敗戦後父は公職追放のあおりで、故郷に戻って農業のまねごとをして暮らしました。その間に父は結婚をして私達姉弟が生まれました。その後自衛官となりましたので、父は基本的に何も変えずに我が家の家風を作ったと思います。その証人は父の妹である私の叔母です。父が戻った家には、祖父と父の姉と妹がおりました。後から母が嫁いできます。父は毎朝全員を整列させ(もちろん祖父は父の横です。上官(?)ですから。)当日の仕事の予定と道具を発表し、みんなを作業場に引率しました。一日の終わりもまた整列、明日の予定を発表して解散したそうです。
そんな叔母が結婚した先で体験したことです。朝起きて部屋の掃除をかいがいしくしていたそうです。そして気が付いたら誰もいなかったのだそうです。叔母の婚家はもとは儒学者の家でやはり農業をしていましたが、家族構成は舅、兄夫婦、叔母夫婦で、つまり叔母は二男の嫁でした。びっくりして探しまわったそうです。やっと見つけたそうですが、全員畑で農作業をしていたとか。叔母の述懐によると、『私は点呼で始まるものと思っていた・・・・・』叔母も軍隊式に慣れていたのだそうです。
私が結婚した柿本の父(舅)は海軍軍医で、交代して上陸した潜水艦が撃沈されるという、過酷で非情な運命で生き残った人です。舅は敗戦後大学病院に戻り、その後産婦人科を開業しました。折しもベビーブームで、座る間もない多忙な生活だったと聞いています。きっとその暮らしは臨機応変、食べられる時に食べ、眠れる時に眠る、というようなものだったと思います。
それで結婚した私が感じたことは、『自由』でした。特に家族全員が同じにしなければならないというような決まりがありませんでした。具体的に言うと、生家ではお風呂に入るのも順番通り、お風呂上がりは下着を変えて明日着用する予定の服を着る、就寝時布団のわきで着替えて脱いだ服をたたみ着用順に上から重なっているように枕元に置く・・・・・・・などなど。まあ毎日決まっていますから、楽と言えば楽、余計な事は考えなくて済みます。叔母と同じです。それが一度に臨機応変になったのです。多分誰でも多かれ少なかれ、ある意味カルチャーショックを体験するのだと思います。
でもこの明日着る服を用意して枕元に置き、暗がりでも着ることが出来る・・・・・というのは、いつ非常事態になるかどうかわからない今日この頃、もう一度取り戻したい習慣のように思いました。夜中に起こることもあるでしょうから。
それでは今日も:
私達は横田めぐみさん達を取り返さなければならない!!!