inspiration-macrobiotique・随想古事記

マクロビオティックインスピレーション・随想古事記・日本語と歴史・バベルの塔・日々雑感

ぬか漬け

2008-06-28 08:51:30 | 季節・週末散歩

不思議なものです.今時になるとキャベツやきゅうりのぬか漬けが食べたくなります.それでしょっちゅうお台所の換気扇が回ることになってしまいます.やはり漬物小屋が外にあるべきなのか・・・・・・?

私の好みのぬか漬けアイテムは、きゅうりやキャベツ、蕪にナスに人参!!蕪はちょっとありませんが、今年はぬか漬けに最適な大きさのナスも探してみたいと思います.ナスをつけるのは難しいと思います.そして取り出して直ぐに食べないと、あの独特の美しい色が味わえない!!今年の夏の楽しみにしてみます.


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アイ・ジョージのCD

2008-06-25 11:33:46 | Weblog
主人がお土産に買って来てくれました.昔アイ・ジョージの歌声が好きだったんです.アイ・ジョージという歌手がブラウン管から姿を消して以来、絶えて聞いたことが無かった歌を聞きました.『硝子のジョニー』と『赤いグラス』・・・・・記憶にある歌声よりちょっと若かったけれど、記憶の中のひっかかりが一つ消えました.「もう一度聞いてみたいなあ」ってひっかかっていたんです.ちょっと嬉しいお土産でした.

近頃主人のなつメロ趣味が復活して、色んな番組を録画して何度も何度も見ます.その中の一つ、三波春男と村田英雄.高校生の時『俵星玄蕃』を聞いて、私は三波春男が好きになりました.戦後シベリヤに抑留され、窓を拭きながら歌を歌っていたらロシヤ人から「歌がうまいなあ」と感心されたとか、エピソードを聞きました.何しろロシヤ人の歌のうまさといったらありません.私の短い就職期間中、当時ジョイントベンチャーというのが盛んで、ロシヤ人と交流したことがあります.その時の宴会での歌のうまさにはビックリしました.確か人間オーケストラと評されたのもロシヤの音楽団だったのではと思います.そのロシヤ人が感心するくらい声量が豊かだったんですね.

赤穂浪士の討ち入り場面を、ぞくぞくしながら聞いたものです.最近は赤穂浪士の物語もテレビから姿を消しました.時代劇が全然ありません.心の美しさを題材にした時代劇は私達日本人の心の緒だったと思うのですが、日本人という全体的な人間像の命の緒が心の緒だったと思うのですが・・・・・平戸は赤穂浪士とも関係があります.平戸藩は山鹿素行とも関係が深いからです.山鹿素行に学んだ藩主が素行の弟を招聘して、以来山鹿家は平戸に残っています.私共夫婦は山鹿素行朱入れの『中朝事実』を拝見させていただいたこともあります.

もう一つの要因はシベリヤ抑留です.私の母の兄が抑留中に死んでいます.私が大学でロシヤ語を選んだのも無意識にこの伯父が関係していたような気がします.伯父も将校だったのですが、ロシヤ語を使えたためにスパイの嫌疑を掛けられて、最後まで帰国出来ずにとうとうシベリヤの土になりました.母から伯父の事、伯母の事を聞かされたり、子供の眼に映った伯母の姿など、シベリヤといえば直ぐに思い出します.何となく同じ苦労をされたんだなあと思うと贔屓してしまうのです.胸が詰まらずにはおれないのです.おかしなものですね.

そういう訳でシベリヤは他人事ではありません.そしたらまたまた主人のなつメロ、吉田メロディー!!吉田正といわれる作曲家もシベリヤ帰還兵だそうです.『異国の丘』にまたまた胸が詰まります.祖国の土になることが出来ずにシベリヤの土になってしまった伯父.そんな方が何万人もいらっしゃるのです.我らがマクロビオティックの『身土不二』をご存知の方はよくお分かりだろうと思います.身体の叫びとして如何に故郷の地を思われたかと思うと、ただただ胸が詰まります.

この番組で新たに好きになった人がいます.それは松尾和子.以前は何となく妖しい雰囲気を醸し出しているこの歌手が好きではありませんでした.でも今回先年亡くなった大事な友人の面影や仕草を映像の中に見出して、懐かしさのようなものやら複雑な思いと一緒に松尾和子が好きになり、友人を偲んでいます.主人と見方も好みも全然違ったりするのですが、チャンネル権を委ねていると思わぬ発見をすることもあります.多分私では懐かしい面影も見逃していただろうと思います.これも意図せぬお土産でしょうか?
コメント (11)
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煙か雲か

2008-06-16 23:57:03 | Weblog
我が家の庭には20メートルにもなろうかという槙の大木が二本あります.一昨日の梅雨の晴れ間外を眺めていると急に白煙が出てきて、誰がどこで何を燃やしているのかと驚きましたが、それは槙の樹が花粉を放出していたのです.

槙の花粉の放出を始めてじっくりと見ました.若い新芽の美しい枝にたくさんの花(?)実が付いていて、そこから一斉におびただしい花粉が雲か煙かと見まがうように放出されていました.テレビで見た海中の珊瑚の放卵や、鮭のオスの放精(?)を思い浮かべました.自然の仕組みはみな全く同じだなあとしみじみ眺めました.

今年は槙の実がたくさんなるかもしれません.槙は“真木”ですから木の中の木、良質の材木が取れます.子供の頃平戸地方では、槙の苗を育てて植樹するために、槙の実を集めてくると、一合だったか一升だったか忘れましたが、学校が仲介して買い取ってくれました.子供のお小遣い稼ぎでした.赤く熟した実と種の部分が一つづつくっついていて、赤い実のほうは食べると甘みがありました.

あの頃子供達は何でも食べたものです.椎の実、マテの実、うべ、ヤマモ、ぐみ、野イチゴ、桑の実、山葡萄、つ花(?)、ぎしぎし(でしたっけ?)、もちろん槙の実も食べました.つ花ってご存知ですか.茅の穂の若いものです.まだ莢に入っている柔らかい穂です.食べ物が無かった時代の子供のおやつの思い出です.子供達は自分でおやつを調達して回ったものです.柿泥棒やうり泥棒でとるほうもとられるほうも、みんな楽しい思い出です.

小学校三年の時でしたか、まくわ瓜はご馳走でした.同級生の女の子がいっぱいあるから取りに行こうと誘ってくれました.その子に連れられて畑でまくわ瓜をとりました.喜んでとっていたら、その子のお父さんから見つかって二人とも叱られたことがあります.それは売り物だったのです.お土産にまくわ瓜をいただいて帰りました.

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ヨーロッパの里山

2008-06-11 11:40:46 | 出版記事
季節が巡って、また泰山木の白い花が咲いています.私にとっては大学生活を思い出すきっかけです.あの泰山木はどういう運命を辿ったのでしょうか.大学移転の影響を受けたのでしょうか.我が家の泰山木は35年も前、結婚してこの家に来た時から、懐かしさを寄せてきた木です.

ところで日曜日、NHKの番組『ダーウィンが来る(?)』を見ました.それを見て娘婿のクリスが『日本に一般的に売ってある食品の質が悪い』と言っていた意味をまざまざと見せられました.ヨーロッパには日本で絶滅したコウノトリが生きている!この意味を私達はもっと考えなくてはならないと思います.

農夫がトラクターを操って進むその後をコウノトリは追いかけて虫や蛙をついばんでいました.ヨーロッパの農業は、例えばカバや水牛が背中に鳥を乗せて暮らしているのと同じ自然の形を保っているのです.干渉するでもなく無視するでもない関係は、敵対するでもなく甘えるでもありません.自然の風景となっていました.要するに食の連鎖が保たれているのです.害虫(?)がいなければ、コウノトリは生きていけないのです.ねずみがいなければ、ふくろうは生きていけないのです.人間のみが収穫を得るようには自然は出来ていません.日本人は田んぼに農薬を撒き化学肥料を入れることで一時的に収量をあげたかもしれません.でも多くの生物を死滅させ、今では土地の疲弊に泣いています.その上水も空気も汚染してしまいました.

ヨーロッパの年老いた農夫の納屋にはふくろうが住みついていました.庭の木のうろにはヤマネが住みついていました.ヤマネは農夫の収穫を失敬していますが、農夫はそれもありで暮らしてきました.ヤマネは増えすぎるとふくろうが太ります.天敵同士は自然のバランスが保たれています.長い目で見るとその関係は冷徹です.人間の一時的な収量増も、自然のスパンで見ればいつか地力が落ちて収量減となります.それを何とか人間は知恵を絞って次から次へと人工の力を借りていますが、なかなか難しい問題を抱えています.量を確保しても質の問題が浮かび上がってきているのです.昔の人参と今の人参は同じ力を持っていません.有機農法、或いは自然農法の人参の味を、一般の慣行栽培の人参は持っていません.サプリメントで補いますか?一時的には収量増と同じ結果を生むでしょう.その急場しのぎに甘えていると、次は人体システムの異変だろうと思います.

そろそろ私達人間は思い上がりを捨てるべきではないでしょうか.私達も単なる自然の一部で、コウノトリと同じであることを認識すべきではないでしょうか.私達の捨てたものが、他の動物のえさとなる世界を取り戻すべきではないでしょうか.私たちは平気な顔をしてコウノトリを死に追いやって暮らしてきたのです.賠償を求められるわけでもありません.罪を問われるわけでもありません.そんな自然のおきて破りの上に私達は乗っています.最近の犯罪の土壌は案外こんな私達の破廉恥さに在るのではないかとさえ思います.

カバの背中に乗っている鳥や、大きなサメの皮膚にくっついている魚を考えるにつけ、私達が獲得してきた多細胞のシステムを考えてしまいます.社会という動物の生活構造や植物の群生を考えてしまいます.宇宙という大きな観点から見れば、カバの背中に乗っている鳥は、カバという多細胞動物の縁のほうのゆるいつながりを持った細胞の一つではないだろうかと・・・・・・植物は地球に固定しているけれども、動物はついたり離れたりしている・・・・・・地球という多細胞生物の自由に(?)動く細胞の一つではないだろうかと・・・・・私達人間は特別ではありません.コウノトリもふくろうもヤマネもねずみもみな同じです.

コメント (2)
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乃木神社でマクロビオティック

2008-06-07 01:35:43 | 父の懐
典子が教えてくれました.詳しくは分かりませんが、夏至祭りのイベントのようで古事記の朗読奉納と乃木流(インターネットに書いてありました)マクロビオティック会席?の催しのような・・・・・

何となく嬉しくなりました.実は私共夫婦も娘夫婦も、乃木神社で結婚式を挙げさせて頂きました.私共の時はブログにも何度か登場している私の父の希望です.父は陸軍大尉で特攻部隊の生き残りです.一日の違いで終戦を迎え、そして私は生を受けました.父は敗戦のショックで茫然とはしたそうですが、精神を転向させることはありませんでした.死期の迫った日、弟は父に聞きました.『幼い孫達に祖父はどうだったと言えばよいのか』と.父の答えは、『乃木大将のようだったと話してもらいたい』というものでした.

私達は乃木大将のお話しを聞いて育ったものです.弟の好き嫌いに父は言いました.『乃木大将は子供の時代に人参が嫌いで食べ残していると、お父様から毎日食べるまで人参ばかり食べるように命じられたんだよ.ほんとにひもじくなれば何でもありがたく食べられるもんなあ.』・・・・・他にも『お父様は厳しくて、乃木大将が約束を守らないと冬でも井戸端で水を掛けてお叱りになったそうだ.』『1日に使ってよいお水は手桶1杯?だったんだよ.大将になられてもそんなに節約なさったんだ.』『ステッセルとの水師営での会見には、佩刀を許し敵将に敬意を表されたんだ.』などと時々に様々な話を聞かされました.

父は乃木大将のようだったと娘の私は思います.父は乃木大将の『忠君愛国、滅私奉公、質実剛健、質素倹約』の本当の意味を教えてくれました.字面の意味ではなくその心を教えてくれました.子供時代父はこの世でもっとも好きで尊敬する人でした.父が帰宅すると、母が『お帰りよ!』と子供に叫ぶ前に、『お出迎え!』と走って行きました.そして和服に『お着替え』があり、その後仏壇〈私達はオジブッツァマと呼んでいました〉でお経をあげるのを脇で一緒に手を合わせ、それから色々と子供の話を聞いてもらいました.

父はいつも威厳に満ちてニコニコしていました.少し大きくなってから聞いたことがあります.『お父さんはどうしていつもニコニコとしておられるの?』父の答えは今でも鮮明に覚えています.『それはお玄関で気持ちを切り換えて、にこってしてからただいまと言うんだよ.』父は生き難かったはずです.敗戦転向組ではなく、戦後も乃木大将を生きたのですから.それを思うとこの歳になっても、父の深い愛情に胸が詰まります.父のお戒名は、『義源院忠峰圭山居士』、忠は真中の心、心の真中だと、和尚様から言われました.よくも言いえたお戒名をいただいたものだと思います.

父を念じる時は乃木大将にもお祈りを捧げます.そんなわけで乃木神社でマクロビオティックというお話があるというだけで嬉しくなりました.ちなみにすぐ下の弟は関西にいましたから、神戸の湊川神社で結婚式を挙げました.大楠公をお祭りしている神社です.これもまた父らしいと思います.
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久司先生の望診法第二弾

2008-06-02 11:15:16 | Weblog
やっと日の目を見ることになりました.実は最初の「マクロビオティック健康診断法」の翻訳をしたとき先生のお許しをいただいていたものですが、内容が似通っているために後回しになっていました.今回その本に特徴的な〈助言〉という項目に焦点を当てて、自己調整という観点から内容を編集しなおしました.皆様それぞれの自己調整にお役に立てると思いますし、これまでの知識をどこに当てはめるかの目安になると思います.また何を学ぶべきかの目安にもなると思います.

ドイツに帰る(?)娘2号も最終校正をチェックしてくれましたが、「面白いから、持って行きたい.」と言ってくれました.残念ながらまもなく出国するので間に合いそうもありませんが・・・・・

久司先生の膨大なご本は殆んど英語で出版されているので、翻訳などと言うおかしな作業が入ってしまいます.まあそれで幾ばくかのお手伝いが出来るという光栄に浴しているわけですが、健康診断という部門で始めてしまった行きがかり上、パームヒーリング、導引と続いて、今回健康診断上必要となる自己調整に関しての本が出版までこぎつけました.それからもう既に原稿は出来ているホームレメディで、私のお手伝いは完了かなと思っています.

後は先生の出版予定の中で最後となるべきタイトルを見つけてお尋ねしたところ、まだ出していないと言われた精神修養(というべきか、鍛錬と言うべきか分かりませんが)のご本を是非先生の日本語で出版して頂きたいと思います.そのためには先生のご健康をお祈りするしかありません.多くの孫弟子、ひ孫弟子まで心を合わせてお祈りしていただきたいと思います.
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