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高句麗の謎

2019-09-19 12:07:30 | 日本語・古事記・歴史・日本人

また『チュモン』を見ています。夫がテレビ番組で見つけたのです。最初ほど面白くはないのですが、それでも面白い!!!エキストラの人選にはいつもながら呆れてしまいますが、幸い私は黒沢監督ではない!!!・・・・・。世界の黒沢だったら、激怒するだろう(悶死するかもしれません)・・・・というのが夫婦の会話です。

 

随想古事記のカテゴリーの記事でも書いたように記憶していますが、まずこの韓国映画『朱蒙』で歴史上一応はっきりしているのは、当然『チュモン』、クムワ、ユファ、ヘブル、ヘモス、ソソノ、ソンヤン、オイ・マリ・ヒョッポの三人組、テソ・・・・・後は、扶余の官職名、漢の官職名・・・・・周囲の国名・・・・・(あ、ユリとイエソヤも)何しろあまりたくさん、と言うより殆どはわかりません。ですから、よく脚本を作ったと言えばその通りですが、嘘ばかりと言えば嘘ばかり、うまくつなぎ合わせたというわけです。面白く、またまた色々考えさせられています。ですが、ソソノがケルのヨンタバルの娘というのは明らかな間違いで、ソソノは沸流(ピリュ)のソンヤンの娘のはずです。

そうでなければ、ソソノの息子が沸流(ピリュ)と温祚(オンジョ)のはずがありません。大切な長子に敵対している部族名をつけるでしょうか。百済の始祖となった第二子温祚(オンジョ)・・・・・百済の姓は『扶余』です。扶余という国名と同じです。扶余王はヘブルやヘモスの『へ』、漢字にすると『解』。『ヘモス』は天帝の子とされています。で、『ヘモス』と『ヘブル』と『クムワ』と『チュモン』の人格は、重なったり離れたり・・・・・クムワもチュモンも姓は『へ(解)』・・・・・高句麗王の姓は『コ(高)』とされていますが、王朝の系図を見るとチュモンもユリもムヒュルもその子も『へ(解)』、第5代王から『コ(高)』となっています。

 

古代朝鮮(と言っても、大陸北部の夷狄の地とされたようなところですが)の最初は萁氏朝鮮・・・・・殷の公子萁子を祖に持つとされる王国です。殷は風姓・鳥族です。天帝族です。ヘモスは天帝の子という説もあり、クムワもチュモンも卵生神話を持っています。鳥の卵なんです。それが何で『へ(解)』というのかと考えてしまうのですが、『解』という字は大きな『角』を持っていて『刀』を頭上に振りかざしている『牛』ですよね。扶余は牛族だと思います。オオツノジカなのですが、トナカイかヘラジカかもしれません。だけど、王の正統性を示すために天帝の子じゃなければならなかったのでしょう。沸流(ピリュ)だって、『フツル』『フル』・・・・・つまり牛族なんです。桂婁(ケル)はヨン(淵)氏(日本では『イリ(泉)』と認識されています)・・・・・犬族。高句麗の句は、狗(犬、狼)・・・・・

 

つまり高氏のクリ(ケル)・・・・・高句麗という国名はケルが乗っ取ってからの国名ではないか?????これが、私が抱いた『高句麗の謎』で、『これからのテーマ』の宣言です。

          『高句麗』『コウクリ』・・・・・『コグリョ』・・・・・つまり『コ・ケル』・・・・・・

チュモンの建てた国は『卒本』のままだったか、あるいは別の名だったのか・・・・・ではないかと思います。朝鮮半島の朝鮮族の始祖は萁氏(キシ)朝鮮ではなく、周の召公の流れを汲む牛族の衛満を始祖とする衛氏朝鮮だろうかと思います。そうすると伝説の古代朝鮮の檀君王倹も、牛族の国扶余が起こるのもわかるような気がしますし、『卒本』も『沸流(ピリュ)』も納得がいくような気がします。そして高麗王氏も牛族・・・・・しかしながら李氏朝鮮は犬族・・・・・ケルで、ヨーロッパ世界の巨大な牛ゼウスの下でも犬族の王が近代世界を支配したのと同じ構図になりました。

 

余談ですが、中原から追われた殷の子孫萁氏朝鮮はどうなったかというと、大陸北部にも永遠の地はなく朝鮮半島を南下して高千穂に天降ることになります。誇り高い鳥族のアジア最初の王朝天帝の子孫は邪馬台国・ヤマトを作り、その理想を『大和』にしたのだと思います。そこではワタツ族の言霊(今でいう日本語・竜宮王から山幸彦へ)を受け取り、宥和して(五族溶けあうという錬金に成功して)大和の国・日本を作って2000年余・・・・・今の私達が生きているというのが私見です。どう思われますか?

 


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一宮と多治見の味の思い出

2019-09-04 18:18:18 | Weblog

たまに夫に付き合って、焼き鳥屋さんに行きます。焼鳥屋さんなら、直火焼きですから、わりあい口に馴染みやすい・・・・・というのが、付き合う理由です。ですが、思いのほか九州は好みに合わない・・・・・『え!?!、こんな味???』と、がっかりすることが多い・・・・・

というわけで思い出すのが、愛知県一宮市にある焼鳥屋さん『七福』・・・・・ここはこだわりの焼鳥屋さんで、私も『ネギま』や『ささみ』をいただきました。玉ねぎやシイタケなどのお野菜も美味しかった!!!もう一度行ってみたいとさえ思います。平戸から上京して東京に4年余、愛知県岐阜県に途中下車して4年余、また平戸に帰郷するまでの約10年間に知った、私の中での『天下一品!日本一の焼鳥屋さん』でした。どこよりもおいしかった!!!請け合っても良いと思います。

 

それから私にとって膵炎の手術という一大事件を経験した岐阜県多治見・・・・・ここは全国に知られた陶器の町・志野の町・・・・・そして、ウナギが名物というところでした。高温で仕事をする窯業の職人さんが多いからだとか・・・・・ウナギは絶好のスタミナ補給源だったのだそうです。そういうわけで、私も周囲の人に良いお店と聞いて主人と出かけたものです。多治見は『うな重』ではなくて、『うな丼』・・・・・それも大きい・・・・・多治見の人たちは健啖家が多いらしい・・・・・何度か行ったのは、可児市にある『ウナギの水野』・・・・・ここは、荒川豊三記念館の近くで志野焼探訪(?)の、以前お話しした喫茶店『萬葉』の美味しいコーヒーを楽しむドライブコースの中にありました。多治見の町の中には、天皇皇后両陛下もお立ち寄りになった、という名門のお店もありました。職人気質の実利を取っているお店もありました。

 

というわけで、一宮の思い出の味は『七福』・・・・・焼き鳥屋さん。多治見の思い出の味は『ウナギの水野』・・・・・その名の通り、ウナギ屋さん。懐かしく、出来ることならまた行ってみたいと思います。

 

 

9/5追記:忘れていましたが、忘れてはいけないものがありました。秋の味覚・松茸です!!!!!多治見に行って、これも生涯の思い出の味・国産松茸に出遭いました。これも可児市にあった『湯の花市場』・・・・・そこには松茸山(?)を持っているおじさん達が出品されていて、おじさんの都合でおまけをして下さる!!!!!という幸運に恵まれて、私達は毎年『焼き松茸に土瓶蒸し』というぜいたくをしました。福岡市で見つけた立派な赤松・・・・・それを見て「あそこには松茸があるのでは?」という私に、ふと出会った先輩のご婦人が教えてくださいました。「根元が踏み固められて松茸はもう生えません。」・・・・・そうなんですね、人跡未踏の地のような環境が維持されなければ、松の恵みは頂けないのですね。欲張り人間の害なのかもしれません。子供の頃一度だけ家族で松茸狩りに行きました。それがどこだったか確信はないのですが、下関にいた頃ではなかったかと思います。昭和30年ころまでは、松茸も身近にあったのかもしれません。


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