昨年の7月『言葉というもの』という記事を書いた時シリーズ3までの心づもりにしていたらしくタイトルだけの下書きが残っていました。それで、改めて私の永遠のテーマともいうべき『言葉』というものを取り上げようと決めるだけ決めて予定していた約1週間の上京を果たしました。久方に娘と息子家族、それに孫息子と再会をしての帰途、飛行機の中で恒例(?)のウトウト・・・・・思いがけぬヒントに恵まれましたので、こうして記事を書いています。本当は今年になってからあまり記事を書く気にならなかった(それで、どうでもよいような記事ばかり・・・・・)のですが、和みの堀江さんに後押しされて書くことにしました。今回の気分とは少し違うかもしれませんが、タイトルはそのままにします。
『言葉』『コトバ』・・・・・なぜ私達日本人は自分たちの言語を『コトバ』という名前にしたのか・・・・・『日本語』というのは現代の便宜的な分類上の名前にすぎませんし、『日本語』という名前に親しんできたわけではありません。私達は『言葉』と思って便宜上日本語と言われるものを使ってきました。『言葉』とは何なのか・・・・・ブログの中でもことあるごとに触れてきたと思いますが、このテーマは人間そのものに関わる重大な問題だからです。人間という人の間(ヒトノマ)を生きている生命の特徴は、言語を基盤とした社会組織を作りその内外に相互関係を作ったことだと思います。そしてそれは人間存在そのものになったと思います。なるほど動物にも群れという社会(この社会組織については、別の記事で感想を書きたいと思います。)を作るものもありますが、その群れと群れとの関係はほぼ食(生存と存続)のための縄張りをめぐる敵対関係以外にありません。だから、交渉というものの余地がありません。交渉は人間の言語活動の最たるものだと思います。人間社会は言語無しにはありえないものです。そして、私達日本人は言語を『言葉』だと認識しています。
『言葉』とは何か・・・・・それが意味するものについてはこれまでにも書いてきましたが、『言葉』という命名については今一つはっきりしていませんでした。『ハ』という日本語の音は、一般的に言って両サイドあることを意味しています。それで、『コトバ』・『コトノハ』というものが、日本語ではそれぞれ正反表裏の意味を持つものに展開してきた、という風に説明もされ理解してきました。だけど何かしらしっくりとこないものが残っていました。『それはそうだけど・・・・・・』という感じでした。それが今回のウトウトの間にすっかり明快になりました・・・・・私達の日本語の音は、もうカタカムナにさかのぼる以外、何の根拠も得られません。そのカタカムナの人々がヨソヤ(四十八)の『コト』を解きほぐして生み出した(音にした)・・・・・と表明しています。(疑問に思うなら、究明してください。私はそれが真実だと確信しています。なぜなら、子供のころから抱き続けた疑問に唯一答えているのが『カタカムナ』だからです。)
『コト』を『音』にした・・・・・というのがどういうことか、かいつまんで言うと、この世の事象(を成り立たせている力としての波動)を人間の発する『音』に分けたということです。勝手に分けたというのではなく、その『音』の持つ力の性質(なりたち)によって分けました。ですからその『音』は構造と作用を持ち、次々に展開していくのです。それで正反表裏の二面性を持つから、『コト・ハ』なのだと思ってきました。それもあります。だけどそれは『コトバ』の単語という構造的な一面であって、『コトバ』はもう一つ大きな作用的一面を持つことに思い当たりました。それは、
私の胸の内で『コト』した表明が『コトバ』として発せられて、聞いている相手の胸の内で同じく『コト』を起して認識理解に至る・・・・・『コト』が私と相手の両サイド(『ハ』)に起ってる・・・・・
正しく『コミュニケーション』そのものを表しているのが『コトバ』という造語だったんだ!!!!!と思い至った時、胸が熱くなりました。『コトバ』こそが社会を作ったんです。『コトバ』こそが社会の成立存続条件なんです。そうなんです。そして宇宙に充満する力との間に起こる『コトバ』が『インスピレーション』なんです。私はそうやって、いろいろなことを知ることが出来ます。誰だって出来ます。私はそのために記事を書いて、読んでくださる方の胸の内に『コト』を起す努力をしていると思うことが出来るようになりました。
実はこのところ、記事を書いて何になるのか・・・・・と思うことがありました。西部先生も『日本は滅びるかもしれない・・・・・』というようなことを仰っていました。私の父も臨終に際して、『日本は一度滅びるかもしれない・・・・・根になるんだ』と言い残しました。それで私は父から背中に背負わされたものを何とか書き残したい・・・・・と、自分たちのアイデンティティーを見失って根無し草にならないように、だれか若者の目に触れてくれと希ってきました。私はブログで向かい合ってくださる方に『コト』をおこすことが出来ているのでしょうか?????