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マクロビオティックインスピレーション・随想古事記・日本語と歴史・バベルの塔・日々雑感

立春を迎えました。

2024-02-05 14:43:53 | その時々2

あけましておめでとうございます。

昨年決心しておきながらなかなかお神輿が上がらなかったのをちょっと反省しました。主人が30年ぶり(?)にブログを更新しました。それで私もブログを開いてみましたら、なんと百名以上の方がのぞいていてくださったのを見つけました。ありがとうございました。また私も『折りたく柴の記』を続けようと思います。

 

申し上げたいことは山ほどあるのですが、追々にするとして、昨日桟橋のところの道の駅で見つけたオゴゼと打ち牡蠣の写真です。昨夜はご馳走でした。 

                      

三枚おろしにしてもらったあらです。このお味噌汁が本当に美味しく温かく心落ち着きました。コツは熱湯をかけて、皮の泥臭い幕を取り去ることです。

                       

それに春の風物詩、打ち牡蠣の酢の物。橙は残っていなかったので、酢ミカンとリンゴ酢にお醤油をかけていただきました。    

しばらくは春は名のみの状態で寒さも続くでしょうが、わかめの季節ももうすぐ。平戸名物のヒラメも出始めました。お元気でお過ごしください。


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あけましておめでとうございます。

2023-01-23 15:46:39 | その時々2

今日はもう、お正月の23日。遅くなってのご挨拶を申し上げます。今年は頑張って、最後の詰めを作り上げようと思います。そして私のエッセイ集を完成しようかと考えています。今日は新年の決意発表のみとします。こうでもしないと、重い神輿が上がらないというのが、本音です。


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夫の動物園

2022-08-02 11:01:38 | その時々2

              

これに、猫が加わり、夕方にはトンビの家族が現れます。        

 

二月あまり更新しませんでした。記事の書き方も忘れそう・・・・・というのは大げさですが・・・・・近頃はイノシシは現れません。たまにイタチが走り抜けます。飼い主の急死で野良ネコちゃんになっている猫が二匹・・・・・キジとクロ。慣れませんが餌をもらいに来ます。そのおこぼれに、色々来るようになりました。観察だけの動物園です。


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お勧めします。山中泉著『アメリカの崩壊』

2022-05-31 15:30:52 | その時々2

       

今痛切に感じることは、私たちが如何に混迷の時代に生きているか、ということです。かのローマ帝国も、塩野七生著『ローマ人の物語』ではありませんが、混迷の時代を混迷のままに生き危機の時代を迎え、そして滅亡していきました。私達も今そんな様相を呈した時代を生きています。そこを切り抜けるには、少しでも多くの人が現実を直視して自分の考えを確立する以外にないと思います。

そう思って探し当てた本の一つです。これは素人の目感覚で書かれた素直な本です。私たちを取り巻く様々な現状がよくわかってきます。コロナ騒動から、世界情勢まで、そして日本が取らねばならないこと取らなくてもよいこと、私達が考えなければならないことなどがよく分かってきます。どうぞお読みいただきたいと思います。


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今日は花祭り

2022-04-17 22:06:59 | その時々2

今日は花祭り・・・・・西行法師がその日に死にたいとまで願った日・・・・・春風に吹かれて、どこからともなく花弁が舞い散っています。

   染め分けのつつじが咲き始めました。

 

 

と今日は、書き始めた日から10日もたって18日になってしまいました。最近は何とも気が乗りません。書きたいと思うことはたくさんあるけれど、私の知りたいことを、大抵の人は知りたいとは思わないらしい・・・・・ということを悟り始めたからです。みんなそれぞれ、知りたいと思うことを模索する・・・・・それが人生なのだなと思います。ものぐさになった私を置いてきぼりにして、庭ではつつじは満開になり、白くきれいなオオデマリも輝くように咲いています。赤と緑の楓も新緑が美しく、ドウダンつつじの新緑も・・・・・・・初夏になってしまいました。色とりどりの山の緑がきれいです。

        

 

ところで、私のお台所に近代兵器(?)、シャープホットクックを取り入れることにしました。変わった形ですが、初めて新幹線を見た時のようです。口を利く電気釜で、戸惑ったりもしています。マクロビオティックの徒として火力には最低でもガスをというのをモットーにしてきました。ですが歳をとってきてみると、スープや煮物を作るのに、火加減を見たり時間を気にしたりしないで、片付け仕事に取り掛かることが出来るというのが魅力的で、今回ちょっとだけそのモットーを捨てることにしました。物忘れ予防に体をすっきりさせるスープや体をホッとさせる甘い野菜の煮汁などを作りたい・・・・・このお鍋は、火力の調節をAIでやってくれるのです。ですが問題が一つ・・・・・今まで調味料を計ったことがない・・・・・材料を見て、煮え具合を見て、目分量でやっていたのですから。

                                                                 

仕方なく調味料は、最初に少しだけ『イキな塩』を加えて、出来上がりに足して加熱延長をすることにしました。黒入り玄米スープもうまくできました。筍もおいしく炊けました。火から離れてほかの仕事ができるのがうれしいことです。お鍋を焦がす心配が消えましたし、思いのほかうまくできそうです。つわとあぶらげの煮物のようなものもうまく炊けましたが、とろとろ煮込むスープのレパートリーを広げようと思います。病気ではありませんが、このところ免疫力という体力に目が向けられています。そんな日々の暮らしにお役に立つのではと思います。それから独居老人や忙しい新米母さんにはうってつけではと思います。私は二人暮らしなので小さいほうを選びましたが、思いのほかサイズが大きく場所を取るかもしれません。だけどどこにでも置けますから・・・・・。ともあれ、おいしくできた取り合わせのスープメニューは、時々お知らせしようと思います。

                                 


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ご無沙汰しました。

2022-03-16 17:06:31 | その時々2

ずいぶん長いことご無沙汰しました。身内の事情で40年ぶりくらいに忙しい日々を過ごしましたが、それも終わり・・・・・鍋鶴の北帰行の第一陣を見送りました。山吹もレンギョウも菜の花も、黄色い春の様相真っ盛りです。可憐なミニ水仙も終わり、白い雪のような群れ咲水仙もおわり・・・・・ふと我に返って、身の回りを片付けようという気になりました。またブログの記事も書きたいと思います。

コメント (2)
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菌ちゃん先生の『野菜ふりかけ』

2021-03-13 11:40:36 | その時々2

菌ちゃん先生こと吉田俊道さんをご存じですよね。長年生ごみを減らして土づくり農業の運動を進めてこられました。全国的な講演活動で、子供たちから大人まで、すっかりお馴染みの大人気先生です。お話だけでなく、実際に野菜を通して目に見えない菌ちゃんたちの生命活動を実感して、特に子供たちは自分たちの世界の循環を知り心身ともに元気になっています。自分たちの手掛けた野菜を食べ、美味しさと健康であることの幸せを手に入れています。そんな菌ちゃん先生は、自家農園で研修生を受け入れ野菜作りも指導しておられます。そんな元気な野菜が『ふりかけ』になりました!!!!!

ご存じの通り野菜類は保存に向いてはいません。ほとんどが季節野菜です。冷蔵庫に保存しても、とれたてで、おいしく食べられるのは通常一週間です。流通にも向いていません。収穫した途端にしなびたり悪くなったりし始めるのです。もたせるために自分の栄養も使うので、味も栄養価もどんどん落ちてしまいます。これは農家にとって重大な問題です。消費者には値段の問題として跳ね返っていましたが、近年の自然災害はもっと大きな問題を提起しています。生産の段階で全滅ということもありますが、消費者側でも思いもよらぬ事態となっています。ここ平戸でも去年の嵐で大雨の上に停電となり、食品の保存について考えさせられました。特に青菜の保存は絶望的な問題です。

そんな中で先日菌ちゃん先生にお会いしまして『野菜のふりかけ』についてお尋ねしましたところ、パンフレットと見本を送っていただきました。これは災害時などの子供たちの栄養向上に役に立つと思います。野菜ふりかけ『菌ちゃんげんきっこ』は朗報だと思います。子供たちの一日の栄養は、大人の体に対する影響より重大です。これがあれば、かなりの期間しのげるのではないかと思います。私が皆様にお願いしたいのは、日々の野菜不足の改善とともに非常食としての給食への活用も期待できるのではという点です。行政や栄養にかかわっておられる方々のご尽力を頂けたらと思います。                

 

            

『菌ちゃんげんきっこ』には四種類あります。避難所でそのまま食べられるかというのが私の中の大問題でしたので、実際に振りかけて食べてみました。私達の年代は、ふりかけ世代ではないので、あまり得意ではありませんでしたが、それでもそのまま食べられます。少なくとも非常食としては美味しいと思います。日常的には、自分の好きそうなふりかけを見つけて、混ぜるとか工夫してみようと思います。汁物やスープに加えるとおいしいそうです。自分の中では味噌との相性が良さそうなので、楽老膳シリーズの白和えを作ってみようと思います。これについては出来ましたら、またご紹介します。全国的に販売しておられるそうですが、無理のようでしたら菌ちゃん先生の事務所にお電話かファックス(☎・📠0956‐46‐1286)でお尋ねくださいとのことです。何よりも、今回のパンデミック騒動の中、『丈夫な体』への本当の理解が必要です。この世にあるものは良いもの悪いもの取り混ぜて巡回しています。その全体を理解して、自分の体の中にある自然、つまり消化吸収を含めた生命活動も同じ巡回をしていることを知らなければなりません。多くの方にお試しいただきたいと思います。


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少し積もりました。

2021-01-09 14:48:25 | その時々2

            

我が家の前庭の雪景色。本当に冷たくなりました。皆様、お大事に。


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あけましておめでとうございます。

2021-01-04 23:23:02 | その時々2

今年一年がどんな年になるのか・・・・・トランプ米国大統領の選挙戦を見ていて、自分もそうして年を刻むことが歴史を刻んでいることなのだと、地球上の芥子粒のような自分の人生を実感しています。大切に芥子粒の役目を果たしたいと思います。(私説日本史の大和以前・大和・日本(大和以後のヤマト)、高句麗の謎Ⅱなどの以前言及した記事を書く。)良い年になるように頑張りたいと思います。

 

 

              


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アメリカ大統領選挙

2020-11-24 08:31:49 | その時々2

日本ではほぼ報道されていないけれど、今世界中が危機を迎えています。トランプ大統領は、幸い現職の大統領なので一応権力を与えられていますが、正義感に支えられた仲間に恵まれてアメリカの危機を突破しようとしています。トランプ大統領の気力の源泉は自分の愛国心だろうと思いますが、それよりもなお、アメリカの全土で毎週繰り広げられるアメリカ国民のトランプ大統領に送られる支持のデモ集会です。共産主義は大まかに言えば終わったのかと思いきや、グローバリズムと名を変えアメリカを襲っています。革命の第一歩はメディアの掌握ですが、今回見事にアメリカ内部まで抑えられて、大統領の声明まで中断されました。だから日本中のマスメディアでは何も報道されていません。アメリカの危機はすぐに日本に降りかかります。ツィッターもフェイスブックも検閲がかかりました。せめて、ユーチューブで情報収集をお勧めします。仮面をかぶっていたイデオロギーが正体を現しています。自分で情報を集めることをお勧めします。

グローバリズムとは美名で飾った自己中心主義です。だから最近はやった『富の集中』という事態になり、99%が貧乏になったのです。よくよく世の中の裏表を見る必要があります。


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北方領土のこと

2019-02-12 15:39:04 | その時々2

最近北方領土について報じられるようになってきました。戦後最大の懸案の一つと言ってよいと思います。ですが、『歯舞色丹の二島返還』でも仕方がないというのなら、懸案のままロシアと平和条約を結ばないで置いたほうが良いと思います。領土は経済問題でも政治問題でもありません。どうしても平和条約を結んで領土を割譲しようというのなら、せめて国後と択捉間に国境線を引いてほしいと思います。絶対に国後を譲ってはならないと思います。四島に住むロシア人が言っているのを聞きました。『我々はここに住んでいる!』・・・・・・それなら、私達も言えばよいと思います。『私達はそこに住んでいた。理不尽に占領され、無理矢理追い出された!』と。領土とはそういうものだというかもしれません。だったら、領土問題を解決せずにいてほしいと思います。ユダヤ人は放浪数千年?・・・・・イスラエルを建国しました。それが良いのか悪いのか分からなくなってしまいましたが、領土というものはそういうものだろうと思います。

 

先月は西部先生の一周忌でした。先生の北方領土についての発言はあまり知りませんが、北海道のご出身でしたからきっとお考えがあったのではと思います。私達はもっと北方四島の地理的位置と歴史を知るべきだと思います。


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沖縄のこと

2018-10-02 13:10:15 | その時々2

萩の花が咲きまして、我が家の庭はすっかり秋の景色になりました。芙蓉は相変わらず美しい花の顔(かんばせ)を秋の陽射しにさらしています。コノハナノサクヤヒメと楊貴妃と命名した我家の芙蓉・・・・・夫も産婦人科医の激務から少し解放されて、やっとこの美しい花を愛でるゆとりが出来ているような・・・・・『きれいだなあ、あの花は!』と感嘆しています。どちらに軍配を上げることもできないのですが、私は萩のひっそりと咲く風情が好きなような気がします。

 

沖縄の県知事選が終わりました。沖縄が話題になるといつも思います・・・・・沖縄の人々は国境について、沖縄の地理的位置についてどう思っているんだろう?・・・・?と。江戸時代琉球王国は清の支配を良しとせず、薩摩藩に帰属することにしました。国を維持できなかった国王としての苦衷は察して余りありますが、それでも小さな国の未来を思って選択をしたのだと思います。そして我が国の同胞となった沖縄の人々は、今世紀(ではなく、前世紀ですね)我が国の南の国境に住む人々として大戦の大きな惨禍に晒されました。北は千島のシュムカップ、東は硫黄島、西は満州から朝鮮半島・・・・・硫黄島とシュムカップは玉砕し、満州と朝鮮半島からは引き上げと抑留、沖縄は激戦の果て占領されました。硫黄島とシュムカップの激戦と、前線の地となり戦わざるを得なかった沖縄の人々に格別の思いを・・・・・と言い残された沖縄の司令官のことを父は私達に語り聞かせたものです。母方の伯父は二人いますが、一人はシベリアで抑留され半世紀位不明だったその消息は、20年以上前になりますか、ソ連が抑留者名簿を公表した中にありました。もう一人はビルマ戦線に参加し、マラリヤに悩まされましたがこちらも20年くらい前に故人となりました。

敗戦国となって、私達の国は防衛上丸裸になりました。国境の防衛にあたるべき地はみんななくなり、一旦ことがあればすぐに本土決戦は避けられない状態になりました。古来なぜ領土拡張が起こったか・・・・・最大の理由の一つが防衛上の前線、つまり国境を遠くに置くために違いないのに。私達は、戦争は起こらない、と錯覚して生きることにしました。時の政府が『国防』の問題を取り上げると憲法違反(?)になるという、不思議な国を生きてきました。大学生の時、アメリカから沖縄が返還されました。嬉しかったのと、アメリカだから・・・・という思いとソ連に占領されたままの国後・択捉・歯舞・色丹のことを思ったものです。今でも根室湾内にある国後ですら、占領されたままです。私達は平気でこれからも生きていくのでしょうか。たとえ我が国が戦争をしなくても、返還された沖縄は我が国の国境の地であることに変わりありません。琉球国王は清に占領される恐れを知って、二者択一をして薩摩藩を通じて『時宗が元寇を退けた』ように日本を信じたのです。いつ、どんな元寇が降りかかるか、それは誰にもわかりません。ですが、時の為政者というものは、危険に対処して責任と心血を尽くした時宗でなくてはなりません。あの決断をした琉球国王も同じだったと思います。

沖縄の人々は、何かあれば国境の最前線に住んでいると思います。否応ありません。それが沖縄という土地なのですから。軍備があるから攻められる・・・・・?????まあ、当然侵攻するためには国境にあるの防衛基地を破壊しなければなりません。だから沖縄に迫ってきたのです。沖縄だからではなく、そこにあるからそこでぶつかったのです。だけど、軍備がない手薄なとこらから占領されると思います。尖閣諸島だって、国有化(やり方が下手だったかもしれません。だけど長い目で見れば、民主党政権のやったただ一つの成果かもしれません。)したとたん、中華人民共和国は苦情を言いました。知らないうちに取り上げることが出来なくなったからだと思います。国有化しても、今でもなんとか取り上げようとしているのです。元寇の時も戦禍に晒された我が長崎県の国境の島・対馬は土地の外国人(中華人民共和国人と韓国人(?))所有化が進んでいるのだとか・・・・・愕然とします。友邦を無条件に信頼してはいけないのです。対馬から壱岐、玄界灘に浮かぶ島々、我が平戸・・・・・元寇で多くの人々が死にました。九州の武将たちも奮戦し鎌倉武士も駆けつけて死にました。執権時宗は鎌倉にありましたが、多くの武将や人々の死と国の独立の責任を引き受けて若い命を燃やし尽くしました。彼の神話の時代にアマテラスが武装してスサノオを迎えたように、私達も心意気を示して生きなければならないと思います。

国防をどうするか・・・・・この問題は国民の覚悟なしには動きません。私達は独立の気概を未来に残せるでしょうか。


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西部さんが亡くなって

2018-02-08 10:11:20 | その時々2

西部さんが亡くなって・・・・・・何の記事も新聞紙上に出ないなあ~と思っていたら、正論に追悼記事という文字がありました。早速読んでみましたが、これには特段思うことはありませんでした。ですが、西部先生!!、良い記事を見つけましたよ!!!いつだったか奇麗で小気味の良い国際政治学者を知って嬉しくなったという感想を記事に書いたことがありますが、その『三浦瑠璃』さんの憲法改正に関する論文です。正論大賞の論文だとか・・・・・これなら、若い人にも説得力があるだろうと思います。正論の3月号です。

それから最近読んだ本の中で、中国の都市戸籍と農民戸籍に関する『戸籍アパルトヘイト国家・中国の崩壊』という本も、中華人民共和国という実態を知るうえで役に立ったと思いました。近くにあって危ない国については、よく知る必要があると思います。そしてこの国は日本人が郷愁に陥りやすい中国文明と完全に切り離して考えるべきだということを、確認する必要があると思います。日本人の頭から完全に消えている『奴隷制』が、心理的に生きている国があることを知っておくべきだと思います。あまりにも日本人の心理からかけ離れた状況だったので、ご紹介します。


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西部(邁)さんの死

2018-01-22 16:17:16 | その時々2

西部さんが亡くなった・・・・・と最初に聞いたときは、ひどく寂しい気持ちに襲われました。だけど、自分で死ぬことに決められたと聞いて、悲しまないことにしました。死に関する私たちの置かれた現状について、西部さんは多くの場合『自然死』ではなく、『病院死』だとおっしゃっています。そうですよね、そして幸いにもうっかり『自然死』でもしようものなら、事故死扱いになって警察沙汰になるのです。西部さんの頭で考えてさへ、自然死に近い死に方をするためには、意識のはっきりしているうちに体の自由が利くうちに、水死するしか無かったというこの事実・・・・・これは『警鐘』だと思います。三島由紀夫以来の第二の『警鐘』です。

 

もう30年以上前になるのだろうと思いますが、新聞紙上に西部さんの広告が出ました。『発言者』の出版予告です。私はいくらかでも支持を表明しようと2部の配布申し込みをしました。毎月届く表書きに4番の番号が振られましたから、4番目の申し込みだったのだろうと思います。そして1部は私たち夫婦の手元に、もう1部を父に持って行って論議をしたものです。この『発言者』に引き続く『表現者』になって、その後の発行継続断念に至るまで西部さんが財産をなげうって頑張られたことを知っています。この小気味の良い西部さんに私は(失礼ながら)『ライオン丸』とニックネームを付けました。風貌も行動もライオンのリーダーのようでしたから・・・・・父が亡くなって、『発言者』を引き取り、また手元に戻っています。その中には、西部さんの家屋敷を売り払っても守るべき『伝統』の認識が語られていると思います。言葉というものの意味が語られていると思います。

 

 

私は身近な人の死を、4歳か5歳の時に初めて体験しました(厳密にいえば、生後40日くらいで実の祖母が亡くなりましたが、記憶はありません。)生後半年の二番目の弟が死にました。その時のことは切れ切れに覚えています。茶の間の隣の部屋に青い着物を着せられ白い涎掛けをかけられて寝かされた小さな弟・・・・・小さなお棺に入れられて、黒い紋付の晴れ着をかけられた弟・・・・・墓地に穴が掘られていて、小さなお棺が下げられて、上に土がかけられ始めたその時、泣きわめいて私はどこかに連れていかれました。その次は生後三か月の四番目の弟が死にました。この弟は腸重積の発見が遅れて死にました。緑色の便をして緑色のものを吐きました。手術をして成功したと聞かされ、病室のベッドに寝ている弟を見ました。そして弟は術後一週間でなくなりました。この時は小学5年生だったか、6年生だったか・・・・・母はそれから数か月瞼が腫れていました。お乳が張るたび、夜になるたび、泣いたので、瞼の腫れがひかなかったんだと思います。

このころから私は思索的(まあ、生意気)になりました。死について考えたり、広大な宇宙について考えてみたり・・・・・歴史上の人物の言動について考えてみたり・・・・・。それで最終的に歴史とマクロビオティックとカタカムナにつながることになるのですが、死の床についた伯母を見て、人間には最後に『死ぬ以外に仕事がない時が来る』ということを直に感じました。父を見取り、姑を見取り、舅を見取り・・・・・そして母の最期を迎えるにあたって、私は母と『死』について語り合うという実験をしました。死んでゆく人に『大丈夫よ(いったい何が大丈夫なのか?)』としか言えない事態がたまらなく嫌だったからです。このころから死を明らかにして死んでいくべきだと思うようになりました。これが『ヒレフリ山教室』へと続いているのですが、今のところ頓挫しています。誰もあんまり聞きたくなさそうなのです。

 

西部先生、ご自分の片をお付けになったのですか。それについて、しばらく考えてみるつもりです。父の後は背負子にしょっていますが、先生の後は文字をたどってみるつもりです。


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昨日のNHKBS・・・・・今忍者

2016-07-08 20:45:23 | その時々2

昨夜、それもNHKのBSプレミアムで、初見良昭(まさあき)先生の武神館道場の特集がありました。これまで民放に、ややもすると、面白おかしく取り上げられて憤慨していましたが、時代が変わったのか・・・・・と感慨深いものがありました。

 

世の中が騒がしくなり、長閑な日本人も用心せよ・・・・・ということなのかなあ、と思いました。外国人は日本人より肌で危険を感じて暮らしているようで、先生のお弟子は外国人が8割方で世界中に10万人だとか・・・・・いつも夫ともったいないと、嘆息するばかりでした。外国では軍隊や警察ばかりでなく、医療や看護の世界でも護身術(患者を守りながら患者の暴力から身を守るため)として取り入れられているそうです。

 

現代の日本人は『武力』なるものを排斥していますが、『武』の本質は『和平』で『剣の心』です。日本人がこの心を取り戻すまで、平和は実現しないと思います。あまりにも忘れ方がひどいので、やっと無防備の危険性に誰かが気づいたのかな、と喜んでいます。その番組が明日再放送されるそうです。それで、この記事を書きました。

 

     明日9日、夕方6時、NHKBSプレミアムで、再放送です!!!!

 

先生は現代によみがえった達人で、成り行きのままに受け入れて自由な時間を生きておられます。先生は、『今忍者』です。どうぞご覧になって、ご自分の血の中にある『心』をよみがえらせてください。


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