2月26日13:00~16:00、柿本医院なでしこ寮(定員15名)
●雑穀和風ハンバーグ 〜しぐれ味噌ソース〜
●切り干し大根の焚いたんバリエーション
切り干し大根のパスタ 桃ジュースのジュレ
切り干し大根のスチームケーキ 雛かざり
●里芋の味噌ポタージュ(豆味噌)
ヒレフリ山教室もいつもと同じです。皆様とお目にかかれることを楽しみにしています。
それでは今日も:
私達はまだ横田めぐみさん達を取り返していない!!
私は芹が好きです。芹独特の高い香と歯ごたえが好きです。それでその時の都合で三草粥になったり五草粥になったりしますが、私の場合芹だけになることはあっても芹が欠ける事はありえません。そういうわけで今年も芹をたっぷりと刻んで七草粥を作りました。芹の香をかぐと母との芹摘みを思い出します。稲の切り株がそのまま残っている田圃で芹を摘んだものです。一番に思い出すのは福岡県築城町の田圃です。自衛隊官舎のわきの田圃です。そのわきには小川(用水路?)が流れていて、その上手には堤がありました。その小川には雷魚も棲んでいて、弟達との鮒取りの時に弟が『噛みつくんだぞ』と言うので恐々見たものです。その川には川芹も生えていましたが、母は横に広がって生えている小さな田芹が味も香りも良いのだと教えてくれました。(その田芹が東京で売ってあるのを発見してびっくりし昨年記事にしました!)籠いっぱいに積んで、芹の胡麻和えが私の春の味になりました。そしてそれが母の記憶になりました。
今も残っているのかどうか分かりませんが、その小川は年中子どもたちの遊び場でした。鬼ごっこもしましたし、土手に植わっていた桑の木の実も食べました。夏の終わりには母はご近所のお仲間とへちまを沈めてたわしを作りました。あの築城町の光景は今も鮮明に覚えています。今一度訪ねてみたい場所ですが、先年弟が行ってみたらしいのです。あの界隈の面影はないとのこと、そうでしょうね、50年余りも前のことですから・・・・・・でも小学校3,4年くらいの思い出は懐かしく美しいと思います。美しいと言えば、小学校の音楽で出合った歌の詩の美しさに心ひかれたのを覚えています。それは『遠足』の歌です。子供心に文語調の詩の美しさを感じました。
右に見えるは名高き御寺(みてら)
左に遠くかすむは古城
いざや、わが友うち連れ行かん!
今日は楽しき遠足の日よ。
覚えておられる方もおられることと思います。お天気の良い日に車の運転をしているとふと口を衝いて出てくる歌です。もしかするとこのころの経験が言葉というものに関心を持ち始めたきっかけではないかと思います。美しい言葉に出会うと何時までも覚えているものです。それに父がこのころ子供達に強制(?)した我が家の歌会始!私達姉弟はお正月のお膳を囲んで自作の詩歌を発表しなければなりませんでした。詩でも俳句でも何でもよかったのですが、最後は父の短歌の朗詠を謹み深く(?)聴きました。それで私が言葉の世界に入り込む素地が作られたのだと思います。
来月のヒレフリ山教室、終了試験(?)は自分の好きな和歌の発表でしたね。昔から好きな歌でもよいし、この頃発見した歌でも構いません。自分の心が共鳴した歌なら何でも構いません。それが『ウタ!』である限り。その時お祝(?)にこの遠足の歌を歌って差し上げましょう。この歌は、『いざやわが友うち連れ行かん!』ですから、私達に合っていると思います。ところでこの歌には2番の歌詞もあったのですが、私は忘れてしまいました。何方かご存知なら、教えてください。七草粥の芹の思い出は、母との芹摘みの思い出です。その一番の情景はあの築城町。そして最も多感で柔軟だった時代の父との交流。小学校の唱歌の思い出。その上に半世紀を生きました。何時も生き生きとよみがえります。
それでは希望を込めて:
私達は横田めぐみさん達を取り戻すことが出来るだろうか!!
私は駅伝が好きです。多分スポーツの中で一番好きです。勝者の喜び、敗者の悲しみというのはどんなスポーツにもつきもので美しく感動的なものですが、駅伝の悲しみというのは独特のものがあります。ひとりひとりが自分のためでなく仲間のためにタスキをつないで行くためにのり越えなければならない苦しみと、多くの場合必ずしも報われない悲しみ・・・・・タスキをつなぐというそれだけの行為に込められた各選手の思いと必死の姿と涙は私達の心を揺さぶってあまりあります。あれは人間の持つ愛の心ゆえの悲しみのような気がします。そして私は昔父から教えられた愛という言葉を思い出すのです。『愛』の心が様々な種類の感情となって現れる・・・・喜び・悲しみ・いとおしみ・楽しみ・・・・・その中で最も人の心を揺さぶるものが悲しみであって、『愛し(かなし)』という母の愛から生まれる感情の代表が『悲し』なのだと・・・・。
そんな『悲しみ』を思う時必ず思い出す歌があります。それは出会った時にはっと胸を突かれてうろたえる程に熱いものがこみ上げた歌・・・・・それは、三井甲之という方の歌。
ますらおの 悲しき命つみ重ね つみ重ね守る 大和島根を
これは靖国神社の遊就館という遺品の展示室の入り口に掲げられている歌です。そうなんだろうなと思います。遠い昔にも“さきもり”という辺境の防備につく兵士がいましたし、それは今も昔も変わりません。先頃カンボジアの地で国連の平和活動に参加していた中田厚仁という青年が残した手記に、『危険と分かっていても誰かが行く・・・・事件が起こらなければその日は過ぎていく・・・・・今日は無事に過ぎた・・・・・』といったような趣旨の文章があったと記憶しています。そして中田青年は銃撃に遭いカンボジアの平和の犠牲になられました。いつの世も悲しみに裏打ちされている私達の幸せがあるのだと思います。それでわれ知らず『悲しみ』というものに共感してしまうのだと思います。
子供のころ読んだファーブル昆虫記に(でしたか?)こんな話がありました。ファーブル少年がアリを観察していた時のことです。アリの巣の近くにろうそくを立て火を着けました。するとアリは次々に何十(百?)匹もが火に身を投じて(?、多分火を消すために芯を噛んでか、かぶさってか)ろうそくの灯を消したそうです。感情のない(?)アリがそういう行動を取るということは、これは生物が本来持っている本能的な行動なのでしょうか。そしてそういった行動に胸を揺り動かされ悲しみを共有するということは、私達がもともと一つで後に続く本能を持っているということではないでしょうか。人間は『愛』というものを紐帯として結びついているけれど、アリはどんな心に突き動かされるのでしょうか。地球上に生きている同じ生物として、アリを突き動かしている心も愛なのだと思います。同じ波動を私達は愛と認識して行動し、アリは認識することなく本能的に受容しているのだと思います。そして『歌』とはそういう心の波動の音声化だと思います。
そういうわけで私は駅伝が好きです。駅伝は愛のスポーツだと思います。駅伝がオリンピックの種目にならないかなあと願っています。
それでは年頭に当たって:
今年こそ私達は横田めぐみさん達を取り戻すことが出来るでしょうか!