一韶の俳句ブログ

俳句を詠うのは自然・私・家族・夢や希望・社会など。読む時はどんな解釈が浮かぶか読み手の経験や生活によって様々

446  立てば座を犬に盗られし炬燵かな

2011年12月13日 | 

(たてばざを/いぬにとられし/こたつかな)

 

一昨年のこと、風呂に入っていて、膝のすぐ上の太ももに大豆(ダイズ)大のイボのようなものができているのに気が付いた。入浴剤で濁っているうえ、私はド近眼なので、風呂を出てから確かめることにした。

 

できものだろうか、黒いから黒子(ほくろ)だろうか、もしかして癌ではないだろうか、と気の小さい私は不安になり、そそくさと風呂から出てしまった。

 

さて、眼鏡をかけて良く見ようとしたとたん、ぽろっとそのイボが床に落ちたのである。なんだこりゃ・・・・・・・

はたしてそれは、私の血を吸って膨れ上がった「ダニ」だったのである。たった1ミリ程のダニが、血を吸うと大豆大になるのだ。勿論すぐさま殺した。ああ、聖人にはなれないよなあ・・・・・

 

そのころのデンはまだ仔犬で、冬は炬燵の中で寝ることを許していたのだ。犬たちは、山を駆け回るから、山ダニを拾ってくる。それは防ぎようもなく、まあ飼っているようなものだ。しかし今まで一度も、私が刺されたことはなかった。まさか人間が刺されるとは・・・・それからは、デンに2度と炬燵に入ることは禁じた。

 

あれから2年経つが、いまだに刺されたところが痒い。2年経ったのにですぞ、犬をお飼いの方々、ダニには、ご注意あれ!

お陰で犬を飼うのは、楽し痒しである。

 

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445  ひれ酒酌む頭でっかちおちょぼ口   宏

2011年12月12日 | 

(ひれざけくむ/あたまでっかち/おちょぼぐち)

  

句集の中から、こういう句を見つけると大喜びするのは私の性格なのだろうが、真面目な句には目もくれずに、こういう句は講評したくなる。我ながら困ったものだ。

 

さて、ひれ酒は、もちろん河豚(ふぐ)の干した鰭(ひれ)を焙って湯呑みに入れ、熱めの日本酒を注いだもの。早く酔いが回ると言われている。

 

おちょぼ口というからには、女性に決まっている。酒があるから、芸者さんと想像したい。身体の割にかつらの日本髪が大きいのだろうか、全然似合わないのだ。

 

そういえば、時代劇を見ていて、どんなに美人でも、日本髪の似合う女優と似合わない女優が、確かにいる。

 

フユイチゴ(冬苺)

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444  交番に迷子老人冬日和   良文

2011年12月11日 | 

(こうばんに/まいごろうじん/ふゆびより)

 

最近の交番は、国際的にKOBANなどと書いてあるが、都会はいざ知らず、田舎の交番にはほとんど人気がない。だからこの句の交番は、都会の交番だろう、と思う。

 

アルツハイマーとか認知症になると、やたらと元気に歩きまわるらしい。ところが、今の自分の居場所が全然分からなくなり、家に帰ることができなくなるらしい。

 

この句の御老人も、自分で交番に来たのではなく、不審者として誰かに連れられて来られたに違いない。服に住所氏名が縫い付けてあれば問題はないが、なかったらそれこそ警官も困ってしまうだろう。

 

「冬日和」の季語によって、益々進む高齢化社会への暗雲を想像させる。当然その暗雲の下に作者がいるだろうし、私もいる。

 

昨日は皆既月食だった

私としては

バカチョンカメラでもまあまあうまく撮れた

と思う

 

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443  初雪の酒は熱燗干物焼く

2011年12月10日 | 

(はつゆきの/さけはあつかん/ひものやく)

昨日の昼、雪が降った。霙(みぞれ)に近かったが、うっすら積り間違いなく初雪だ。そこに日本酒と干物が届いた。なんというgood timing。生憎人はいなかったが、客人はまさに初雪であった。

  

酒は、宮城県柴田郡村田町の大沼酒造の純米酒「乾坤一」。「明治の米を復活」とあり、昔ながらの「愛国」という酒米を使った、とある。

ちなみに、「乾坤一擲」という言葉があるが、「乾坤」は天と地のことで、「一擲」は投げること。この熟語の意味は、サイコロを投げて、天が出るか地が出るかの大勝負をすることだそうだ。 

 

考えてみれば、私は過去に「大勝負」をしたことが一度もない。いつもそういうところを逃げていたような気がする。これから、「何か大勝負をしろ」という啓示だろうか。

オリンパスの、いや大王製紙の馬鹿社長じゃあるまいし、私にはこの先賭けるべき金もないし、賭けるべき時間も仕事も、残念ながら全く思い付かない。

 

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442  在るがまま瘤かかえおり冬の幹   正太

2011年12月09日 | 

(あるがまま/こぶかかえおり/ふゆのみき)

  

瘤と言えば「こぶとりじいさん」という昔話がある。木の瘤なら問題はないが、人間の瘤となると、大問題である。

 

こぶとりじいさんの良性の粉瘤腫は良いとして、脳動脈瘤は(この場合は「りゅう」と読む)、脳動脈の壁にできた瘤で、ほとんどがクモ膜下腔にできるので、クモ膜下出血というこわーい病気になる。実は、私の母はこの病気で死んでしまった。

 

さて、何故ここで「在るがまま」という言葉をもってきたのだろうか。こんな言葉は、俳句には本来必要ないのである。何故なら、この世に存在する全ては、神の御心により「あるがまま」に存在しているのだから。

 

「在るがまま」をあえて言わねばならなかった、作者のこころは何か、が問題なのである。明確ではないが、作者は心か体に何らかの瘤を持っているのではないか、と想像してしまうのだ。そして、それをあるがままに、ゆるやかに受容しているのではないのか。

 

旬菜料理・壷中庵

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441  聖堂の論語素読や風花す   悟朗

2011年12月08日 | 

 (せいどうの/ろんごそどくや/かざはなす)

 

 江戸時代の寺子屋は、日本全国に1万数千あったとされ、日本人の識字率は80%ほどあり、世界一だったようである。ヨーロッパでもイギリスで25%、フランスでわずか1.4%だから、日本がいかに高かったか分かる。

 

寺子屋では、読み書き算盤の他、「商売往来」などの往来物、文字を学ぶ「千字文」、地理の「国尽」「町村尽」、儒学書の「四書五経」、歴史の「国史略」、「百人一首」「徒然草」などの古典も講じられた。 

 

明治開化の折り、日本が中国のように植民地化されなかったのは、寺子屋の教育によるところが大きい、という。それは、特に論語などの、人のあるべき姿を素読によって叩きこまれ、清廉潔白で実に有能な人物になっていったからである。幼少期の素読は、九九算などでも分かるように、死ぬまで忘れることがない。 

 

幼・小・中学校教育に、「四書五経」の素読を取り入れたら、日本と日本人は劇的に変わる、と私は思う。この句の聖堂は、東京お茶ノ水の湯島聖堂だそうである。

 

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440   紅葉坂お達者クラブ口達者   寿子

2011年12月06日 | 

(もみじざか/おたっしゃくらぶ/くちたっしゃ)

 

紅葉坂と言えば、横浜だろう。今年、ここの新築マンションに納品に行ったので、よく記憶している。

「お達者クラブ」は、NHKの番組で1988年まで8年間やっていて、その後、この名前を付けたクラブが、日本各地にできたそうだ。

この句、坂道を登っているのだから、皆さん足も達者で、勿論体も達者、更に口まで達者と三拍子揃っている。

さて、作者はご高齢でこのお達者クラブの会員なのだ、と推察する。何故なら、この俳句自体が「口達者」な俳句だからである。私も、是非こうなりたいものだ。

 

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439  朝食はパンとコーヒー新嘗祭  炎火

2011年12月05日 | 

(ちょうしょくは/パンとコーヒー/にいなめさい)

 

新嘗祭は、旧暦の霜月(11月)の第二卯の日に行う宮中祭祀の一つで、収穫祭にあたり、天皇が新五穀を天神地祇に進め、これを食しその年の収穫に感謝するものである。

 

「新嘗祭」は、日本文化の代表的祭の一つだが、現在は「勤労感謝の日」などという訳の分からない名前の祝日にしてしまった。

 

だからだろう、日本全国のたぶん半数以上が米を食べず、輸入小麦が原料であるパンを食べ、やはり輸入コーヒーや紅茶を飲んで朝食としている。そこには、更に輸入バナナや輸入牛肉が幅を利かせているかもしれない。

 

作者が、そんな日本を大いに憂いていることは、間違いない。

 

マンリョウ(万両)

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438  熱海駅暖か帽子が群れて行く   静江

2011年12月04日 | 

(あたみえき/あったかぼうしが/むれてゆく)

 

勝手な造語は駄目なことが多いが、暖か帽子(あったかぼうし、作者のルビ)は、とてもいいと思う。冬帽子の意味とすぐ分かるし、「群れて」があるから、保育園や学校の制帽のような感じがしますね。可愛らしさも感じます。

 

熱海、という固有名詞は特に必要ではないが、観光温泉の町だから観光客の団体さんだったかもしれない・・・・

 

ちなみに、熱海市の人口は、昭和45年の51,000人から39,000人(平成22年)に減って、かなり過疎化が進んでいる。マンションや別荘は増えているが、住民は減っている。

 

カラタチバナ(唐橘)、百両とも

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437  冬の虹晩年という未来あり   歩智

2011年12月03日 | 

(ふゆのにじ /ばんねんという/みらいあり)

 

私は、61年生きて来て、今までに一度も「心底辛い」と思ったことがない。勿論、痛いや苦しい、悲しいや貧しかったなど、嫌なことは色々あったが、どういう訳か心底「辛い、死にたい」と思ったことは一度もない。

 

飢えたことがないし、大病も大けがもなかった。癌にもならなかったし、体が動けなくなったこともないし、臨死体験もない。

 

奴隷にもならなかったし、無実の罪で服役したこともない。イタイイタイ病にも水俣病にもならなかった。戦争に行かなかったし、空襲や原爆も知らない。大地震にも大津波にも落雷にも遭わなかった。

 

どうやら、この句の作者も、楽天主義者のようだ。そう思えば、死ぬまで未来は明るいはずなのだから・・・

 

センリョウ(千両)

 

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436  幸せはどこにでもある小春かな   章子

2011年12月02日 | 

 (しあわせは/ どこにでもある/  こはるかな)

 

世の中、全くこの句の通りだ。但し、不幸だってどこにでもあることを忘れてはならない。幸運も不運も、良いことも悪いことも、唯今ここに同居しているのである。我が身には、神も仏も住んでいるし、鬼も阿修羅も住んでいる。

 

はてさて、作者はそんな小春の中で、どうやら幸せを発見したようです。カール・ブッセのように、いくら探しても他所に幸せはありません。幸せは、自分の中にあるのですから。

 

ヤツデ(八手)

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435   声揃ふ手拍子揃ふ酉の市    稱子

2011年12月01日 | 

(こえそろう/ てびょうしそろう/ とりのいち)

 

本来の酉の市は、日本武尊の亡くなった11月の酉の日に行う。日本全国の鷲神社、鷲宮神社、大鳥神社、大鷲神社、鷲大明神社などで行われるが、12月にも行われている。

 

一般的な祭りの露店の他に、縁起熊手の露店が並ぶのが酉の市の大きな特徴だろう。「熊手を負けろ」と言って値切り、「買った、勝った」となり、値切った分を御祝儀として返す。結局、定額で買うことになるのだが、その時売り手と買い手によって、威勢よく手締めが行われる。

 

スイセン(水仙)

 

だと思うのですが、自信がありません。

葉や球根からするとスイセンですが、

花が・・・・・・・・めずらしい

 

 

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