社会を見て、聞いて、感じる。

人生そのものがフィールドワーク。

1月24日(月)

2011年01月24日 23時39分14秒 | 2011年

  6時起床。筋肉痛で肩やら腕やらがカチカチである。いかにスイングに無駄な力が入っているかということだろう。午前中は、来会対応やら事務処理やらであっという間に過ぎていく。

  12時前にオフィスを出て、さいたま新都心へ。昼食は、移動中に崎陽軒の「炒飯弁当」を食べる。崎陽軒といえばシューマイのイメージが強いし、実際シューマイが一番おいしいのだが、炒飯もなかなか捨てたものではない。お弁当でこれだけおいしいのだから、出来立ては相当なものだろう。その後、そのまま寝てしまい、赤羽で下りるはずが大宮まで寝過ごしてしまう。まあいい、さいたま新都心は大宮から1駅引き返せばいいだけだ。

  今日ここへ来たのは、国の合同庁舎で行われる次年度の各種政策に関する説明会に出席するためである。しかし、先輩との待ち合わせまで少し時間があったので、まずは駅周辺を少し散策する。さいたま新都心駅は、私の出身高校の最寄り駅である。今でもここに来ると、当時のことを思い出す。私にとって、高校生活はそれほど楽しいものではなかった。友人には比較的恵まれていたと思うが、受験第一主義的な雰囲気が嫌で、頻繁に授業をサボって遊んでいたし、先生と大喧嘩したこともあった。今から考えると、最もつまらない時期だったが、最も子どもらしい反抗期を過ごした時期だったのかもしれない。今は駅前の開発も進み(卒業直後に大型ショッピングモールがオープンした)、道を歩いている人の数も増えた。その中には、懐かしい制服の姿もちらほら見える。もし今からもう一度高校生活をやり直せるとしたら、何をどう変えるだろうか。いや、そもそもこの高校には入らないかもしれない。


この景色を見ると、高校時代を思い出す。


昔はこんなお洒落な空間はなかった。


最後はカフェで少し休憩。

  先輩と合流し、説明会の会場へ。会場では、他の支援機関の方やコンサルタントさんもいらっしゃった。私たちが最も聞かなければならないのは経済産業省の話で、それもそれなりに面白かったのだが、最も印象的だったのはNEDO(独立行政法人新エネルギー・産業技術総合開発機構)の話である。この組織では、先進的かつ実用的な産業技術の開発に補助金を出して支援を行うのだが、それによって開発されたものがとても魅力的なのだ。一例を挙げよう。

(1)東京女子医大の医師が助成を受けて実施した開発に、「脳腫瘍完全摘出システム」というものがある。これまで、脳腫瘍の摘出手術は手術前のMRI画像を見ながら腫瘍の位置を特定し、摘出していた。そのため、最低限の切除で腫瘍を完全に取り除くということは難しく、腫瘍の一部を残してしまったり、切除部分が必要以上に大きくて患者に後遺症が残るということが多かった。しかし、このシステムを使うと、MRI画像をリアルタイムに確認しつつ手術を行うことが出来る。それにより、腫瘍と正常部分の区別がはっきりし、「最大限の摘出」と「最小限の合併症」の両立が可能となった。現在、このシステムを活用した手術は568件行われており、その腫瘍の摘出率は93%となっている。それまでの全国統計の摘出率が50~75%だったそうなので、これは大きな技術革新である。

(2)北海道大学発のバイオベンチャー企業である株式会社イーベックが助成を受けて実施した「任意の標的分子に対する完全ヒト抗体作製システムの開発」では、「完全ヒト抗体」なるものが開発された。抗体医薬は、病気の原因となる特定の標的のみを攻撃するもので、従来の医薬品に比べて効果が高く、副作用は少ない。今回開発された「完全ヒト抗体」では、人間の体内から採取したリンパ球を用いるため、副作用がほとんどなく、ガンや感染症などに効果的な新薬の開発に役立つといわれている。この開発により、その企業はドイツの大手製薬会社とのライセンス契約を締結。その金額は80億円とも言われている。医学的にも、経済的にも、夢のある話だ。

  こういう話は聞いていて飽きないし、「こういう使い方をするなら税金も気持ちよく払えるわなー」と思える。そして、いきなりこんな規模の大きなことは難しいにしても、私もこういう事業の支援が出来たら嬉しい。

  説明会終了後、先輩と喫茶店に寄ってから、17時半過ぎに地元へ戻る。神奈川在住の先輩方からすると埼玉出張は大きな負担だが、私にとってはありがたい(但し、直行もしくは直帰の場合に限る)。せっかくなので、美容室で髪を切ってから帰宅。それでも、18時半過ぎには家に着いた。普段なら、どんなに早くオフィスを出ても、せいぜい東京駅ぐらいにいる時間である。

  帰宅後すぐに入浴したのだが、あまりの寒さに就寝前にもう1度お風呂に浸かる。今年の冬は、例年より寒いような気がする。しかし、ニュースなどでも、今年は特に気温が低いなどという話は耳にしない。もしかしたら、私が段々と年を重ねて、もはや「風の子」ではなくなっただけなのだろうか。

 


1月23日(日)

2011年01月24日 22時17分43秒 | 2011年

  7時半起床。8時半過ぎに家を出て、JRと西武線を乗り継いで狭山ヶ丘へ。今日は、大学の先輩と友人と、ゴルフ練習である。普段はあまり乗り気でない友人が、来月仕事で強制的にゴルフをさせられるとのことで、珍しく(おそらく初めてだろう)言い出しっぺになってくれた。当初、私は「仕事でも無料でゴルフが出来るならいいじゃん」と楽天的に思っていたが、当日のメンバーを見ると社長だらけで、どう考えてものびのびとプレーが出来そうな感じではない。本当に、お疲れ様でございます。

  先輩に車で迎えに来て頂き、まずは入間のアウトレットでゴルフ用品の物色&腹ごしらえ。いつも同じ讃岐うどんを食べるので、今回は趣向を変えて「鶏三和」というお店の「名古屋コーチンの親子丼」にしてみた。おそらく私は名古屋コーチンと普通の鶏肉の違いはわかっていないが、まあ美味しかったから良いのだ。次回は、コラーゲンラーメンを食べたい。


写真を見ていたら、また食べたくなってきた。

  1ヵ所目の打ちっ放しゴルフ場は、とにかく広くて開放的。屋外なので最初こそ寒かったが、打ち始めればすぐに暑くなる。相変わらずボールはあっちへ行ったりこっちへ行ったりだし、意識しなければならないことも多くてなかなかうまくいかないが、ひたすらゴルフのことだけを考えて淡々とスイングするというのは楽しいし、貴重な時間である。それに、段階に合わせてやるべきことを教えてもらえることで、少しずつだが上達していることも実感できる。これまで出来なかったことが出来るようになるというのは、単純に嬉しいものだ。


厳しい指導が行われています。

  休憩を挟んだ後、2ヶ所目へ。今度のところは時間制打ち放題のところなので、先ほど以上にひたすらボールを打ち続けた。1ヵ所目と合わせて、400スイング以上はしただろう。この頃には手のマメも潰れ、体中の筋肉が悲鳴を上げていたが、限界を超えたところで見えてくるものがある…はずである。


いつの間にか日が暮れていた。

  夕食は、もはや定番となった「サイボク」でとんかつを食べる。食事の前に併設の施設で子豚の姿を見ていたので、直後に豚肉を食べることには若干抵抗があったが、我々がそうやって生きているのだということを意識するのは必要なことだろう。そして、食事をしながら話をしていると、あっという間に時間が過ぎていく。毎度のことだが、本当にお世話になりました。今後とも、是非よろしくお願いします。


フラッシュのせいで危うく起こしてしまうところだった。


この2枚の写真を並べるのは忍びないのだが…。

  22時前に帰宅。この頃になると、既に筋肉痛が起こり始めていた。まだまだ若い証拠だと思えば喜ばしいことだが、明日普通に起きられるかどうか少し心配である。


1月22日(土)

2011年01月24日 21時36分51秒 | 2011年

  8時起床。今日は休日出勤なのだが、仕事は午後からなので、午前中はテレビを見ながらダラダラと過ごす。

  11時半前に家を出て、蒲田へ。今日は、国からの受託事業を活用してコンサルタントさんにお願いしている某企業の社内勉強会に同席させて頂いた。今回は、全3回中の2回目で、各社員が自らの考えた今後の事業戦略を発表したのだが、それに対する社長の指摘がとても厳しいもので驚いた。やはり、(私たちに対するような)外部向けの顔と、内部で見せる顔は違うのだ。そして、そういう厳しさがないと、会社を経営することなど出来ないのかもしれない。この仕事をしていて度々思うことだが、社長というのは本当に大変な立場である。

  勉強会終了後、上司と喫茶店に寄ってから帰途につく。途中、川口駅で下りて市立図書館に寄ってから(鉄道雑誌を読んだだけ)、20時過ぎに帰宅。あっという間に土曜日が終わってしまった。


1月21日(金)

2011年01月24日 21時26分01秒 | 2011年

  6時起床。今日は1日、じっくりと腰を据えて事務作業に取り組んだ。そろそろ年度末が近づいてきているのだが、このままいくと間違いなく3月は事務処理地獄に陥ることになる。それはある程度は仕方のないことだが、出来るだけその負担を少なくするためにも、出来ることは今のうちにやっておきたい。3月はJリーグの新シーズンも開幕するから、週末にきちんと休んで静岡へ行くためにも、今からコツコツと進めることは重要だ。昼食は、いつものパスタ。

  20時半過ぎに帰宅。22時から、サッカーアジアカップ準々決勝、日本vs.カタールの試合を見る。この試合は見た人が多いと思うが、本当に凄まじい試合だった。先制されて追いつき、再度リードを許しても追いつき、最後に逆転という、ドラマのような試合。特に、2点目以降は人数的に不利になってから奪ったものなので、余計に価値が高い。香川選手が覚醒したのも、今後を考えると大きな収穫である。そして何より、得点後のザッケローニ監督のガッツポーズが最高にかっこよかった。まさに、「絵になる男」である。国内リーグ中は毎回複数の試合を観に行くなど精力的に動き回る姿勢も非常に好感が持てるし、彼に監督をお願いしたのは本当に正解だと思う。

  さて、今述べたように今日は日本代表の活躍に沸いた1日だったが、一方で清水エスパルスにとっては、新体制発表の日でもあった。このオフは、エスパルスサポーターにとって非常にやきもきするものとなっている。市川、伊東といったチームを象徴する選手の放出に始まり、レギュラー陣が続々とチームを離れていった。正直言って、自らの意思で出て行った選手たちに対しては恨み言のひとつでも言ってやりたい気持ちだが、サッカー選手というのは選手生命が短い上に給料がそれほど高くもないので、より自分を高められると思えるところや少しでも良い評価をしてくれるところでプレーしたいと思うのは当然のことである。しかも、どこへ行こうと、これまで彼らが清水エスパルスというチームのために頑張ってくれていたという事実は変わらない。だから私は、他のチームへ行っても、彼らの活躍を願っている。ただし、エスパルス戦以外での話だが。最後に、中でも特に思い入れの強い選手については、下記に少しだけ今の気持ちを記録しておきたい。

  • 藤本淳吾選手(名古屋グランパスへ移籍)
    彼のプレーを初めて見たのは、2008年3月15日。フクダ電子アリーナで行われたジェフ千葉戦だった。この試合は、私が始めて観に行ったエスパルスの試合だったので、今でもよく覚えている。前半開始早々、豪快なミドルシュートであげた先制点は衝撃的だった。その後、大きな怪我に悩まされたこともあったが、特に今年はリーグ戦で13得点をあげるなど、背番号10を背負うにふさわしい大活躍だった。彼が移籍するとしたら海外だと思っていたので、国内の他チームに移籍してしまうのは残念ではあるが、私の中では彼が日本最高のレフティであることに変わりはない。
  • 本田拓也選手(鹿島アントラーズへ移籍)
    彼は、私と同い年である。そのため、何となく思い入れも強い。法政大学卒業後にエスパルスへ入団し、1年目から20試合以上に出場。特に今期は攻撃的な4-3-3のシステムにおいて、負担の大きいアンカーの役目を見事に果たした。彼がいなければ、このシステムは確実に機能しなかった。今期、エスパルスの失点はかなり多かったが、彼がいなかったらもっと恐ろしいことになっていたと思う。ここ最近は、日本代表にも呼ばれるようになった。今後は間違いなく日本を代表するボランチになるだろうし、そうなってくれることを願っている。
  • 西部洋平選手(湘南ベルマーレへ移籍)
    「一番好きなゴールキーパーは?」と聞かれたら、私は迷わず彼の名を挙げる。ハイボールの処理など多少の弱点はあるが、あの天才的な反射神経を目の前で見せられたら、誰でも思わず感嘆の声を上げるだろう。彼のおかげで決定的なピンチを凌いだという場面を、私は何度も見てきた。また、「若手のために」と自らの減俸を申し出るような人柄も、彼の大きな魅力のひとつである。湘南ベルマーレはJ2に降格してしまったので、今年エスパルスとの試合を見ることは出来ないが、今後も多くの場面でサポーターの悲鳴を安堵のため息に変えてくれることを願っている。平塚競技場は近いので、私も是非また彼のプレーを観に行きたいと思う。
  • 兵働昭弘選手(柏レイソルへ移籍)
    彼もまた、エスパルスの誇る魅力的なレフティである。持病に悩まされたこともあったが、中盤の球の出所として常に重要な役割を担うと同時に、大切な場面での得点力も光っていた。キャプテンとしての統率力にも優れていたと思う。それに何より、普段のクールな印象を覆す、試合中の熱いプレーが印象的な選手である。チャント(応援歌)で「清水の光」と呼ばれていたことからも、彼の果たしてきた役割の大きさが伺える。昨年の天皇杯準決勝での骨折の具合が心配だが、エスパルスの開幕戦の相手はレイソルなので、その時に元気な姿を見せてくれることを願っている。
  • フローデ・ヨンセン選手(母国ノルウェーのチームへ移籍)
    彼がエスパルスに在籍したのは、わずか2シーズンである。しかし、これほど強く印象に残り、サポーターに愛された外国人選手がいただろうか。その最大の要因は、もちろん彼のプレーのレベルの高さである。強力なヘディング、足元のテクニック、一流のポストプレー、献身的な守備力と抜群の運動量…彼の魅力は挙げればきりがない。昨年末の天皇杯準決勝での2得点を含む活躍を見れば、それがよくわかるだろう。それに加えて、試合中はもちろん、ピッチの外でも、常に彼は紳士だった。そんな彼の人柄も、これだけ愛された大きな要因だろう。今後は、母国ノルウェーに戻ってプレーを続けるとのこと。日本でのプレーが見られなくなるのは悲しいが、これからもたくさんのサポーターを魅了し続けて欲しい。そして、彼のような素晴らしいサッカー選手がいたことを、私は一生忘れないだろう。
  • 岡崎慎司選手(ドイツブンデスリーガのシュツットガルトへ移籍?)
    彼の移籍は、まだ正式には発表されていない。しかし、報道等を見る限り、移籍は秒読み段階に入っているだろう。もちろん、残ってくれればこれほど嬉しいことはない。彼のプレーを初めて見たのは、藤本選手と同じ試合(2008年3月15日のジェフ千葉戦)である。当時彼はまだ控え選手で、1-1の同点の場面で投入され、終了間際にバイタルエリアから豪快なミドルシュートを決めた。その後も私がサッカーを観に行くようになったのは、彼のゴールによってもたらされた興奮が忘れられないからかもしれない。その後、彼はあっという間にエスパルスのエースに成長し、ご存知の通り今では日本を代表する選手になった。先にも述べたように彼の移籍は決定ではないので、残ってくれれば本当に嬉しいが、ブンデスリーガで活躍する彼の姿を想像すると、それだけでワクワクしてくる。

  「思い入れの強い選手」に限定したはずが、随分たくさんの選手の名前を挙げてしまった。本来であれば伊東選手や市川選手や、長谷川健太監督についても言及したいのだが、彼らのすごさは今更語るまでもないだろう。そして、出て行く選手がいれば、入ってくる選手もいる。高原選手や小林選手をはじめ、魅力的な選手が新たに加わったことで、来季の展望にも少しずつ光が見えてきた。友人たちからは「来季は残留争いじゃない?」と言われたり、J2のチームを応援している同期からは「J2で待ってます」などと馬鹿にされているが、私としては案外やれるんじゃないかと思っている。今から3月5日の開幕が待ち遠しい。