inspiration-macrobiotique・随想古事記

マクロビオティックインスピレーション・随想古事記・日本語と歴史・バベルの塔・日々雑感

何度目の正直?

2007-03-30 10:48:35 | Weblog
昨年から何度となくお知らせした久司先生の「導引」がやっと来月初旬には出版となります.日貿出版社の水野社長の熱意があったればこそと思います.ご存知のとおり出版にもたくさんの行程があり、私など校正の段階では思い込みもあって完全に間違いを見出すのは難しいし、ましてや自分の文章の癖ですからそれが固いか柔らかいかはなかなか自覚できません.翻訳ともなればそれが二重の危険をはらんでもいるわけです.英語版の著者に翻訳のチェックをお願いするというおかしな翻訳ですが、久司先生と水野社長のおかげで、読んでくださる方も迷わずに済むのではないかと思います.

前回の「パームヒーリング」で目に見えない世界に立ち入りましたが、今回の「導引」ではっきりと「人間として見えている自分」がどういうものなのかお分かりいただけると思います.このことはマクロビオティックを自分の道として選択する上でとても重要になってくると思います.たくさんの方にお読みいただいてブログ上で討論会が出来るといいと思います.そして怪しい(?)世界をきちんと整理できる事は、迷いを晴らして確信にいたる手助けになると思います.どうぞお読みいただけますようにと祈っています.
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マクロビオティック教室再開

2007-03-23 15:55:41 | 教室情報
予定通り4月から教室を再開します.それにつきまして柿本医院ホームページからお申込みいただいた「nebukichi」さんへのお返事がエラーになってしまいますので、ブログ上にお返事する次第です.頂いたメールは他の方々も皆届いています.再会と新しいお仲間に会えるのを楽しみにしています.

それから当初は半年に一回くらいと思っていた半断食会を6月に開催します.一年半以上たってしまいました.これもホームページの「お知らせ」をご覧下さい.

楽しい有意義な教室にしたいと思います.生徒さんの積極的な参加も期待しています.

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お彼岸の中日

2007-03-21 14:21:43 | Weblog
今日は春分の日、お彼岸の中日です.春分、秋分は地球上に住む人間にとって最も重大な日であった(ある)といって間違いないでしょう.この太陽が真東から昇り真西に沈む日を如何に大切にしてきたかは、古代の遺跡に必ず示されています.昼夜を半分に別つ日が、私達人間の歴史を生み出したといってもよいと思います.

太陽と共に生きてきた神道日本人は、仏教色に染めてお彼岸の行事を作り出しました.昼夜を半々に別つ日が彼岸此岸の境を最も身近にする日だったのです.この一週間はご先祖様と顔合わせ(?)の日です.私達はそろっておはぎを供え、お墓参りをします.この彼岸此岸の交流や先祖祭りは仏教には本来ありません.この心情は本来神道の魂祭りに由来するものです.私達日本人は如何なる衣服や形式を身にまとうとも、日本人であることに違いないのだと思います.春分の日を迎えて日本の心を思いました.

我が家のお墓は屋敷内にあります.一段高いところですが父と母が眠っています.赤く新芽を染めたドウダンツツジの囲いの外には、愛犬エス公や猫たちも眠っています.その周りには梅の木と紅白のもくれん、桜、柿、枇杷、そして花の季節の夕方に強い香りを放つ苧環の垣根があります.まもなく冴え冴えとした緑のバリエーションが始まって、我が家の墓所はこの世で最も美しいとさえ思うほどのパラダイスです.四季折々の花が咲きますが、新緑はまた格別です.自宅へと下る道には、連翹の黄色が鮮やかです.アジサイのきれいな緑の若葉もきれいです.まもなく蘇芳も咲きますし、大手毬も咲きましょう.つつじもさつきも咲きましょう.春爛漫の日々を迎えようとしています.
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それから

2007-03-16 14:18:16 | Weblog
主人のブログが復活しました.よろしかったらのぞいてやってください.
http://macrobiotic-kanpou.cocolog-nifty.com/

柿本医院のホームページ院長のブログからも飛べます.

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ふきとあぶらげ

2007-03-16 10:12:35 | 出版記事
我が家の春を告げるおかずは代表格がせりのゴマ和えですが、もう一つ忘れてはならないのがふきの煮物です.先日からあの独特の香りが到来して、味としゃきしゃきとした食感とを愛でています.似かよった味につわぶきがありますが、春を連想させる食感ではふきが勝るかと思います.

ふきはどうしてこうあぶらげと相性がいいのでしょう!感動してしまいます.あぶらげが少しくたっとするくらい柔らかになったほうがいいことも、ふきに軍配が上がる理由かもしれません.つわぶきは柔らかくなりすぎて溶けてしまう(?)からです.でもつわぶき採りは楽しい行事です.つわぶきとりが大好きな叔父がいました.私はいつもおすそ分けにあずかっていました.私にとってつわぶきは春の味というより、叔父の思い出の味です.

下拵えのために塩で板ずりをしてさっと茹でた時のあの冴え冴えとした緑も春の思いを増強させるのでしょう.嗅覚と視覚とを刺激されてお料理が楽しくなります.春は独特の嗅覚と視覚の刺激で強く感じられるのかもしれません.いつもお話しているように私達は匂いも食べて(取り入れて)います.匂い、嗅覚というものは一体何なのでしょうか.鼻とは一体どういう器官なのでしょうか.

鼻は先端という意味も持っています.我が平戸の海岸に『常燈の鼻』というでっぱりがあります.オランダ貿易の拠点が鎖国政策によって出島に移される前、我が平戸は国内有数の海外貿易の拠点でした.そのオランダ船、ポルトガル船の目印にもなった少なくとも400年以上前からの平戸藩の灯台です.「鼻」は飛び出したところです.人間の鼻も他の動物の鼻も皆同じです.鼻は切っ先となって環境(水や大気)を掻き分け、安全確認を受け持っています.鼻は先端についていなければ役に立ちません.移動するもの(動物)の証しです.

生命とは、中田先生ではありませんが、器官です.器官とは機能を持った形態です.動物の最も古い器官は口です.口しか無かったといっても過言ではないと思います.口を持った細胞が動物の始めだと思います.やがて取り入れ量(食べ物)を増やすために口を開けて前進(?)するようになり、口と肛門が前後(頭尾)になりました.鼻は口の一部です.光の届かない海底でのことでしょうから、鼻から受け取る情報は進路決定の最重要事項だったはずです.動くことによって私達は色んな力学作用などを受け取って、35億年という途方も無い年月を進化してきました.鼻は進化の最前線を突っ走ってきました.無限宇宙にとっては7日間の事かもしれませんが、それを思うとふきの香りを春と感じる自分の鼻が何といとおしいことでしょうか.
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リフレッシュ塩浴法

2007-03-08 11:36:57 | 出版記事
今日は是非みなさまに体験して頂きたい爽快感をご紹介したいと思います.タイトルにあります通り、その名も「リフレッシュ塩浴法」という体の洗い方です.

此処のところ忙しさにかまけたり冬場で寒かったりでお風呂タイムは居眠りタイムになりがちでしたが、春の気配に体のヘドロ(?)を出そうとリフレッシュ塩浴法を再開しました.体は正常の過程でも老化します.ましてや宇宙の秩序に反していればいるほど、エントロピーは増大するというわけです.秩序に沿って暮らしていかなければならないのですが、動物のようにお任せではすみません.私達人間は宇宙の秩序の上に、大きく矛盾することもある人間の秩序(?)を作って暮らしているのですから.

リフレッシュ塩浴法というのは、時々此処でご紹介している『自然食品和み』さんの開発によるものです.大まかに言うと、
        1.アルカリ塩で体を洗う.
        2.弱酸性塩で体を洗う.
        3.弱酸性水を体にかける.
という3過程で成り立っています.お塩は性質と細かさでそれぞれ2種類づつ、4種類あります.慣れてくれば顔も体も荒いほうを使えますし、慣れないうちは体も細かいほうが良いかもしれません.3は省略してもいいといえばいいのですが、これによってまるで滝修行を終えたかのような清涼感と清浄感とを味わえます.それで体内はすっきり、お肌はしっとりつるつる!暖かい間に頻繁にしておけば、寒い季節も乗り切れるというものです.

体と思いは波動の陰陽の違いだけです.体は見えるけれども、思いは見えません.体の重さが思いの重さ.食を整え体を整えることが、思いを整える事です.春になってそんな必要を感じて思い出したリフレッシュ塩浴法、あまりの気持ちよさにご紹介したくなりました.時々ついつい和みさんの宣伝をすることになってしまいますが、これは本当に気持ちがよいものです.詳しくは和みさん(0950‐23‐2566)にお尋ねください.

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春の朝告げ鳥

2007-03-01 10:23:57 | Weblog
毎朝何と贅沢なことかと思います.我が家の目覚ましはうぐいすの声.春告げ鳥の朝告げです.今年は暖冬のせいか、例年に無く早い時季にまだ練習中(?)のあの、「ちょッちょ、ちょッちょ」の声に驚かされました.今ではすっかり上手になっています.朝方の青空に白梅にうぐいす、これはきれいです.

石段を上がってくる途中には、沈丁花が独特の香りを放っています.沈丁花の花びらは、形も時季も違うけれど、くちなしを連想してしまいます.少しアイボリーがかった白さと厚みの所為かもしれません.白と紅をさしたのと二本並んでいます.香りに誘われて寄り道をしてしまいます.石段を登りきった所の万作の黄色い小さな花も、通りすがりの挨拶友達、「来たよ来たよ、春が来たよ」と語りかけます.蕪村の句ではありませんが、春の花は白と黄色です.霞のさくらと黄色の菜の花!それにまあるいお月様!

先日ちょっとご紹介した中田先生のご本を読んでいます.「この世はバイナリー!」 これは説得力のあるお話です.私達が日々出来ること、それは時々刻々の選択のみ.そうして長い進化を生き抜き、現在を手にし、そしてまた未来を得ようとしています.マクロビオティックの食の基準は、どうして来たかという過去と、どんな風になりたいかという未来、つまり進化です.進化は毎日の環境の傾きと自分の選んだ自分の傾きによって成し遂げられました.桜沢先生が私達マクロビオティックの徒の手元に引き寄せて下さった易も、当にバイナリーの変化、そうであったかそうでなかったか、コインの裏と表、陰と陽です.生物は刹那刹那いちかばちか、未来を賭けたギャンブルをしているともいえます?最先端のコンピューターもオンかオフのバイナリー、宇宙は創世記以来バイナリーシステムだったのです.

私達日本人は考え違いをしているように思えてなりません.特に子供の教育で.勿論「幸せに正しく平和に!」と願います.でもそれは現実的な「どうすればそうなる」という手段を持った目的ではありません.願ってもそうなるかどうかはわかりません.教育は実験ではありません.その子の一生を実験にしては取り返しがつきません.目の前にいる子供の教育という現実の目的は、当然「親から独立した人間の大人を作ること」です.人間の大人とは生物として生きる力を持った上に社会の構成員でなければなりません.

教育の理念と現実の子供の教育とは違うのです.理念は教師の精神生活のためにあるのであって、子供の現実のためにはありません.理念は二者択一の前には無力です.例えば、拉致被害者の現実と平和(?)の理念と.私達はどうしようというのでしょうか.現実は常に、その選択をするかしないかのバイナリーであるという意識を、平和維持という現実と教育という未来にも取り戻さなければならないと思います.横田めぐみさんも子供の教育も実験であってはならないのです.一秒一秒人生の岐路に立っています.

中田先生の人間の脳に関するご本を読んで、私達生物が立脚している力の作用、つまり進化の原理を改めて考えてしまいました.教えたからといってうまくいくとは限りませんが、少なくとも現実がバイナリーの原則に則って進んでいくことを子供達に教えなければならないと思います.その時その時を真剣に選び取っていくこと、その選択が重大な事態を引き起こすこと、自分に子供にいつも言い聞かせて暮らすこと、力を尽くして運命を享受すること、他に何があるでしょうか.大人が手本を示すだけ.学びは真似びです.

コメント (4)
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