inspiration-macrobiotique・随想古事記

マクロビオティックインスピレーション・随想古事記・日本語と歴史・バベルの塔・日々雑感

子供時代の懐かしい味、へぎ餅

2007-01-30 21:48:56 | 平戸
大学に行って初めて、この美味(?)が普遍的なものではないと知りました.私にとってはそれほどに子供の頃“へぎ餅"は身の回りに当たり前にあって大好きなものでした.まだ家庭のぬくもりの大きな役割を火鉢が担っていた時代に、私の今も住む平戸地方の楽しい冬のおやつでした.

切りやすい固さになったのしもちを截って、うすくうすく切り(へぐ・・・剥がすように切る)、もろぶたに並べ、座敷と次の間を囲む縁側にぐるりと並べて乾燥させました.からからに乾いたらためておいて、火鉢に網を乗せ焼いて食べたものです.受験勉強のおやつでもありました.祖父母との思い出でもあります.お椀に入れてお醤油をちょっとたらして熱いお茶をかけて食べました.年寄りはすっかりふやけて柔らかくなってから食べました.

今年も“和みさん”のおかげでなまこ餅が手に入りました.黒豆入りが好きなのですが、へぎ餅には適しません.黒豆は薄く切れません.プレーンと青のり入りで作りました.お盆に8枚になりました.出来たら子供達、孫達に送って、平戸生まれのDNAを伝えたいと思います.懐かしさは子供時代に食べた味.父母が好きだった味.DNAの共通言語は懐かしさかもしれません.

お餅を自分の家でつかなくなって、お餅つきにまつわる色々な楽しみはなくなってしまいました.出来たての大根餅もあんこ餅も・・・.土間のお台所は不便だったかもしれません.でも楽しい思い出が一杯です.色々な人が出入りした広いお台所.そんなものはもうなくなってしまいました.その広いお台所は、家族を支えた大きな力のもとでした.これからの子供達はお台所を懐かしく思い出すでしょうか.食育の原点はお台所そのものにあるような気がします.

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1月教室参加の皆様へ

2007-01-23 14:04:30 | 教室情報
ちょっと補足です.「此処よ!」に応える「其処ね!」について.

「其処ね!」とは思いを届けることです.「其処」と場所を特定して、念波を送ってください.思念を込める必要があります.上の空で聞いて応えては役に立ちません.体からの声に耳を澄まして、同じ心で応えてください.

ではまた4月にお会いできますように.繰り返し繰り返し思うと答えがわかって来たりします.それぞれ体験を積んでまたお話しできる日を楽しみにしています.
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1月教室

2007-01-22 09:57:55 | 教室情報
20日の土曜日、18年度プログラムの教室を終了しました.2月、3月は何かと忙しいので、お休みを恒例とすることにしています.今年は途中に色々と変更が重なって、陰陽についてのクラスが抜けていましたので、陰陽についてのお話をさせていただきました.講義をまとめようとすると、お話したいことが次から次へと出てきます.陰陽の発生から自分の調整まで、何処をどのようにどれほどお話しすべきなのか、調理時間に食い込まないようにうまくまとめられるか、そして出だしをうまく入ることが出来れば後は天にお任せ・・・・出だしはとても気になります.

約10ヶ月間聞いてくださった皆様は、ご自分のマクロビオティックを組み立てられたでしょうか.私の教室の目標は、聞いて下さっている生徒さん達がマクロビオティックを消化し自分で毎日の生活に(お料理等)発表できるようになっていただくことです.まあマクロビオティック人生教室とでもいいましょうか、純粋なお料理教室ではありません.調理実習にも作りたいお料理の目標と材料は有っても、レシピは有りません.勘と頭を働かせて毎日のお料理を作る練習です.きっと皆様の家庭料理の腕は上がったはずだと思っています.

19年度は2年間参加して下さった生徒さんもおられますし、もう少し講義と実習に参加していただいてもいいなと思っています.人に伝えるということは、自分を成長させてくれます.生徒さんが先生であるということを実感します.自分の不足も認識できます.プログラム作りを楽しみながら考えてみたいと思います.

最終教室で主人がお話したことを柿本医院のホームページ「今日の医療豆知識」に掲載しました.主人はブログをお休みしていますが、しばらくはホームページサイトを自分のページにするそうですので、よろしくお願いします.医療の発展がマクロビオティックを後押ししてくれます.きっと多くの皆様のお手伝いになると思います.庭には蝋梅が満開で香りをほのかに漂わせています.周囲3メートルには及びません、それくらいほのかです.玄関のうちでは一足はやく白梅が満開になりました.こちらは香気を放っています.もうすぐ立春です.梅は初春の花です.凛とした大和撫子のおもかげが白梅と重なります.

「今日の医療豆知識」http://homepage2.nifty.com/kakimotoiinn/kyounochishiki.htm
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マクロビオティック考、食事の量

2007-01-11 10:43:19 | 出版記事
食事の量という問題は、精神性の目覚めによって意識に登場してくるような気がします.人間のように満腹になってもまだ食べることが出来る(?)という脳の構造を持っていない動物達は、自然の生理機構のコントロールにしたがって生活しています.というより食べるものが得られない場合は餓死という過酷な食環境の中でも、満腹中枢が満腹という指令を送れば眼前に食べ物があっても食の動機を失うという生活をしています.

人間の大脳は人間が食によって獲得したものですが、そのことが人間を他の動物達から画すことになりました.人間は大脳によって生理機構がもたらす機序とは別に自分をコントロールできるようになったのです.複雑な脳を持つ動物の誕生です.生物としての脳と人間の特徴である発達した大脳と、時には矛盾して働かせることも出来るようになりました.そしてその営々たる努力の結果、皮肉なことに自分の食事量もわからないことになりました.何という体たらく!

「体の声を聞こう!」という叫びは、こういった事態に対する反省です.体の声とは生物としての脳の判断です.全身の細胞から集められた情報をもとにした体の状態に対する判断です.全身の細胞の声を聞かなければなりません.これこそが「聞け!わだつみの声!」です.脳の仕組みと機能をよく理解しなければなりません.そしてコントロール機能のない大脳などという不完全なものに支配されてはいけません.大脳も必ず規制するものがあるはずです.それが何か、身体性から言えば小脳(生物としての脳)、精神性から言えば食(波動の質)ということになります.こういうわけで宗教を含む精神的修養の道は、全てその食に言及することになりました.精進頭でないと人間性(大脳)をコントロールできないからです.宇宙の真理の波動を一様に誰もが食しても、認識判断にまで到らないからです.本来の精進料理とはそういうために発展してきました.

そこで我等マクロビオティックの徒も、「朝に道をきかば・・・・」と一念発起、マクロビオティックの考えに沿って食事をしてきました.それぞれの大脳判断に従って食事をするわけです.ですから自由な精進(?)料理が千差万別、生まれてくるわけです.マックロ(真っ黒)ビオティックやマックラ(真っ暗)ビオティック!!そこに戒律(ガイドライン)が必要であることを実感します.それで桜沢先生や久司先生に教えて頂くわけです.私達は先生のお蔭で安全の判断基準を知りました.でもどうしても自分で知らなければならないことがやってきます.自分の個々の食事内容と量です.自分の体の声です.

内容は量より教えていただきやすいものです.でも量となると最初はお手上げです.皆さんはどのようにお考えですか.私は量の問題に突き当たると必ず心の底から湧き出す声があります.それは「一日に玄米四合と味噌と少しの野菜を食べ・・・・」 皆様ご存知の宮沢賢治の一節です.これが当時の貧しくも体を張って暮らした男が食べられれば良いと考えた食事量ならば、桜沢先生の七号食や五号食を、或いは三号食を適当にお手本にするより分かりやすいような気がします.しかし女だからと三合に減らしても、一日に三合食べるのはなかなかです.現代の食事にはおかずが多過ぎます.まあその多様性が現代社会のグローバル化を推し進めているのかもしれませんが.おかずの少なさも定着性の目安かもしれません.グローバリゼーションは身土不二の対立語でしょう.

私達は様々な自分を取り巻く環境を勘案して、自分の食事量を毎日決めています.そして自分のなりたいように自分を決めているわけです.明日の自分を楽しみに玄米と味噌と野菜の量を加減して今日の食事をいただきたいと思っています.
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お正月

2007-01-02 17:17:54 | Weblog
明けましておめでとうございます.皆様どのようなお正月をお迎えでしょうか.私は昨年実家の母を亡くしましたので、嫁した身ながら近年の例に倣い静かなひっそりとしたお正月を迎えました.そのおかげで(?)様々なしつらいも簡単、時間はたっぷりのんびりというわけで、久方ぶりにお正月らしく和服を楽しんでいます.

姑が20年も前になるでしょうか、嫁のために誂えてくれた紬のしつけ糸を初めて取りました.姑とは柄の好みなど結構違っていたのですが、それでも渡された瞬間嬉しくなった着物でした.今着なければ、もう裾回しの色が派手になる!って気になっていました.満足です.袖を通してみれば、まだそれほど派手ではないことが分かりました.後5年は大丈夫でしょう.結婚する前好きで自分が作り一回も袖を通していない小紋があります.若い頃は地味好みだったのか(?)今でも柄は大丈夫ですが、裾回しの色は流石に35年の歳月には耐えません.このまま娘に譲ろうかとも思いましたが、それでも好みは昔のまま、一度は着てみたい!!今年裾回しを変えて袖を通したいと思います.娘達も若いうちは着ないだろうと思います.

姑は嫁に機会あるたびに着物を作ってくれました.最初は長女の出産の時に寝巻きの上からお客の対応が出来るようにと紬のアンサンブル、長男のお宮参りに色無地と絵羽織、父の後を継ぐために主人が平戸に帰ってきた時に今回の紬、何かの時には帯という風に・・・自分が好きだったのかもしれません.たくさんの姑の着物も受け継ぎました.身丈も裄も袖丈も手を入れずに着ることが出来ます.そして今年亡くした実母の思い出の着物を貰いました.兄弟の中でその着物にまつわる思い出を知っているのは私だけですから、私が持っておくのがいいだろうと思いました.その着物を昨年解いて身丈を出来るだけ伸ばしました.小柄な私よりなお小さい母でした.今年の同窓会に着て行こうと思います.

着物が私達の日常生活から遠くなってしまいました.それでも心懐かしいものです。思い出の中の母は着物姿です。懐かしい父も帰宅すると和服に着替えていました.「お着替え」と称する父の着替えを手伝う時間が日常にありました.母の仕事ですが、母の手が空かない時には子供の仕事でした.というより父の傍で見ているだけだったかもしれません.それから仏壇の前でひとしきりお経を上げて鐘を鳴らし、それからやっと大好きな父との交歓が始まります.その父が母の和服姿が好きでした.それで和服は子供時代の思い出と共にあります.この思い出を子供達に作ってやらなければ、和服は伝わって行きませんよね.娘達に対する仕事だろうと思います.和服は大切な私達の民族衣装です.思い出と共に伝えて行きたいと思います.桜沢先生がインドに行かれた時のこと、その国の婦人達の愛国の思いに打たれたそうです.どうしてか?それはたくさんの婦人達がサリーを身にまとっていたからだそうです.それに引き換え、我が日本の女達の亡国ぶり・・・・と嘆かれたそうです.今年はいろいろな面で大和なでしこを取り戻す工夫をしたいと思います.それが久司先生の昨年の講演のテーマでした.先ず心に和服を取り戻したいと思います.

コメント (12)
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