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マクロビオティックインスピレーション・随想古事記・日本語と歴史・バベルの塔・日々雑感

2024・11・3

2024-11-03 09:57:19 | 父の背負子3(雑記)

今回のご案内は格別です。そのわけは、父の背負子の最後に私の答えを付け加えることができたからです。私はこれを加えて、次の背中に渡すことにしました。どうかお読みいただけたらと願っています。日本人とは何かという次世代につなぎたい父の背負子の最後のパーツです。

 

父の背負子(随想古事記)

        父の願い   2010-04-30        

        私の邪馬台国   2012‐10‐04       

        随想古事記・はじめに   2012‐10‐05        

        随想古事記Ⅰ・あめつちの・・・・・   2012‐10‐09        

        随想古事記Ⅰ・イザナギとイザナミ   2012‐10‐12      

        随想古事記Ⅰ・アマテラスとスサノオ   2012‐10‐15       

        随想古事記Ⅰ・海幸と山幸   2012‐10‐23

 

        随想古事記Ⅱ・関連記事便覧   2012-10‐17        

        随想古事記Ⅱ・神話と言語   2012‐10‐17        

        随想古事記Ⅱ・天津神と国津神   2012‐10‐24        

        随想古事記Ⅱ・アジアの神話と歴史   2012‐10‐31

 

        随想古事記Ⅲ・大和の心1  2012‐10‐26        

        随想古事記Ⅲ・大和の心2   2012‐10‐27        

        随想古事記Ⅲ・大和の心3   2012‐10‐29        

        随想古事記Ⅲ・大和の心4   2012‐11‐02       

        随想古事記Ⅲ・大和の心5   2012‐11‐03

 

        随想古事記Ⅳ・おそれながら・・私の仮説   2012‐11‐04

       

        随想古事記・おわりに   2012‐11‐06

        随想古事記前章・民族の形成   2011-04-11

        随想古事記前章・五色人の謎Ⅰ  2011-04-13

        随想古事記前章・五色人の謎Ⅱ  2011-04-14

        随想古事記前章・五色人の謎補(私の五色人説)    2011-04-21

          アインシュタイン博士の言葉    2012-08-17

        私の『中朝事実』    2013-11-03

 

      天帝とはツクヨミノミコト!!!    2024-10-17


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2024・05・08

2024-05-08 12:28:45 | 父の背負子3(雑記)

また父の命日が巡ってきました。恒例のご案内です。主人とお墓参りに出かけたら、弟夫婦と会いました。両親亡き後の兄弟との交流は減ってしまいましたが、久しぶりの何気ない会話に懐かしく心温まるものを感じました。

 

父の背負子(随想古事記)

        父の願い   2010-04-30        

        私の邪馬台国   2012‐10‐04       

        随想古事記・はじめに   2012‐10‐05        

        随想古事記Ⅰ・あめつちの・・・・・   2012‐10‐09        

        随想古事記Ⅰ・イザナギとイザナミ   2012‐10‐12      

        随想古事記Ⅰ・アマテラスとスサノオ   2012‐10‐15       

        随想古事記Ⅰ・海幸と山幸   2012‐10‐23

 

        随想古事記Ⅱ・関連記事便覧   2012-10‐17        

        随想古事記Ⅱ・神話と言語   2012‐10‐17        

        随想古事記Ⅱ・天津神と国津神   2012‐10‐24        

        随想古事記Ⅱ・アジアの神話と歴史   2012‐10‐31

 

        随想古事記Ⅲ・大和の心1  2012‐10‐26        

        随想古事記Ⅲ・大和の心2   2012‐10‐27        

        随想古事記Ⅲ・大和の心3   2012‐10‐29        

        随想古事記Ⅲ・大和の心4   2012‐11‐02       

        随想古事記Ⅲ・大和の心5   2012‐11‐03

 

        随想古事記Ⅳ・おそれながら・・私の仮説   2012‐11‐04

       

        随想古事記・おわりに   2012‐11‐06

        随想古事記前章・民族の形成   2011-04-11

        随想古事記前章・五色人の謎Ⅰ  2011-04-13

        随想古事記前章・五色人の謎Ⅱ  2011-04-14

        随想古事記前章・五色人の謎補(私の五色人説)    2011-04-21

          アインシュタイン博士の言葉    2012-08-17

        私の『中朝事実』    2013-11-03

 

最近ではユーチューブでも私の説によく似た説を見かけることが時々あって、喜んでいます。どうかご自分のアイデンティティを確かめて、日本人の歴史の最先端を生きていただきたいと思います。再先端をつなぐことが今を生きる私達の責務だと思います。

 


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2023・11・3 恒例のご案内

2023-10-31 22:24:50 | 父の背負子3(雑記)

私にとっての恒例行事の日が巡ってきました。『もう』という気持ちがします。時が経つのは早いものですが、最近急に記事を書く意欲がなくなりかけてきました。反省して最後まで頑張ろうと思います。今年は恒例の『父の背負子・随想古事記』のご案内の日に留守をしますので、早めに記事を上げることにしました。少しでも多くの若者の目に触れて、自分の考えを作り上げて欲しいと思います。どうかお読みいただけたらと思います。

 

 

父の背負子(随想古事記)

        父の願い   2010-04-30        

        私の邪馬台国   2012‐10‐04       

        随想古事記・はじめに   2012‐10‐05        

        随想古事記Ⅰ・あめつちの・・・・・   2012‐10‐09        

        随想古事記Ⅰ・イザナギとイザナミ   2012‐10‐12      

        随想古事記Ⅰ・アマテラスとスサノオ   2012‐10‐15       

        随想古事記Ⅰ・海幸と山幸   2012‐10‐23

 

        随想古事記Ⅱ・関連記事便覧   2012-10‐17        

        随想古事記Ⅱ・神話と言語   2012‐10‐17        

        随想古事記Ⅱ・天津神と国津神   2012‐10‐24        

        随想古事記Ⅱ・アジアの神話と歴史   2012‐10‐31

 

        随想古事記Ⅲ・大和の心1  2012‐10‐26        

        随想古事記Ⅲ・大和の心2   2012‐10‐27        

        随想古事記Ⅲ・大和の心3   2012‐10‐29        

        随想古事記Ⅲ・大和の心4   2012‐11‐02       

        随想古事記Ⅲ・大和の心5   2012‐11‐03

 

        随想古事記Ⅳ・おそれながら・・私の仮説   2012‐11‐04

       

        随想古事記・おわりに   2012‐11‐06

        随想古事記前章・民族の形成   2011-04-11

        随想古事記前章・五色人の謎Ⅰ  2011-04-13

        随想古事記前章・五色人の謎Ⅱ  2011-04-14

        随想古事記前章・五色人の謎補(私の五色人説)    2011-04-21

          アインシュタイン博士の言葉    2012-08-17

        私の『中朝事実』    2013-11-03

 

 

 

それから決意をもうひとつ。現代人の歴史の断絶を何とかしたいとずっと思ってこんなブログを続けてきたのですが、思いついたヒントが、父から教わった昔の人をしのぶやり方、和歌の本歌取り・・・・・、これは長い時間をさかのぼって昔の人と対話できるやり方のように思います。きっかけは、テレビで流れた与謝野鉄幹の『人を恋うる歌』・・・・・名を惜しむかなおのこゆえ・・・・・を聞いた途端に以前このブログの記事でご紹介した大伴旅人家持親子の歌を思い出しました。言葉の連想は千数百年を飛び越えて、昔の人を懐かしむことができる・・・・・私たち日本人は昔の人の心の発露の歌というものを持っている!!!そうして時を隔てても重ねて自分の心の歌を発することができる!!!これはなんと素晴らしいことではないでしょうか。それで、和歌をご紹介するカテゴリーを作って、好きな歌の記事を書くことにします。言葉というものをテーマにした私にとって最後のご奉公のような気もしています。


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万世一系の天皇②

2023-09-06 15:01:14 | 父の背負子3(雑記)

史記という書物をご存じですか。漢時代司馬遷が著したとされている書物です。紀元前2世紀から1世紀の事です。随想古事記の中にも記事を書きました。その中に三皇本紀という章(これは司馬遷の作ではなく、唐代の補作だと言われている)があって、そこには中国大陸の王朝の始まりを、庖犠(ほうぎ)氏、女媧(じょか)氏神農(しんのう)氏と記してあります。庖犠氏は、風姓蛇身人首。女媧氏も風姓蛇身人首。神農氏は、姜姓人身牛首。庖犠氏は燧人(すいじん)氏から受け継いだとされていますが、燧人氏の記述はありません。その前は有巣氏。有巣氏と燧人氏は人間の社会生活の始まりを意味するような名前です。『家を作った』と『火を起こした』・・・いずれも鳥族風姓です。

多分これは後世の人の記憶だろうと私は思います。しかしながら、我らがアジア人の先祖もこうした時代を生き抜いてきたことには違いありません。我らがアジア人の系統には二つの種族があるというのが、川崎真治先生を支持する私の意見です。すでに随想古事記の中で述べてきました。海を北上してきて、海洋民族のままの蛇族として暮らした部族とそこから分かれて大陸に侵入して新たに鳥族を名乗った部族で、互いに嫁を取り合う通婚関係だったと川崎先生は述べておられます。それぞれのトーテムは竜(蛇)と鳳凰(鳥)、雷と風です。私は俵屋宗達の『風神雷神』を初めて見た時に感じた心の底の動揺を懐かしく思い出します。あれは私たちアジア人が何万年と持ち続けている意識の根源だろうと思います。アジア人の先祖のひれ伏しおろがむべきは風神雷神だったのだと思います。風神雷神の怒りは地球の怒りであって、人間は身を任す以外にありません。広大な海原で怒涛に吞み込まれそうな中で団結して、生き延びる道を探したのだと思います。こうして初めてアジア人となった人々は、何らかの訳があって人類発祥のアフリカを捨て、海路アジアにたどり着きました。そこからアジア人達は生活形態を二分します。島嶼を根拠地にして海洋民族となった者達と、大陸に上陸して国家組織を築いた者達です。もちろんこの二つは密接にかかわりあって、わが国日本でも蛇に象徴される縄(蛇)文人と、鳥のように飛ぶ天女の羽衣人、つまり天孫族がいます。だから先にいた海幸彦が兄で、後から来た山幸彦が弟です。

 

『有巣氏』『燧人氏』、鳥族風姓ですが、『巣を作った』時点で船を捨て独立して鳥族と名乗ったのではと思います。ですが庖犠も女媧も蛇身人首、つまり母が蛇で父は鳥だと言っています。ずっと密接な関係を持って通婚関係を持っていたと川崎先生は仰っています。まあ羽衣、つまり羽をもっている爬虫類が鳥ですから、同じ純粋アジア人です。こうして鳥族の大陸アジア人は世界最古の統一国家を作っていきます。三皇五帝、ここに遅れ馳せの陸路伝いの牛族がやってきます。その証拠が神農氏で、姜姓人身牛首、つまり姓は姜で母は鳥父が牛だと言っています。神農氏は牛族で、のちに言う彦星です。この彦星が女媧氏のお姫様織姫と恋に落ちて、そして王朝を乗っ取ったというわけです。これから五帝の時代となります。風姓少昊(しょうこう)金天氏、風姓顓頊(せんぎょく)高陽氏、風姓帝嚳(こく)高辛氏、伊祁(いき)姓帝堯陶唐氏、姚(よう)姓帝舜有虞氏です。それからまた風姓が三人続きますから、鳥族が三代、次に犬か牛族、牛族・・・・・で夏王朝となり、殷王朝が続きます。これが紀元前2000年くらい。夏は姒(じ)姓牛族太祖は禹、殷は風姓鳥族太祖は湯です。禹は帝舜の禅譲によって帝位につきましたが、殷湯王は天命を革(あらた)めることによって、つまり易姓革命によって帝位につきました。風姓殷にしてみれば、天命を革めて鳥族王朝に戻したのですが、この殷帝国後大陸は陸伝いにやってきた牛犬馬の王朝交代劇となって現代に至って、すべての王朝は天命を戴くということでその正当性を主張することになりました。天命とは鳥族天帝からさづけられた使命ということです。アジアの王は鳥族天帝なのです。そして混血の始まりが、織姫彦星の伝え話です。

殷の滅亡後その末裔はどこに行ったのか、最終的に日本列島に逃れて大和王朝を作ったというのが私の説で、日本の天孫降臨のお話につながっていると思います。この天孫降臨は朝鮮半島伝いに起こったと思います。織姫伝説のあるところが鍵だと考えています。天孫の天はアジア大陸に最初に起こった王朝を指し、天帝とはその国の正当性を持った王の父祖のことです。そして天帝の正当性を持った殷を実際上滅ぼした周王朝は、自分を天子と称し天祖を祀らなければならなくなり周礼の発達を見たのだと思っています。

 

我が国の万世一系の天皇は、あえて言わせていただきますが、この天帝につながる唯一の王朝天子で、わが日本人は王朝を支え続けてきた国民ということになります。私は天孫降臨は紀元前1300年頃だと思います。其氏朝鮮というところを経て帯方郡を通り九州に至ったと考えています。今では大陸にも半島にも天帝王朝はありません。大和王朝の起源は神武天皇の橿原での建国宣言です。きっと父祖以来の亡国のご苦労を思って、八紘一宇の大和の理想を建国理念として、それまでの国名『邪馬台(ヤマト)』を『大和』と当て字して国号となさったと思います。これは聖徳太子が国号を『日本』と変えられたのも同じです。今でも私達は同じように『ヤマト』と日本を読んだりしています。万世一系はその王朝の証です。この延々たる私たちの先祖の営みの尊さは何事にも代えがたいものです。このあたりの内容は、『父の背負子・随想古事記』として記事にしています。私達日本人は代々父の背負子としてみんながそれぞれ受け継ぎ背負ってきたものです。放り投げてはならないものです、根無し草になってはいけません。子供に背負わさなければなりません。

 

 

なんだか一年ぶりくらいに予定していた題名の記事を書いたので、前回の記事と纏まりがつかないかもしれません、後で補修します。とりあえず投稿します。お許しください。

 

 


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2023.05.08

2023-05-07 12:44:17 | 父の背負子3(雑記)

何の記事も書かないまま半年を過ごしてしまいました。父の命日を明日にして、ご紹介のみです。お許しください。

 

父の背負子(随想古事記)

        父の願い   2010-04-30        

        私の邪馬台国   2012‐10‐04       

        随想古事記・はじめに   2012‐10‐05        

        随想古事記Ⅰ・あめつちの・・・・・   2012‐10‐09        

        随想古事記Ⅰ・イザナギとイザナミ   2012‐10‐12      

        随想古事記Ⅰ・アマテラスとスサノオ   2012‐10‐15       

        随想古事記Ⅰ・海幸と山幸   2012‐10‐23

 

        随想古事記Ⅱ・関連記事便覧   2012-10‐17        

        随想古事記Ⅱ・神話と言語   2012‐10‐17        

        随想古事記Ⅱ・天津神と国津神   2012‐10‐24        

        随想古事記Ⅱ・アジアの神話と歴史   2012‐10‐31

 

        随想古事記Ⅲ・大和の心1  2012‐10‐26        

        随想古事記Ⅲ・大和の心2   2012‐10‐27        

        随想古事記Ⅲ・大和の心3   2012‐10‐29        

        随想古事記Ⅲ・大和の心4   2012‐11‐02       

        随想古事記Ⅲ・大和の心5   2012‐11‐03

 

        随想古事記Ⅳ・おそれながら・・私の仮説   2012‐11‐04

       

        随想古事記・おわりに   2012‐11‐06

        随想古事記前章・民族の形成   2011-04-11

        随想古事記前章・五色人の謎Ⅰ  2011-04-13

        随想古事記前章・五色人の謎Ⅱ  2011-04-14

        随想古事記前章・五色人の謎補(私の五色人説)    2011-04-21

          アインシュタイン博士の言葉    2012-08-17

        私の『中朝事実』    2013-11-03

 


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2022・11・03

2022-11-03 02:17:32 | 父の背負子3(雑記)

今年もまた11月3日が巡ってきました。前回の『万世一系の天皇』という記事の続きを書かねばと思いながら、何とは無しの虚しさにまけて今日になってしまいました。反省しています。頑張って記事にしようと思いますが、ともかくも今日は恒例のご案内まで。

 

父の背負子(随想古事記)

        父の願い   2010-04-30        

        私の邪馬台国   2012‐10‐04       

        随想古事記・はじめに   2012‐10‐05        

        随想古事記Ⅰ・あめつちの・・・・・   2012‐10‐09        

        随想古事記Ⅰ・イザナギとイザナミ   2012‐10‐12      

        随想古事記Ⅰ・アマテラスとスサノオ   2012‐10‐15       

        随想古事記Ⅰ・海幸と山幸   2012‐10‐23

 

        随想古事記Ⅱ・関連記事便覧   2012-10‐17        

        随想古事記Ⅱ・神話と言語   2012‐10‐17        

        随想古事記Ⅱ・天津神と国津神   2012‐10‐24        

        随想古事記Ⅱ・アジアの神話と歴史   2012‐10‐31

 

        随想古事記Ⅲ・大和の心1  2012‐10‐26        

        随想古事記Ⅲ・大和の心2   2012‐10‐27        

        随想古事記Ⅲ・大和の心3   2012‐10‐29        

        随想古事記Ⅲ・大和の心4   2012‐11‐02       

        随想古事記Ⅲ・大和の心5   2012‐11‐03

 

        随想古事記Ⅳ・おそれながら・・私の仮説   2012‐11‐04

       

        随想古事記・おわりに   2012‐11‐06

        随想古事記前章・民族の形成   2011-04-11

        随想古事記前章・五色人の謎Ⅰ  2011-04-13

        随想古事記前章・五色人の謎Ⅱ  2011-04-14

        随想古事記前章・五色人の謎補(私の五色人説)    2011-04-21

          アインシュタイン博士の言葉    2012-08-17

        私の『中朝事実』    2013-11-03

 

この頃ほど私達は自分のアイデンティティを確認しなければならない危機の時代を迎えたことはないように思います。明治までは忘れていても守られてきました。明治から敗戦までは、私達の祖父母や父母は否応のない敵に対して牙を持っていたと思います。そして敗戦後牙を抜かれた私達は、祖先を思うことも無くなりました。これでは何のために日本人と生まれたのかわかりません。少なくとも、子孫に伝えるものは自覚しなければならないと思います。

 

 

 

 


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万世一系の天皇①

2022-08-25 22:04:31 | 父の背負子3(雑記)

前記事、天帝とは誰かの問題提起から、一連の記事を書こうと思っています。それは、ちょっと早いかもしれないのですが、私の心の遺産を子供達に文字に残して小冊子にしようと思いついたからです。このブログに残したまま放置したら、いずれ消えてしまうでしょうから。子供の目に触れることも孫の目に触れることも無くなるのが、現代の核家族の運命のように思います。歴史が本当は個人個人の記憶の集合物であるはずなのに、集合する術が消えかかっている・・・・・家族というつながりこそが歴史に命を吹き込むものです。大事に守っていくべきものです。

 

今回は日本の歴史の背骨、『万世一系の天皇』についてです。現在最近皇位継承をめぐって国民の間でいろいろな意見が飛び交っていますが、この事態は全く異様な状態です。そもそも日本は戦後国や天皇というものに対して全く無関係な教育をしてきたがゆえに、自分の存在すら何にも依ってないかのような錯覚に支えられた国民になってしまいました。そしてひとたび問題が起きると、人権だ国の保証だと、訳の分からない欲求に取りつかれてしまいます。国との関係を明確に持っていないのに要求だけするというあさましい国民になってしまいました。自分が日本人であるという根拠を何も教えられてこなかったので、日本人であることもまるで偶然の他人事のようです。日本人は、日本という国の意味も知らずに、そのことを無視して生きています。

 

天皇とは日本の歴史そのものであって、私たち個人個人の名も知らぬ顔も知らない先祖がそれぞれの時代をそれぞれの天皇の名のもとに生きて命を繋いできました。有名な源氏物語は、『いずれのおほんときにか・・・・・』と言って何という帝の時代であったかという書き出しで始まります。そういう生きた年代感覚が天皇の在位期間であったのです。私たちの祖先は、その時の帝の世に生まれたという実感を繋いできました。私達は先祖をしのぶときに、例えば景行天皇の御代に生きた自分のご先祖様とか、誰それ天皇の御代に生きた私のご先祖様とかをしのぶのです。そしてそれが『君が代』の意味なのです。結論を先に言いましょう。その理由は後から述べたいと思います。

天皇とは日本の国柄です。天皇のおわす国が日本です。主義主張ではありません。皇統は私たちの背骨で、私達はその日本の小さな細胞の一つ一つです。同時代に生きている細胞たちはもちろん横につながっていますが、その一つ一つは縦のつながりをも持ってそこに存在しています。私達は束なのです。その縦のつながりは万世一系で保証され紡がれてきたのです。そのことを万世一系というのです。なぜそれが大事なのか・・・・・それは万世同じ歴史を営んでいる国民の証明だからです。私達は少なくとも神武元年の国民の子孫です。あの時いた人々の子孫なのです。私達はそういう一体感を持っています。皇統が一体感の証です。これは本当に稀なことであって、そういう歴史を持っている国民は、今ではこの地球上で日本だけになりました。これは今後作ることもできないありがたい事実です。日本人の義務は、この日本を守り続けることです。生きた人々の束を守ることです。

 

『万世一系』の反対語というか対象語は、『易姓革命』です。王朝が乗っ取られるか滅亡させられて交替するのです。中国大陸の内乱の歴史、戦争の歴史です。違う国の国民になるのです。『万世一系』は秩序と平和を維持して束の国民として生き続ける思想です。『万世一系』は『万世一姓』というのが元だろうと思います。その意味は、同姓による継承ということです。その姓については②に譲ろうと思いますが、なぜ『一系』に替えられたのかということを推測すると、それは皇室が姓を捨てられたからだと思います。私は子供の頃父から、『日本では一番上位におられる皇室と一番下位にいる被支配階級に姓がない』と教えられました。英国の王室はハノーバー家ですが、ギリシャ王家の夫君を迎えられて、エリザベス女王がマウントバッテンハノーバーと付け加えました。ヨーロッパの王室は大体みんな親戚で、国民とより外国の王家とのつながりが強いのです。みんなハノーバー王朝と言ってよいと思います。中世以降でさえそういう王家という世界に対して、神武天皇は二千年以上も前に『八紘一宇』、つまり『みんな一家族』と大和民族にまとめてしまわれて個別の姓を捨てられました。以来日本人は皇室を宗家の家長とした精神構造を作り上げました。日本人の宗家は『万世一系』になったのです。それがなぜ男系となるのかについて、次章②で述べたいと思います。

 

 


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月遅れの七夕様・・・・・天帝とは誰か。

2022-08-08 09:33:11 | 父の背負子3(雑記)

九州では、七夕様もお盆も夏の行事は今でも月遅れの事が多い・・・・・というわけで昨夜から今朝方七夕様の名残の雨が降りました。2年余りのコロナ騒動続きで、昔からの行事が減ったような気がします。お正月も豆まきも、ひな祭りも端午の節句も、七夕様も・・・・・お花見も、挙句の果てにはご法事までも!!!入院した家族も見舞えず、私達は散り散りになりそうです。こんな時こそ私達は自分のアイデンティティを確認して、縦横のつながりを取り戻さなければならないと思います。

 

そこでアジアにおける最古の絆ともいえる国家の王である天帝について私の説をご披露したいと思います。天帝とは誰か・・・・・。私達は七夕祭りの行事を持っています。七夕祭りの主役は織姫様。織姫様は天帝のお姫様です。そこに牛飼いの彦星が現れ二人は恋に落ちますが、天帝はお許しになりません。これまでも記事にしたことがありますが、織姫様は鳥族、彦星は牛族・侵入民族です。(この部族についてはすでにいろいろと記事にしましたので、今回は省略します。)そして二人は天の川の両岸に別々に住まわされましたが、哀れに思われた天帝は一年に一度、七夕の夜にだけ会うことをお許しになりました。天の川にカササギが橋を渡すのです。

織姫様の父君、鳥族の王である天帝とはいったい誰だとお考えですか。私はツクヨミノミコトだと思います。アジア大陸最古の王朝は、アマテラス、スサノオとともに三貴子と言われるツクヨミノミコトの王朝だと思います。この方は『月読』というお名前が示す通り、暦をつかさどるので天帝と言われるのだと思います。中国三千年とも四千年ともいう中国の歴史に月読はいません。女媧伏羲といわれる織姫彦星から始まります。鳥族の王朝を牛族が乗っ取って天子(天帝の子・後継ぎ)を名乗ったところから始まります。それ以来中国の国は易姓革命、つまり乗っ取りの歴史です。『夏』という牛族の国に遅れながら重なって『殷』が起こったとされていますが、この殷が鳥族最後の天帝の王朝です。私はこの殷が我らが天孫降臨という日本渡来の主だと考えています。天孫というのは、鳥族の孫だという意味です。そして、随想古事記のカテゴリーでご説明したとおり、『鳥』が『邪馬』に替えられたのです。『邪馬』は『猪』であると、『混血の神々』の著者川崎真治先生はおっしゃっています。私達の日本は、もともと同種だった鳥族の天孫族と蛇の縄文族が天津神と国津神、天神地祇として建てた大和の国です。

七夕様はそんな鳥族の残した伝え話です。また織姫という名のしめす通り、ツクヨミ王朝に機織りは始まったのです。それで昔話に機織りをするのは、天女であり、鶴の恩返しに見られるような鳥の化身です。古事記では、天照大神の機屋が描かれています。そんな昔の私たちの国の始まりの始まりを、天の川の七夕様にしのぶのも良い風習だと思います。


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令和4年5月8日

2022-05-08 12:31:00 | 父の背負子3(雑記)

今年も父の祥月命日を迎えました。父が亡くなって『ソラ』になってしまい放り出されてしまった娘が、やっとの思いで父の遺産である背負子を整理し父の命の続きを生きているつもりです。

年子の弟が生まれたこともあって、私は母を弟に譲ってお父さん子になりました。母から聞かされたのでそう思うのですが、『おかあちゃは・・ちゃん。』と言って、父と寝たらしいのです。聞き分けの良い幼い娘がいじらしくもあり、母としては寂しくもあったと回想を聞いたこともあります。私は軽業が得意(?)だったらしく、集まりがあるたびに父の肩に上り、手を広げて立ったり、くるりと回転したりして、余興をご披露していたのをおぼろげに覚えています。

私は父が大好きでした。私にとって今に至るまで、この世で最も素晴らしい人でした。そんな父から培われた私のアイデンティティが、父の背負子の中身です。そして受け取った背負子に加えるべきものが、最後の私のカテゴリー『最終章・これを知るために』・・・・・それを今書き続けようとしています。誰もが親から受け取った背負子に何かを加えるべきなのだと思います。そしていま私は誰かに手渡すべく、若者を探しています。

 

 

父の背負子(随想古事記)

        父の願い   2010-04-30        

        私の邪馬台国   2012‐10‐04       

        随想古事記・はじめに   2012‐10‐05        

        随想古事記Ⅰ・あめつちの・・・・・   2012‐10‐09        

        随想古事記Ⅰ・イザナギとイザナミ   2012‐10‐12      

        随想古事記Ⅰ・アマテラスとスサノオ   2012‐10‐15       

        随想古事記Ⅰ・海幸と山幸   2012‐10‐23

 

        随想古事記Ⅱ・関連記事便覧   2012-10‐17        

        随想古事記Ⅱ・神話と言語   2012‐10‐17        

        随想古事記Ⅱ・天津神と国津神   2012‐10‐24        

        随想古事記Ⅱ・アジアの神話と歴史   2012‐10‐31

 

        随想古事記Ⅲ・大和の心1  2012‐10‐26        

        随想古事記Ⅲ・大和の心2   2012‐10‐27        

        随想古事記Ⅲ・大和の心3   2012‐10‐29        

        随想古事記Ⅲ・大和の心4   2012‐11‐02       

        随想古事記Ⅲ・大和の心5   2012‐11‐03

 

        随想古事記Ⅳ・おそれながら・・私の仮説   2012‐11‐04

       

        随想古事記・おわりに   2012‐11‐06

        随想古事記前章・民族の形成   2011-04-11

        随想古事記前章・五色人の謎Ⅰ  2011-04-13

        随想古事記前章・五色人の謎Ⅱ  2011-04-14

        随想古事記前章・五色人の謎補(私の五色人説)    2011-04-21

          アインシュタイン博士の言葉    2012-08-17

        私の『中朝事実』    2013-11-03

 


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令和3年11月3日・だいこくちゃまとえびっちゃま

2021-11-03 00:05:48 | 父の背負子3(雑記)

11月3日の恒例行事と決めた『父の背負子・随想古事記』のご案内です。ご案内を始めて10年になろうとしています。最近は何もかも気乗りしなくなり、今回自戒を込めてご案内をしています。ところで昔は、と言っても私が子供のころまでは、どこの家にも大国恵比寿の額があったような気がします。私が3歳か4歳のころその額を見ては、『ぴょんととんがっているのがえびっちゃま』と言っていた(あるいは教えられて言っていた)そうで、大国様は黒だったか白だったかの頭巾をかぶり、恵比須様は赤かったか金色だったかの三角形の頭巾だったような・・・・・。そんな子供にも親しまれた『だいこくちゃまとえびっちゃま』の額も最近はあまり見なくなりましたが、恵比須顔の見本の恵比須様・・・・・恵比須様って誰なのでしょうか。

大国様は、何となくオオクニヌシノミコトと重なっています。いつごろからか、大黒天と重なって崇敬を集めてきました。まあそれはいいとして恵比須様は???恵比須様は釣竿をもって鯛を抱えておられます。大漁の神様で、海岸地方の地名にも多い・・・・・恵比須の字はいろいろ当てられています。戎・胡・夷・蛭子・・・・・戎・胡・夷には、民族的なにおい。蛭子は、イザナギイザナミの最初のかわいそうな子・ヒルコ。そしてオオクニヌシの子(?、あるいは共同経営者?)の『スクナヒコナ』・・・・・こちらは三保の松原で釣りをなされたと言いますから、恵比須様にはぴったりです。指よりも小さい少彦名尊(スクナヒコナノミコト)出雲の国譲りに同意なされたとか、反対された弟君タケミナカタノミコトとは対照的です。そんなスクナヒコナノミコトは、大国主命と同じく医療薬剤の神様としても伝えられています・・・・・スクナヒコナっていったい誰なのでしょうか。えびっちゃまとスクナヒコナ・・・・・このお二方は、今でも私の謎です。

 

それでは、以下が毎回ご紹介している私の随想古事記です。読んで頂けたら、嬉しく思います。

 

 父の背負子(随想古事記)

        父の願い   2010-04-30        

        私の邪馬台国   2012‐10‐04       

        随想古事記・はじめに   2012‐10‐05        

        随想古事記Ⅰ・あめつちの・・・・・   2012‐10‐09        

        随想古事記Ⅰ・イザナギとイザナミ   2012‐10‐12      

        随想古事記Ⅰ・アマテラスとスサノオ   2012‐10‐15       

        随想古事記Ⅰ・海幸と山幸   2012‐10‐23

 

        随想古事記Ⅱ・関連記事便覧   2012-10‐17        

        随想古事記Ⅱ・神話と言語   2012‐10‐17        

        随想古事記Ⅱ・天津神と国津神   2012‐10‐24        

        随想古事記Ⅱ・アジアの神話と歴史   2012‐10‐31

 

        随想古事記Ⅲ・大和の心1  2012‐10‐26        

        随想古事記Ⅲ・大和の心2   2012‐10‐27        

        随想古事記Ⅲ・大和の心3   2012‐10‐29        

        随想古事記Ⅲ・大和の心4   2012‐11‐02       

        随想古事記Ⅲ・大和の心5   2012‐11‐03

 

        随想古事記Ⅳ・おそれながら・・私の仮説   2012‐11‐04

       

        随想古事記・おわりに   2012‐11‐06

        随想古事記前章・民族の形成   2011-04-11

        随想古事記前章・五色人の謎Ⅰ  2011-04-13

        随想古事記前章・五色人の謎Ⅱ  2011-04-14

        随想古事記前章・五色人の謎補(私の五色人説)    2011-04-21

          アインシュタイン博士の言葉    2012-08-17

        私の『中朝事実』    2013-11-03

 


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令和3年5月8日

2021-05-08 00:14:58 | 父の背負子3(雑記)

私の恒例行事の日が巡ってきました。父がまいた種を今度は私が若者にまきたいと思って始めました。昨年から歴史の変動をつくづく感じています。明日を担う若者と父祖をつなぐことが今の私の務めであり願いだと強く思っています。

 

以下が毎回ご紹介している私の随想古事記です。読んで頂けたら、嬉しく思います。

 

 父の背負子(随想古事記)

        父の願い   2010-04-30        

        私の邪馬台国   2012‐10‐04       

        随想古事記・はじめに   2012‐10‐05        

        随想古事記Ⅰ・あめつちの・・・・・   2012‐10‐09        

        随想古事記Ⅰ・イザナギとイザナミ   2012‐10‐12      

        随想古事記Ⅰ・アマテラスとスサノオ   2012‐10‐15       

        随想古事記Ⅰ・海幸と山幸   2012‐10‐23

 

        随想古事記Ⅱ・関連記事便覧   2012-10‐17        

        随想古事記Ⅱ・神話と言語   2012‐10‐17        

        随想古事記Ⅱ・天津神と国津神   2012‐10‐24        

        随想古事記Ⅱ・アジアの神話と歴史   2012‐10‐31

 

        随想古事記Ⅲ・大和の心1  2012‐10‐26        

        随想古事記Ⅲ・大和の心2   2012‐10‐27        

        随想古事記Ⅲ・大和の心3   2012‐10‐29        

        随想古事記Ⅲ・大和の心4   2012‐11‐02       

        随想古事記Ⅲ・大和の心5   2012‐11‐03

 

        随想古事記Ⅳ・おそれながら・・私の仮説   2012‐11‐04

       

        随想古事記・おわりに   2012‐11‐06

        随想古事記前章・民族の形成   2011-04-11

        随想古事記前章・五色人の謎Ⅰ  2011-04-13

        随想古事記前章・五色人の謎Ⅱ  2011-04-14

        随想古事記前章・五色人の謎補(私の五色人説)    2011-04-21

          アインシュタイン博士の言葉    2012-08-17

        私の『中朝事実』    2013-11-03

 


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2020・11・03

2020-11-01 14:14:10 | 父の背負子3(雑記)

恒例の『父の背負子・随想古事記』をご紹介する年に2回の日がまたやって来ました。あと何回この日を繰り返すことが出来るかと思いながら、繰り返しこそが親子代々・子供の教育・日本人としてのアイデンティティの共有の基本だとあらためて感じています。これは日本語という言語的なアイデンティティでもあるのだと思います。母国語というものが先祖代々のアイデンティティの継承に関与している最大の要因だと思います。日本語を大事にすることが一番で、外国語は用を足せるくらいのブロークンでちょうど良いと思います。今年の3日はトランプ大統領の選挙と重なって色々と騒々しいような気がするので、早めに記事を書くことにしました。

 

以下が毎回ご紹介している私の随想古事記です。読んで頂けたら、嬉しく思います。

 

 父の背負子(随想古事記)

        父の願い   2010-04-30        

        私の邪馬台国   2012‐10‐04       

        随想古事記・はじめに   2012‐10‐05        

        随想古事記Ⅰ・あめつちの・・・・・   2012‐10‐09        

        随想古事記Ⅰ・イザナギとイザナミ   2012‐10‐12      

        随想古事記Ⅰ・アマテラスとスサノオ   2012‐10‐15       

        随想古事記Ⅰ・海幸と山幸   2012‐10‐23

 

        随想古事記Ⅱ・関連記事便覧   2012-10‐17        

        随想古事記Ⅱ・神話と言語   2012‐10‐17        

        随想古事記Ⅱ・天津神と国津神   2012‐10‐24        

        随想古事記Ⅱ・アジアの神話と歴史   2012‐10‐31

 

        随想古事記Ⅲ・大和の心1  2012‐10‐26        

        随想古事記Ⅲ・大和の心2   2012‐10‐27        

        随想古事記Ⅲ・大和の心3   2012‐10‐29        

        随想古事記Ⅲ・大和の心4   2012‐11‐02       

        随想古事記Ⅲ・大和の心5   2012‐11‐03

 

        随想古事記Ⅳ・おそれながら・・私の仮説   2012‐11‐04

       

        随想古事記・おわりに   2012‐11‐06

        随想古事記前章・民族の形成   2011-04-11

        随想古事記前章・五色人の謎Ⅰ  2011-04-13

        随想古事記前章・五色人の謎Ⅱ  2011-04-14

        随想古事記前章・五色人の謎補(私の五色人説)    2011-04-21

          アインシュタイン博士の言葉    2012-08-17

        私の『中朝事実』    2013-11-03

 


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令和2年5月8日

2020-05-07 20:27:04 | 父の背負子3(雑記)

明日は令和2年5月8日、恒例の『父の背負子(随想古事記)』のご紹介です。このカテゴリーを完成した2013年の翌年の5月からずっと続けています(死ぬまで続けたいと思います。)

ここのところ武漢発コロナウィルス騒動で、『中国』という国名をよく聞きます。この『中国』という、彼の大陸の国の呼称については、これまで一般的に使われている略称として使ったりもしましたが、かなりの違和感を持っています。そもそも『中国』という国は世界中のどこにもありません。世間でよく言われる『中国三千年』とか『四千年』とか・・・・・だけど『中国』などという国名は歴史上何処にもありません。『中華』とか『中原』とかいう言葉はあるけれども、それも国名ではありません。そして現在の毛沢東が建国した『中華人民共和国』を中国と呼んでいるのは日本人だけだと思います。英語圏では『清』の英語読み『チャイナ』(陶器を表す言葉にもなったチャイナについての記事『志野』も読んでいただけたらと思います。)が今でも使われています。それについて誰も変だとは思わないらしい。ですが、『中華人民共和国』と呼ぶのが正しいのであって、略した場合は『中共』が妥当だと思います。『シナ』というのも『シン国(シン邦)』という意味であって別に蔑称ではありませんが、『チャイナ』という呼び方の日本語版だと言えます。現在の日本人に『シナ』を蔑称のように思わせるのは、中華人民共和国側に清に対する嫌悪感があってクレームをつけられる(?・・・・・そうであれば、当然『チャイナ』にもつけるべき)のか、日本側にある『シナ』と呼んだ明治以降の日清関係の名残か・・・・・です。『朝鮮』という美しい国名が侮蔑を含んでしまったのと同じです。

私の探求のきっかけはいつも小学生時代にありますが、これもまた小学生だった頃の私の疑問が始まりです。『日本の中国地方はなぜ中国地方なの???』・・・・・と、私は思いました。そしていつも通り、疑問を投げかけられた父は小さな娘に答えました。『あれはねえ、『なかつくに』という意味なんだよ。』・・・・・『なかつくに・・・・・中つ国?????』・・・・・スサノオノミコトが大国主命にはなむけされた『葦原の中つ国』・・・・・この『中つ国』が『中国』で、『中国』と書いて『なかつくに』と読むのです。この『中つ国』が『真ん中の国・中央の国・中心の国』という意味になった理由は、その『中つ国』が歴史上中心の国だったから、つまり出雲の国が中心だったからです。スサノオノミコトが出雲と呼ばれる前、その国は『ナカツクニ』・・・・・つまり『ナカ』の国・・・・・蛇族、私が呼ぶところの『ワタツ人』の国だったからです。そしてそれが中心の国を表す美称になって残りました。そういうわけで、『中国』は現在の日本の『中国地方の呼び名』が正しいと思います。日本人が『中華人民共和国』を『中国』と呼ぶのは、朝鮮が事大として仕えたのと同じ精神構造で、無意識下に日本人が卑屈になっているか、或いは大陸への希望的観測かだと思います。聖徳太子の『日本(やまと)』を思い出すべきだと思います。以下が毎回ご紹介している私の随想古事記です。読んで頂けたら、嬉しく思います。

 

 父の背負子(随想古事記)

        父の願い   2010-04-30        

        私の邪馬台国   2012‐10‐04       

        随想古事記・はじめに   2012‐10‐05        

        随想古事記Ⅰ・あめつちの・・・・・   2012‐10‐09        

        随想古事記Ⅰ・イザナギとイザナミ   2012‐10‐12      

        随想古事記Ⅰ・アマテラスとスサノオ   2012‐10‐15       

        随想古事記Ⅰ・海幸と山幸   2012‐10‐23

 

        随想古事記Ⅱ・関連記事便覧   2012-10‐17        

        随想古事記Ⅱ・神話と言語   2012‐10‐17        

        随想古事記Ⅱ・天津神と国津神   2012‐10‐24        

        随想古事記Ⅱ・アジアの神話と歴史   2012‐10‐31

 

        随想古事記Ⅲ・大和の心1  2012‐10‐26        

        随想古事記Ⅲ・大和の心2   2012‐10‐27        

        随想古事記Ⅲ・大和の心3   2012‐10‐29        

        随想古事記Ⅲ・大和の心4   2012‐11‐02       

        随想古事記Ⅲ・大和の心5   2012‐11‐03

 

        随想古事記Ⅳ・おそれながら・・私の仮説   2012‐11‐04

       

        随想古事記・おわりに   2012‐11‐06

        随想古事記前章・民族の形成   2011-04-11

        随想古事記前章・五色人の謎Ⅰ  2011-04-13

        随想古事記前章・五色人の謎Ⅱ  2011-04-14

        随想古事記前章・五色人の謎補(私の五色人説)    2011-04-21

          アインシュタイン博士の言葉    2012-08-17

        私の『中朝事実』    2013-11-03


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令和元年11月3日

2019-11-02 23:06:11 | 父の背負子3(雑記)

私の恒例行事の日である亡き父の誕生日11月3日・・・・・明日は令和の御代を迎えて初めての11月3日です。生前父は『自分の誕生日は祝日だから、みんなから祝ってもらっているようだ』と嬉しそうな顔をして言っていました。そんな父の誕生日を記念日にして祈り続けることが出来る娘は幸せだと感じています。父祖代々の私達の誇りを自分の言葉に翻訳して、古事記に対する随想をブログの記事にし、それを『父の背負子』というカテゴリーにまとめることが出来ました。それを多くの皆様のお目に触れるよう、父の命日の5月8日と誕生日の11月3日に毎年ご紹介するのを恒例にしています。これは私と父、そのまた父祖へとつながるアイデンティティの問題だと確信していますから。

 

私達は『邪馬台国』探求が好きです。『邪馬台国』はどこにあったのか、いつの世も論争が絶えません。それは何故なのか・・・・・私達の遠い記憶にどこかつながっているのに、何処とも知れないからです。つまりは自分たちのルーツの探求と同じだからだと思います。そしてなぜルーツを探求せずにはおれないのか・・・・・それは私達が父祖のコピーとして今の命を生きているからです。これは自覚しているかいないかを問わず、本能的な願いだから絶えることはありません。それを解明しない限り、安心できないのです。私はそれを自分の範囲で確立して非常に安心の境地に立っています。それを『はらから』の皆様と分かち合いたいと、まあ、押しつけがましく発表しているというわけです。どうぞ読んでいただけたら・・・・・と願っています。

 父の背負子(随想古事記)

        父の願い   2010-04-30        

        私の邪馬台国   2012‐10‐04       

        随想古事記・はじめに   2012‐10‐05        

        随想古事記Ⅰ・あめつちの・・・・・   2012‐10‐09        

        随想古事記Ⅰ・イザナギとイザナミ   2012‐10‐12      

        随想古事記Ⅰ・アマテラスとスサノオ   2012‐10‐15       

        随想古事記Ⅰ・海幸と山幸   2012‐10‐23

 

        随想古事記Ⅱ・関連記事便覧   2012-10‐17        

        随想古事記Ⅱ・神話と言語   2012‐10‐17        

        随想古事記Ⅱ・天津神と国津神   2012‐10‐24        

        随想古事記Ⅱ・アジアの神話と歴史   2012‐10‐31

 

        随想古事記Ⅲ・大和の心1  2012‐10‐26        

        随想古事記Ⅲ・大和の心2   2012‐10‐27        

        随想古事記Ⅲ・大和の心3   2012‐10‐29        

        随想古事記Ⅲ・大和の心4   2012‐11‐02       

        随想古事記Ⅲ・大和の心5   2012‐11‐03

 

        随想古事記Ⅳ・おそれながら・・私の仮説   2012‐11‐04

       

        随想古事記・おわりに   2012‐11‐06

        随想古事記前章・民族の形成   2011-04-11

        随想古事記前章・五色人の謎Ⅰ  2011-04-13

        随想古事記前章・五色人の謎Ⅱ  2011-04-14

        随想古事記前章・五色人の謎補(私の五色人説)    2011-04-21

          アインシュタイン博士の言葉    2012-08-17

        私の『中朝事実』    2013-11-03

 

以下の青字は前回5月8日の記事の最後の締めくくりに書いた質問です。 

以前、『なぜギリシャ神話のゼウスは牡牛になって地上に現れるのか?』という、私の歴史探求が始まった疑問の一つをご紹介したと思います。今回は日本人の皆様の心のうちに向かって疑問を投げさせてていただきたいと思います。

        『なぜ西表が『いりおもて』で、国東が『くにさき』なのですか?』

このシリーズに発表した回答に賛否両論をお待ちしています。

 

私が行きついた答えは以下の通りです。それは『イリ』が犬族を表し、『サキ』が鳥族を表しているからです。アジアでは犬族が西から(最後に)来た民族で、鳥族は最初にアジア大陸に住み着いた天帝民族(私達が民話として持っている織姫と彦星の物語などに細切れに持っている天帝のお話はここに行きつきます。)で、犬族牛族にどんどん東に追われました。そういった部族名が地名として、私達子孫に残されています。今年になって夫の仕事の都合で平戸福岡間を往復することになって気が付いたことがあります。昔の筑肥線(鉄道)に近いルートなのですが、鹿家(しかか)トンネルと大入(おおいり)トンネルというトンネルがあって、奇妙な名前だなあと思っていました。鹿家・・・・・牛族と、大入・・・・・犬族の集落名だったんだなあと感慨深く思っています。それぞれの地名にそれぞれの誇り高い思いが込められているのだと思います。

 


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令和元年5月8日

2019-05-05 09:32:02 | 父の背負子3(雑記)

今日は五月のお節句・こどもの日・・・・・また私の恒例行事の日である父の命日をまもなく迎えますが、今年はまた格別で、令和の御代を迎えて初めての5月8日になります。現在は私達日本人だけが独自の元号を持っているのだとか・・・・・世界はキリスト教徒でなくとも西暦、つまりキリスト紀元で無意識を封じられています。これから抜け出すことは容易なことではないはずです。だけれど我ら日本人は自由に歴史を区切ることが出来る・・・・・そして新しく生きることが出来る・・・・・『御代(みよ)代わり』・・・・・これは、子々孫々代々が、一代の人生の中に天岩戸開きを経験して、新しい時代の平安を祈ることが出来るということです。

今回私達日本人は先帝のお気持ちを汲むことが出来て幸せな気持ちで新しい天皇を日本人統合の顔・象徴として戴くことが出来ました。これは本当に素晴らしいことだと思います。これを実現した私達の行政府も素晴らしいと思います。そういうわけで、新しい5月8日の私の記念日を迎えることになり、繰り返し御代代わりを生きてきた私達日本人のアイデンティティを新たにしたいという決意を、それこそ、新たにして、『父の背負子(随想古事記)』をご紹介したいと思います。記事内容は以下の通りです。最近はどことなく同じような内容の本などが増えた(?)ような気がして、嬉しく思っています。 

 

父の背負子(随想古事記)

        父の願い   2010-04-30        

        私の邪馬台国   2012‐10‐04       

        随想古事記・はじめに   2012‐10‐05        

        随想古事記Ⅰ・あめつちの・・・・・   2012‐10‐09        

        随想古事記Ⅰ・イザナギとイザナミ   2012‐10‐12      

        随想古事記Ⅰ・アマテラスとスサノオ   2012‐10‐15       

        随想古事記Ⅰ・海幸と山幸   2012‐10‐23
        随想古事記Ⅱ・関連記事便覧   2012-10‐17        

        随想古事記Ⅱ・神話と言語   2012‐10‐17        

        随想古事記Ⅱ・天津神と国津神   2012‐10‐24        

        随想古事記Ⅱ・アジアの神話と歴史   2012‐10‐31
        随想古事記Ⅲ・大和の心1  2012‐10‐26        

        随想古事記Ⅲ・大和の心2   2012‐10‐27        

        随想古事記Ⅲ・大和の心3   2012‐10‐29        

        随想古事記Ⅲ・大和の心4   2012‐11‐02       

        随想古事記Ⅲ・大和の心5   2012‐11‐03
        随想古事記Ⅳ・おそれながら・・私の仮説   2012‐11‐04        

        随想古事記・おわりに   2012‐11‐06

        随想古事記前章・民族の形成   2011-04-11

        随想古事記前章・五色人の謎Ⅰ  2011-04-13

        随想古事記前章・五色人の謎Ⅱ  2011-04-14

        随想古事記前章・五色人の謎補(私の五色人説)    2011-04-21

          アインシュタイン博士の言葉    2012-08-17

        私の『中朝事実』    2013-11-03

 

以前、『なぜギリシャ神話のゼウスは牡牛になって地上に現れるのか?』という、私の歴史探求が始まった疑問の一つをご紹介したと思います。今回は日本人の皆様の心のうちに向かって疑問を投げさせてていただきたいと思います。

        『なぜ西表が『いりおもて』で、国東が『くにさき』なのですか?』

このシリーズに発表した回答に賛否両論をお待ちしています。


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