明日は令和2年5月8日、恒例の『父の背負子(随想古事記)』のご紹介です。このカテゴリーを完成した2013年の翌年の5月からずっと続けています(死ぬまで続けたいと思います。)
ここのところ武漢発コロナウィルス騒動で、『中国』という国名をよく聞きます。この『中国』という、彼の大陸の国の呼称については、これまで一般的に使われている略称として使ったりもしましたが、かなりの違和感を持っています。そもそも『中国』という国は世界中のどこにもありません。世間でよく言われる『中国三千年』とか『四千年』とか・・・・・だけど『中国』などという国名は歴史上何処にもありません。『中華』とか『中原』とかいう言葉はあるけれども、それも国名ではありません。そして現在の毛沢東が建国した『中華人民共和国』を中国と呼んでいるのは日本人だけだと思います。英語圏では『清』の英語読み『チャイナ』(陶器を表す言葉にもなったチャイナについての記事『志野』も読んでいただけたらと思います。)が今でも使われています。それについて誰も変だとは思わないらしい。ですが、『中華人民共和国』と呼ぶのが正しいのであって、略した場合は『中共』が妥当だと思います。『シナ』というのも『シン国(シン邦)』という意味であって別に蔑称ではありませんが、『チャイナ』という呼び方の日本語版だと言えます。現在の日本人に『シナ』を蔑称のように思わせるのは、中華人民共和国側に清に対する嫌悪感があってクレームをつけられる(?・・・・・そうであれば、当然『チャイナ』にもつけるべき)のか、日本側にある『シナ』と呼んだ明治以降の日清関係の名残か・・・・・です。『朝鮮』という美しい国名が侮蔑を含んでしまったのと同じです。
私の探求のきっかけはいつも小学生時代にありますが、これもまた小学生だった頃の私の疑問が始まりです。『日本の中国地方はなぜ中国地方なの???』・・・・・と、私は思いました。そしていつも通り、疑問を投げかけられた父は小さな娘に答えました。『あれはねえ、『なかつくに』という意味なんだよ。』・・・・・『なかつくに・・・・・中つ国?????』・・・・・スサノオノミコトが大国主命にはなむけされた『葦原の中つ国』・・・・・この『中つ国』が『中国』で、『中国』と書いて『なかつくに』と読むのです。この『中つ国』が『真ん中の国・中央の国・中心の国』という意味になった理由は、その『中つ国』が歴史上中心の国だったから、つまり出雲の国が中心だったからです。スサノオノミコトが出雲と呼ばれる前、その国は『ナカツクニ』・・・・・つまり『ナカ』の国・・・・・蛇族、私が呼ぶところの『ワタツ人』の国だったからです。そしてそれが中心の国を表す美称になって残りました。そういうわけで、『中国』は現在の日本の『中国地方の呼び名』が正しいと思います。日本人が『中華人民共和国』を『中国』と呼ぶのは、朝鮮が事大として仕えたのと同じ精神構造で、無意識下に日本人が卑屈になっているか、或いは大陸への希望的観測かだと思います。聖徳太子の『日本(やまと)』を思い出すべきだと思います。以下が毎回ご紹介している私の随想古事記です。読んで頂けたら、嬉しく思います。
父の背負子(随想古事記)
父の願い 2010-04-30
私の邪馬台国 2012‐10‐04
随想古事記・はじめに 2012‐10‐05
随想古事記Ⅰ・あめつちの・・・・・ 2012‐10‐09
随想古事記Ⅰ・イザナギとイザナミ 2012‐10‐12
随想古事記Ⅰ・アマテラスとスサノオ 2012‐10‐15
随想古事記Ⅰ・海幸と山幸 2012‐10‐23
随想古事記Ⅱ・関連記事便覧 2012-10‐17
随想古事記Ⅱ・神話と言語 2012‐10‐17
随想古事記Ⅱ・天津神と国津神 2012‐10‐24
随想古事記Ⅱ・アジアの神話と歴史 2012‐10‐31
随想古事記Ⅲ・大和の心1 2012‐10‐26
随想古事記Ⅲ・大和の心2 2012‐10‐27
随想古事記Ⅲ・大和の心3 2012‐10‐29
随想古事記Ⅲ・大和の心4 2012‐11‐02
随想古事記Ⅲ・大和の心5 2012‐11‐03
随想古事記Ⅳ・おそれながら・・私の仮説 2012‐11‐04
随想古事記・おわりに 2012‐11‐06
随想古事記前章・民族の形成 2011-04-11
随想古事記前章・五色人の謎Ⅰ 2011-04-13
随想古事記前章・五色人の謎Ⅱ 2011-04-14
随想古事記前章・五色人の謎補(私の五色人説) 2011-04-21
アインシュタイン博士の言葉 2012-08-17
私の『中朝事実』 2013-11-03