inspiration-macrobiotique・随想古事記

マクロビオティックインスピレーション・随想古事記・日本語と歴史・バベルの塔・日々雑感

朝日ににおう山桜花

2006-03-31 09:37:32 | Weblog
皆様ご存知の大和心を歌った歌、
  敷島の大和心を人問わば、朝日ににおう山桜花
山桜は少し黄緑を感じさせる白い花、というか新緑が一緒なのでそう見えるのでしょうが、そめい吉野は淡いピンク、山や道すがらは今花の季節を迎えました.

この季節を迎えると、私は戦死なさった方々を思い出さずに入られません.私の二人の父も今ではその方々と賑やかに靖国神社の桜になって咲いているだろうかと思います.日本人の心を動かさずにはおかない桜の花.花といえば桜と、私達は共通の認識で暮らしてきました.でもいまではその桜に、何の思い入れも無いのかと思う人々がいます.私の済んでいるところの直ぐ上に、城山公園という桜の名所となっていた県立公園があります.そこは松浦氏の攻防の歴史において出城が築かれていた所で史跡になっていますが、こともあろうにそこの桜が切り倒されたのです.良心の呵責もためらいも無いのでしょうか.これが機械的無機質的な経済社会の心なのでしょうか.歴史に心を向ける事は、自分達の命の時間に心を向けることです.人の思い入れを無残にも切り倒すことは、自分を切り倒すことと同じだと思います.

桜をかすみか雲かと見まがう遠くの景色に、近くでは菜の花が満開になって黄色を輝かせています.この菜の花が美しいのは、奈良の法隆寺だと私は思うのですが、それをイメージして私の心はあちこち飛び回っています.庭ではもう連翹が咲き、蘇芳の紫が鮮やかになりました.もう直ぐ孫を記念して植えた大手毬が咲きます.これは白い小さな花が密生して咲く可愛いきれいな花です.孫可愛さと相俟って余計可愛い花です.花と心を通わせて、季節を楽しみたいものです.日本人は美しい色重ねも持っています.楽しみましょう.

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母との思い出の歌

2006-03-30 09:27:47 | 父の懐
先日遠くに住む弟夫婦が母を訪ねてくれました.母を囲んで慰めるためにあれこれ語り合っていた時に、母との思い出の歌というものがあるかと尋ねてみましたが、弟二人には無いそうです.目も弱くなった母にはもう、馴染みの歌しかありません.それで私の思い出の歌を母の歌にすることに決め、皆に母の特訓(?)を受けさせました.私には父の思い出の歌もたくさんあるのに、変ですねえ.

その歌は北原白秋作詞の、「りんりんりんごの木の下に(?)」という歌です.
       りんりんりんごの木の下に
       小さなお家を建てましょか.
       立てたら小さな窓開けて
       窓から青空見てましょか.

           りんりんりんごがなったなら
           つぐみもちらほら参りましょ.
           丘から丘へと荷をつけた
           商人なんぞも通りましょ.

可愛い歌ですよね.これを母の若かりし頃を思って一緒に皆で歌いました.老いさらばえて死を間近に控えた人に何を語りましょうか.もう慰める言葉は上辺だけです.核心をついて語る自信も無く、母には聞く根気もありません.父は死んで自由になったと思います.そうなることを心から願って、母と自分のために母に語っています.夜昼半々の世界から、来るべき光だけの世界にどのようにして行くか.私の偏見と独断ばかりでしたが、久司先生の説明を今翻訳している事が大変有り難い巡り合わせだなと思います.

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春が来た!

2006-03-24 15:07:00 | Weblog
庭回りの美しさを記事にしない間に、庭の景色はずいぶん移りました.梅の花が散ったと思っているうちに、万作のけなげな黄色い花が可愛らしく咲いて、白もくれんが満開になって、、、きれいだなあと思っていたら、寒さがぶり返したり、雨が日替わりメニューになったり、、、、.そうしているうちに赤紫のもくれんが満開になり、枝垂れ桜のつぼみが赤くなってきました.我が家は田舎だけあってこんな状況ですが、都会暮らしだったらどんなにか御殿みたいに思われるだろうなと思います.

遠く山々を見渡せば、緑のグラデュエーションが花が咲いたかと見まがうほどです.緑って本当に色々です.それはどの色でも一緒ですよね.日本人の色に対する感覚を思う時、こんなにも自然に恵まれて暮らしてきた幸せを思います.我が家はもう直ぐ、一年で最も美しい緑の季節を迎えます.ただの贅沢をありがたくありがたく思います.本当は人間もその美しさの一部でなければなりませんよね.

先日二冊目の翻訳を終えて、出版社に渡しましたが、今また三冊目に取り掛かっています.
昨年の診断法と併せて、三部作のような気がします.翻訳しながら自分のマクロビオティックの完成に向けて一段と助けて頂きましたし、皆様のお役にも立てるような気がします.自然宇宙を理解する上で、とても大切なことが書いてあります.そしてなぜ食べるのかということについても皆様一人一人が納得されるのではと思います.私達のマクロビオティックがこの美しい自然のようになるようにと願ってやみません.
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マクロビオティックと商人(アキド)道

2006-03-19 12:48:24 | Weblog
マクロビオティックが普及していくのは大変に嬉しいことですが、ビジネスの臭いを感じるようになってきました.ここで私達がはっきり確認しておかねばならない事は、マクロビオティックは売り物ではないということです.敢えて独断するならば、マクロビオティックは人間の自然であり伝統であると言えます.マクロビオティックに関してその利便性には、ビジネスの余地が十分にありますが、マクロビオティックの知恵を売って儲けることは出来ません.このことは桜沢先生も久司先生も今日まで身を以って示してこられたのですから、私達現代マクロビオティックの徒も良く守らなければならないことだと思います.マクロビオティックの理論もお料理の仕方も、人類の叡智です.誰に属しているものでもありません.それでマクロビオティックの普及活動に従事しているものは、半分ボランティアのようなものだと覚悟すべきです.商人になって利益の追求をしたければ、そこに付随して発生してくる必要に応じるべきです.そして以前にも書きましたが、日本には古来より商人の道というものがあって、その暴走を自ら律したのです.それが出来ないものはマクロビオティックの実践者とはいえないはずです.

私の住む田舎町は日本経済の不況の影響の吹き溜まりみたいなものです.なかなか回復の恩恵には浴しません.大体過疎の地というものは恩恵が有り余るようにならなければ、良い影響も回って来ないものです.そんな土地でマクロビオティックをしようと言ったって、お金がかかるものでは受け入れてもらえません.そんなわけで私の教室は殆んどボランティアというようなものですが、東京の娘の教室も、我が子ながら良くやっていると思います.久司先生が知識を広く分けてこられたように、低料金で良心的にマクロビオティックを教えています.自分の教室の中から講師を育て上げました.昨年の先生のリーダー講習を講師候補にも受けさせています.娘達は久司先生のオープンさをよく受け継いで、マクロビオティックがみんなのものであることを実践していると思います.

娘自慢の親ばかを発表してしまいましたが、どうぞお許しください.そもそも人間は狭義の食べ物のみで生きているのではありません.その証拠が、桜沢先生や久司先生です.第一人間が狭義の食べ物のみで生きているのだとしたら、生まれた土地四里四方からそんなにひょいひょい出歩くことは出来ないのです.その四里四方だって、動物がお腹の中に根とその根のための畑を取り入れたとき、一日がかりで動ける最大範囲なのです.動物は動く植物というか、光の同化能力を持たずに植物を狩ることを選んだ肉食(?)植物――同じ植物を食べるという意味――なのです.だから本来可動範囲はそれ程自由ではないのです.ではなぜ久司先生があんなに世界中を飛びまわれるか?それは先生のお食事の大部分が形のないものだからです.エネルギーそのものを食べていると久司先生のように自由になれます.自由はエネルギーの性質ですから.だから先生もご病気をなさるのです.だってストレスや心配も食べ物なのです.だから私達は釈尊のお弟子のように、先生は少病少悩でおわしますかとお尋ねしなければならないのです.

マクロビオティックで食べ物を完全にしても、また壁にぶつかります.その時は進級試験に受かったと思ってください.でもその頃には、自分で何が足りないのか多すぎるのか整理が付くようになっている筈です.食べ物は人間の身体と同じで土台です.そこが始まりですから、皆で何とか助け合って行きたいものです.
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最近の世情あれこれ

2006-03-13 10:53:33 | Weblog
最近はマクロビオティックの世界もサプリメント真っ盛り?の観を呈してきました.それというのも世の健康状態が一段と悪くなって、マクロビオティックを始めようという動機が更に悪化した病気になってきたからかもしれません.病気の人は、なかなか自分のためにお料理をしたりお手当てをしたり出来ません.そういう意欲や根気と言うものが湧いてこないのです.だから看病をする人が必要なわけで、病気を治したいという希望は持っても自力で克服できる人は特別な人です.それでだろうと思いますが、マクロビオティック関係の雑誌を見てもサプリメントの花盛りというわけです.

でもこれはマクロビオティックが漢方やハーブ療法の類と同じレベルになるということです.必要があれば禁止は出来ませんが、判断基準が必要です.このレベルになれば無農薬とか有機農法とかいう基準では間に合いません.その製造方法が問題です.第一にそれが全体か部分か、圧搾か抽出か、醸造か蒸留か‥‥.その時々の必要に合わせてマクロビオティックの基準でお薬として選ぶべきでしょう.マクロビオティックで認められてきたサプリメント(?)は、今までは調味料とお塩とふりかけ類だけでした.その中に私がこれまでにふりかけ部門に加えてもいいかなと思ったサプリメント(?)は、「さんご草」だけです.これは厚岸草(あっけしそう)と呼ばれる海藻の粉末で、食品としては美味しくありませんがほぼふりかけ状の物だからです.詳しくお知りになりたい方は、もう亡くなりましたが細野雅裕先生の東洋の知的健康法という本をご覧下さい.粉末ですが、さんご草という名前が示すとおり、粉にしても耐え得る性質を備えています.第一にもともと水分が少なくて粉末になりやすいのです.

マクロビオティックは何を食べても自由ですが、それは一つ自分の判断力にかかっています.そしてその判断力を養う基盤も食にあることを忘れないように頑張って行きましょう.

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主人の患者さんの話

2006-03-09 10:02:03 | 出版記事
主人の患者さんの中には、主訴が「他の病院でもらったお薬はどれとどれを飲めばよいでしょうか」という方が何人もいます.それと言うのもお薬の量が半端ではなく主食がお薬と言うほどに、朝昼晩それぞれ20種ほどもお薬をもらってお薬を飲めばもうご飯が食べたくなくなるのではないかと思う位なのです.昨日などは主人が言うのにはその中から4種類ほど選び出してあげたそうです.そしたら患者さんがため息混じりに、向こうの先生に減らしてくれとは言えないし、お薬代はかかるしと言うので、主人は自分が減らしたと言うようにと指示をしたそうです.

でも今の世の中には色々なことがあるものですね.そして当地の患者さんたちは本当に人が良いと思います.昨日子供達と話し合っていたことですが、マクロビオティックが掲げる食事というものは最も基本的なことです.食事の改善なしに人間本来のあり方に立ち返ることは出来ません.でもこの世にはまだまだマクロビオティックに出会わない人もいるし、マクロビオティックを極める事はなかなか難しい.社会として医療が全体的な保護の役目をし、個人としては体を鍛えるという積極的な保護の意欲が必要でしょう.その医療がマクロビオティックを基本に据えれば、社会と個人との関係がどんなにかうまくいくだろうかと思います.マクロビオティックは社会と個人で進められるべきものだろうと思います.

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教室再々開のお知らせ

2006-03-08 21:43:30 | Weblog
ずいぶん長いことあけてしまいましたが、教室を開始します.4月22日(土)いつもの様に13:00~16:00です.久しぶりに皆様にお会いできるのを楽しみにしています.またこの教室は、久司先生の言われる“愛”のつもりですから、少しでも多くの方にマクロビオティックに触れていただく機会にしたいというのが私の望みです.それでいつも理論は一から始まって大まかな全容を解説し、実践であるお料理は目の前にある材料を使っての簡単な家庭料理です.如何にマクロビオティックを続けて行けるかということに主眼を置いています.それと筆記用具、エプロン三角巾と共に、各自お箸持参です.最後の教室から皆様どのように実践したり、迷われたりしたかお聞きするのも楽しみです.迷って考えた事は必ず役に立つものです.問題提起がなければ解決策は見出せないのですから.またお互いに意見を交換し合いましょう.

仲間を増やしたいと思っています.お友達を誘ってみてください.そうすれば世の中も早く変わっていくだろうと思います.詳しくは、柿本医院ホームページ、お知らせに掲示しています.楽しみにしています.http://homepage2.nifty.com/kakimotoiinn/
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久司先生の本の翻訳

2006-03-07 10:50:09 | Weblog
久司先生のパームヒーリングに関する本の翻訳が一段落しました.先日の福岡での講演の前にちょっと時間を取っていただきました.打ち合わせがおありだとかで予定の時間は取れませんでしたが、それでも最低お尋ねしなければという目標だけは達成しました.その後は皆様のブログで風評様々な講演に参加して帰って来ました.

ところで今回のパームヒーリングなのですが、翻訳中の感想を一つ.日本人の古くからの分類法に、「アカーアヤーアオ」というのがあります.アカは明るい、アオは真っ黒.だから真心を赤心と呼んだり、馬の黒毛を青毛と呼んだりですよね.その中間がアヤ、明るくてはっきり分かるんだか、真っ暗で何も分からないんだか分からない部分があるものがアヤ、だから怪しいと言います.そういう意味でパームヒーリングを扱った今回の本は、アヤの部分をアカにするためにとても役に立つと思います.

私達は空気は見えないけれど誰一人アオだともアヤだとも思いません.でも空気よりももっと私達に近いと言うより私たち自身の本質であるエネルギーについては、かなり怪しい認識レベルです.今回の本が怪しい自分の認識を明るいものに出来たらと思っています.
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