
旅やアウトドアの現場に持っていきたい、あるいは旅やアウトドアを意識しつつアームチェアで読みたい定番というか、クラシック化しているような本が何冊かある。そんな中でこの「風の博物誌 上・下巻」ライアル・ワトソン著、河出文庫ってのはすごく気に入ってる本のひとつ。
ライアルワトソンはイギリスの科学者で、動物学や植物学や海洋生物学、人類学や地球環境学、地理学や地質学などなど多数の学問を修め、ジャンルを超えた恐ろしいほどの博学と、世界中を旅する中での豊富なフィールドワークを基にした、スケールの大きい「自然学」を作り上げた人だ。
著作も多く、日本では80年代から90年代前半くらいまで、かなり読まれていた印象がある。
パターンとして作風を何種類かに分けることができるけれど、特に地球の持つ「神秘性、美しさ、聖性」をより輝かせ、世界はまだまだ広くて素晴らしいものなんだよと人々に知らしめるためにその博学とフィールドワークの成果を駆使しましたというような作品群が、その一つ。
あともうひとつ多い作風として、自分の直感や経験に基づいた仮説を、立証しようとして書かれたものもよく見受けられる。そいつは特に「超常現象を科学する」みたいな、いわゆるニューエイジサイエンス的な作品に多い。
ぼくが好きだったのは「水の惑星 地球と水の精霊たちへの讃歌」(河出書房)、「未知の贈り物」(ちくま文庫)、「アースワークス 大地の営み」(ちくま文庫)などで、作風としては前者のパターンに該当するものだ。白洲正子や中上健二、栗本健一郎などとの対談も収録されている「ロスト・クレイドル」ってのも読みやすくいい本だったな。一方「ロミオ・エラー」(ちくま文庫)、「スーパーネイチャー」(蒼樹書房)、「生命潮流 - 来るべきものの予感」(工作舎)、など、ちょっと最後まで読めなかったか、読んだはずだけど今や内容を完全に忘れちゃってるようなやつは、後者のタイプのものが多かった。
ライアル・ワトソンの、前者の系列の作品。風や波、星や魚や鳥の歌声といった一見当たり前に見える自然そのもののあり方、地球そのもの存在こそが「神秘」なのだと讃えるような作品を読んでいると、ほんとに地球に生まれてきてよかったなと思える、マジックがあった。
大インテリでありながら、この人、詩人なんだよね。
ワトソンのような、情緒やフィーリング、やわらかな感性やユーモアというものをふんだんに散りばめた、しかもジャンルの枠を超えたスケールの大きい自然科学書なんて、特に日本の学者ではほとんど書く人が見当たらない。たとえば地質学なら地質学だけ、考古学なら考古学だけの目線で、もちろん詩的要素など皆無、文献解説ばかりを並べた無味乾燥な本が図書館の本棚に並び、「シロートは黙っとけ」みたいな妙な排他性と威圧性を感じさせられるノリが日本のアカデミックなジャンルの大半を占めているような気がする。
あるいは思想のジャンクフードみたいな、はやりの本。
ワトソンの本は全くその逆で、「大人おとぎ話」的な、味わい深い豊かさがあった。
ちなみに彼の本を読んでる時期にシーカヤックに出会ったからこそ「シーカヤックを極めてみよう」と思った、ひとつのきっかけでもあった。
で、彼の本、なぜか90年代後半くらいに入って急に、世の中で読まれなくなった。
自分の仮説をちょっと無理に立証しようとした、「捏造」事件が発覚し(捏造の詳細はこちらに詳しい)、評判を落としたことがあったが、それも影響したのか、ぜんぜん読まれなくなっちゃった。
後者の悪い目がでてしまったようだ。
その後、ワトソン本は「トンデモ本」とか「オカルト」とか言われるようになって、すっかり落ち目になってしまった。最近名前を聞かないなと思っていると、どうやら2008年に亡くなったらしい。
おれは非常に悲しかったな。
後者の悪い目っていうのは、ワトソンはイギリス人であり冒険家的な気質もあったからこそのものだと思うが(科学におけるフロンティアの探究みたいな)、だからといって詩的で美しい作品群まで評価を下げてしまわれるのは非常に心苦しいことだ。
この人ほど、この地球を心底愛した科学者はそういないのではないだろうか。
だいたい今、誰がこんなにスケールのでかい地球よみものを書いてくれるってんだ?
と、非常に前置きが長くなったけれど、この「風の博物誌」ってのは、ライアルワトソンの数ある著作の中でも、最高傑作のひとつだ。誰かが張ったレッテルや評判に釣られて食わず嫌いなんて、ばかげている。他人の目ではなく、己の目で判断しないとね。多分、エコやアウトドア文化が浸透してきた今の時代こそ読まれるべきじゃなかろうか。どんな内容か、帯を引用しよう。
「風は天の息である。地球という一つの大きな生命体の血液循環系と神経系の役割を果たし、創造の手助けもしている。だが、人間は風について間接的にしか知ることはできない・・・。
様々な科学の成果を駆使し、世界中の宗教、美術、文学、音楽の中に現れた風の姿を追い、この不可解な自然力をトータルに捉え、ユニークな生命観を展開する、(見えないもの)の博物誌。」
そしていきなり、宇宙の「ビッグバン」から地球の創成に関する話が始まる・・・・。
こいつを読んでいると、そこらに吹くただの風を感じるだけでも、地球がとても愛おしく感じられてしまうし、フィールドに出たくていてもたまらなくなってしまう。なお作家の椎名誠は、この本をこの世で一番好きな本のひとつだと言っているらしい。また、こいつを読んで感動したけれど、文中に「風の写真は存在しない」というフレーズがあるのを見つけたある編集者は、「いや、そんなことはない」と逆の意味で触発され、世界中のあらゆる風に関する写真を収集しまとめ上げて一冊の本を作り上げた。確かに風そのものは見えない現象だけれど、竜巻や、海面の白波、吹雪の様子や、ちぎれた雲の流れなどでその存在は十分表現することができるってわけ。「世界風紀行、見えない風が見える」環境デザイン研究所編、学研、という本がそれだ。下の写真はその本の表紙。
