inspiration-macrobiotique・随想古事記

マクロビオティックインスピレーション・随想古事記・日本語と歴史・バベルの塔・日々雑感

しょうゆ麹

2012-08-31 12:56:10 | 教室情報
昨年自然食品和みさんの浦田さんを講師に迎えて塩麹の作り方を教えてもらってから、日々活躍する塩麹です。皆さんの塩麹はどんな具合ですか。ところで町の書店で塩麹ならぬ、しょうゆ麹という文字を見つけました。マクロビオティックではありませんが、高橋香葉さんという写真もかわいらしい若い方の考案だそうです。


それで早速作ってみました。塩麹と違って加熱後加えた方がよいとのことです。味が柔らかく美味しくなるので、夫のお弁当に時々イカを茹でて和えてみたりしています。しょうがをおろして加えると引き締まって食が進みます。ただ私の好みですが、白すりゴマとは合わないような気がします。小松菜などもスッキリしなくなります。美味しいのですが、味が複雑なので、強い単味の食材と合わせた方がよさそうです。

良いところは塩麹より塩気が格段に低いことらしいです。ともかくとても香りのよいお醤油なの
で、これから探究してみようと思います。それはそれとして今年の暑い夏、なすの塩麹漬を作ってみました。これが大ヒット!!、嬉しくなって、9月の教室でご紹介しようと思っています。ちょっとコツが必要なので、実地演習にします。

9月は最終土曜日29日です。ほぼ2ヶ月ぶり、久しぶりに皆様にお会いできるのを楽しみにしています。




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     私達は横田めぐみさん達を取り戻さなければならない!!!

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南海トラフ地震

2012-08-30 09:26:13 | Weblog
世にも恐ろしい地震想定が公表されました。これは想定可能範囲の最大を算出したものですよね。ですから軽視するわけにはいきませんが、金縛りになる必要もない・・・・・計算です。それで自分達の覚悟の密度を上げていかなくてはなりません。

テレビで今朝放送していましたが、平野地方では避難ビルの設定しか対応できそうにもありません。それに非常事態なのですから、日常もへったくれもありません。みんなで助け合うだけです。ただ小学校の避難訓練の様子も放送されていましたが、こればかりはもっと考えて対処しなければいけないと思います。子どもは私達の未来そのものです。どんなことがあっても助けなくてはいけないと思います。それで思ったのですが、市役所や消防署、税務署や法務局などの公立機関の庁舎と小学校を同じビルにして高層化し、一般の避難スペースも屋上部分に一緒に作ったらどうでしょうか。

子供達の安全も守れるし、子供の社会教育にも良いかもしれません。学校に出入りする保護者達にも行政がもっと身近になるかもしれません。スクールバスなどの運営も効率が良くなるでしょう。何より行政と議会が奉仕の心を深くするかもしれません。




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ちょっと涼しくなりました。

2012-08-28 20:34:45 | 季節・週末散歩

日中の暑さは相変わらずですが、朝夕はずいぶん涼しくなりました。時々北風が吹くこともあります。『あごは?』と平戸人の心をくすぐる風です。台風の影響か、今日はお昼間も風があってしのぎやすい一日でした。それにしても季節のめぐりは一日一日のたゆまない歩を進めているのですね。

どこからか赤ちゃんの泣き声が聞こえてきます。かわいらしい『ンギャア、ンギャア・・・』という2,3ヶ月の赤ちゃんの声です。赤ちゃんも背中が熱かろうな~と思います。まだこの世に慣れていない赤ちゃんは汗疹が出来やすいものです。育児時代の真っ最中に思ったものですが、特効薬は沐浴につきます。今年は出来ませんでしたが、私も昨年と一昨年、東京が暑かったのか、汗疹が出来ました。それに汗疹ってお湯につかるとチクチクしますよね。

もっと早く記事にすればよかったと今思っていますが、私は自然食品和みさんの『バスチャージャー』を使っています。これはカルシウム剤でお風呂のお湯に加えると、お湯が柔らかくなり汗疹にもいいんです。チクチクもしなくなりますし、もちろん水道水のカルキも中和されます。孫へ送ったり甥や姪の出産祝いによく使いました。今でも毎日のお風呂につかってたいへん重宝しています。

ところで先日おもしろい目に遭いました。若いあぶら蝉が落ちて転がっていました。例の調子で、「どうしたのよ、お前さん!」と言いながら拾いあげたら、その蝉が正気づいて私の指に針(口)を突き刺しました。「私の樹液(?)を吸うのかえ~~」・・・・・結構痛いんですね。蝉の腹に沿っている針が立つんです!!蚊と同じです。今まで何度も蝉を捕まえたことはありますが、針を立てられたのは初めてでした。




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平戸便り7

2012-08-24 07:34:38 | 平戸
以前にご紹介したことのある平戸のザボン園で蜂蜜ができたとかで、出来たてのセットを高校の先輩からいただきました。ザボンの花だけの蜜とザボン開花三分までの混合蜜と・・・・・すらっとした瓶に入っていてとてもきれいです。ちょっと味見をしました。ザボンだけの蜜は、独特の香り成分を含んでいて、ジャスミンに似た苦味があります。あの白い楚々としたかわいらしい花からは想像もつかない孤高な苦みです。でも近くで見るザボンの花は、なるほど高貴です。ジャスミンがお好きな方は、多分とりこになるのでは・・・・・と思います。混合蜜は『百花(ひゃっか)』と名付けられて、穏やかな一般向けの味です。

日本からミツバチがいなくなるのでは・・・・・と危惧されています。このザボン園は農薬を使っていません。ミツバチの持ち主から一年を通して置いてくれと頼まれたそうです。農薬の心配のないところが少なくなってきているのだそうです。このザボン園はとても貴重です。子供のころミツバチを捕まえて遊んだことがあります。別にどうすることもなくただ両手を膨らませてミツバチをブンブンいわせて、しばらくして放すだけです。刺されたことはありません。

これも子供のころ裏庭にあった大きな古木のうろにミツバチが巣をかけていました。食糧難時代のこと、近所の大きな子供が蜂蜜なめたさに幼い私と弟を仲間にして、竹竿でその巣をつつき蜂蜜をなめました。柿本の両親宅の勝手口には、スズメバチが大きな巣をつくっていました。カチカチ音をだしながら飛び交ってぶつかりそうになったこともありましたが、さされたことはありません。スイカくらいの大きさになった頃、イタチかテンの餌食になってしまいました。蜂には何かまだ未解明のルールがあるに違いないと思います。


このザボン園はNPO法人『ひらど(平戸)遊学ねっと』が経営しています。商社マンだった先輩が、定年退職後故郷に戻り立ち上げられました。過疎化により打ち捨てられる以外ない荒廃した故郷の土地を再生しておられます。そのようなザボン園を手入れし復活させるのは、並大抵の苦労ではありません。炎天下毎日草刈で果樹園としての体裁を整え、下払い、剪定、やっと収穫できそうになった途端、虫にやられたり・・・・・収穫も大変です。ヒノキ林に囲まれていたため、上へ上へと幹を伸ばしたザボンの実は頭上はるかにあるのです!!!NPO法人設立も大変でした。毎日の只働きの上に、書類を提出しなくてはなりません。過疎の地はただでさへ人材不足・・・・・この先輩とそのお仲間の熱意なしには到底無理なことだったろうと思います。

そして画期的なアイデアだったと思いますが、以前ご紹介したことのある『ザボンオーナー制度』、これは一年間二万円のオーナー出資制度です。どなたでも申し込めます。これで無農薬のザボン園が存続できますし、ミツバチも生き残れます。どうぞご希望の方はお申し込みください。特典はその木になったザボンがもらえます(送料は負担)。今年は豊作で1本に100個以上ついているそうで、摘果と上等そうなのには袋かけだとか・・・・・オーナーはザボン園見学も可能です。お花の季節にお出かけになっても素晴らしいと思います。遊覧船で平戸めぐりもできます。遊学ネットで手配してもらえると思います。

それに一番新しい高倉健さん主演の映画『あなたへ』は、高倉健さん演ずる主人公が亡き妻の故郷平戸を訪ねるお話だとか・・・・・時宜にかなっていませんか???平戸はこれからあごの季節・・・・・今年はあごが獲れるでしょうか?

蜂蜜も注文できます。200g入り2本のセット(箱入り)で、ザボン蜜だけが5000円、ザボン蜜と百花蜜で4000円、百花蜜だけで3000円です。送料は送付地域によって多少の違いがあります。今年が採取初年なので、200本作ったそうです。まだ注文頂けると思います。

          NPOひらど遊学ねっと
          0950‐22‐4372

ブログのブックマークにもありますので、インターネットで見ていただけます。




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コメント (2)
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アインシュタイン博士の言葉

2012-08-17 11:29:04 | 父の背負子1(随想古事記)

ずっと何十年も気になっていた、アインシュタイン博士の訪日時の言葉と言われているものがあります。初めてその言葉に触れたのはホツマ伝えの研究(?)というか、人生の真実を追求してホツマツタエに辿り着いた頃のことです。ご存知の方も多いと思いますが、博士は仙台の多賀城をひそかに訪ねて、『日本という尊い国が今残っていることに深く感謝する』といった趣旨の言葉を残されたそうです。

それを聞いて嬉しくは思いましたが、ますます悩みが深くなりました。博士はお分かりだったのだと思いますが、私には何故尊いと言われたのか、その理由が分からなかったからです。今回オリンピックを見ていて、私の頭の中でぐるぐる巻きになっていた『ひも』が解けました。そしてわが国日本が尊いと博士が言われる理由も確信しました。間違いないとおもいます。

『五輪』と『五色人』・・・・・オリンピックを見ながら思うことは私達人類の兄弟姉妹である『五色人』の顔ぶれです。そして全世界に広く分布した足跡を思いました。以前の記事『五色人の謎』でご紹介したとおり、人類は大まかに三つの主要ルートで拡散したと思います。第1が、エジプト・メソポタミアからインドを手始めにアジア大陸の東側に沿って日本列島まで。第2に、エジプト・メソポタミアからバルカン半島を西に向かってブリテン諸島までと北西に向かってスカンジナビア半島まで。第3に第2グループの居残り組からコーカサスを超えアジアの内陸部を進んでインドと極東まで辿り着いた組と。

1と3はそれぞれ更にベーリング海峡を越えアラスカに辿り着き、南アメリカまで到達します。2は後代有史時代になってバイキングとなり北大西洋を越え、北アメリカに達します。それぞれを『五色人』で言うならば、10万年前のエジプト・メソポタミア人は『ウル』、つまりみんな『牛』族でした。色々いたと思います。黄牛、赤牛、白牛、黒牛、青牛・・・・・このころはまだ『バベルの塔』は崩壊しておらず、言葉は通じあっていました。

五色人の謎Ⅰ』で詳しく書きましたからかいつまんで言うと、その後『牛』だったトーテムをそれぞれの環境事情にあわせて『蛇(ナーガ)』→『鳥(チョ)』、『犬(イン)』→『馬「マフ」』とそれぞれをトーテムとする亜集団を生んで、『牛』『蛇』『鳥』『犬』『馬』の『五色人』が誕生することになります。こうして人類は広域に広がり、言葉の癖も生まれ、『バベルの塔』は崩壊します。言葉を共有しなくなったということは、戦争の激化を意味します。戦争が大掛かりになったのです。

先日友人から『ガリア戦記』をもらいました。紀元前1世紀のローマとカエサルを思いました。ローマもガリアもゲルマン人もみな『犬』ですが、貧富の差により、ローマ側にすれば防衛の必要でどんどん国境をローマから遠くに敷く必要がある・・・・・ガリア人から見れば、ローマの恩恵を受ければ、ゲルマン人の餌になる・・・・・ゲルマン人から見れば、裕福な土地を獲得して一族の飢えを無くしたい・・・・・

『蛇』族のインドでは、不毛な土地から『犬』のアーリア人の侵略を受ける・・・・・極東アジア大陸では女媧伏犧『蛇→鳥』からの三皇五帝で『牛』を加え、『夏(牛)』『殷(鳥)』『周(牛)』『秦(犬)』と王朝の交替が起こります。つまり前住人を追い出した、或いは隷従させたのです。こうして人々は中央から辺境に逃げていきます。朝鮮半島も同じで、最終的に『李氏朝鮮(犬)』で現代へとバトンタッチをしました。

秦(犬)の始皇帝が初めて『皇帝』を名乗ったとされています。もしかすると『皇』帝は、『白(馬族の色)の王』なのかもしれないと思います。『五色人』を理解させてくださった恩師とも言うべき川崎先生は、『ウル(牛)』とは動物のことで、その大きなものを『獅子』と言い『犬』の大型、つまり『狼』のことだと言われています。またその『ウル』の都市にはシンボルマークとして『大角鹿』が『獅子』として描かれているとも言及されています。つまり『牛』は『鹿』であり、『犬』であり『狼』であり、そして『馬』であるわけです。

世界は最初に『牛→犬→馬』群団から『蛇→鳥』族群が追い出されてアジア大陸の辺縁部に沿って分布し、次に『牛→犬→馬』群団が侵略(?)席巻して現代に至っているわけです。アジアでは必ず西から東へ、北から南へと侵入にさらされます。現代でもロシアや共産党中国、朝鮮半島の北朝鮮・韓国などは同じことを言っています。決して反対向きに動きません。その中で唯一東から西へと刃向ったのは、高句麗です(そして日本と)。何となく親しみが湧く理由でもあります。

我等が日本はどうなっていたのかというと、およそ3万年前には『蛇』族が辿り着いていました。そして日本独自の環境下で独特の民族を作り上げていました。私はそれを『海津(ワタツ)族』と呼んでいます。その人々の所へ、次々と人々が逃げてきます。先ず同族の大陸『鳥』族が難を逃れて辿り着きます。これが多分邪馬族でしょう。その後次々と同族相食み、犬も牛も馬も渡ってきます。これが最終的にどうなったかというと、我等が日本では『古事記』を完成させて『大和民族』を作り上げました。『大和(やまと)』は『五色人大和(だいわ)』民族なのです。

この国柄をアインシュタイン博士は『尊い』と言われたのだと思います。他にどこにもありません。人種の『坩堝(るつぼ)』はあっても、溶けて作り出した錬金は我が日本以外に有りません。『ホツマ伝え』に関わられた馬野周二先生は石原莞爾研究家でもあり『世界最終戦争論』を出しておられますが、太平洋を隔てて向かい合った二つの国家の運命について書いておられます。今ではそれは『坩堝(るつぼ)』国家アメリカ合衆国と『錬金』国家日本の運命だったのかと思います。大きな戦争を経験しましたが、その間にあるのが太平洋であることに希望を感じています。




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オリンピックが終わりました。

2012-08-14 11:00:39 | Weblog
ロンドンオリンピックが終わりました。日本から遠く離れているせいか、それ程直接的な感覚は有りませんでしたが、選手の思い、家族の思い、日本の思い、中に立つ報道関係の思いに、様々なものを感じました。それにしてもオリンピックに限らず一般的に言えるのは、日本人ほど総じて希望を語る人間はいないのでは・・・・・ということです。何の根拠もないのに、選手達が金メダルを獲得することを願う・・・・・選手たちに金メダルを取ると言わせる・・・・・そしてお祝いやあやかりに明け暮れる・・・・・次回もと安易に願う・・・・・・次回は必ず雪辱すると誓わせる・・・・・

オリンピックに関わった人々の言葉が、良きにつけ悪しきにつけ、空疎な響きを持っていると思うのはどうしたものでしょうか。多分それで自分を見つめざるを得ない選手は寡黙で語らない人が多い・・・・・この2週間オリンピックで霞んでしまったプロスポーツでしたが、ゴルフの石川選手を思い出しました。華やかなスタートの時間をかなり長く過ごすことのできたこの青年は、20歳をさかいに苦境を経験し始め別の次元を歩んでいるらしい・・・・・だけどこの青年の感じが良いのは、決して空虚な希望を語らない事。そして世界の選手に交じって力で押すことを断念したらしい・・・・・これは素晴らしいことだと思います。自分の現実に判定をつけ、それに合った技量と方法を身につけようとしているのでしょうから。目を見開いて希望を持つことは、必要を認識することです。石川選手の追い求めているものは、きっと現れてくるはずです。行き合うべき人に会うだろうと思います。





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お弁当

2012-08-12 10:32:21 | Weblog
8月に入って夫のお弁当を作るようになりました。お弁当と言っても至極簡単なものです。夫婦とも老齢(??昔なら、童謡にもある、今年60のおじいさん・・・・・の年齢をとっくに過ぎてしまいました!!)なので、たくさん食べるわけでもなく、ましてや私のやることです。

昔(?)から私のお弁当の原則は決まっていました。1.冷めても美味しいこと。これは当然ですね。そして2.蓋を開けた時につぶれているようなものは入れてはならないこと(最たるものが、“イチゴ”)。当時はまだマクロビオティックは知りませんでしたが、勿論人工着色料の類も完全抹殺、まあ現代的自然志向でした。それで以前ご紹介した幼稚園児だった子供たちへの“サクランボ事件”もありましたし、長女の同級生の『柿ちゃんのお弁当はかわいそう』発言事件もありました。エンドウ豆ご飯への思い入れもあったというわけです。なつかしい思い出となってしまいましたが、今度は夫のお弁当・・・・・。

もう一つ忘れてはならない第一のお弁当の大原則が腐ってはならないことです。夫の仕事場は冷房が利いて夏でもお弁当が悪くなることはなさそうですが、それでも時間の経過は同じ条件です。それで夏のお弁当は、腐りやすい脂肪とタンパク質をなるべく控えたほうがよい!!それにお肉やお魚のお料理は基本的に冷めると美味しくない・・・はず???お野菜料理をおかずにするチャンスです。如何に美味しくお野菜の一品料理をつくるか、ちょっと楽しみです。レシピは作らない主義ですが、個人的なレシピ集を作ってみようかとも思っています。

それから余談ですが、前回のクラスでもちょっと触れたご飯やおそうめんのかび・・・・・・私達が子供の頃は食糧難の時代、カビの生えたご飯はもちろん洗って食べました。冷蔵庫など有りませんでした。ご飯は竹かご(手つきのテボ)に入れて天井からつるしたものです。真夏は井戸につるしてありました。酸っぱいにおいがしたり、カビが生えたものです。それでも捨てることはできません。日本国中ご飯が無かったのです。お昼ご飯を出せば、一日仕事に来てくれた人は沢山いました。冬のお餅も水餅になって青カビ臭いお餅を食べたものです。

そんな思い出の中の輝く“カビ物語”は、おそうめんのお話です。ある日祖母がいつものお米屋さんに去年仕入れたおそうめんを注文していました。おそうめんは一夏カビを吹かせたものの方が美味しいのだ!!ということを、その時初めて知りました。どんなに上等のおそうめんも新しいものは、外側から芯まで皆同じような弾力性を持っています。言ってみればゴムのような感じです。でも一年の熟成過程に微妙に水分の調節が行われ、カビを吹かせることによってその乾麵は独特の変性が進んで行きます。ゴムとは違った弾力性を持ちます。はがねの通った柔らかさと言うべきか・・・・・それを三輪そうめんなどでは、土蔵三年物などと言っていますよね。ゴムのようなおそうめんとは比べ物になりません。

勿論青カビの吹いたおそうめんを美味しく食べるにはコツがあります。1.乾麵を取り出してよ~くカビをはたき落とします。それから2.茹で方が大事です。たっぷりのお湯を沸騰させて、おそうめんをバラバラと入れます。すぐに湧きあがってきます。この時カビも泡に混じって浮きあがってきます。きれいにすくいとらなければいけません。カビをおそうめんに吸収されないうちに素早く全部すくって捨てます。それから差し水・・・・・絶対に最初にとってしまわなければなりません。そうすればカビ臭さは残りません。

これから食糧難の時代が来るかもしれません。先人の知恵をまた思い出すべきですよね。いつか役に立つかもしれないので、残しておくことにしました。




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