実』の私版です。
今日11月3日は亡くなった父の誕生日です。今回『父の背負子』と命名したブログカテゴリーに他の記事を加えて少し題名を改めました。そして今日私は三年半にわたったシリーズ『父の背負子』をひとしきり下ろそうと思います。父から私が受け取ったもの、背中に背負っていたもの、つまり私の背骨といえるものを子供達と同じ世代の読んで下さった若者に託そうと思います。カテゴリーの改編内容は次の通りです。
父の背負子・随想古事記
父の願い 2010-04-30
私の邪馬台国 2012‐10‐04
随想古事記・はじめに 2012‐10‐05
随想古事記Ⅰ・あめつちの・・・・・ 2012‐10‐09
随想古事記Ⅰ・イザナギとイザナミ 2012‐10‐12
随想古事記Ⅰ・アマテラスとスサノオ 2012‐10‐15
随想古事記Ⅰ・海幸と山幸 2012‐10‐23
随想古事記Ⅱ・関連記事便覧 2012-10‐17
随想古事記Ⅱ・神話と言語 2012‐10‐17
随想古事記Ⅱ・天津神と国津神 2012‐10‐24
随想古事記Ⅱ・アジアの神話と歴史 2012‐10‐31
随想古事記Ⅲ・大和の心1 2012‐10‐26
随想古事記Ⅲ・大和の心2 2012‐10‐27
随想古事記Ⅲ・大和の心3 2012‐10‐29
随想古事記Ⅲ・大和の心4 2012‐11‐02
随想古事記Ⅲ・大和の心5 2012‐11‐03
随想古事記Ⅳ・おそれながら・・私の仮説 2012‐11‐04
随想古事記・おわりに 2012‐11‐06
今回カテゴリー『日本語・古事記』より次の記事を加えて『父の背負子・随想古事記』完結とします。ちょっとブログ編集の方法が変わったのか、行間を以前と同じように編集できないのが残念です。(どなたかおわかりでしたら、教えてください!)今後は半年ごとに随想古事記のご紹介をするつもりですが、そのことが父の背負子に残った仕事だと思っています。
父の背負子・随想古事記(前章と雑感)
随想古事記前章・民族の形成 2011-04-11
随想古事記前章・五色人の謎Ⅰ 2011-04-13
随想古事記前章・五色人の謎Ⅱ 2011-04-14
随想古事記前章・五色人の謎補(私の五色人説) 2011-04-21
アインシュタイン博士の言葉 2012-08-17
私の『中朝事実』 2013-11-03(今回の記事)
それでは今日も:
私達は横田めぐみさん達を取り戻さなければならない!!!