先日から何回かご紹介した久司先生の「導引」の校正が、やっと八分方出来上がりました.まもなく皆様のお目に触れると思いますが、この本は本当に素晴らしい本です.導引の実習そのものは、先生がおっしゃっておられるとおり、色々工夫の余地も他の種類もたくさんあると思います.でも人間とは何かという根本問題に、この本ほど明確に答えている本はありません.マクロビオティックが何のためにあるのか、はっきりとお分かりになると思います.この理解の上に、何を食べるかと言う選択の自由があると思います.
マクロビオティックと一般的に言っている食事法や料理法も、一般に広まっている料理法も、私達の経験による工夫であって規則ではありません.ですがそマクロビオティックの料理法が何に立脚しているかと言うと、宇宙の法則と私達がマクロビオティックで言い慣らしている物理です.物理と言うのは何も難しい学校の教科ではありません.確かに理科の物理は宇宙の物理の学問で難しく考えがちですが、物理は宇宙にあるもの全ての変化の法則性です.その統一原理が陰陽の法則です.食事法も料理法も私達の命と同じ法則によっており、何物もその法則から逃れることは出来ないので、陰陽を習い調理することをマクロビオティックでは推奨しているのです.
宇宙の展開法則に従うと自由になり、それに逆らうと不自由になります.従えば宇宙は同じ様に動き、逆らえば宇宙に生きることは出来ません.完全に逆らえば一刻も生きてはいけませんし、そもそもそのようなものは存在しません.存在しているということは既にその法則性の中に生きていることですから、従うという選択しかないのです.私達は宇宙のミニチュアなのですから従うも従わないもそれが自分の法則なのです.それで残る道は、ただ「そのことを知るか知らないか」ということだけです.それで孔子様の『朝に道を聞かば、夕べに死するとも可也』、そしてあの親鸞上人『明日ありと思う心のあだ桜 夜半に嵐の吹かぬものかは』という有名なお言葉やお歌が生きてきます.本当に死んだっていいくらいありがたい事なのです.
マクロビオティックの根本課題は宇宙の道を知ることです.その道を知って変化していくことです.でもそれは食べることと裏表です.食べることが変化の道であると同時に、正しく食べないと何も知ることは出来ません.正しく食べれば、全てはインスピレーション、なんでも宇宙にあります.宇宙は全知全能です.ですからマクロビオティックの調理法を皆学ぶのであり、その食事法に従って食べるのです.それぞれ自分の段階で学びつづけること、学んだことと行いを一つにすること、それがマクロビオティックの実践です.それがマクロビオティックの道であり、私のマクロビオティック登山であり奥の細道紀行です.あちこちの道連れさん、ご一緒していただいて有難うございます!
マクロビオティックと一般的に言っている食事法や料理法も、一般に広まっている料理法も、私達の経験による工夫であって規則ではありません.ですがそマクロビオティックの料理法が何に立脚しているかと言うと、宇宙の法則と私達がマクロビオティックで言い慣らしている物理です.物理と言うのは何も難しい学校の教科ではありません.確かに理科の物理は宇宙の物理の学問で難しく考えがちですが、物理は宇宙にあるもの全ての変化の法則性です.その統一原理が陰陽の法則です.食事法も料理法も私達の命と同じ法則によっており、何物もその法則から逃れることは出来ないので、陰陽を習い調理することをマクロビオティックでは推奨しているのです.
宇宙の展開法則に従うと自由になり、それに逆らうと不自由になります.従えば宇宙は同じ様に動き、逆らえば宇宙に生きることは出来ません.完全に逆らえば一刻も生きてはいけませんし、そもそもそのようなものは存在しません.存在しているということは既にその法則性の中に生きていることですから、従うという選択しかないのです.私達は宇宙のミニチュアなのですから従うも従わないもそれが自分の法則なのです.それで残る道は、ただ「そのことを知るか知らないか」ということだけです.それで孔子様の『朝に道を聞かば、夕べに死するとも可也』、そしてあの親鸞上人『明日ありと思う心のあだ桜 夜半に嵐の吹かぬものかは』という有名なお言葉やお歌が生きてきます.本当に死んだっていいくらいありがたい事なのです.
マクロビオティックの根本課題は宇宙の道を知ることです.その道を知って変化していくことです.でもそれは食べることと裏表です.食べることが変化の道であると同時に、正しく食べないと何も知ることは出来ません.正しく食べれば、全てはインスピレーション、なんでも宇宙にあります.宇宙は全知全能です.ですからマクロビオティックの調理法を皆学ぶのであり、その食事法に従って食べるのです.それぞれ自分の段階で学びつづけること、学んだことと行いを一つにすること、それがマクロビオティックの実践です.それがマクロビオティックの道であり、私のマクロビオティック登山であり奥の細道紀行です.あちこちの道連れさん、ご一緒していただいて有難うございます!