inspiration-macrobiotique・随想古事記

マクロビオティックインスピレーション・随想古事記・日本語と歴史・バベルの塔・日々雑感

今日この頃

2006-06-29 10:02:36 | Weblog
庭先のどうだんつつじの冴え冴えとした緑に赤い細い茎がきれいです.今日は先日からの大雨が嘘のように晴れて青空となりました.土作りの筈だったプランターのかぼちゃももう花が咲いています.

最近夫のブログでは栄養談義が盛り上がっています.皆さんそれぞれ思うところがあって、なかなか面白そうです.30品目については発表当初の栄養学的見地はどうかと思いますが、まあ10品目でも20品目でも、人間の多様性には貢献していると思います.人間が誕生した頃は当然他の動物がそうであるように、周囲にある同じ物ばかり繰り返し食べていたと思います.ですから人間の体のシステムは、パンダが笹ばかり食べているようにイネ科の植物の種子や栗のような木の実、植物の実、筍、植物の葉、その根や皮、等々その時期にその周囲で採れる物ばかり食べてうまく機能するようになっているはずです.

みんな同じものを食べているとみんな似通ってきます.同じものは何一つないというのが宇宙の原則ですから、多少違ってはいますが、それでもシマウマの群れに人間ほどの違いを見ることは出来ません.人間の衣服もそれぞれの思い様の違い、表現の違いですから、表情や性質、体格の違いと同じで、シマウマの縞や首の振り方、走り方と同じです.人間の多様性は食の多様性のおかげだと思います.それが風土だと思います.会津人気質とか長州気質とか言います.今ほど流通の発達していない時代は、同じ物を食べて同じ性質を持ち続けました.風土とは人間の環境であり食べ物だと思います.身土不二です.

しかしながら今やわが日本の食環境は、国内どころか熱帯あり南極ありです.それも一回の食事に多様性というより無秩序状態を作り出しています.それを変だと思わないということ自体が、既に精神状態が無秩序になっているのでしょう.ホテルの豪華なお食事というものが、その最先端だと思います.日本全国何処へ行ってもお肉とお刺身と油料理と煮物と生野菜と果物とアイスクリームとコーヒー・・・・・どうなっているのでしょう.会津人も長州人もあったものではありません.日本人ですらいるのかいないのか?相当のお年寄りだけでしょう.

これで家庭というものが壊れない訳がありません.一家の食卓が寄せ集めなのです.無秩序の多様性は大変危険なものです.音もなく忍び寄る敵ともいえます.自分を構成する食べ物すら無秩序なのですから、自分が一体どういう人間なのか分かり様もありません.自分が壊れ、家庭が壊れ、国家社会が壊れる・・・・・家庭崩壊は国家の内部崩壊です.強い美味しい自然栽培の人参を思い出してください.腐れる時そういう野菜は先ず外側から腐るのです.化学肥料で育った弱い野菜は、きれいに見えても芯から腐って最初は分かりません.内部崩壊は自己放棄であり、死です.戦争よりこわいのです.戦争はある意味で芯を残すための自己犠牲です.少なくとも靖国の若者はそう信じて自分を捨てました.

物事には限度というものがあります.30品目に象徴される(?)多様性を金科玉条のごとく信じてきたものの間違いです.あらたむるにはばかる事なかれ! 早速頭を丸めて、生き方を変える必要があります.何を食べるのかという意志を確立すべきだと思います.マクロビオティックを広めていこうと思う者の仕事です.もう少し日本の国の食卓に秩序があれば、私たち日本人はもっと思いを共有できて、このところ報道が少なくなっていた拉致被害の方々への支援ももう少し何とかなるのではとさへ思います.昨日は韓国の拉致家族の報道がありました.なんともわが国の心とはずいぶん違っているように感じました.それとも日本人も多様で、私だけがそう思うのでしょうか?
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

腸内細菌とマクロビオティック

2006-06-23 10:36:12 | 出版記事
私のマクロビオティック教室のお助け講師である主人が、6月の教室で腸内細菌について少しお話をしました.有害細菌と有益細菌のすみわけについて、その腸内環境の違いを短い時間でしたが説明をしました.今日は主人の話を聞いたり、様々な本を読んでみたりして思うことをお話したいと思います.また得意の独断的仮説(?)です.とは言うものの、私はこれが真実だと信じていますが.

皆さんはなぜ腸内細菌が自分の体の中に寄生していると思いますか?なぜ有益細菌と有害細菌とがいるとお思いですか?人間は勝手に有害細菌を差別しているわけですが、生物としてみたならば有益も有害も無いはずです.生物は環境条件によって発生し住みついている訳です.マクロビオティック流にいうならば、そこに食があるからというわけです.そうです.有害細菌が増えるのは、私達の腸内が有害細菌の食べ物で溢れているからです.というよりも、そういう食べ物は有害細菌しか分解できないのです.有害細菌の担当なんです.食の量が増えれば個体数が増えるというのは自然界の掟です.仕事が多いから担当者を増やしたんです.当然ではありませんか?

細菌も生命です.生命は「食行動をして排泄行動をするもの」です.これが宇宙の変化の法則ですから.その排泄したものが人間にとって有害なのを有害細菌、有益なのを有益細菌といっているのですよね.人間の腸の吸収の仕組みにあっているものを排泄してくれる細菌が有益細菌、毒を排泄する細菌が有害細菌です.O-157の事件がありました.あれはあの大腸菌がついていたものを食べたことが真の原因ではないのです.誤解を恐れずに言います.食べた事が契機にはなりましたが、原因は腸内がその大腸菌の餌場として適切だったからです.

現在有益細菌と言っているものを吸収のパートナーとして人間は選んできたのです.ということはそういう細菌の好むものを主食として自分の体の仕組みを作ってきた証だと思います.そういう細菌の排泄物を人間は食べています.アブラムシとありと同じ関係を作ってきたのです.有害細菌が好むものを食べられるように体の仕組みを変えたい方は、これから何億年か進化の歴史の捨石にならねばなりません.そのおつもりならたくさん動物性のものを主食にしてよいと思いますが、医療の力を借りては進化の捨石になれません.そこのところをよく納得して私達は自分の食べるものを決めなくてはなりません.病気になったら医療でというのはひどく無責任なことなのです.自分に対する無責任を改めない限り、医療に過剰な期待を掛けて裏切られるのです.自分の体の基礎をしっかり選択しなければなりません.体の基礎は、言わずもがなの「食」です.

ところで最初の問題、なぜ腸内細菌は腸内に寄生しているのでしょうか?これに答えるためには、私達は根本的に自分の頭を切り換えなければならないと思います.私の解答はこうです.

       “それは腸内は自分でないから”.

教室では何度もお話してきたと思いますが、動物の消化管の発生が、細胞内に取り入れた外界でした.その太古の姿そのまま、口から肛門までの空間は外界なのです.自分の中の外界!消化管の粘膜は皮膚と同じです.機能によって変化はしていますが、同じです.

ですから皮膚病の方は消化管の正常化をしなければ治らないのです.自分という意識はテリトリーの意識と同じです.言わば国境みたいなものなのです.腸などの消化管の中は、内海みたいなものです.だから魚がいます.しかし外洋の魚とは違って、その環境に適した特殊な魚が住んでいるのです.私達は腸内にペット(?)を飼っているのです.私という意識は私という体の行政官として、一つ一つの生命体である体の細胞とペットに最適の食物を輸入しなければなりません.自己非自己の認識ではありません.自己非自己は人間の苦し紛れの言い逃れです.だから特定の場にしか通用しません.宇宙の統一原理に照らして考えてみれば、正しいか間違っているかは直ぐに分かると思います.正しいものは、条件下にのみ適用できるものではありません.
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

通信講座

2006-06-20 08:56:38 | Weblog
オーガニックベースがマクロビオティックの通信講座を開きました.これは何と言っても快挙ではないかと思います.良くぞ作り出した!と娘達夫婦をたたえたいと思います.

地方の端に住んでみると、何が二の足の原因かといえば、交通手段と所要時間です.福岡空港から東京までかかる時間より、空港に行き着くまでが長いのです.それは良しとしましょう.しかし帰りに佐世保まで何とか辿り着いたにしても、平戸行きの終バスは午後8時何分かです.家に辿り着くことを考えて計画を立てれば、往復で二日余計に見なくてはなりません.ただでさへ出不精な私は殆んど外出をしなくなりました.辺鄙な場所の不便さは都会に住んでおられる方には想像外だろうと思います.

子育て中、手を離せない仕事の真っ最中の方も、空間的時間的の違いはあっても同じだと思います.その閉塞感は諦めの境地に至るしかありませんでしたが、マクロビオティックをしている若い方に、今回の発明(?)は希望の灯りかもしれません.少々親ばか過ぎかもしれませんが、本当によいアイデアだと思います.教室の生徒さん達にも紹介しようと思います.若者に評判(?)のオーガニックベースの戸外自由教室です.私も若者の教室を覗こうかと思います.典子、おかあちゃまも生徒にしてください!
コメント (10)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

もう一人のお隣さん

2006-06-15 10:06:29 | Weblog
昨日の朝雨戸を開けに座敷に入ると、あんまり嬉しくないお隣さんが畳を這っていました.長さ20センチもあろうかと思われるムカデです.朝のひんやりとした気温でゆっくりと這っていましたが、大きな紙袋を開けて目の前に突きつけた途端スピード感溢れる捕り物劇になりました.何とか袋に収まってもらって、庭のさつきの上に逃がしました.さつきの枝の上にとまった(?)ムカデは、幅が1センチもあるかのように見えました.ヤレヤレ!

もう27、8年も前のこと、次女が生まれた時の事です.5月の末ですからちょうど今の季節、産後寝たり起きたりしていた時期でした.4歳になったばかりの長女典子はムカデに足を噛まれました.小さな足は赤く腫れ、さぞや痛かっただろうと心を締め付けられながらアンモニア液を塗りました.そして極めつけは夜中に起こりました.ふとザワザワ、ザワザワという異様な物音に目を覚ましました.何と大ムカデが襖を這っているではありませんか.子を生んだばかりのメス虎に変身した私は、子に危害を及ぼす畏れのあるものはすべて排除せんとムカデ退治に取りかかりました.すばしこいムカデは押入れに逃げ込んで私はムカデを見失ってしまいました.

心配で寝るに寝られません.じっとあの異様な音に聞き耳を立てて暗い中待っていました.するとまたあのザワザワザワザワという足音が聞こえてきました.俄かに灯りをつけて蝿たたきで力任せに叩きました.しかし襖が柔らかいので叩いても効果がなく、何かの拍子に蝿たたきにムカデがついて、事もあろうに生まれたばかりの次女のベッドに飛んでいってしまいました.慌てふためいてどのようにしてムカデをベッドから払い落として捕まえたのか覚えていません.赤ん坊も私も噛まれなかったのは事実です.それから玄関のたたきに持って行ってこれでもかと我ながら後では呆れるほど叩きました.翌朝隣の部屋で典子と寝ていてくれた姑から、「ああ、ムカデやったとねえ」と言われました.ムカデの屍骸は、縮んでずんぐりむっくり、10センチくらいになった大ムカデでした.ムカデさん、ごめんなさい.でもあの時は正直憎かった(?)んです.

ムカデって何を食べてるかご存知ですか?噛み付くからといって人間は食べません.コガネムシやゴキブリを食べているんです.他にも何か食べているのは間違いありません.イザナミノミコトの黄泉の国の饗宴にも加わっていたのですから、死の国からのお掃除やさんかもしれません.ゴキブリ等、甲虫の天敵なんでしょうか.命あるところに食あり、食あるところに命ありです.宇宙は食によってつながっているんですね.私達の周りにゴキブリがいるならムカデもいるわけです.此処でやっとマクロビオティックの話(?)になりました.10年位前にムカデがコガネムシを食べている現場に遭遇しました.何ともユニークな食べ方でびっくりしました.自分の頭をコガネムシの殻の中に突っ込んで食べていました.そんなに無用心にしていて、鳥から狙われないのでしょうか.人間の勝手な主観には可愛い蛍と異様な姿のムカデですが、同じお隣さんには違いありません.朝の洗面台に居たり、お風呂場で遭遇したり、壁を這っていたりギョッとさせられてはいますが、外に放り出させてもらって共存しています.ちなみに私はまだ噛まれたことがありません.これからもよろしくと頼んでいます.
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ほたる

2006-06-12 11:43:23 | Weblog
久方に散歩をしました.帰省中の次女に誘われて夕食後自宅付近を回りました.当地は田舎ですから、人っ子一人通りません.お月様と星を楽しみながら自宅から下って駐車場の端の溝に近づいた時、そこで暗闇に光って飛び交うものを発見しました.「アア蛍だあ、生き延びていたんだ!」と懐かしく、いとおしく、嬉しくなりました.先年の乾燥でいなくなったのかと思っていたのです.しばし見とれて道路に出、ぐるりと回って自宅の上のほうに戻って来ました.するとまた蛍がちらちらと現れてきました.ツーッと光っては飛び、消えてはまたツーッと飛ぶ.何匹もあちこちで光の軌跡を描き出していました.庭に下りて行く坂道にも蛍が明かりを灯していました.なんと我が家は蛍の住処のお隣という、風流な家でした.色んな動物が共に生きています.昼間はトカゲが気温が上がってきてすばしこく動いています.梅雨らしく、蛙もどこかで鳴いています.この分だとこの辺の蛇もあの乾燥をどこかで生き延びたかなあと思いました.

昨日私どもの田平町でかの有名な船越康弘さんの講演がありました.平戸市の生涯学習講演会です.そこで船越さんが声を大にして叫ばれました.『自然食というならば、自分が如何に自然を汚してない暮らしをしているか先ず反省をして改めよ!それなくしては自然食も何も無い!』本当にそうですよね.具体的に、洗剤、化粧品などのことまで言われました.自分ばかりがきれいになって(?)、外を汚していたら、結局何にもなりません.外は内でもあり、内は外でもあるのです.これが相対宇宙が無限宇宙から引き継いだ性質ですよね.可愛らしい生物にも可愛くない(?)性物にも等しく思いやりを広げましょう.みんな同じ自然の子ですから.私達は皆お隣さんでした.

船越さんの講演は、全国でありますから、お聞きになった方も多いと思います.元気一杯面白おかしく説得力一杯です.船越さんの講演を聞いてマクロビオティックを始めてみようと思う方も多いと思います.「食を変えれば人生が変わる!」 マクロビオティックを紹介なさる第一声です.自分がこれによって変わったと言われます.後は一人でも多くの方が、実際の一歩を踏み出してくださることを祈っておられると思います.私も及ばずながら、心からそう願わずにはおられません.頭で思うことと実際に行うことの間にある溝は、その人が決心さえすれば一跨ぎで越えられる程のものですが、頭の中で思っているだけの間は地球第一の大河よりも広いのです.これが昔から日本で「お行」といわれているものの正体だと思います.行じなければ何にもなりません.昔からの教え「知行合一」、思いと行いが矛盾しないよう日々反省して謙虚に生きること、これが私達の踏むべき道だと思います.全国におられる道連れをありがたく生きたいと思います.

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

柿の若葉

2006-06-07 09:19:08 | Weblog
母のことに心を奪われている間に、朝起きると直ぐ目に飛び込んでくる柿の若葉の緑を楽しむ時期となっていました.父も母も美しい五月に新しい世界に逝きました.二人とも美しい緑の記憶と共にこれから娘の心によみがえりよみがえりするでしょう.柿の黒味を帯びた幹にあの冴え冴えとした緑が本当に本当に美しい!芙蓉の緑も、エゴノキの緑も、緑という緑は今みんな美しいですね.春浅い日の白い緑は姿を消して、黄色がほんの少し残っています.花の終わったもくれんの緑、椿の緑、夏のむんむんした緑に移る前の涼しい緑が世界を包んでいます.

お棺を清める塩のことを書きました.あれについて幾人かの方から質問をされました.何のためか、どんな物かということですが、簡単に言うと魂ともいうべき力の塊をうまく解放するためです.それがうまく死ぬということにもなるのですが、あの世の住人になるためにはこの世で持った魂のこだわりも解き放たなければなりません.それを助けようと棺の中を社(ヤシロ)の境内のようにイヤシロチにするためです.詳しくお尋ねになりたければ、以前にもご紹介したことのある自然食品和みにお問合せください.

     自然食品 和み  長崎県平戸市魚の棚町   0950‐23‐2566

和みの商品には、もう一つご紹介したいものがあります.それは携帯電話の充電器に利用するアダプターのような電磁波調整器です.これを使って充電すると携帯電話の有害な電磁波が楽になり本当に重宝しています.コンセントと充電器の間につなぎますから、どんな機種にも、何年も使えます.宣伝をする気はないのですが、殆んどの方が携帯を利用する世の中になりました.頭に密着させて利用することを思うと、自分がありがたく思っている方法をお教えすることが世の中のお役に立つのではないかと思った次第です.

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

母卒す

2006-06-02 09:55:22 | 出版記事
5月30日母卒,昨日母を見送りました.母が嫁入りをしてきた道を反対に辿って火葬場に向かいました.やせ衰えた母の体は殆んどが煙と灰になりました.思い返せば父が先立って以後の母の生活は,有って無きが如きものでした.母は一人で自立した精神生活を営んでこなかったのか,父の影であったのか、父亡き後の母の8年はひたすら死に向かって,死という人間最後の大仕事を果たすためにだけあったような気がします.

母の棺を清めるために、父や舅姑の時と同じ様に特殊なシホ(塩)を作ってもらいました.その包んである半紙に,母のために特別名前を書き入れて四隅と真中に入れました.

       故深江圭三 妹深江佳子

間違えずに父の差し向けた船に乗ったと思います.父の死期を悟った時,私は初めてマクロビオティックを父に紹介しました.それまでは父に対して娘が何かを教えるという関係はありませんでした.父はいつも私の教師でした.ですが死というものをひしひしと感じた時,75歳を過ぎようとしている父に初めてマクロビオティックを伝えました.桜沢先生の食養学序論と原論,それと久司先生のマクロビオティック健康法とを病床にあって暇になった父は読みました.それまで私は老齢になった父の生活を変えねばならないほどの必要にためらいを感じていました.そしてマクロビオティックを知るまでの私と同様,父もこの世は気力でどうにかなると信じていました.父の感想です.「そうだったのか.」 でもその父も最期まで,母とともに築き上げてきた家庭の味にこだわりました.「お母さんと二人で作った家庭の味というものがあるんだ」というのが父の言い分でした.

旧来の日本人の食基盤では,確かに気力が人間の鍵だったのかもしれません.でも今のように食の基盤が乱れてしまっては,気力の出てくる余裕がありません.その前に倒れてしまいます.それが現在の医療大国日本(?)の現状だと思います.そして父はこの世を卒業しました.

それから妹(イモ)であった母のこの世は,実体のない影のようなものになりました.周囲にとって驚くべき変貌振りでした.あまりにもひどかったので,私は父の死を考えることをやめて,ただ母を慰める日を送りました.母が寝付いてからは,母がうまく死を迎えられるよう母と死について語り合うように努めました.ですが死を目前に控えた人と死を語ることがどんなに難しいことか,思い知らされました.それでも2年余,手を変え品を変え語り合ってきた母の最後の感想は,「死にたうもあり,死にたうもなし」でした.

母もうまくこの世を卒業したと思います.父も母も自宅で死の床につき死を迎えました.非常に珍しくなったと和尚様から言われました.幸せなことだったと思います.次は自分の番がまわってきます.今度こそ気兼ねなく如何なる死に様を選ぶか、それを楽しみにして死ぬ日まで生きたいと思います.
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする