今年教室を再開することになりました。私の『マンダラゲ』としてのマクロビオティック教室にしたいと思います。後日また詳しく発表したいと思いますが、5月の第4土曜日に第1回目を開きます。テーマは『私達日本人が長く愛用してきた調理道具・すりばち』としたいと思います。ヒレフリ山教室のテーマは、『生きているうちに知りたいことの意味』とします。『知るべきこと』と言いたいのはやまやまですが、それは人それぞれ・・・・・・私と同じことを知りたい人が満たされればそれでよい・・・・・とします。それが私のマンダラゲの限界だと思うからです。色々と予定をお入れになる必要がおありでしょうから、取り急ぎこれだけご連絡いたします。
前記事でちょっとご紹介した私の伯母・・・・・・93歳で少し足が不自由になって外出の頻度は少なくなったそうですが、それでも立派に自立しています。家の中も私とは比べられないほどすっきりきれいに片付いていました。その伯母が言いました。「和子ちゃん(伯母にとって私はいつまでも小学生くらいの女の子です!)、私も食事には気をつけて、バランスよく献立を立てほとんど自分で作り、たんぱく質もお野菜もきちんと食べるようにしているのよ。」
伯母は主婦の鏡みたいな人生を歩んできた人です。家事全般・・・・・お料理もお掃除もお裁縫も・・・・・何でもできるんです。それも特別上等に!!!!!マクロビオティックではない(?)けれど、健康で美しく心穏やかです。伯父は物静かで無口なタイプでしたから、賑やかに交流したという思い出はありません。ですが伯母から聞く伯父との思い出話は、伯父の心優しい立ち居振る舞いを想像させるに余りあります。要するに伯父伯母夫婦は取り立ててマクロビオティックを必要としなかった!!!と思います。それでマクロビオティックに出会わなかった・・・・・のだと思います。今回美しく老いた伯母に会っての感想です。
マクロビオティックが追究している『人間の食』・・・・・それに出会うということは、その人の人生がそれを必要としている・・・・・それが最大の理由だと思います。その必要の理由が、健康上のものか精神上のものか・・・・・そうした違いによって人生が決まってくるし、それよりもその前にその違いを生み出してくるものを持って私達は生まれてきます。私達は一人一人人生の前提条件が異なっているのです。私達はそれぞれの父と母の子であり、その父と母はそのまた父と母の子・・・・・・私達は思っているほど自由ではありません。『自由』と『平等』・・・・・人間の権利と理想と思われていますが、よくよく考えてみれば『あり得ない』ことだとわかってきます。そもそも生まれてくる前提条件が自由でも平等でもありません。私達は小学生の時に育てた朝顔の種と同じです。赤い朝顔の種なら赤い朝顔が咲くし、紫色の朝顔の種なら紫色の朝顔が咲きます。私達は『なんともしがたいもの』を背負って生まれてきます。
『なんともしがたいもの』・・・・・現在の私達がこれまでの多くの生命の歴史の末端として生きている以上、私達はこの条件を変えることは出来ません。私達はそういった身体と精神をもって、新しい種を次代に残さなければなりません。それが新しく繰り広げられる『マンダラゲ』で、起源を求めながら辺縁に『ケ』していく(作用して変化していく)私達の人生だと思います。