散日拾遺

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6月9日 ルソー 『エミール』出版で有罪となる(1762年)

2024-06-09 03:02:45 | 日記
2024年6月9日(日)

> 1762年6月9日、ジュネーブ生まれの思想家・文筆家、ジャン・ジャック・ルソーがフランス語で書いた教育論の名著『エミール』が教会と当局の忌諱に触れ、パリ高等法院から有罪の判決を受けた。
 ルソーは同書の第四編中に収められた「サヴォアの助祭の信仰告白」の中で、教会の教義や秘蹟を認めない自然宗教論を展開し、「正しい心こそ神の本当の神殿である」などと書いたため、教会の怒りを買ったのである。
 著書は焚書処分を受け、ルソー自身に逮捕令が出されたためジュネーブに逃れるが、ここも追われ、スイス各地を転々とした後、イギリスの哲学者ヒュームに迎えられて英国に渡った。しかし、自分を取り巻く「陰謀」の包囲網が狭まっていくという被害妄想にとりつかれ、ヒュームと決別してしまう。
 ルソーは、今風に言えばフリーターの元祖のような人物で、『エミール』もわずか一年間リヨンで家庭教師をした時の経験を基にして書かれている。エミールという少年を一人の教育師が育てていく過程を克明に書いたものだが、この本の影響は非常に強く、広範囲にわたった。近現代の教育学は『エミール』を除いて考えることはできない、と言われるほどである。
晴山陽一『365日物語』(創英社/三省堂書店) 166

Jean-Jacques Rousseau, 
1712年6月28日 - 1778年7月2日

 こんな大事なものを今まで知ることなく、ああどれほどの時間を無駄に過ごしてきたのか、御丁寧に買い込んで本棚に並べていながら、今日の今日まで手に取ろうとしなかったとは…などと手を震わせながらめくったページに、自分自身の古い書き込みを発見した時の感情を何と表現したものだろう。
 その時もまず第四編の『サヴォアの助祭の信仰告白』を真っ先に読み、赤鉛筆でたくさんの傍線を引き、書き込みの後に日付まで添えたのである。まるで40数年後の今日という日を予見していたかのようだ。

 …わたしによくわかっていることは、「わたし」の同一性は記憶によってのみたもたれること、そして、じっさいに同一のものであるためには、わたしは以前にもあったことを思い出す必要があることだ。
 
 「よくも先に書きやがったな、実にそのとおり!」などと乱暴な書き込みがある。1982年4月11日の日付あり、大学では専門課程に進み、まもなく解剖学実習が始まろうとする頃だった。

 ところで、わたしが死んだあとで、生きているあいだ自分はどういうものであったかを思い出すなら、わたしが感じたこと、したがってまた、わたしがしたことも思い出さずにはいられないのだが、わたしは、そういう思い出がいつかは善人の喜びとなり、悪人の苦しみとなることを疑わない。
『エミール』岩波文庫版(中)P.158
 
 止まらなくなりそうだから、今日はこのぐらいにしておこう。
 ただ、もう一つだけ。ルソーという人物に預言者的な霊感の備わっていることは、『エミール』に先だって『社会契約論』を読んだ時からわかっていた。それも衝撃的なわかり方だった。
 
 ヨーロッパには、立法可能な国がまだ一つある。それは、コルシカの島である。この人民が彼らの自由を取りもどし守りえた勇敢不屈さは、賢者が彼らにこの自由をながく維持する道を示すに値するであろう。わたしは何となく、いつかこの小島がヨーロッパを驚かすであろうという予感がする。
『社会契約論』第二編第十一章、岩波文庫版 P.76-77
 
 『社会契約論』は『エミール、または教育について』と同じく1762年に出版された。ナポレオン・ボナパルトがコルシカ島アジャクシオで誕生するのは、その七年後のことである。

Ω

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