日本・・・・・現代人の私達は、これを『にほん』と読んで何の違和感もありませんが、聖徳太子が国号を『日本』と定められたころ私達(の先祖)は『やまと』と読んでいました。それ以後、『やまと』とともに『にほん』、『ひのもと』などと呼びならわし、明治になって勇ましく『にっぽん』と言ったりもしています。
なぜ聖徳太子が国号を『日本』とあてられたかについては、『随想古事記・大和の心』(や、日本語・古事記のカテゴリーに入れた記事)で自論を展開していますが、改めてそれにはそれなりの理由があったことを主張したいと思います。もちろんユーラシア大陸の東にあって、太陽が真っ先に上る国であるという美しい意味をかぶせられたことはわかりますが、それよりもなお『やまと』の実態を言い当てる字音だったからです。私達は(忘れていますが、)『邪馬』であり『ヤマ(ト)』だったのです。『ヤマト』に『大和』という字を神武天皇があてられたように、太子は『日本』という字を採用され、のちに『日本』は『ジパング』であり『ヤポン』と元の世界帝国によってヨーロッパにも伝わりました。
『邪馬台国』・・・・・日本の歴史に『浮島』のように浮かんでいます。私達は自分とのつながりも不明のまま置き去りにしようとしています。かつて邪馬台国論争が巻き上がったこともありました。ですが、自分とのアイデンティティは、あやふや・・・・・・邪馬台国人が自分と一体どういう関係にあるのか、確信はありません。こんなことでいいのでしょうか。経典のように大事にしている『魏志倭人伝』・・・・・その内容は3世紀のものですが、それはそれでよしとして、その中に女王卑弥呼の宗女について『壱臺』・・・・・これを『いよ』と読むか『いと』と読むかで二論に分かれていますが、それなら『邪馬台(臺)国』だって『やまたいこく』ではなく『やまよ国』か『やまと国』の読み方もあって当然なのではありませんか?????要するに、
『邪馬台国』は『ヤマト国』なんですよ!!!!!イザナギノミコト・イザナミノミコトの『ザ』だって『邪』なんですよ!!!!!
『ザ』も『ジャ』も『ヤ』も同じなんです。これを考えるたびに柿本人麻呂の歌と言われるものを思い出します。『ささのはは みやまもさやに さやげども われはいもおもう わかれきぬれば』・・・・・それはこうだったという意見もあるんです。『ちゃちゃのはは みやまもちゃじゃに ちゃじゃげども われはいもおもう わかれきぬんれば』・・・・・
そして、日本人の歴史で最も大事なこと・・・・・『邪馬』は『山』であり、そして、『殷』の後裔である・・・・・ということなんです。その『邪馬』が『大八洲』の国まで落ちてこられて、先住の大山祇の娘コノハナノサクヤヒメをめとり、山幸彦が竜宮のトヨタマヒメをめとり、鼻からいた(イザナギの鼻から生まれた)スサノオノミコトと宥和して『大和』の国を作り上げたのが、我らが『ヤマトの国』なんです。中国4千年の歴史は、山鹿素行ではありませんが、『なあ~んだ、我が中つ国にあったではないか・・・・・!』これが、我が国の真実なんです。だから、日本人はどこの国の人に対しても、基本的にやさしいんです。やさしい・・・・・というのは、どういうことかというと、自分の正義『大和』を自分に照らし合わせるんです。相手が正しいかどうかではなく、自分が正しいかどうか・・・・・、これが『ヤマト』の国で、先住の人々と秩序を作り上げるための『道理』だったんです。自分の精神の美しさを求めたんです。これは人類の最終的な目標ですが、この伝統は皇室の儀礼に残されていて、それを象徴するものが『鏡』です。そしてこれは日本人の住む津々浦々の氏神様に残されていて、そのご神体は『鏡』です。一神教のどこまでも相手を責める『理非の神・復讐の神』ではなく、自分をただす『カガミ』です。ですから神道は、神からいただく『法』や『教え』ではなく踏み行うべき『道』になったんです。
この日本の国柄・・・・・これは、人類の最終的な『世界遺産』なんです。そして、世界最古の奇跡なんですよ!!!!!私達『大和』の後裔は、何が何でもこの国柄を変えることなく残していくこと・・・・・これ以外に日本人の生き甲斐はありません。近頃出来たものは、何でも変えて構いません。法律でも何でも変えてください。大和の国も埋め立てて形を変えても構いません。そんなものはどうでもよいのです。だけどこの国柄だけは変えてはいけません。この国柄を変えるということは、日本ではなくなるということです。『大和』の理想も捨ててしまうということなんです。
どうして日本が存続してきたか・・・・・それはその国柄が『宇宙の法則・摂理』にかなっていたからなんです。それは一言で言うと、『中心と外側がある』というこの世の存在の法則です。存在するということは、求心力が遠心力に勝っている、ということです。それでないと崩壊してただの砂粒(砂粒にも求心力があるとすれば、粉)になってしまいます。私達の国は、『さざれ石が、岩となるまで』の求心力を持てた、ということなんです。その求心力がアマテラスオオミカミの『我スメミマのキミたるべき国なり』、つまり、『アメノオシホミミ・ニニキネの血統が大王である国』で、それ以外の者が一歩下がる分別を持ち続けたことにあるんです。中国大陸は易姓革命を是としました。だから、歴史はチョギレチョギレ・・・・・上層に暮らす貴族階級は仕方がないにしても、下層で国を支える庶民や危険と直面している国境の民はいつも訳の分からぬ事態に降ってわいたような半死半生の憂き目・・・・・その度に現代人の想像もつかないほどの酷い目に遭ってきました。私達の先祖は『それを替えてはいけない!』と決めたんです。それも、2千年の前に!!!!!。ですから、まあ戦乱もありましたけれど、収まればすぐに収まる・・・・・・蘇我と物部の争いもありました。源平の争乱もありました。長曾我部の残党や尼子の残党も騒がせました。室町幕府も滅びたけれど、江戸幕府に落ち着きました。だけど『日本人である』というアイデンティティは失われませんでした。それほど、中心が確立しているということは安全なんです。個人でも同じことです。頑丈な骨を持つことは健康を意味して幸せな人生を約束するんです。その『カタチ』を維持する力が生命力となって血を作り体内の秩序を作ったんです。『アメノオシホミミ・ニニキネ』の皇統は、私達日本人の骨組みなんです。私達日本人の皇室は世界中の人々の羨望の的なんですよ!!!!!誰もが、大和朝廷の歴史を、羨ましく思っているんです。私達日本人は、そうですね、現代に残っている伊勢の氏子の誇りをもう一度はっきりと認識しなければなりません。