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マクロビオティックインスピレーション・随想古事記・日本語と歴史・バベルの塔・日々雑感

マクロビオティック・パームヒーリング

2006-08-30 20:57:09 | Weblog
今日手元に注文した分が届きました.子供達へのプレゼント(?)などです.多分店頭でもご注文いただけると思います.お近くの方は平戸の「和み」さんに置いていただきましたのでどうぞよろしくお願いします.先日も書きましたが、思ったよりよい出来だと思います.それでも思いもよらず間違いがあります.本の出版というものは難しいものだなあと思います.自分で正誤表を作って、「和み」さんにも渡しましたので、そちらの分にはついていると思います.よくおわかりの方やには取り立てて問題はないと思いますが、下記のとおりです.ブログで私が図を描けませんのでよろしくお汲み取り願います.

    p.32、図5    空の力 → 天の力
    p.79、図2    中焦、中心点 ・・・・中浣 → 中カンの偏が月
    p.85、図7    口蓋垂が奥、舌が前


現在私達は天の力・地の力と統一して使っていますが、天は地と違って具体的な言葉ではありません.天は無限の天球を総称して観念的にそう言っているだけで、何処からか力が湧き出す何かの事を言っているのではありません.天の力とは無限宇宙から地球に向かって降って来る力のことを言っており、地の力とは地球からその回転によって放出されている力のことで本来同じ起源であり、ある意味向きが違っているだけともいえます.無限そのものが力であって、私達地球に住むものにとっては向かってくる力と出ていく力の二つに生かされているわけです.私達も天の力の中に住む地の力の一つの形態であると思います.

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親の思い、子の思い

2006-08-26 10:06:51 | Weblog
佐世保で昨年起こった同級生殺害事件のお父さんがニュースに出ておられました.この一年間がどんなものであったのか、特に語られなかったけれどまざまざと見せて頂いた気がします.私の両親は実際は6人の子をなしました.亡くしたのは次男と四男です.次男は6ヶ月、四男は3ヶ月でした.次男は私が4歳の時、四男は小学5、6年の時でした.次男の時はお葬式の日のことしか覚えていません.お宮参りのきれいな着物を掛けられた小さなお棺の中の弟の顔と、墓堀の風景と土葬でしたから土を掛けられて初めて気がついた私が泣き叫んで何処かへ連れて行かれたことだけです.周囲の父母の事も何も覚えていませんし、その後どうしたのかも覚えていません.

四男は腸閉塞を起こして、口から緑色のものを吐く危篤状態になりました.今では訴訟問題のような経過だったと後から懐古するような状況で手術をして3ヶ月の命を終えました.お見舞いに行ったこと、母がかすかな希望にすがっていたこと、学校から帰ってきたらお隣のおばさんがお掃除をしてくれていて弟の死を聞かされたこと、弟のお葬式と火葬にしたこと、お骨を納めに帰郷したこと、この時は色々覚えています.忘れられないのは私がおばさんから弟の死を聞かされたとき、状況を認めたくない心境に駆られておばさんににっこり(自分ではそのつもり、ゆがんでいたかもしれません)笑顔で応えたことです.そして私達に病院で泣いて来たと言ったきり涙を見せなかった母の瞼が、二月も三月も、どれくらいか覚えていませんが長いこと腫れていたことです.今思うに母は子供達が寝てしまってから、毎晩泣いて寝たに違いありません.泣きながら寝た次の朝の瞼は誰もが知っている通りです.子供ながらにそのことに触れてはいけないんだと思ったものです.

父母は子供を失ったものにしかその悲しみは分からないと良くいいました.10年は老けるよとも言いました.冒頭のお父さんの姿を見てその言葉を思い出しました.私は幸いに一人も欠けることなく成人して元気です.本当にありがたいことだと思います.今親が子を殺し、子が親を殺し、兄弟姉妹や友人を殺してしまう世の中になってしまいました.事件というものは起こってしまわなければ分からないものです.いろいろな事件が起こるたびに再発防止策というものが考えられますが、一つ一つの毎日の自分の行いそのものに孝不幸の岐路が潜んでいることを深く認識しない限り再発防止は不可能だと思います.当たり前の事が当たり前に過ぎていくことが一番の幸せです.幸に進んだ時は何も起こらないし自覚しないのです.そのことをいつもわきまえて日々の生活や親子の接し方を慎むべきだと思います.そして軽率に何でもしてしまったり、言ってしまったりしないようにすべきです.

でも頭では分かっていても分からないからこういうことになるのですよね.唯一つの解決策、それが食べ物です.食べ物が私達の考えと行動を左右します.今食育と言われていますが、漠然としてその訳が明らかになっていません.いまこそマクロビオティックの出番でしょう.外に平和を叫んでも、内側が壊れていますから平和は実現しません.全て何を食べるかという最も基本的な毎日の選択が人間の幸福を決めています.食という行動は自己表現です.生物の(広くは宇宙全ての)行動は食が全てです.食によって全てが発現していることをよく考えたいものです.食の秩序が回復されれば、お互いの肚の内が読めるようになります.親の思いと子の思いも通うようになります.これが平和な社会の基盤だと思います.
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久司先生のパームヒーリング

2006-08-24 21:09:59 | Weblog
今日印刷したばかりのパームヒーリングが日貿出版社から送られてきました.思ったより写真もうまく出来ていました.実習書なので写真が多いのですが、30年近く前のものでネガも無く少々気になっていました.原本の英語版より随分ときれいに出来上がったと思います.マクロビオティックを学ぶ上で新しい視野が開けると思います.次にでる導引とあわせてお読みいただけたらと希望しています.

母の初盆の行事が終わったらなんとなく拍子抜けがして、あれ以来記事のテーマが出てきません.もう少しゆっくりして、今回のパームヒーリングでも見直したいと思います.お読みになってご感想でも聞かせていただけたら嬉しく思います.

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母のお初盆

2006-08-16 09:51:24 | 父の懐
今年のお盆には新しく母を迎え、そして昨日送りました.私達には慣れ親しんだお盆に花火ですが、他所の地方の方にはお盆にお墓で花火をするというのは不思議なことだそうです.その花火をお墓につるした灯篭の日が燃え尽きるまで楽しみました(?).熱心にしたのは、蚊遣りの効果の為かもしれません.実家のお石塔は古いので、最近立てられたような立派なものではありません.弟が苔を落としたりお手入れをしていますので、古色に溢れてはいますが優しい佇まいです.私の祖父母から火葬になりましたので父母は一緒ですが、それ以前のお墓が何基も上下二段の墓所に並んでいます.法名でだけしか知らないご先祖様や、無縁仏と聞かされてきたものもあります.みんな出て来て最後の夜を楽しまれたでしょうか.日本人はお盆を先祖と共に過ごします.

お盆は仏教の行事だと思っておられる方が多いと思いますが、これは日本独特の先祖祭りの行事です.仏教形式の御霊(ミタマ)祭りです.仏教には西方浄土に行った先祖はおりますが、一年に一度戻ってくる先祖はおりません.そういう意味では日本にあるものは今も昔も神道という随神(カンナガラ)の道だけかもしれません.随神の道は日本人の心情の道です.日本人は日本人の心情を亡くすことは出来ません.現代は自由な世の中ですから、自分を見つめ続けなくても生きていけます.隠れキリシタンは信仰の道を守りたい固い心で秘匿すればするほど、日本人の心情の道に近くなってキリスト教とは違ったキリスト教を作り出しました.今の自由な私達は幸せですが、ある意味で不幸せです.自分の真実を一生発見しなくても通り過ぎることが出来ます.

そういう訳で、固く靖国に戻ると決心をして戦死なされた方々は今年も靖国神社に戻って来られ、そしてお帰りになりました.靖国神社は近代の宗教とは無縁です.靖国神社は固いお約束の目印なのです.私達日本人は靖国神社にお灯篭を灯し帰って来られるご先祖様をお迎えして共にお盆を過ごしそしてお帰りいただかねばなりません.総理大臣はお迎えにもお見送りにも、日本人を代表して行かねばなりません.これは教祖のいる宗教ではないのです.特定の何かを絶対神にした宗教でもないのです.ご先祖様の道と子孫の道が行き会うのが神道で、その場所がお宮です.これは風習です.風習は心情を基本にしているわけですから、とやかく言うほうがおかしいと思います.ましてや規制されたところでどうにもなりません.私達日本人は敗戦を記念して(?)靖国神社にお参りしているというより、ミタマ祭りのためのお盆の心情で家族はお参りしているのです.そしてたまたま重なった重大な終戦の日でもあるのです.多くの人々を失ってその方々の犠牲の上に、その方々を思って自分達も耐え難きを耐え、忍び難きを忍んで日本を維持しようとした決意の日でもあるのです.

法で規制するというのであれば、一番の間違いは日本行政府が戦後占領からの独立時に、歴史的に当然の措置であるはずの戦犯とされた人々の名誉回復をしなかったことでしょう.したのでしょうか? その見識と勇気が無かったために戦後の日本は60年を経ても未だに精神的独立をはたしているとは思えません.そういう意味ではかえって戦後の政府が特A級戦犯だと思います.私達日本人の急務は、隣国のための靖国問題ではなく、戦争の始めから終りまで、そして戦後今日に至るまでの冷静な大人の検証だと思います.そして必要であれば裁判をやり直すべきです.その裁判は法律という人間の作った有限性に照らしてなすべきで、平和などという無限の秩序に照らすべきではありません.私達は表が正しければ、裏は間違っているそういう世界に生きていることを忘れないようにしたいと思います.裁判は絶対的な真理を争うものではないのです.

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日本の神話

2006-08-08 10:01:54 | 日本語・古事記・歴史・日本人
先日海幸山幸のお話をしました.海幸山幸の父君であるニニギノミコトが高千穂の峰に天から降りてこられました.そしてその天孫族と呼ばれているアマツカミが、いかに土着のクニツカミと同化して日本を作り上げていかれたか、その道すがらを語り伝えたのが日本の神話です.

マクロビオティックの久司先生は興味深いことを述べておられます.それは人間には二種類あると.その二種類は、他の天体からのイミグレーションと地球の土着であると.神話はその記憶を伝えたのかもしれません.アマツカミは他の天体で進化して何らかの理由で地球にやってきた入植者、クニツカミは土着の地球上での進化により発展してきたもの.或いはまたそれは地球上での話かもしれません.その後も神の名や天皇の贈名やイミナとして伝えられる名称から推測するに、同じ様なことが繰り返し起こった可能性は否定できません.そのようにして私達は日本民族を作り上げて今日に至っています.神話は民族の記憶です.記憶を共有するものを民族といいます.いま民族間の争いが世界で絶えません.記憶がある限り民族の垣根は取り除くことが出来ないものでしょうか.

もう一度神話を思い出してください.宇宙が混沌としていた時代に初めて形を持って現れたのは、ウマシアシカビヒコジの神でした.カビのような生命進化の原点です.それから幾世代を経て、イザナギ・イザナミ両尊の時代になります.そのお二方から地球上の国土も草木もあらゆるものが生まれ出て、最後にアマテラスとツクヨミとスサノオがお生まれになります.アマテラスが天界を、ツクヨミが海原を、スサノオが地上をお治めになります.兄弟です.そのアマテラスの子孫がアマツカミ、ツクヨミとスサノオの子孫がクニツカミです.元をただせばウマシアシカビヒコジです.私達の神話はそう言っています.人間ばかりでなく全てのものは同じ起源だと言っています.

アマテラスとスサノオの争いの神話があります.あれは後代のアマツカミとクニツカミの争いの象徴でしょう.つまりアマテラスとスサノオの名を借りた第何次かのアマツカミ・クニツカミの衝突の記憶でしょう.でもそうやって私達は日本民族を作り上げてきました.これは民族融和の証拠ではないでしょうか.日本神話はアマツカミとクニツカミが民族を溶かしあった記憶ではないでしょうか.古事記は西暦700年以降の編纂です.遠い生命の原初の記憶から、新しい大海人皇子の政治体制確立までの記憶を述べたものです.日本人は同じ記憶の土壌に自分達の今を重ねて古くは神話、新しくは歴史と呼ぶものを積み上げてきました.記憶は今と同じ性格のものです.そしてその記憶が未来を作ります.未来も同じです.生命は繰り返し繰り返し繋がっています.この世界は繰り返しが発現の原則です.ですから太陽は朝に昇り夕べに沈みます.朝が来、夜が来ます.私達の世界は陰陽交互の世界なのです.

日本人はもっと神話に親しむべきではないでしょうか.個々の体験という記憶は体験をした人々の範囲という限界があると思います.しかし生命の記憶は生命である限り共有できるはずです.平和運動の限界が垣根を越えるためにも生命の記憶に辿り着くべきだと思います.明日8月9日は、長崎に原爆が投下された日です.その悲惨さは語り継がれるでしょう.しかし私達が紀元前の戦争の悲惨さを実感することが出来ないように、いや、同じ長崎県の元寇の悲惨を実感することすら出来ないように、何れ冷静な感情の許に納められる日が来ます.その時私達はどのように平和運動を展開するのか、この解答を示しているのがマクロビオティックの運動だと思います.桜沢先生や久司先生はこの平和運動を展開しておられます.マクロビオティックが唯一の道だと私は思っています.
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8月で一年

2006-08-05 10:21:26 | Weblog
柿本医院のホームページを立ち上げ、それに付随してブログを始めてから、そろそろ一年になります.なんとなく生活の中に溶け込んできました.そして「マクロビオティック健康診断法」の発行も8月の末でした.「パームヒーリング」の発行も今年の8月の末になります.8月というのは縁の深い月になりました.

「パームヒーリング」とそれに続く「導引」は、実習書の部分もあるので写真がたくさんあります.よく分かりませんが、その写真の取り入れに技術的な問題があって時間がかかったようです.実習に興味がおありの方は勿論ですが、そうでない方にも十分お役に立てると思います.それは人間の本体というものを取り扱っているからです.「導引」ではさらに突っ込んで人間の構造と成長(発展)を、宇宙的視野から扱っています.皆様の〈自由への道〉の案内係になれると思います.

去年も宣伝〈?〉をしたような気がしますが、感想も聞かせていただけたらありがたく思います.久司先生は今後ホモ・スピリートスへの教化活動に力を入れたいとのお考えのようですから、これもまたお手伝いの時宜を得たことと嬉しく思っています.

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