今年の秋の『ヒレフリヤマ教室』のことだったと思いますが、それは宇野多美恵先生の『鎖骨』に関わる説が話題に上ったときのことでした。私達人間の骨格は、『鎖骨』の形態で大きく二分されるとおっしゃっているのです・・・・・・・そして、それは『Y字鎖骨』と『水平鎖骨』だとおっしゃっています。そしてこれが、人間の自由度に大きく関わってくると・・・・・・その見本がピエタの『イエス』像とミロの『ヴィーナス』像だと・・・・・・・
イエスは苦悩の見本として、ヴィーナスは神の似姿として・・・・・・・人間の自由を妨げているものは『苦悩』・つまりお釈迦様の言う『煩悩』です。その苦悩度を表しているものが『鎖骨』の形態だと・・・・・・・そしてそれが人間の骨の進化の終着点・つまり『自由さ』という精神性の現れだと・・・・・・・
だからといって、つまり『水平鎖骨』を持っているからといって、人間の至るべき『自由さ』に到達しているとは限りません。『イエス』ほどの精神性も『Y字鎖骨』として描かれ、何も考えていない『水平鎖骨』は現代の巷にも溢れています。だけど『水平鎖骨』は人間骨格の目標であることは間違いないと思います。それは精神性・つまり『カシラ』の自由さに必要なのだと思います。
これを知った時、自分の家族を見渡しました。まず自分は・・・・・幸い(?)水平鎖骨でした。ならば・・・・・夫は?子供たちは????・・・・・みんな同じく水平鎖骨でした。敬愛してやまない父は??・・・・・苦悩のY字鎖骨でした・・・・・・・これはどうも個人的達成度とは無関係にあるもののようです。私の先輩であり友人でもある『和み』の堀江さんは言いました。「Y自鎖骨を自分で水平に近づけるよう努力して、だんだん変わってきた」・・・・・80歳にして今も変わり続けています。要するに持って生まれた幸運(?)であって、決定的なものではないと思います。苦悩によってのみ到達できる境地もあるし、ありがたみもある・・・・・・・
こういったことを考え合わせて思い出したことが、子供の頃のこと・・・・・・・父が言いました。「頭を天からつっているような姿勢で立ったり歩いたりするんだ。」・・・・・・猪頚にならないようにとの教えです。それから教室のみんなの驚きの『遊び(?)』・・・・・これが今日の題名『東京見えたか?』です。
まず大人が、そうですね、多分未就学児くらいの子供に聞きます。特に時々現れる若い叔父さんたちがよく聞きます。もちろんいたずらっけのある父も子供たちに聞きました。「東京、見せてやろうか?」「うん!見せて!見せて!」・・・・・・叔父さんは真面目な顔で窓の向こうを指さします。後ろを振り向いた子供達の耳を手のひらで押さえて、そのまま釣り上げるんです!!!!そして聞きます。「東京、見えたか?」痛みと驚きの経験で、目を白黒させて、大人たちは大笑い・・・・・
一体これは何だったのだろうと思います。教室に参加している中でも誰も知りませんでした。旧松浦藩の習慣???夫の母方は鹿町(松浦藩)ですが、そこでも一般的だったようで、我が子達も洗礼を受けました・・・・・・これは首を引き抜く(?、あるいは持ち上げる)ための洗礼だったのでは・・・・・・みなさまはどう思われますか。似たような習慣をご存知ではありませんか。それを知りたくて、今年最後の記事にしました。よろしくお願いします。どうぞ良いお年をお迎えください。
それでは今日も:
私達は横田めぐみさんたちを取り戻さなければならない!!!