7時、妻に起こされて起床。もっと早くから起きている妻から娘を受け取る。妻はここからしばし就寝。
娘の朝は早い。6時に起きるのはまだいいほうで、下手をすると4時に起きてそのまま朝まで元気いっぱいという場合もある。起きてからは授乳があるので妻がお世話をしているが、体力的に厳しくなったところで私に交代する、というパターンである。
居間に移動してすぐにおむつを替える。股間から酸っぱい匂いがしている。これはうんちのサインだ。食事が母乳だけだったころはご飯が炊けた時のような匂いだったが、本格的に離乳食を食べるようになってから今の匂いになった。
おむつを捨てて戻ってくると、さっそく娘はベビーサークルの中でつかまり立ちをしていた。一瞬目を離した隙にこれだ。床にはクッション性を持たせてあるから倒れても大丈夫だろうが、心配は心配だ。
今朝のお気に入りは、電話と絵本。私が電話を耳に当てて「もしもーし」と言うと笑い、娘の耳に当ててもう一度「もしもーし」と言うと更に笑う。
午前中、離乳食で初めて卵(黄身)を娘に食べさせる。沸騰してから15分以上加熱した卵の黄身を、離乳食の最後に1匙だけ。とりあえず、今日のところはアレルギー反応はなかった。この調子で卵をクリアしてくれるといいのだが。
昼過ぎ、娘を連れてホームセンターへ出掛ける。第三京浜の港北インターの近くにあるお店なので、新横浜の駅からバスに乗って15分ほど掛かる。しかし、行ったはいいものの、お目当てのものは置いていなかった。エアコン掃除のスプレーが欲しかったのだが。仕方がないのでとんぼ返りし、別の場所へ買い物に出ていた妻と新横浜駅で合流して娘を預け、1人で遅めのランチへ。
駅近くのレストラン街にあるチェーンの某お好み焼き屋さんへ入る。15時過ぎということもあって、客は私しかいなかった。メニューを見ると、値段が高い。普通のお好み焼きやモダン焼きが1500円とかする。そうか、高級店なのか。店員さんの態度も横柄だ。それも、びっくりするくらい。笑顔なんてもってのほかだ。そうか、昔の帝国ホテル的な接客か(知らんけど)。これはきっと上質なお好み焼きが食べられることだろう。
出てきたお好み焼きは、逆に笑っちゃうほど美味しくなかった。生地がぱさぱさなのだ。お好み焼きをまずく作るって、逆に難しいだろうに。新横浜は出張族や観光客が多く、特に駅近くの店舗は一見さん相手で商売が成り立つから、こういうお店が淘汰されない、という話を聞いたことがある。でも、このお好み焼き屋はチェーン店だから、他の場所でも同じような料理を出しているのではないだろうか。そして、それが成り立っているということは、案外こういう味を好む人がいて、何ならそれが多数派で私のような不味いと感じる人間が少数派なのではないか、私の舌が馬鹿なんじゃないか、というようなどうでもいいことを考えながら坂を上り、家に帰った。
夕食は、妻が鶏のささみ肉と梅、しそ、チーズを使った春巻きを作ってくれた。ちなみに、育休で私が休むようになってからも、料理はほぼ100%妻が作っている。離乳食もそう。私はただ出来上がったものをありがたく頂き、離乳食を娘の口へ運ぶだけだ。以前は食後の洗い物くらいはやっていたが、それも1ヶ月ほど前に食洗機が導入されてからはほとんど必要なくなった。一応言い訳をさせてもらうと、妻が料理に求めるクオリティに、私がついていけないのだ。ご飯と肉野菜炒めがあれば満足という私では、我が家のシェフは務まらない。一方で、毎日の洗濯と掃除に関しては立場が逆で、私のほうが神経質なので、こちらはほぼ100%私が担当している。良いバランスと言いたいところだが、深夜の授乳とかもあるし、子育てへの関与も妻のほうが強い。総合的に、どう考えても妻の負担のほうが大きいと思う。いつもありがとうございます。
駅で娘を妻に預けた際に駅ビルの本屋でさくらももこさんのエッセイ集『もものかんづめ』と『あのころ』を購入し、さっそく「もものかんづめ」を読んでみた。時にクスッとさせられ、時に隣にいる娘がビクッとするほど腹を抱えて笑い、時にホロッと感動させられ、時に「あー」と妙に納得したり感心させられるエッセイだった。良い意味で、さくらももこという人への印象が変わった。結構とんがった人である。自分に対するありもしないゴシップを書いた週刊誌をこき下ろすくだりなんかは気持ちの良いくらい悪意が込められていたりするし、実際のおじいさんが亡くなった時のエピソードなんかは小気味よくて遠慮なく笑える。しかも、書かれていることの背景には彼女の人生観や思想がしっかりとあって、それが時には垣間見え、時には明確に提示されるから、納得感も強い。こんなことなら、彼女が亡くなる前から著作を読んでおけば良かった。
ここまで書いて気付いたのだが、今日の私の文章は明らかに『もものかんづめ』の影響を受けている。普段なら料理がまずかったお店のことをストレートに書くことはないのだが、あえて皮肉ってみたりして。今まで何となく、自分の回顧用のブログとはいえ一応ネット上に公開しているのだから、ネガティブな内容や明確な批判などは遠慮しようと思っていたのだが、よくよく考えてみればそれだと本来の私の性根の悪さが記録として残らない。特に影響力のない一般人なんだし、もう少し好き勝手書いてもいいんじゃないか、と思えてきた。となると、まずはNHKの朝の連続テレビ小説『半分、青い。』について書きたくなるのだが、それは機会があればまた、ということにしよう。とりあえず言いたいのは、せっかくこっちが育休で人生で初めてリアルタイムで朝ドラを見られる生活をしている時期に、なんでこんな駄作を放送してんのよ、『カーネーション』が良かったわ!ということである。一時期、夕方に再放送されていた『カーネーション』を見て、あまりのクオリティの差に驚かされたのだ。逆に、あの時期に『カーネーション』を見ていなければ、比較対象がなかったので「ああ、朝ドラってこんなくだらないもんなのか」ぐらいで済んだのだが、あれを見てしまったがために今回の作品がはずれなんだということを知ってしまった。