6時起床。京浜東北線の大森-蒲田間で発生した人身事故の影響で、しばらく駅のホームで立ち往生。結局、何とか赤羽まで出て湘南新宿ラインに乗り、30分ほどの遅刻で出勤する。家を出たのが6時40分で、職場に着いたのが9時半。3時間弱の通勤は、さすがに堪えた。
午前中に、製造業の社長さんが3名来会され、今期の事業について打ち合わせを行う。その中で、今夏の節電についての話が非常に印象に残った。製造業を営む中小企業においては、多くの場合、その消費電力の80%は製造ラインを動かすための動力に使われている。つまり、政府が言うような15%の節電を実施しようと思うと、否が応でも製造ラインに影響が出る。それはもちろん、生産の停滞を意味する。しかも、ここで言う15%は総使用量の15%削減ではなく、ピーク時使用量の15%削減であるため、状況は非常に厳しい。やはり、一律15%の削減という目標には無理があるのだ。
また、中小企業で複数の元請から仕事を請け負っている場合に、一部の元請が節電の影響で営業日を変更すると、非常に困った事態になる。元請の休みが土日だったり火水だったりとバラバラになることによって、確固たる休日を確保することが難しくなるのだ。休日が確保できなければ、労基法の問題が発生したり、従業員の割増賃金等のコストが掛かったりする。仮に気にせずこれまで通り休日を確保したとしても、これまでは同じタイミングで2日間休めていたため週5日間のやりとりが可能だったものが、場合によっては週3日しか連絡が取れなくなってしまうため、緊急事態を想定して在庫を多めに確保しておく必要が生じる。当然ながら、在庫過多は大きなリスクである。それ以外にも、主婦パートを週末に働かせることが困難だったり、小さな子どものいる従業員が土日に子どもを保育園に預けられるかどうかなど、問題は山積している。「電力需要を均等にするために休日をずらせばいいじゃん」という発想は、あまりに安易なのだ。このように見てみると、現行の節電政策はうまくいきそうにないし、無理に押し通した場合にはかなりの弊害が生じるように思われる。この難問にどう対応するか、それは間違いなく喫緊の課題である。
午後は、ISO14001の内部監査に関する会議。当初は1時間のつもりが、結局3時間近く掛かる。しかも、普段会議室は空調が切られている(ナンセンス!)ので、かなり体力を消耗した。
20時半前に帰宅。電車の中で、『夜と霧(新版)』を読み終える。一言でいえば、非常に考えさせられる本だった。自身の収容所体験を、単なる体験記ではなく心理学者として分析し、なおかつ一方で単なる心理分析のレベルには留めていない。強烈なリアリティと一歩引いたところから見た分析が見事に共存している。この本を読んで私が感じたのは、人間の環境への適応力の強さである。例え精神的な豊かさや人間性を徐々に失っていっても、もしくはむしろそのことによって、生きることに没頭する人間の姿は、かなり衝撃的である。しかし、私がそこから考えるのは、「どんなに苦しい状況に置かれても、(生きる目的さえあれば)人間は生きてける」という前向きなことではなく、逆に「今苦しみながらも何とか生きていられるからといって、それが現状を肯定することにはつながらない」ということである。ちょっとうまく言葉に出来ていないか。要するに(日常生活に置き換えてみると)、今とある問題(ストレス)を抱えながらそれでも普通に生活しているということと、その問題が深刻なものかどうかは関係ないかもしれない、ということである。普通に生活しつつも今まさに抱えているこの問題が、もしかしたら非常に深刻なものかもしれない。この本の本旨からはかなり逸れるかもしれないが、こう考えることによって、今の自分(が置かれている状況)について別の角度から捉えることが出来るような気がする。