6時半、娘から文字通り叩き起こされて起床。本人は私に「起きたよー。あっちの部屋に行くよー」と伝えると、高速ズリバイで居間のほうへ向かっていった。こうなると、父は素直に従うしかない。
ミルクを飲みながらだんだん娘が眠そうになり、もうすぐ眠るなという時に、急に妻のスマホのアラームが鳴る。8時だ。なんで8時に鳴る。なんで居間で鳴る。当然、娘の目は覚める。
30分ほどかけて再び寝付きかけたところで、今度は寝室から妻が娘を呼ぶ。なぜこのタイミングで呼ぶ。なぜ状況を確認せずに呼ぶ。またいちからやり直しだ。なかなか寝付かない娘を見て、妻は寝ぼけた顔で「おっぱいにしようか」と言う。いやいや、その前にまず謝ってくれ、とは口に出さない。「はーい」とだけ言って娘を妻に渡す。結局、授乳しても娘は眠らなかった。こんなことなら、やっぱり謝ってもらえばよかった。
朝食は、納豆、おくら、キムチ、生卵の混ぜご飯。
お昼頃から少しずつ身体が重くなってくる。風邪の初期症状のような感じだ。昼食も食べずに布団へもぐりこむと、すぐに眠りに落ちた。
起きると16時だった。妻と娘は買い物へ出掛けているようだ。遅めの昼食に、妻が作っておいてくれた焼きそばを食べる。体調はかなり改善した。
「遊んであげてよ」という言葉を、多くのお父さんが言われているだろう。私も例外ではない。生まれてこの方、遊ぶことを強制されたことなんてなかったから、初めて言われた時は少し違和感を覚えた。以降、何度か言われている。例えば、娘をベビーサークルで1人にして私がスマホをいじっている時なんかに言われる。私に落ち度がある(とは本音では思わないが、そこは論点がずれるので今回は触れない)ので仕方がないのだが、未だにこの言葉への違和感は消えない。先にも書いたように、”遊ぶ”ということと”人から強制される”ということは相容れないと思うのだ。強制されて遊んでいる私は本当に”遊んでいる”とはいえない。強制された時点で、私はもう遊ぶことは出来ないのだ。出来ないことをやれと言われて途方に暮れた私は、とぼとぼとベビーサークルに入っていく。しかし、娘は熱心に1人おもちゃで遊んでいる。彼女はまだ自由の身だ。
今日は、娘を寝かしつけるのを3度失敗した。以前、娘には1人寝をさせていると書いたが、ハイハイとつかまり立ちが出来るようになってからは、完全に起きた状態で放置してしまうとあちこち移動して危険もあるので、腕の中で眠ってから布団に寝かせるようにしている。それでも1人寝効果のおかげか、一度寝てしまえば布団に置いてもそのまま眠っていてくれるので、手は掛からない。ところが、今日はとことんうまくいかなかった。布団に寝かせるたびに目を覚まし、泣いてしまう。こういう失敗自体2ヶ月振りぐらいな上に、3度も繰り返したものだから、体調でも悪いのだろうかと心配になった。しかし、最終的には無事に眠ってくれた。しかも、時計を見たら30分も経っていなかった。随分長い時間苦労した感覚があったが、そんなものか。普段、どれだけ楽をさせてもらっているかということがよくわかった。そして、娘にとっては今日はなかなか眠れない1日になってしまった。ごめんよ。もっと精進します。
夕食は、素麺。