日々の覚書

MFCオーナーのブログ

サンクチュアリ

2024年10月12日 23時28分51秒 | 時事・社会ネタ
10月になった。

プロ野球は、アメリカも日本も公式戦全日程を終了し、ポストシーズンに突入した。アメリカでは、大谷翔平のドジャースがパドレスとのナショナル・リーグ地区シリーズに勝って、リーグ優勝シリーズに駒を進め、日本では、セ・リーグは読売ジャイアンツ、パ・リーグはソフトバンクホークスがそれぞれリーグ優勝を決め、今日からクライマックス・シリーズが行われている。第一戦は、セ・リーグは横浜DeNAベイスターズ(セ・リーグ3位)、パ・リーグは千葉ロッテマリーンズ(パ・リーグ3位)がそれぞれ勝っている。

我が中日ドラゴンズは、2024年シーズンは143試合で60勝75敗8引き分けのセ・リーグ最下位で終わった。3年連続の最下位は球団史上初めてであり、立浪監督は大変不名誉な記録と共に退任することとなった。残念だが、仕方ない。今季はある程度期待したものの、投高打低のチーム状況を変える事が出来ず、やや不可解な采配も変わる事はなく、このような結果となった。高橋宏斗が最優秀防御率、マルティネスが最多セーブ、松山晋也が最優秀中継ぎのタイトルを獲得したのが、せめてもの慰めだ(チームのタイトルホルダーに、今年のチーム事情が色濃く反映されている)。それにしてもドラゴンズの場合、60勝しかしてないのに、マルティネスのセーブ数が43というところに、とても歪なものを感じてしまうな。良くも悪くも、今年のドラゴンズを象徴している。

こういう結果となったドラゴンズだが、来季は二軍監督だった井上一樹氏が、監督に就任するとのこと。ドラゴンズのファン以外からすると、知名度は低いかもしれんが、二軍での実績は折り紙付き。必ずやチームを立て直してくれるものと期待する。が、今のドラゴンズの低迷は監督によるものだけではなく、親会社の問題もあるらしい。ドラゴンズの場合、弱くても観客動員は多いので、親会社としてはウハウハな訳だ。なんたって、かつて落合監督に対して、強いけど観客少ないからダメ、と引導渡した経緯もあり、親会社はドラゴンズを強くしよう、なんて考えてないのだろう(このあたり、かつてのタイガースに似てるなぁ)。

ま、とにかく、来年のドラゴンズに多少は期待してます(爆) 井上監督、頑張って下さい。

という訳で、最近買ったCDから。



70~80年代あたりに活躍したアーティストで、21世紀の今、CD入手が難しいという人たちは多くて、このJ・ガイルズ・バンドもその中に入るのではなかろうか。超メジャー或いはマニアックなアーティストは再発もされてて入手は容易だが、さほどメジャーでもなく、かといってマイナーでもなく、けど商業的にはそれなりに成功してた、という程度のアーティストは、ほんとCDが出てない。CD化されたり再発されたりしても即廃盤。たぶん、プレス枚数も少ないだろうし、たちまち入手困難。確かに、今の若者はロックは聴かないだろうから、再発しても意味ないという判断だろうけど、オールドファンとしては、せめて数年に一回、100枚程度でも再プレスしてくれないかな、と思うのである(笑)

さて、そのCDが手に入らないJ・ガイルズ・バンドだが、厳密に言うと、日本ではちょっと前にEMI移籍後のアルバムが紙ジャケで再発されてるので、入手困難ではないのだが、紙ジャケ嫌いの僕からすると、入手困難みたいなもんだ(笑) 実際、アマゾンとかでも、輸入盤はアトランティック時代もEMI自体も、オリジナル・アルバムはほぼ入手不可能、ベスト盤なら何種類か買える、という状況。今回、この『サンクチュアリ』は中古レコード屋で買った。しかも、実に適正な価格で(笑) やっぱり、レコード(CD)は店頭で探すべきだな。基本を思い出しました(笑)

で、肝心の『サンクチュアリ』に触れてないが^^;、J・ガイルズ・バンドがアトランティックからEMIに移籍しての第一弾、1979年発表。当時、日本でも、シングルの「ワン・ラスト・キッス」をプッシュしてて、ラジオでかなりCMを流してた記憶がある。確かに、改めて聴くと「ワン・ラスト・キッス」実に良い曲だ。哀愁漂う曲調と歌メロがたまらん名曲であるのだが、アトランティック時代のイメージとはかなり違う。当時もそう感じた(J・ガイルズ・バンドをずっと聴いてた訳ではないけど^^;)。R&Bをベースにしたロックンロールバンドというのが、アトランティック時代の印象だけど、この『サンクチュアリ』は、黒っぽさが後退して、シンプルなロックバンドになったような感じ。「ワン・ラスト・キッス」をはじめ収録曲も佳曲が多く、以前より馴染みやすく聴きやすくなった感もある。かなりクォリティ高いアルバムだ。新たなファン層の拡大を狙っての再出発というところだったんだろうね、当時は。

この後のJ・ガイルズ・バンドについては、皆さんご存知の通り。1982年に「堕ちた天使」が6週連続全米No.1の大ヒットとなり、アルバム『フリーズ・フレイム』もベスト・セラーになって、彼らは一躍アメリカン・ロックのトップ・バンドとなった。が、サクセス・ストーリーもここまで。理由は分からないけど、バンドは分裂し、ボーカルのピーター・ウルフが脱退する、という非常事態となり、その後メンバーは補充せずにアルバム1枚作ったけど結局解散。結成以来、大きなヒットは出なかったけど、地道に活動してきたバンドが、苦労の末大ヒットを出したら、よく分からんプレッシャーがかかって耐え切れずに潰れてしまった、という事なのかな。このパターンで多くのアーティストがダメになった気がする。こんな事になるのなら、売れなくてもいいから、バンドを持続していた方が良かった、というのがファンの偽らざる気持ちではなかろうか。人生は何が起こるかよく分からんし(意味不明)

最後に、いささか旧聞だが、イラストレーターの山藤章二氏が亡くなった。享年87歳。ご多聞に漏れず、僕も『ブラック・アングル』大好きでした。これ見たさに、週刊朝日買ってた事もある(笑) ただ批判するだけではない、暖かい眼差しが世相を表現したイラストに現れていたように思う。大のタイガース・ファンとして知られ、1985年にタイガースが快進撃を続けていた頃、とある場所で野村克也氏に会った際、「バースの攻略法だけは書かないで下さい」と頼んだ、というエピソードが笑える。

どうぞ安らかに。
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Reminiscing

2024年09月22日 08時59分51秒 | 本と雑誌
なんというか、スマホでは近ごろ何でもアプリである。アプリをダウンロードしないと見れない(使えない)サイトも増えてきた。何故そんなにアプリを推し進めるのか。セキュリティの問題とかあるのか。PCではフツーに見れるのにスマホはダメ。Facebookもメルカリも今やスマホでは使えなくなった(あくまでも僕の場合だが^^;)。そのうちアマゾンも見れなくなるだろう。当ブログも、スマホで見るとアブリを推奨していて、PCなら問題ないけどスマホだと使えない機能が出てきた。どうしてこんな状況になっているのか。ITには疎い昭和30年代生まれには理解出来ない。誰か教えてくれ(笑)

閑話休題



今月のレコード・コレクターズ(以下レココレ)の特集は、「AORの名曲ベスト100」である。数年前にもレココレはAORの特集を組んでいて、当ブログでもネタにしたが、その時はAORの解説と代表的アーティストやアルバムの紹介がメインだった。が、今回は名曲ベスト100である。いきなり曲単位だ(は?) 前回も書いたけど、AORほど定義の難しいジャンルはなく、これをAORと呼んでいいのかそうでないのか、が常に論争となる音楽なのであり、その面倒さといったらメタルどころではない(笑) そんなめんどくさい、AORの名曲を選ぶという面倒且つ無謀な企画をレココレもよくやったもんだ、と感心してしまうのは置いといて(笑)、まずは誰も素直に納得しないと思われる、AOR名曲ランキングの上位10曲を紹介させて頂く。あ、もちろん、断るまでもなく、ランキング選定はレココレのライターと編集部です(笑)

1位・・・ホワット・ア・フール・ビリーブス/ドゥービー・ブラザース
2位・・・風のシルエット/ボビー・コールドウェル
3位・・・ロウダウン/ボズ・スキャッグス
4位・・・恋は幻/ネッド・トヒニー
5位・・・IGY/ドナルド・フェイゲン
6位・・・麗しのペグ/スティーリー・ダン
7位・・・ジャマイカの月の下で/ニック・デカロ
8位・・・ベイビー・カム・バック/プレイヤー
9位・・・ふたりだけの夜/ロビー・デュプリー
10位・・・オルトゥゲザー・アローン/ハース・マルティネス

ある意味ではめちゃ納得(笑) 実は、11位以下にも、特定の世代にとっては胸キュンの名曲がずらりと並ぶのだが、きりがないので(笑)10位までの紹介にしておく。

ま、曲もアーティストも有名どころばかりで、いかにもAORです、てな感じ。個人的には聴いた事ないのもあって、ネッド・ドヒニーやニック・デカロもAOR聴くならマストらしいが未聴だし、ハース・マルティネスも名前しか知らない。ただネッド・ドヒニーの4位にランクインしてる「恋は幻(Get It Up For Love)」は、もしかしてデビッド・キャシディも歌っているあの曲かな。デビッドの方は「恋の誘惑」という邦題だったと記憶してるけど。

1位のドゥービーと2位のボビー・コールドウェルは、共に1979年のヒット曲で、当時ラジオ関東の『全米TOP40』でリアルタイムで聴いてたので、非常に印象深い。先にチャートインしたのはドゥービーだったような気がするが(何しろ、45年も前なので記憶が曖昧なのだ。爆)、今にして思うと、どちらもそれまでのピルボードのヒット曲とは少し違う、クールな佇まいが感じられた。特にボビー・コールドウェルの「風のシルエット」、それまで全く知らない人だったせいもあったのか、とても新鮮で刺激的な印象。ほんと、当時から名曲と思ってたけど、後が続かなかったのは残念。

「ロウダウン」「麗しのペグ」「ベイビー・カム・バック」あたりは、僕にとっては正に心の名曲である(笑) AORとか関係ない(笑) 当時僕は10代半ばだったけど、それまで好んで聴いてたロックとは、明らかに違うジャンルの曲たちだった。以前に書いた事があるけど、ハードロック離れを起こし始めていた僕の感性に、いわゆるAOR的な音楽がうまくマッチしたのだろう。ま、誰でも一度は通る道だよね(意味不明)

レココレの解説でも触れられてるけど、ロビー・デュプリーの「ふたりだけの夜(Steal Away)」のキーボードのバッキングが「ホワット・ア・フール・ビリーブス」にそっくり、というのは当時から言われていて、あの曲が与えた影響の大きさを物語っていた、という事になるのだが、実は僕はずっと「ふたりだけの夜」はマイケル・マクドナルドが絡んでいる(作曲かプロデュースか客演か)と思い込んでいた。だから、あんなにそっくりなのだ、と。でも、実際は違うらしい。という事はロビー・デュプリーはパクっただけじゃん(爆)

ところで余談だが、レココレのランキングには各曲の邦題も記載されていて、「ホワット・ア・フール・ビリーブス」は「ある愚か者の場合」となっているが、スティーリー・ダンの「ペグ」は「麗しのペグ」とはなっていない。シングルのタイトルではなく、アルバムの方のタイトルに統一したのかね。けど、レココレのことだ。「麗しのペグ」なんて悪しき邦題だから載せないでおこう、なんて感じで決まったに違いない。なので、僕は敢えて「麗しのペグ」とさせて頂きました(笑)

何度も言うけど、レココレのAOR名曲ランキング、AORという言葉にさえこだわらなければ、マジ名曲のオンパレードである。懐かしさもあって、特定の世代はランキング見ながら悶絶していることだろう(笑) あーだこーだと色々言いたい事もある(笑) 100位まで選出されてるので(ちなみに僕が知ってた曲は62曲)あれこれ語り出すと長くなるので(爆)今回はやめておく。ただ、どうしてもこの曲に触れない訳にはいかない。



リトル・リバー・バンドをAORと呼ぶのには、昔からかなり抵抗ある。が、今回のレココレのランキングで「追憶の甘い日々」が18位にランクインしてるのは、素直に喜んだ方がいいのだろう(笑) なんたってレココレである。リトル・リバー・バンドなんて知ってる人が編集部にいるとは思えない(爆) でも、確かにこの曲は数あるリトル・リバー・バンドの名曲の中でも最高の名曲、いわばキング・オブ・名曲なのだ(なんのこっちゃ) レココレのライターにも、道理の分かる人はいるとみえて(爆)、この「追憶の甘い日々」堂々の18位になった訳だ。他にも名曲は多数あるし、知名度も考慮すると、正に大健闘。ただ、100位中にリトル・リバー・バンドの曲でランクインしたのはこの1曲のみ。残念。

ご存知の通り、「追憶の甘い日々」は1978年のヒット曲で、ビルボードの3位まで上がった、リトル・リバー・バンド最大のヒット曲である。僕は一度聴いただけでこの曲にすっかり心奪われてしまい、この曲だけが楽しみで『全米TOP40』を聴いていた時期もあった。最高位3位になった翌週に15位に落ち、さらにその翌週には圏外に消えていた、というパラシュートのような下降ぶりも、今となっては良い思い出だ(なんのこっちゃふたたび)。この次にリトル・リバー・バンドは「レイディ」をヒットさせTOP10に送り込むのだが、この曲がまた名曲で、その頃には僕は立派なリトル・リバー・バンドのファンだったと言っていい(笑) で、ついにシングルを買ったのだ。それが上↑の写真なのだが、ご覧頂いてお分かりの通り、「レイディ」と「追憶の甘い日々」の黄金のカップリングである。おそらく日本独自企画だろうね。昔は、日本のレコード会社にも、話の分かる人がいたのである(爆) いやほんと、何度聴いたことか。MFCオーナー16歳の頃のことであった(爆)

リトル・リバー・バンドについて語るのは別の機会に譲るとして(笑)、前述したように、僕はリトル・リバー・バンドをAORとは思っていない。ま、100人いれば105通り(は?)の定義があるAORなので、解釈が違うのは仕方ない事なのだが、僕の定義からすると、リトル・リバー・バンドはAORに必要な洗練が足りない気がするのだ。ロックと呼ぶには軟弱だけどAORと呼ぶにはいなたい、というのがリトル・リバー・バンドの立ち位置であり最大の魅力なのである。似たようなそうでないような理由で、レココレのランキング100位内に複数ランクインしてるアーティストの中でも、クリストファー・クロス、ホール&オーツ、ジェームス・テイラーあたりはAORではない、と思っている。曲単位とはいえ、イーグルス(言い出せなくて)や10cc(アイム・ノット・イン・ラブ)がランクインしてるのもどうかな。スティリー・ダンは曲によってはAORではない、というか、彼らがAORぽかったのは『彩(Aja)』だけだろう。

という訳で、僕なりのAORの定義を踏まえて、AORの名曲ベスト10を選出してみた。例によって、思いついたまま書き出したので、順位はありません。( )内の数字は、レココレでの順位です。

ミスター・ブリーフケース/リー・リトナー(-)
恋の水平線/パブロ・クルーズ(-)
アイ・キープ・フォーゲッティン/マイケル・マクドナルド(86)
ビゲスト・パート・オブ・ミー/アンブロージア(63)
ジョージー・ポージー/TOTO(15)
ホワッチャ・ゴナ・テル・ユア・マン/ボズ・スキャッグス(-)
麗しのペグ/スティーリー・ダン(6)
風のシルエット/ボビー・コールドウェル(2)
ベイビー・カム・バック/プレイヤー(8)
マジック/ディック・セント・ニクラウス(79)

なんと言いますか、AORとは関係なく名曲揃いだ。リトル・リバー・バンドは入れてないけど(頑なだな。笑) アンブロージアやパブロ・クルーズはレコード買ってよく聴いてた。リー・リトナーの「ミスター・ブリーフケース(アルバム『RIT』収録)」は、レココレではかすりもしていないのが不思議で仕方ない名曲・名演である。同じアルバムの「イズ・イット・ユー」については言及されてるけど、この曲についてはノーコメント。シンセのイントロに象徴されるスタイリッシュなアレンジと雰囲気が、実にAORだ。

近年では、AORはアメリカあたりで”ヨット・ロック”なんて呼ばれてるらしい。なんというか、ダサいネーミングだ(笑) AORという言葉について回る”オシャレ”とか”都会的”とかいった要素が感じられない。聞くところによると、”ヨット・ロック”という呼称は、音楽そのもののイメージではなく、西海岸あたりでヨット遊びをしている連中が好みそうな音楽、というイメージから来ているらしい。多少の揶揄も入ってる訳だね(笑) 太陽の光をいっぱいに浴びながら、穏やかな海の上で過ごす時のBGMってことだ。なるほど、なんとなく分かる(笑) こっちなら葉山や逗子で遊んでる連中が好みそうだ(爆) ヨット・ロックなら、リトル・リバー・バンドが含まれていても納得。AORよりヨット・ロックの方が、いなたいイメージがあるしね。

やっぱり今も昔もAORの定義は難しい。誰しも、その人なりのAORがあるだろうし。僕からすると、好みはともかく、”ミスターAOR”と言ったら、デビッド・フォスターかボビー・コールドウェルかな。ま、AORって、そーゆー音楽なんです(最後まで意味不明)
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アラン・ドロンを悼む

2024年08月19日 23時32分08秒 | 時事・社会ネタ
既に皆さんご存知の通り、フランス映画界を代表する俳優だったと言っても過言ではない、アラン・ドロンが亡くなった。享年88歳。記事によると、親族に囲まれ安らかに息を引き取ったらしい。

アラン・ドロンと言えば、フランスいや世界の映画界に於いて、最も美しい男優である。要はイケメンだった訳だが、そんな軽い言葉では表現できない、とにかく美しい男だった。ほんと、その美しさの前では、ハンサムとか二枚目とかいった言葉も霞んでしまうのではなかろうか。もちろん、他にも美男の俳優はたくさんいたのだが、僕にとっては美男=アラン・ドロンなのである。昔も今も。

僕がかつて映画少年だった1970年代中頃、アラン・ドロンは押しも押されもせぬ大スターだった。皆さんよくご存知の通り、アラン・ドロンは1935年生まれなので、1970年代中盤だと40歳前後だった訳で、美男俳優として活動するにはピークをやや過ぎていた頃かと思われるが、それでもあの頃アラン・ドロンは大人気で、毎年2~3作は主演映画が公開されてたし、CMにも出てた。もしかすると、日本だけだったのかもしれないが、アラン・ドロンは文字通りトップスターだったのだ。日本の歌謡曲にも、美男の代名詞としてアラン・ドロンが登場する事もあった。一番有名なのは榊原郁恵の「アル・パシーノ+アラン・ドロン<あなた」だろうね。

アラン・ドロンはとにかくトップスターだったし、主演映画もしょっちゅう公開されてて(今調べてみたら、1975年と1974年は3作、1973年と1972年は4作が公開されている)、さぞかし印象に残る作品も多かろう、と思うのだが、実は僕は意外とアラン・ドロンの映画を見ていない、もしくは見た記憶がない。なんとなくだけど、僕自身フランス映画が苦手(笑)なのと、それに関連するのかもしれないが、アラン・ドロンの映画って、どれも同じに思えた、というのが理由だったような。全てではないけど、アラン・ドロンの映画って、旬の美人女優と共演して濡れ場もしっかりとある、というのも多かったから、決して興味がなかった訳ではない、と思う(笑) 当時、間違いなく見たという記憶があるのは『太陽がいっぱい』『地下室のメロディ』『冒険者たち』『サムライ』『シシリアン』『ボルサリーノ』『燃えつきた納屋』『暗黒街のふたり』くらいかな。見たけど印象が薄いのが大半なんだけど、一番強烈な印象があるのはなんといっても『冒険者たち』である。

そう、この『冒険者たち』は、僕にとって忘れられない映画である。1967年公開、ロベール・アンリコ監督、アラン・ドロンの他リノ・バンチェラ、ジョアンナ・シムカスが出ていた。夢を追いかける3人の若者が、財宝を探しに行き、そこで起きる悲劇を描いている。詳細は別の機会に譲るが(笑)、とにかく全編センチメンタルな雰囲気に貫かれていて、何度見てもつい泣けてしまう映画なんである。特にラスト、銃撃戦の末、撃たれて死んでいくアラン・ドロンとリノ・バンチェラの会話なんて、涙なくしては見れない。フランス映画とは相性の悪い僕ではあるが(笑)、この『冒険者たち』は名作と思う。サブスク等にあると思うので、是非検索してご覧下さい^^;

あ、それと、この『冒険者たち』の音楽も素晴らしい。音楽担当は早逝の天才、フランソワ・ド・ルーベで、哀愁のメイン・テーマも海で財宝を探すときに流れるメロディも実に素晴らしい。主題歌をアラン・ドロン自らが歌ったりもしてる。こちらも、万が一BOOK OFFとかで見つけたら是非GETする事をお薦めします(笑)

この『冒険者たち』もそうだったんだけど、アラン・ドロンって、美男の割にはモテる役って少なくて、思いを寄せる美女を他の男に取られたり、抗争のあげく最後には死んでしまったりする役が多かったような気がする。私生活は知らんけどね。あまりにも美男なので、映画では不幸な設定にして、帳尻を合わせようとしてたのか?(違)

昔からハリウッドあたりでも、美男(美女)=名優ではない、みたいなのがあって、アラン・ドロンもその例に漏れず、役者としての評価はそれほどでもなかったような気もする。あまり表情を変える事のないクールな男、みたいな役柄も多かったような...前述の『冒険者たち』はそうでもなかったと思うけど。ただ、そこいらは本人も分かってたのか、後年『カサノヴァ最後の恋』という映画で、老境に差し掛かかり若い娘には見向きもされなくなったジゴロをアラン・ドロンが演じていて、自虐的というかなんというか、なんかいい味出してた気がする。若いのはダメだけど、年増相手ならまだまだ神通力は衰えてない、という設定もなんか面白かったな。で、さすがはベテラン・ジゴロ、手練手管というか、ほとんどだまし討ちみたいな手は使ったけど、結局は意中の若い娘を手中にしてしまう、というとこにも美学を感じたりなんかして(爆) 単に自虐的なだけではない初老のアラン・ドロンが頼もしい(笑) サブスクで見かけたら、ヒマなら見てみる価値はありますよ^^

ここ20年くらいのアラン・ドロンは何をしてたのか、実は全く知らない。ただ、これもブログネタにしたが、フジのスマスマのビストロのコーナーに、アラン・ドロンが出演したのを見た事がある。なんでも、この収録の為だけにフランスからやって来て、終わったら速攻で帰国する、というスケジュールだったらしい。この時のアラン・ドロンはたぶん70歳過ぎだったのかな、正にカッコいいおじさんだった。本当の美男は年を取っても美男なんだな、とミョーに感心した記憶がある。

という訳で、自分の青春時代の銀幕スターが、また一人いなくなってしまった。いつも言ってるけど、悲しいけれど現実なのだ。アラン・ドロンのような、映画スターになるべくして生まれてきたような人を、ブラウン管で見れた自分はある意味幸運だったと思う。

安らかにお眠り下さい。

久々に『冒険者たち』見たくなった。アマゾン・プライムにあるかな。


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身も心も

2024年08月18日 20時23分32秒 | 時事・社会ネタ
ひと昔前だと、8月も盆を過ぎれば少しづつ涼しくなって、そろそろ秋の気配なんて感じだったけど、近頃はそうでもないようだ(苦笑) この暑さ、あと一月は続きそうな雰囲気だし、皆さん、どうかご自愛下さい。

しばらく話題にしていなかった中日ドラゴンズだが、盆を過ぎても浮上する気配は全くなく、8月17日現在で110試合消化して45勝57敗8引き分け、首位のカープとは12ゲーム離されてのセ・リーグ最下位である。一昨日だったかな、久々にテレビ中継があったので、ドラゴンズvsタイガースの試合を見たが、ずうっっっっっと同じ戦い方だ。僕が見た試合は、ドラゴンズが2-1でタイガースに勝ったのだが、貧打は変わらず、最少得点を投手リレーで守り抜く、という相変わらずのパターンで、夏場に投手陣の疲労蓄積がピークとなって投手陣崩壊、という事態にはならずに済んでいるようなのが救いでしかない状態。ほんと、投手陣は頑張ってて、ご承知の通り、高橋宏斗が4勝0敗防御率0.00という驚異的な数字で、7月のセ・リーグ月間MVPを受賞した事に象徴されるように、高橋だけではないのだが、とにかくよくやってる。今の状況から抜け出せない要因は打線である。正直言うと、この時期でこの状態では、なんとかAクラスに残ってクライマックス・シリーズ出場、なんて正に夢の夢だな。ほんのちょっとした工夫で、打開出来そうな気はするのだが。

最近の大ニュースと言えば、なんといっても、岸田総理が次の自民党総裁選には出ない、つまり任期が終わったら総理大臣を辞める、と明言した事だろう。これには驚いた。絶対に、岸田総理はまだ続けるつもりだと思ってたし、自分の足場を固めて、再選に向けての障害をなくす為と思うが、これまでかなりえげつない事もやってる。にもかかわらず、総裁選に出ない、というのは解せないなぁ。今までやってきた事は何だったのか? 僕自身は岸田総理を支持しないが、でも今回の発表は謎である。一体何を考えているのか。そういう点では、岸田総理は怖い。ま、それを受けて、総裁選への出馬に意欲的と言われてる人たちがゾロゾロと現れて、かなり混沌としてきているのも事実。次の総裁選は派閥なしで行われる訳で、となると、20人の推薦人を確保さえ出来れば、皆総裁選に名乗りを上げるのではないか。面白いと言えば面白いけどね。先の都知事選みたいになるのかなぁ。ただ面白がってる訳にはいかないのだが(苦笑)

という訳で、最近買ったCDから。



ちょっと前にレコード・コレクターズの1984年特集をブログネタにしたが、その特集の1984年を代表するアルバムの中に本作もリストアップされていた。1979年デビューのジョー・ジャクソンの通算6枚目のアルバムである。

デビュー当初、僕はジョー・ジャクソンの事をパンク・ロッカーと思っていた。が、彼はアルバムを重ねる毎に音楽性を変えていき、1982年の『ナイト・アンド・デイ』ではパンク・ロッカーのイメージは微塵もなかった。なんというか、ニュー・ウェイブ的な感覚を生かしつつも、多彩なスタイルを展開するミュージシャンになっていたのだった。実際、『ナイト・アンド・デイ』の評価は高く、シングル・カットされた「ステッピン・アウト」はグラミーにもノミネートされた。僕もこの『ナイト・アンド・デイ』は好きで、例の”MFCオーナーの歴代最高のアルバム500選”では293位にランクされている(だから?) その次に出た『ボディ・アンド・ソウル』は、『ナイト・アンド・デイ』の方向性を踏襲しつつ、シンプルな作りだった前作より、ホーン等を足して、ややゴージャスに仕上げたという印象。

やや余談だが、『ナイト・アンド・ディ』も『ボディ・アンド・ソウル』もタイトルがジャズを連想させるし、実際『ボディ・アンド・ソウル』のジャケットも、ソニー・ロリンズのアルバム・ジャケットのオマージュなんだそうな。かといって、ジャズをやっている訳ではないのだが、ジャズの影響は大きい事が窺える。前述したように、ホーンを導入した曲が多いのだが(シングルの「ホワット・ユー・ウォント」とか)、このホーンがファンキーなテイストではなく、クールな雰囲気を醸し出していて、ここいらもジャズっぽいというか都会的なイメージだ。ポスト・パンクのジャズ的展開、ってのは違うかな?(笑) イントロにスター・ウォーズみたいなリフが挿入される一曲目の「ザ・バーディクト」から既にそんな雰囲気である。40年前のアルバムだが、今聴いても全く古びていないのが凄い。やはり、ジョー・ジャクソンはただのパンク・ロッカーではなかった。ロイヤル・アカデミー・オブ・ミュージックで学んでいただけのことはある。学歴で判断してはいけないんだけどね(笑)

続いては、




ジョー・ジャクソンと同タイトルかと思ってしまうが、こっちは複数形で(笑)間違いなくジャズ系のマンハッタン・トランスファー(以下マントラ)が1983年に発表した通算7作目のアルバムで、当時の邦題は『アメリカン・ポップ』。ちなみに、「ボディ・アンド・ソウル(身も心も)」はジャズのスタンダードとして有名だが、マントラも1979年のアルバム『エクステンションズ』で取り上げている。

ご存知の通り、マントラは前述の『エクステンションズ』と次作の『モダン・パラダイス』をジェイ・グレイドンのプロデュースで制作し、ポップ寄りにシフトしてヒットを出していて、てっきりこの『アメリカン・ポップ』も同傾向でジェイ・グレイドンのプロデュースによるもの、とずっと僕は思い込んでいた。が、それは大いなる勘違いで、本作のプロデューサーはリチャード・ランドルフだったのだ。今回初めて知った(恥) これまであちこちで、マントラの『エクステンションズ』『モダン・パラダイス』『アメリカン・ポップ』はジェイ・グレイドン・プロデュースによる三部作、なんて書いていたが、実は間違いである。グレイドンは演奏にすら参加してない。大変申し訳ない。お詫びして訂正させて頂きます(誰に言ってるのか?)

という訳で『アメリカン・ポップ』である。ジェイ・グレイドンが関わってないという予備知識で聴いてみると、先の2枚と比較すると打ち込みを多用した80’sサウンドになってるのが分かる。ブラコン風と言ってもいいかも。シングルになった「スパイス・オブ・ライフ」や当時マントラ本人たちが出演したCMで流れた「アメリカン・ポップ」、やっぱりロッド・テンパートン作の「ミステリー」あたり、とことん80’s。B面の「ダウン・サウス・キャンプ・ミーティング」や「ホワイ・ノット」あたりはマントラお得意のジャズ的コーラスとスイング感が堪能できるけどね。ま、なんというか、この時期、マントラですらこういうサウンドでレコード作ってたんだな、と思うと、今さらながら80’s恐るべしって感じだな(よく分からんぞ)。なんだかんだ言ってもマントラなんで、その変幻自在のコーラス・ワークの賜物か、グレードの高いポップ・アルバムになってるのは間違いないんだけど。

色々と問題もあったパリ・オリンピックも、一応無事に終わり、次回は1984年以来のロサンジェルスでの開催だそうな。また80’sブームが来るのだろうか?(意味不明)

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ブギウギ列車夜行便

2024年08月12日 09時48分34秒 | 音楽ネタ
ご存知の方も多いと思うが、こんなショッキングなニュースが流れた。


あのエアロスミスが、スティーブン・タイラーの声帯損傷が回復しないので、ツアーからの引退を決定した、というニュースである。このニュース、結構各方面に衝撃を与えたらしく、"同世代"のブライアン・メイも「悲痛だ」と涙の声明を発表したそうだし、FMでもこの話題を取り上げていて、DJは残念とかショックとかコメントしながら「エンジェル」をかけていた。

このニュースで驚いたのは、スティーブン・タイラーは76歳になってて、それでもツアーに出ようとしていたこと。確かに、大先輩のストーンズや"同世代"(笑)のクイーンあたりが未だにワールド・ツアーとかやってるので、エアロもまだ現役だしツアーは当然という気がしないでもないが、それにしても、この年でツアーというのには頭が下がる。いやほんと、もうゆっくりしてて下さいよ。その心意気だけで十分です。

で、エアロである。いや、今回のニュースに触発された訳ではなくて、ちょっと前に妻が突然エアロ聴きたいと言うので、車でエアロの90年代のアルバムとか聴いてたのだが、そう言えば70年代のアルバムでも持ってないのあるなぁ、と思って中古で探したりしてたのだ。

という訳で、最近買ったCDから。




ご存知エアロの2ndである。1974年発表。邦題は『飛べ!エアロスミス』。確か、本作でエアロは日本デビューを飾ったはずで、若手の有望株だったエアロを日本でも大々的にプッシュしよう、という意気込みが表われた邦題と言っていいのかもしれないが(笑)、当時の日本側の担当者は、バンド名とロゴとアルバム・タイトルから、"飛行機"や"翼"をイメージしたらしく、タイトルはもろそれだし(笑)、一曲目の「Same Old Song And Dance」は「エアロスミス離陸のテーマ」という邦題だった(笑) 本作と次作は全曲邦題がついてて、どういう方向に持って行こうとしていたのかは不明で、プロモートしやすくしようという意図は、なんとなく分かるが、なかなかにトホホな邦題もあり(笑)、本作収録曲だと、有名なヤードバーズのカバー「Train Kept A Rollin'」が「ブギウギ列車夜行便」という邦題で、これは僕にとっては歴代迷(名)邦題TOP10に入る傑作と思うが(笑)、今回購入したCDでは、この「Train Kept A Rollin'」と先の「Same Old Song And Dance」については、邦題はなくなっている。なんか残念(爆)

という訳で、エアロの2ndである。いや、なんというか、後にエアロが成功したから言うのではないが、2ndの割にはすでに大物の片鱗があちこちに感じ取れる傑作、と言っていいのではなかろうか。1stと比べると、曲作りも洗練され、80~90年代のようなキャッチーさはないけれど、独自の個性は確立されており、加えて風格すら感じさせる。カッコいいリフのハードロック「エアロスミスSOS」、ドラマティックに展開する「折れた翼」、曲が足りず穴埋めの一曲だったとは思えない「支配者の女」など、聴きごたえのある曲がも多い。エアロの場合、ヤードバーズをカバーしている事からも察せられるが、同じブルース・ロックでもイギリスのバンドからの影響が大きいようで、そこが同時期のアメリカン・バンドと一味違うところであるが、本作もブリティッシュな雰囲気の陰影を感じさせる音作りで、実に素晴らしい。イギリスのバンドと勘違いした人もいたかも(笑) 初めて組んだジャック・ダグラスの功績もあり、以降、エアロはダグラスとのタッグで名作を連発し、70年代の第一黄金期に突入していくのである。

続いては、




ま、文字通り、エアロのグレイテスト・ヒッツであり、ご存知の通り、エアロのベスト盤は何種類か出ていて、それらの収録曲の大半が80年代後半以降の、いわゆる復活後の第二黄金期のヒット曲で、70年代のベスト盤は本作だけである。故に貴重なのかどうなのか(苦笑) このベスト盤、1980年頃に初期バージョンが出て、その時は「ドリーム・オン」「セイム・オールド・ソング・アンド・ダンス」「スイート・エモーション」「ウォーク・ディス・ウェイ」「ラスト・チャイルド」「バック・イン・ザ・サドル」「ドロー・ザ・ライン」「キングス・アンド・クイーンズ」「カム・トゥゲザー」「リメンバー」の10曲入りだったのだが、いつの間にか、タイトルに"1973-1988"が追記された新バージョンが出ていた。今回僕が中古で買ったのも、その新バージョン。シングル曲のみだった初期バージョンに、1stから3rdから一曲づつ及びジョーとブラッドのギタリスト2人が脱退していた時期の曲も加え、さらにボーナス・トラックも追加されている。前述したが、エアロの70年代(正確にはコロンビア在籍時)だけの編集盤は、本作と3枚組の『パンドラの箱』くらいしかなく、やっぱりエアロは70年代のほうが好きな僕からすると、この時期の曲をまとめて聴けるのは有難い。

エアロというと、ワイルドなイメージが強いと思うが、実際には2ndや3rdで顕著な、陰影のある作り込まれた音作りが特徴で、ワイルドなのは『ロックス』と『ドロー・ザ・ライン』くらいなのでは、という気もする。ここで告白すると、えらそーな事言ってるけど、実は『ドロー・ザ・ライン』の次すなわち『ナイト・イン・ザ・ラッツ』『美獣乱舞』あたりは聴いてないのだが(激汗)、編集盤で聴く限り、決して悪くないな、とは思う。成功はしたものの、それによるプレッシャーなのかどうか、メンバーはアルコールとドラッグに溺れ、レコーディングもままならず、人間関係も最悪、という状況だったと言われている70年代のエアロだが、それでもクォリティの高い作品を出していたのは凄い。確かに、復活後のエアロと比べると、ややキャッチーさには欠けるけど、その分かりやすいけどちょっと武骨なとこも、この頃のエアロの持ち味でもある。「スイート・エモーション」とか、復活して以降の曲だったら、ちょっとブリッジとか足して、さらに魅力的な曲に仕上げたのだろうな、とは思うけどね(笑)

という訳で、70年代のエアロがやっぱり好きです(笑)

でも、冒頭のニュースにしてもそうだけど、やはりエアロ=スティーブン・タイラーなんだなぁ、と改めて思う。ずっとバンドのリーダーで、初期は音楽性も含めてバンドを牽引し、成功してからドラッグ漬けになったバンドの立て直しに尽力し、主要メンバーがいなくなってもバンドを維持し復活に導き、復活後は外部ソングライターの導入などのイメージ戦略を展開して、昔からのエアロのイメージを損なう事なく、キャッチーで洗練された曲を発表してファン層(購買層)を拡大し、エアロを全米ナンバーワン・バンドのひとつにまで押し上げた。素晴らしい功績である。メンバーにも彼に逆らう者はいないだろう。ま、ツアー引退し仕方ないけど、まだ新曲作ってレコーディングする意志があるのなら、是非頑張って欲しいと思う。ま、エアロを聴き始めた事は、エアロ(=スティーブン・タイラー)がこんなに超ビッグな存在になるなんて予想もしなかったけど(笑)

ほんと、クイーン・キッス・エアロスミス世代としては(笑)、いつまでも頑張って欲しい、と思うのであります^^
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