(ろうしにも すききらいあり はだれゆき)
老師とは、単に「年をとった師匠」でもあるが、禅宗の一つ臨済宗では師家とも言い、高い境涯を持った高僧をいう。修行道場を主宰し、修行僧に公案を与え、その境涯を計り、印可を与える。
一般人である作者は、「立派な高僧でも好き嫌いがあるのか」という驚きとともに、親近感とおかしみを抱いたのではないだろうか。
斑雪は、春になって雪解けが進み、まだらに積もり残っている雪のこと。
(ろうしにも すききらいあり はだれゆき)
老師とは、単に「年をとった師匠」でもあるが、禅宗の一つ臨済宗では師家とも言い、高い境涯を持った高僧をいう。修行道場を主宰し、修行僧に公案を与え、その境涯を計り、印可を与える。
一般人である作者は、「立派な高僧でも好き嫌いがあるのか」という驚きとともに、親近感とおかしみを抱いたのではないだろうか。
斑雪は、春になって雪解けが進み、まだらに積もり残っている雪のこと。
「サクラサク」は、大学入試の合格発表の「合格」を知らせる、電報の文。落ちると「サクラチル」今では、携帯電話があるから、電報はたぶん過去の遺物になっているだろう。この句の場合は、「十五のきみ」とあるから、高校入試であろう。
ところで、この句の 「サクラサク」を、東日本大震災復興支援の歌「花は咲く」にしたい、がどうであろうか。
詰襟の十五のきみに「花は咲く」←クリックすると聞くことができます。
1 春泥の靴を気にして陶器店
お店に申し訳ないと思いつつ、春泥の靴は気になるが、店に入った、確信犯。
2 春泥の靴づかづかと陶器店
お店に全く気使いをせず、汚そうが平気で傍若無人に店に入った、暴走族。
3 春泥の靴を叩いて陶器店
春泥の靴だったので、入る前に泥を落として店に入った。
4 春泥の靴が気になる陶器店
陶器店に入ってから、靴の汚れが気になり始めた。悪意がなく善良ではあるが、間が抜けている。
つまり、俳句の善し悪しは、その人の人間性と深く関係していることがある。
ようやく、春めいてお彼岸も間近ですが、下記の通り、「終の棲家、骨壷を作る会」を開催しますので、お知らせいたします。
「えーっ、骨壷を」と驚かれるかもしれませんが、
生前に「自分の骨壷」を作っておくことは、お墓を作っておくのと同じで、不謹慎どころか、明治以前では各地でみられ、縁起が良いとされていたそうです。
第三の人生で、初めて入る自分の部屋が、葬儀屋の用意する、大量生産の白い磁器の安物の骨壷では、悲しいですよね。そこで、自分でデザインし、自分で作った骨壷を用意しておきましょう。元気な時は、梅干しや飴、お菓子などを入れておき、毎日眺めると長生きできるそうです。
形は、筒型、丸型などどんな形でも構いません。蓋が必要です。
自分の好きな花などを掘ったり、絵に描くこともできます。
制作には、最低2日必要です。
日、3月16日(土)~29日(金)(この間無休)
時 AM10時~PM5時
都合のよい日にちと時間をお選びの上、お知らせ下さい。
土讃線は、香川県多度津町多度津駅から愛媛県を通り、高知県四万十町窪川駅まで、四国を横断する、およそ200キロメートルのJR四国の運営する鉄道路線。土佐と讃岐を結ぶので土讃線と呼ばれる。土讃線には、吉野川上流の渓谷、大歩危小歩危(おおぼけこぼけ)などの景勝地も多い。
さて今時、春泥の靴がなだれ込むような駅があるとは、考えにくい。何故なら日本全国、どんな田舎の道路でも舗装されているからだ。
この句は、土讃線の「土讃」の別の意味「土を讃える」を使いたくて作ったのではないかと思う。
ジンチョウゲ(沈丁花) ジンチョウゲ科ジンチョウゲ属の常緑低木
チンチョウゲとも言う
隣の梅見の席の見知らぬ二人、男が60代、女が40代くらいだろうか。人目も憚らず良く喋り、よく笑っている。二人とも実に楽しそうである。
そう言えば、旅館の女将が言っていた。夕食のテーブルに向かい合った男女。黙々と食べていたら本当の夫婦。楽しそうに良く喋っていたら不倫だとか。本当かどうか分からないが、ありそうな話ではある。
キブシ(木五倍子)キブシ科キブシ属、雌雄異株の落葉低木
去年の我が家の初音(鶯の初鳴き)は、2月21日だったから、今年は大分遅れている。初音がないと、春になった気分がしない。
さてこの句、鶯が小節を効かせて囀っているという。たぶん、今年初めて上手に囀ったのであろう。そして作者は、のど自慢大会の審査員になった気分で、カンカンカンカンカンと合格させたようです。
余談ですが、昔からNHKの「のど自慢大会」の審査員の審査はおかしいので有名だそうです。審査員の顔を見せない。合否のラインが曖昧など、不正があるのでは・・・などと噂されているそうです。
私は、この2,30年「のど自慢大会」は見たことがありません。紅白歌合戦だって見ないんですから当然です。
私たちは、マグマのことなどほとんど忘れて生活している。しかし、3.11も間もなくだし、地球のことを少しだけ思い起こしてみよう。
地球の内部は、確かに真っ赤なマグマのようである。地表に噴出したマグマは、800から1200度、だから中心部は数千度あるかもしれない。
地球は、核、マントル、地殻などに分けられているが、10数枚の地殻(プレート)の厚さは、10~30㎞で、プレートの移動によって地震や噴火が起きるのだ。それは、北極の浮遊する氷の上の生活とよく似ている。固い大地などではなく、不安定極まりないのだ。
① ゴスペルを聴く/亡き妻と春の闇
私は一人ゴスペルを聞いている。そこには、亡き妻がいて春の闇があった。
② ゴスペルを亡き妻と聴く/春の闇
私は亡き妻と一緒にゴスペルを聞いている。そんな時があった、そこは春の闇であった。
③ ゴスペルを聴く亡き妻や/春の闇
亡き妻はゴスペルを聞いている、それは春の闇であった。遠くから、私はそれを見ている。
ゴスペルという神の領域に近い音楽。それを聞いているのは、私なのか、妻なのか、二人でなのか、この句は、そこが曖昧である。しかし、曖昧だから駄目とは言えない。曖昧にしておいた方が、良い場合だってある。いづれにしても、夢の世界のようである。
④ ゴスペルや亡き妻といる春の闇
「鳥帰る」とは、秋に渡って来て、冬を日本で過ごした鳥が、春になって大陸へ帰ることを言う。ツグミ、ジョウビタキ、ユリカモメ、マガモ、オオハクチョウ、マナヅル、オオワシなどのことで、冬鳥ともいう。
さて、三島や函南の北西に、日金山が見える。実際鳥たちは、遠い大陸の北国へ帰って行くのだが、「北に」「大陸に」などと言わずに、敢えて目の前にある「日金の山に」と言っている。日金山は、死者の霊が集まる山と言われているし、実際その先どこへ行くのか、それは雲の彼方のことで見えないし分からない。
五ミリほど蓬の芽にも葉の形 豊春
ランドセル売場賑い春来る
病床に福よぶ豆を置いてくる 正太
冬の鳩防災空地に集いけり
春めくやするりと入る雨戸かな 洋子
髪切りて春一番に吹かれおり
淡雪や大型ダンプの古タイヤ 炎火
節分や酒屋の棚の鬼ころし
暮れなずむ日金の山に鳥帰る 遊石
沈丁の揺れやまずして雨となる
春潮や粗朶運び来る波頭 鼓夢
紅梅や世を憚らぬ媼声
春めくや財布の小銭ざわめけり 章子
梅の寺雲水ひとり庭を掃く
一服のもらい煙草や春の月 薪
囀りに片耳あずけ尾根越える
春の霧街灯まるく包み込み 歩智
えッこんな時間ですかと日脚伸ぶ
ここだけの話すぐ漏れ風は春 稱子
行く道はまた戻る道梅香る
春ちかい二月二十二日母しのぶ 空白
卒塔婆の打ち合う音も春めいて
割られたる楠芬々と春めける 雲水
雪催ひねもす降らず暮れてゆく
昨年は、餌台に来る小鳥が少なくて心配したが、今年は平年並みに回復。しかし、減った理由も増えた理由も、さっぱり分らない。20羽ほどの小鳥たちで、10㎏のヒマワリの種を1か月で食べてしまう。そんな2月も終わり、1年の6分の1が終わった。
鶯の囀りはまだ笹鳴きであるが、春一番も吹いたようだし、春はもうそこまで来ている。
妻には涙を見せないで、子供に愚痴を聞かせずに、目立たぬように、はしゃがぬように
似合わぬことは無理をせず、人の心を見つめ続ける、不器用だけれど白けずに
純粋だけど野暮じゃなく、昔の友には優しくて、変わらぬ友と信じ込み
あれこれ仕事もあるくせに、自分のことは後にする、妬まぬように、焦らぬように 飾った世界に流されず、好きな誰かを思い続ける、時代遅れの男になりたい(河島英伍)