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マクロビオティックインスピレーション・随想古事記・日本語と歴史・バベルの塔・日々雑感

同窓生の近況

2024-10-21 15:47:06 | 教室情報

                                             

マクロビオティック教室に唐津から通ってきてくださった入江さん。まだご結婚前でしたが、今では二人のお母さん。ご主人は唐津焼の作陶家で岸田匡啓さんという方です。時々ご案内をいただいてのぞかせてもらっていますが、私は岸田さんの斑唐津がが好きです。春風を思わせるような作風です。そんな岸田さんが、日本橋高島屋で二度目の個展を開かれるとのご案内をいただきました。精進の賜物、ご成功をお祈りします。          そして、同級生の皆様にお知らせします。毎年春には唐津焼の陶器祭りでも発表していらっしゃいます。


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天帝とはツクヨミノミコト!!!

2024-10-17 19:34:17 | 父の背負子1(随想古事記)

東洋の歴史の始まり、そして東洋の精神の始まり・・・・・天帝によって示された人間の歩むべき道『天道』・お天道様!!私は意識的無意識的に探求し続けて、やっとここ記憶の始まりにたどり着きました。

天帝の娘である織姫様、天帝のお許しにならなかった牛飼いとの恋、周礼としてまとめられた天に対する天子としての王の正統性、東洋の歴史はここから始まりました。私達は何も知らずに、およそ三万年にわたる東洋の歴史を、天の川のカササギの橋によって潜在意識としてしのんできたような気がします。

 

随想古事記として私のアイデンティティ探訪は10年余り前に形となってブログでご紹介してきましたけれど、それからもずっと続いています。もうすぐ76歳になろうとしていますが、私の到達した最終結論は、私達の古事記から消えてしまったツクヨミノミコトの消息です。東洋の天帝はツクヨミノミコトで、ツクヨミから始まった王朝だったという結論です。

ツクヨミノミコトは伊弉諾尊のお産みになった三貴子のおひとりです。黄泉の国の汚れを祓われた時左目をすすがれてアマテラス、右目をすすがれてツクヨミ、最後に鼻をすすがれてスサノヲ・・・・・尊き子を持ったと喜ばれた伊弉諾尊は三人の御子にそれぞれ高天原、夜の食す国、海原の統治をお任せになります。それからツクヨミは消息不明になられます。私達の表向きの歴史から消えてしまいました。これは私の子供のころから心に引っかかった事件です。これをはっきりさせるために私の思索の旅はあったのだと思います。

夜の食(おす)国・・・・・これがそもそも分かりませんでした。一体どこのことなのか、何を言っておられるのか。実はこれは夜空のことだったのですね。日食・月食、月の満ち欠け、星の移転、ツクヨミは暦を支配されたのです。これが東洋における最初の王朝ツクヨミの天朝だったのです。この王朝の起源については、以前の記事『万世一系の天皇②』で取り上げた有巣氏、つまり鳳凰をシンボルに持ち姓は風、鳥族によって作られた世界最古の王朝です。これ以後が大陸の歴史になって、このブログで何度もご紹介している歴代王朝です。そして大陸では殷を最後に鳥族王朝はありません。(ちなみに高天原は、タカマの力が張っているところ。誤解を恐れずに言えば、太陽が照らしている世界。海原は常に何かを生みなしているところ。五穀豊穣の種の世界。そしてこの三者は表裏一体の関係です。)

 

この天帝王朝がどこに行ったかという結論が、これまで何度も記事にして発表してきたとおり、わが日本の大和王朝です。世界にも散らばって、主に『ツク』の類音を国名に持つ国々・・・・・歴史上から現代まで、突厥、チュルク、トルキスタン、トルコ・・・・・意外ですか、トルコは私達の遠い親族です。やっと私の『随想古事記』が始まりから今まで全部つながりました。それで天人の代表『かぐや姫』が月の国に帰り、天女は羽衣を持って飛び、ツルの恩返しの鶴が天女となって飛び去ったことも全部納得できました。ツクヨミの王朝が東洋最古、そして現在日本の王朝として続いているのです。これが柿本和子の生涯をかけた歴史の真実です。人生の満足を得た心持です。この真実の証明を若者に託します。そして、この記事をカテゴリー『父の背負子(随想古事記)』に加えます。


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