言語に関する考察・雑2
先日記事でお話した川崎真治先生著『日本の史記』が原因の“スランプ”は棚上げ状態ですが、その上娘2号が私のためにとくれた倭人のルーツ関連の本のおかげ(?)でますます混乱しています。子猫が毛糸玉で遊んでこんがらかって収拾がつかなくなってしまったような・・・・・心を落ちつけて一つ一つほどいていくよりないと覚悟を決めました。それでも川崎先生にともしていただいた灯りで色々な事が見えてきています。それで興味深い記事を一つ書こうと思います。
第1は日本人なら誰でも知っている“聖徳太子”!!遣隋使を開始され隋の煬帝にかの有名な国書を送られた聖徳太子・十七条の憲法を制定された聖徳太子・冠位十二階をお定めになった聖徳太子・三経の義疏を著された聖徳太子・十人の訴えを一度にお聞きになった聖徳太子・・・・・・枚挙にいとまがありません。私達日本人の敬愛する太子です。
その聖徳太子は、生きておられる時は『上宮太子(じょうぐうたいし)』とか『厩戸皇子(うまやどのおうじ)』とか呼ばれていらっしゃったのだろうと聞いています。上宮は『うえつみや』と一般的におくりがなされていますが、『かみつみや』かもしれません。『上記』は『ウエツブミ』と伝わっており、その内容は主に大物主の豊の国における医療や薬草の記事だったように記憶していますが、両者の『上』は共通の認識のもとに使われているはずだと思います。
今回問題にするのは『厩戸皇子』です。母君が厩戸の前で産気づかれたとの伝説まであり、この名を現代聞いた者は誰しもイエス・キリストの生誕を連想します。あまりに出来過ぎた連想ですが、私も子供心に何となく謎めいたものを感じたものです。それ以来長年大した進歩もなく今日に至っていましたが、今回決定的な解答を見つけました。前回
『五色人の謎Ⅰ』『五色人の謎Ⅱ・補』一連の記事で五族の問題を展開しました。この五族の問題は言語学的歴史学的仮借法式に密接に関わり合っていて、私達日本人独自の枕詞にも重大な関係があると思っています。そのうえで“決定的”だと確信しています。
うまやどのおうじ・・・・聖徳太子を識別するための言葉『うまやど』これが厩戸と当てられたため私達は見過ごしてきましたが、もともと『文字』より先に『音』があったことを考えると、別の文字でも良かったはずです。直截的に『馬宿』でも良かったはずです。そして当時の人々の常識では『馬宿』=『安宿』・・・・・=『明日香』=『飛鳥』なのです。
うまやど=あまやど=あんしゅく=あんすく=あすか・・・・・・これが明日香であり飛鳥なのです。飛鳥という字があてられたのは歴史的事実を反映していると思いますが、とにもかくにも『厩戸皇子』という呼称は『飛鳥(におられる)皇子』と言っているのと同じです。ご存知の通り聖徳太子は飛鳥の斑鳩の里にお住まいでした。斑鳩(いかるが)というのも五族を念頭に置かないと不可解です。そして私達は日本武尊を『飛鳥(ひちょう)』という文字から連想するし、私は平戸が『飛鸞』と古来から呼ばれて来たことを考えてしまいます。
第2は、西表(いりおもて)島の『いり』です。私は長いこと太陽が西に沈むから『日の入り』で『いりおもて』なのだと思ってきました。でもどうして東に同じ成語法で『日の出』を意味した使い方がなされていないのが不思議でなりませんでした。
今回これも西方がイルク・イリク(犬族)の住む地方なので『いり』なのだと確信しています。あるいはその島にイリ族が住んでいたからかのどちらかです。東方は『とん』で鳥(猪)族の住む地方・ヤマトンチュです。その証拠といえるかどうか分かりませんが、帰化人の東漢は『やまとあや』と読まれています。ここに『大和』の語源も潜んでいるでしょうし、聖徳太子のかの有名な勅書『日出ずる処の天子、書を日没する処の・・・・・』という意味もはっきり浮かび上がってきます。そして『漢』が『あや』であり蛇族なのだということもはっきりすると思います。『民族の形成・五色人の謎Ⅰ・Ⅱ・補』を参考になさって読んで頂けると嬉しいです。そしてこういったことに興味をお持ちの方は川崎真治先生の本を読んで“スランプ”仲間になっていただけると嬉しいです。
それでは今日も祈りを込めて:
私達は横田めぐみさん達を取り戻さなければならない!!!