inspiration-macrobiotique・随想古事記

マクロビオティックインスピレーション・随想古事記・日本語と歴史・バベルの塔・日々雑感

日本人のDNA

2015-05-29 10:06:06 | 父の背負子1(随想古事記)

今朝のNHKの番組で、日本人の遺伝子は東アジアのどこの国とも違っていて、古い時代に分岐したものらしい、ということが分かってきたと報道されていました。

このブログで『父の背負子(随想古事記)』として発表している記事の『ワタツ人』の証拠が出てきた!!!!!・・・・・と大変うれしく感じました。一般に日本の先住民族と思われているアイヌ民族や琉球民族よりさらに古くから日本各地に分布した縄文期の人々、『カタカムナ人』と楢崎先生が名づけられた日本語を確立した縄文期の人々・・・・・その『カタカムナ人』が『ワタツ人』に違いないと思うのですが、敢えて民族分派のルートに焦点を当てて、私は『ワタツ人』と名付けています。

研究がさらに進んで明らかになるといいな・・・・・と、楽しみです。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『本能寺の変 431年目の真実』

2015-05-28 10:13:25 | その時々2

これは夫が貸してくれた本の題名ですが、著者は明智憲三郎という方で明智光秀の血脈のお一人だそうです。小学生時代から本は大好きでした。父のお年玉は本、お誕生日プレゼントも本・・・・・中学生時代には図書係になって図書室の本を全部読もう・・・・・などという手当たり次第の無秩序な読書傾向で何でも派読書でした。読書傾向が狭くなったのは、カタカムナに出会って以来・・・・・うんと収束して私のマンダラゲの図案がはっきり浮かび上がってきました。『私の機織り』人生は最後の曼荼羅図を織る時期に近づいて来たのか(???・・・だと解釈しているのですが)雑多な読書に興味を持たなくなっていました。

 

それがです、それがこの『本能寺の変 431年目の真実』に惹かれました。実はそれに類する本を他にも夫は持っていました。近ごろそういった本が流行なのか・・・・・、それとも明智の郷が身近になったためか・・・・・・岐阜城の特異さを目の当たりにしたりして、夫はこの東海地方の地理と歴史にあらためて興味を持っていました。私も岐阜城や犬山城・・・・・あちこちの探訪に面白く連れていってもらっています。この前も国道418号線では忘れ得ぬ酷い(?)思い出が出来ました。ですが夫の読んでいる本にそれほど興味はなく、まあ放置されたままのを片付けるくらい・・・・・それがこの『本能寺の変 431年目の真実』という題名と著者明智憲三郎という名前にひどく惹かれたんです。そして読み始めたら、最後まで読まなくては済まなくなってしまいました。

これは大変な本です。そして真実に極めて近いと思います。ちょうど私が川崎先生の説に出会って日本の古代史に関する長年のもやもやが晴れたように、どんな歴史解釈に出会っても晴れなかった信長・光秀・秀吉・家康・・・・・そして藤孝に関するもやもやがすっきり片付いたように思います。関わった人達すべての計画と思い違いとが交錯して出来上がった『本能寺の変』というものの事実と感情とがここまですっきりするというのは、真実に近いのだと思います。

 

戦国時代の『もやもや』を抱えていらっしゃる方は読まれるがよいと思います。それぞれがそれぞれの年代に抱える『もやもや』こそが積み上げていく人生のその時々のテーマだと思います。自分の人生で一つづつ片づけなければならないと思います。私も自分の最大のテーマ『言葉』を前にして以来、脇に置いていた歴史に感じた矛盾の『もやもや』を一つ片づけて、ますますすっきりと打ち込めそうな気がしています。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

木曽の山道

2015-05-17 09:05:12 | 季節・週末散歩

夫には遠くから来てくださっている患者さんがあると、その距離を確かめてみる習性(?)があります。平戸の奥の方にも、五島の福江島でも、道幅が狭くなって車が通れないような所など、冷や冷やしながらあちこち回ったものです。そういったわけで昨日も出かけたのですが、目的地を訪ねた後のちょっと足を延ばしただけの気軽な探訪が木曽の山中に紛れ込むことになってしまいました。何しろ鬱蒼とした山道・・・・・かなりの標高差を木曽川沿いまで、くねくねくねくね(何しろ並のくねくねではありません)と下りていきました。

 

これは県道だろうか?????・・・・・それとも町道だろうか?????・・・・・舗装は一応してあるけれど・・・・・・誰も最近通った形跡がない・・・・・のだろうか?????・・・・・離合は出来ないね・・・・・・水は出てないけれど落石もある・・・・・し、行き止まりだったらどうしよう?????・・・・・でも国道って書いてある!!!!!え・え・え・え・え、国道418号線だって!!!!!

まさかまたこの道を戻るのか?????・・・・・Uターン出来るのか?????・・・・・夫の不安を感じながら、行き着いた先は古びた赤茶けた橋・・・・・大丈夫?????疑心暗鬼を抱えながら、橋を渡りました。そして二つ目の古い橋・・・・・『旅足橋(なんと読むのか)』・・・・・そういえばさっき新しいバイパス道路の『新旅足橋』を渡ったっけ・・・・・あれが出来るまでみんなこの道を通っていた?????国道418号線・・・・・下りついた先の木曽川沿いの古い古い国道・・・・・どうやらアユ釣りにやってくる人もあるらしく、注意書きの立て看板に氾濫することもあると書いてありました。

 

二人とも緊張でかなりくたくた・・・・・あの下りで転落したら・・・・・私達数年後不審死体になる・・・・・急な大水や落石にでもあって木曽川に転落したら・・・・・何処まで流されてしまうのか・・・・・・運転席の山側にも余裕が無いからには、崖になっている路肩が恐ろしいとも言えない・・・・・・橋の安全性も・・・・・・それにトンネルも崩れるかもしれない(向うが見えててよかった!!!)?????・・・・・二人とも言葉を控えながら何とか無事に通り抜け終えて、木曽の山中で迷子になるというのは、こういうことね・・・・・と緊張を残したまま一目散に帰ることにしましたが、よく見るテレビ番組『水戸黄門』の八兵衛の泣き言をいう心細さを我が身に置き換えました。

 

九州の山々は阿蘇や霧島でも標高2000メートルはありません。福岡の英彦山も佐賀の脊振山も1000メートルそこそこ・・・・・私達の見慣れた長崎県の山は西海岸ということもあって500メートルくらい・・・・・そんな私達が日本アルプスというか、木曽山脈というか・・・・・それに連なる山麓地帯を垣間見ました。知っているつもりでなお九州人の知らない山深さがありました。この厳しさはちょっと違った人間形成をしたと思います。北九州人が荒れ狂う玄海灘と東シナ海に育てられ、南九州人は台風の猛威に育てられたとしたら・・・・・性格も違うはずですね。しみじみいろいろと考えさせられました。

帰宅して緊張と疲れを取ろうと横になったのですが、目が覚めてみるとあちこち強張っていました。よほど緊張して力んでいたんだなあ~~~と、振り返って山道の記憶をもう一度たどりました。夫は遠くから来て下さる患者さんに感謝しています。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

土手の草花

2015-05-15 12:32:07 | 季節・週末散歩

これは近くの川の岸で見つけました。きれいな紫色に引かれて近づいてみると、何と昔子供の頃笛を作って遊んだ草豆・・・・・カラスノエンドウのような・・・・・だけど、カラスノエンドウはこんなにお花をつけません。それにもう少し白い・・・・・?????はず・・・・・。

                              

こんなお花なんです。さっそく娘が調べてくれまして、結論は『ナヨクサフジ』、なるほど、藤のお花もマメ科です。そして藤の花房がたっているような・・・・・・ですがまだわかりません。外来種らしいのです。

 

                              

 

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

5月8日・2

2015-05-08 07:51:20 | 父の背負子3(雑記)

私のブログ記事『父の背負子(随想古事記)』をご紹介する日がまた巡ってきました。(おこがましいことなのかもしれませんが、年に2回父の命日と生前の誕生日にご紹介すると決めています。)私が父から受け取った背負子の中身は、『日本人とは?』『日本とは?』、そして『私とは?』という父親が示すべき自分の背骨、つまりアイデンティティだと思っています。このアイデンティティとは親から受け取っているものなのですが、各自が誕生以後それぞれの生涯において確認しなければなりません。それが父親が次代に託す背負子なのだろうと思います。私も子供の頃から抱き続けた疑問に対する回答を、何とか確認してやっと『父の背負子(随想古事記)』に纏めることが出来たと思っています。

 

以下がこれまでご紹介してきた『父の背負子(随想古事記)』の記事内容です。

 

父の背負子(随想古事記)

        父の願い   2010-04-30
        私の邪馬台国   2012‐10‐04
        随想古事記・はじめに   2012‐10‐05
        随想古事記Ⅰ・あめつちの・・・・・   2012‐10‐09
        随想古事記Ⅰ・イザナギとイザナミ   2012‐10‐12
        随想古事記Ⅰ・アマテラスとスサノオ   2012‐10‐15
        随想古事記Ⅰ・海幸と山幸   2012‐10‐23

        随想古事記Ⅱ・関連記事便覧   2012-10‐17
        随想古事記Ⅱ・神話と言語   2012‐10‐17
        随想古事記Ⅱ・天津神と国津神   2012‐10‐24
        随想古事記Ⅱ・アジアの神話と歴史   2012‐10‐31

        随想古事記Ⅲ・大和の心1  2012‐10‐26
        随想古事記Ⅲ・大和の心2   2012‐10‐27
        随想古事記Ⅲ・大和の心3   2012‐10‐29
        随想古事記Ⅲ・大和の心4   2012‐11‐02
        随想古事記Ⅲ・大和の心5   2012‐11‐03

        随想古事記Ⅳ・おそれながら・・私の仮説   2012‐11‐04
        随想古事記・おわりに   2012‐11‐06

        随想古事記前章・民族の形成   2011-04-11

        随想古事記前章・五色人の謎Ⅰ  2011-04-13

        随想古事記前章・五色人の謎Ⅱ  2011-04-14

        随想古事記前章・五色人の謎補(私の五色人説)    2011-04-21

          アインシュタイン博士の言葉    2012-08-17

        私の『中朝事実』    2013-11-03


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

恵那寿や

2015-05-03 12:11:07 | 季節・週末散歩

5月の和菓子『かしわ団子』をいただきました。そのかしわ団子を作ったお菓子屋さんは『恵那寿や』というのですが、何と『寿や』は『スヤ』と呼ぶんだそうです。・・・・・と、夫が聞いてきました。え!え!え~~~~?!

『ことぶきや』ではないんですか?????あまりに懐疑的な態度を示す私に夫が言いました。「そんなら、お店の人に聞いてみよう!!!」というわけで、疑問は氷解・・・・・岐阜県の中津川に本店がある『中津川寿(す)や』という和菓子屋さんの暖簾分け(?)で『恵那寿(す)や』さんだそうです。

 

ここの和菓子は栗の産地らしく栗のお菓子の品ぞろえが多いし、何といっても甘みがかなり抑えてある・・・・・というより栗の甘みを大切にしたんだと思います。名物は『栗きんとん』・・・・・どれだけ、平戸の堀江さんにお土産にしようと思ったことか・・・・・だけど、日持ちがしないんです。吉祥寺の俵屋さんの『うぐいす餅』と同じです。それで、一つか二つ、季節独特のものをその日用に買って楽しみます。

年中(5/6訂正します。栗のとれる季節の9月から翌年4月だそうです。それで残念ですが、今はもうありません。)あるここの『栗きんつば』が私のお勧めです。ちょっと冷やして食べるのがコツです。冷えると甘さが抑えられるので、私にはちょうどよくなります。皮も少し固め(?)になって、うま味が増します。冷めた焼き餅が一種独特の甘みを増すのと同じです(これは私だけの意見かもしれません。悪しからず)。お手元に届いた節にはお試しください!!!!!


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする