日々の覚書

MFCオーナーのブログ

コンビニ人間

2016年09月18日 11時59分13秒 | 本と雑誌


読書の秋である。

近年、読書量が減ったなぁ、と痛感しているが、それでも定期購読してる雑誌とかはあるので、なんだかんだ言っても、月に2~3回は本屋に行くのである(それでも少ないけどね)。

どうでもいい話だが、我が茅ヶ崎市では、昔からK書店とH書店の2社がしのぎを削っており、駅ビル、駅前その他の主要商店街、団地の近所、といった需要が見込める場所の大半は、この2社のうち、どちらかが出店している、という状況で、全国展開してる大手書店チェーン(F書店とかJ堂とかB書店とか)とかもなかなか出店出来ない、或いは出店出来ても郊外へ追いやられ、今は撤退してしまった、という状態であり、茅ヶ崎市内でK書店とH書店以外の本屋と言ったら、TSUTAYAとヤマダ電機とB書店が一軒あったかな、という程度だ。ま、ここ数年、書籍等の紙媒体が売れない、ということもあり、大手チェーンはかなり店舗を縮小せざるを得ない状況で、茅ヶ崎市から撤退したのは、そういう理由もあるのだろうけど、しかし、前述したK書店とH書店の2社は、多少店舗を減らしたりはしてるだろうけど、駅周辺の店は相変わらず盛況だったりする。茅ヶ崎市という狭いエリアとはいえ、何故この2社は、何十年にも渡って、しのぎを削りながら、しかも大手資本の参入を許さずに続けてくる事が出来たのか、非常に謎である。この2社が市政牛耳っているとか、聞いたことないし。ま、どうでもいい話だが(爆)

話がややそれたが(笑)、先日定期購読している雑誌を買いに行った。よくある、月2回、何日と何日に発売ですよ、というアレだ(笑) で、発売日の夜、書店に行って、何気にその雑誌を買ってきたのだが、帰ってきてよくよく見たら、前号を間違えて買ってしまった事に気づいた。表紙が毎号似てるので、区別がつかなかったのだ。普段だと、表紙に書いてある発行日を確認してから買うのだが、この時に限って確認してなかった。だから、一方的に僕の落ち度なのだが、それにしても、一応発売日だよ。発売日前日ならともかく、新しい号が出る日なのに、半月前に発売された前号を並べておくだろうか。しかも、夜である。新号は前日か遅くとも昼間のうちに入荷されてるはずだ。前号と新号の入れ替えがされて然るべきだろう。確認しなかった僕が一番悪いのだが、これは店側の怠慢ではなかろうか。ちなみに、この本屋は前述のK書店でもH書店でもありません(笑)

話がさらにそれたが(笑)、近年読書量が減った、と書いたが、これは環境の変化もあるが、一番の要因は老眼である。普通、老眼というと、近くのものが見づらくなって、目を離さないと見えない、という症状の人が多いと思うが、僕の場合近眼なので、眼鏡をかけた状態だと、近くのものが見づらい。が、目を遠ざけても効果がなく、結局眼鏡をはずして目を近づけないと見えないのだ。同感して頂ける方もいると思うが、これ、結構鬱陶しい。いちいち眼鏡をはずさないといげないのだが、外にいる場合は、はずした眼鏡を片手に持ったままで、本なりスマホなりを、目を近づけて見る事になる。両手がふさがってしまうので、手に持っていた荷物は下に降ろすなりしないといけない。当然、歩きながらは読めない。電車の中だと多少はマシだが、それでも吊り輪につかまりながら、眼鏡をはずして本なりスマホなり見るのは、やはり面倒。しかも、外に出てると、眼鏡をはずしたりかけたりの繰り返しになる。これまた面倒。つーか、何度も繰り返してると視界がおかしくなる(笑) そういう面倒があったりして、昔のように、通勤電車の中とかで読書する、という習慣が消えていったのである。まったく、年はとりたくないもんだ(爆)

という訳で、ようやく本題(本のネタだけに本題、なんちて。爆)。

読書量が減ったとはいえ、外ではなく、家でゆっくりと読書をする事は、もちろんある。読む本の量は間違いなく減ってるけどね。そんな中、最近、実に面白いと思った一冊がこれ。

コンビニ人間/村田沙耶香

ご存知、第155回芥川賞受賞作である。タイトル通り、コンビニが舞台となっていて、著者もずっとコンビニでアルバイトしてるそうな。

芥川賞だし、著者もコンビニで働いている、というのもあって、読む前は、コンビニ店員が店に来る客を観察する、或いはコンビニに集まる者たちの人間模様を鋭い感性で描く、みたいな内容と思っていたが、実際には違った。ネタバレになると申し訳ないのだが、主人公の女性は、言葉は悪いが社会不適合者として描かれている。本人も、周りからそう思われているのは承知してるが、自分のどこが普通でないのか、よく分かっていない。そういう女性が、ふとしたきっかけでコンビニ店員となり、そこに自分の居場所を見つける。ま、陳腐な言い方で情けないが(笑)、コンビニで働いていれば、自分は輝く事が出来る、と気づくのだ。そして、彼女は他の仕事はせず、ひたすらコンビニで働き続けて18年、周囲は相変わらず、彼女を変人扱いするが、本人は気にする様子はない。そんな中、彼女の働くコンビニに、彼女と同様社会不適合の男が面接を受けにやってくる...

本の帯にも書いてあるが、人間って何が普通なの? 普通って何? というのが、この『コンビニ人間』の主なテーマと思う。就職もせず(この場合の就職とは、正社員ではない、と言う意味)、恋愛も結婚もせず、ただひたすらコンビニで働く女性は、どうも普通ではないらしい。就職せずにバイト生活してる、という人は大勢いると思うが、バイトがいけないのではなくて、コンビニで働いている、というのが良くないみたいだ。よく分からん。個人的には、コンビニの仕事って、実に大変と思うので、そこで通用するのなら、他の仕事も十分こなせるのでは、と思うけど、とにかくコンビニ人間はダメらしい。ほんと、こうなってくると、普通って何?と読みながら叫びたくなってしまった(笑)

とまぁ、そんな感じで、色々考えさせられつつも、主人公の干物女ぶり(失礼!)が痛快でもあり、登場人物のキャラ設定もいいし、芥川賞=難解というイメージは全くない。とても読みやすく、僕も2時間程で読破してしまった。あれこれ流されそうになった主人公が、結局コンビニに戻っていくラストもよろしい。読後感も良く、ほんと老若男女に広くお薦めしたい。

読書の秋ですね(笑)
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ベスト・ベーシスト&ドラマー

2012年06月02日 21時29分03秒 | 本と雑誌

P1010016

遅くなってしまったが、レコードコレクターズ5月号の特集は、前号に引き続いての創刊30周年記念という事で、「ベスト・ギタリスト100」に続く「ベスト・ベーシスト&ドラマー100」を選ぼう、という企画である。選考方法はギタリストの時とだいたい同じで、ライター30人が各々15人づつベスト・ベーシスト&ドラマーを選び、それを集計してベストな100人を選出する、というもの。ギタリストと違い、ベースもドラムも地味というか玄人好みというか、楽器やバンドをやらない人からすると、どのプレイヤーも同じに見える(聴こえる)のではないか、なんて気もする訳で、スタープレイヤーも少ないし、一体どういう顔ぶれになるのだろう、と興味津々だった訳だが、まずは、レココレ選出のベーシスト&ドラマー100のうち、上位10人はというと、

ベーシスト
1.ポール・マッカートニー
2.ジェイムス・ジェマーソン
3.チャック・レイニー
4.ジョン・エントウィッスル
5.ジャック・ブルース
6.ドナルド・ダック・ダン
7.ジャコ・パストリアス
8.ジョン・ポール・ジョーンズ
9.リーランド・スクラー
10.アンディ・フレイザー

ドラマー
1.ジョン・ボーナム
2.リンゴ・スター
3.キース・ムーン
4.アル・ジャクソンJr.
5.アール・パーマー
6.ハル・ブレイン
7.ビル・ブラッフォード
8.チャーリー・ワッツ
9.ジンジャー・ベイカー
10.ジム・ケルトナー

妥当と言えば妥当だし、意外と言えば意外(笑) ギタリストの時みたいな“なるほど感”があまりない。ま、レココレ的に重要なアーティストというのがあって、すなわちビートルズ、ストーンズ、ツェッペリン、キング・クリムゾン、ザ・バンド、ボブ・ディラン、ザ・フー、といった所なのだが、そこいらの関係者はやっぱり上位に入っている、というのはやっぱりレココレだなぁ、って感じかな(笑)

この上位10人の中でも、僕からすると、意外という前に知らない人もいたりして(笑)、例えばベーシスト2位のジェイムス・ジェマーソン、この人モータウンのセッション・プレイヤーだったそうで、モータウンのヒット曲の大半で、この人がベース弾いてるらしい。モータウンのベースといったら、「恋はあせらず」等に代表される、あのフレーズであり、それはこの人によるものだった訳だ。弾いただけでなく、フレーズを考えたのもジェマーソンだったとすれば、かなり凄い人である。それにしても、こういう人を選ぶところがレココレって気がする(笑)

ドラマー4位のアル・ジャクソンJr.と5位のアール・パーマーも知らない人だった。アル・ジャクソンJr.は、ブッカーT&MGズのドラマー、アール・パーマーはロックンロール創生期のセッション・ドラマーで、2拍目と4拍目にアクセントを置くロック・ビートを、最初に叩いた人らしい。なんとまぁ、マニアックな(苦笑)

全体的に見ると、ベーシストもドラマーも、ブラックミュージック系すなわちR&B、ファンク、ソウルの人が多く選ばれている。リズム・セクションだからね、当然といえば当然か。そのブラックミュージック系の大半の人を、僕が知らなかったのも当然といえば当然かな(笑)

と、これらを踏まえて、ここで僕の選ぶベスト・ベーシスト&ドラマー10人を発表させて頂く。あくまでも個人的に好きなプレイヤーなんだけど、ドラマーに関しては、好きなだけでなく影響を受けた、という人がほとんどだ(皆さん、お忘れでしょうけど、僕もドラマーなんです。爆)。あ、思いつくままに挙げていったので、順位はありません。

ベーシスト
ジョン・ディーコン(68)
デビッド・ハンゲイト
ニール・マーレイ
ジャコ・パストリアス(7)
アンディ・フレイザー(10)
ジョン・ポール・ジョーンズ(8)
フィル・チェン(82)
ニック・シンパー
ジーン・シモンズ(89)
ディー・マーレイ

ドラマー
イアン・ペイス(23)
ジェフ・ポーカロ(32)
ドン・ブリューワー
サイモン・カーク(31)
ビル・ブラッフォード(7)
ピーター・アースキン
リンゴ・スター(2)
デニス・エリオット
ジョン・ボーナム(1)
ミック・フリートウッド

( )内はレココレでの順位。これだけ見ると、僕はツェッペリンのファンと誤解されそう(笑)

ベーシストにも色々なタイプがいるけど、僕はふっくらとしているけどアタックが強いベース、というのが好みである(よく分からんぞ)。ガビガビしてたりモコモコしてたり、というのは好きでないし、一緒にやりたくもない。この感覚は、レコード聴くだけではなく、実際に生の音を聴く或いは感じてみないと理解しにくいと思う。正直言うと、↑のランキングも、自分の周囲にいたベーシストから選びたいくらいだった。

個人的には、ドラムはギターやボーカルより目立ってはいけない、と思っているので、派手なプレイをするドラマーは好きではない。ここに挙げた10人は、いずれもテクニック以上に曲やメンバーに合わせた的確な演奏をするタイプである。が、それと同時にしっかりと自己主張もして、バンドを引っ張っていくタイプでもある(アレンジの展開やテンポといった面も含めて)。決して周囲より目立つことはせず、しかしきっちりとバンドをコントロールし、どんなジャンルにも対応出来る、そんなドラマーにワタシはなりたい。もうトシだけど(爆)

という訳で、2回続いたレココレの「ベスト・プレイヤー」企画、次にやるとすればキーボード奏者だろうな。それならばと、先回りして(笑)10人選んでみた。

マックス・ミドルトン
デビッド・ペイチ
リック・ライト
チャック・リーヴェル
ニッキー・ホプキンス
アル・グリーンウッド
ジョン・ロード
ピーター・バーデンズ
ジョン・エヴァン
ジョン・ベック

いわゆるピアノの弾き語りをする人は除外した。

やっぱり、こういうの楽しいね(笑) 大変だけど(爆) 皆さんのベスト・プレイヤーは誰でしょうか?

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ベスト・ギタリスト

2012年04月29日 01時59分11秒 | 本と雑誌

音楽の楽しみ方、というのがあるとするなら、大きく分けると“曲を聴く”“演奏(歌唱)を聴く”の2つになると思う。もちろん、そういうのを意識してない人が大半と思うけど、クラシックやジャズの世界では、結構重要な要素であったりする。特にクラシックの場合、レコード屋の店頭では“作曲家別”“演奏者別”“ジャンル別”に、CDが分類されてたりして、これはクラシックという音楽が元々分業制であった事の名残りであろう(やや意味不明)。

ロック系の場合、曲も演奏もその他諸々も引っくるめて、トータルで音楽を評価している訳で、演奏者の技巧を楽しむ、という聴き方をされる事はあまりないと思う。しかし、いくら曲が良くても、演奏や歌が下手だと魅力も半減する訳で、下手よりも上手い方が良いのは当たり前だが、かといって“高度なテクニック=上手い”と単純に片付けられないのが、ロック系の良さというかややこしさというか(笑)

ロックに於いては、なんといっても花形はギターであり、ギタリストが注目を浴びるのは当然な訳で、そうなってくると「一番上手いギタリストは誰か」なんて議論があちこちで戦わされるようになる。かつては、音楽雑誌もネタに詰まると、「No.1ギタリストは誰だ?」みたいな特集を組んだものであるし、聴く側も「○○と△△とではどっちが上手い?」といった不毛な論争に明け暮れ、ミュージック・ライフのブレイヤー別人気投票の結果に一喜一憂したものだ。もちろん、誰が一番上手いか、なんてのは主観でしかないし、上手ければ人気あるのかというとそうでもないし(笑)、この手の不毛な議論は、あくまで音楽を聴く上での“ちょい足し”みたいなもんであり(笑)、本質とはあまり関係なく、あってもなくてもどうでもいいのである。けど、そういう不毛な論争がまた楽しいのも事実なのだ(笑)

ただ、この論争を面白がるのは、どうも特定の世代に限られているようだ。だいたい、現在30代後半以上の人たち、要するに“おじさん”たちである。この世代がティーンエイジャーだった頃、つまり1970年代から1980年代にかけて、ギタリストはロックバンドの華であり、少年たちの憧れのポジションであり、スターでありヒーローであり、ロックそのものを象徴する存在でもあった。レコードに合わせて、ほうきやバドミントンのラケットを抱えて、ギターを弾く真似をした経験のある人は多いだろう。かくいう僕もその一人である(笑) しかし、90年代以降、いわゆるギターヒーローみたいな人は少なくなってしまった。ロック自体のスタイルが変化してしまったせいだろう。

という訳で、毎度お馴染みレコード・コレクターズ誌最新号の特集が、なんと「20世紀のベスト・ギタリスト100」なのである。いつもの通り(笑)、ライター諸氏にベスト・ギタリストを20人選ばせ、それを集計して100人のギタリストを掲載している。よく20人も選べたよな、なんて思うけど、レココレのライター諸氏は世代的に、前述の“不毛な論争”に明け暮れてた人たちが大半なので(爆)、そんな大変でもないのかもしれない。結構楽しんでやってたのかも。

そんなレココレが選んだベスト・ギタリストのうち、100人はとても無理なので、1位~10位を紹介させて頂く。

1位・・・ジミ・ヘンドリックス
2位・・・ジェフ・ベック
3位・・・チャック・ベリー
4位・・・エリック・クラプトン
5位・・・ジミー・ペイジ
6位・・・キース・リチャーズ
7位・・・ライ・クーダー
8位・・・デュアン・オールマン
9位・・・ロバート・ジョンソン
10位・・BBキング

とてもフツーな結果に思えるけど、僕も特定の世代だからか?(笑)

と、これらを踏まえ(違)、僕も自分なりのベスト・ギタリストを選んでみた。20人も選べないけど、10人では収まらない、という事で15人である。その音楽が好き、というのではなく、ギタリストとして好きか、と聞かれると意外と名前が出てこないものだ。で、思いついた順番に名前を挙げていったので、順位ではありません、念の為。

ジェフ・ベック
デュアン・オールマン
ブライアン・メイ
ドン・フェルダー
トミー・ボーリン
エドワード・ヴァン・ヘイレン
エリック・ジョンソン

トレバー・ラビン
エリオット・イーストン
マーティン・バレ
ジョージ・ハリスン
エリック・スチュワート
リンジー・バッキンガム
ミック・ロンソン
リッチー・ブラックモア

いやはや、大変だけどやっぱり楽しいな(爆) 紙面の都合もあり、解説は省略(爆) 不毛と言えば不毛だけど、そんな事はどうでもいいので(笑)、皆さんも是非ご自分のベスト・ギタリストを選んでみては如何でしょう? きっと楽しいですよ(爆爆)

と言いつつ、レココレ最新号の次号予告を見ると、なんと、次回の特集は「20世紀のベスト・ベーシスト&ドラマー」である。楽しみな事この上ない。早く5月14日(レココレ発売日)にならないかな(爆)

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虹をつかもう

2011年07月03日 01時05分01秒 | 本と雑誌

Rainbow

前回の記事にも書いたが、レコードコレクターズ6月号の特集はレインボーだった。初代ボーカリストのロニー・ジェイムス・ディオの一周忌を迎えたこと(しかし、キャンディーズのスーちゃんもだけど、亡くなってしまったミュージシャンやアイドルがあまりにも多いのに、今さらながら驚いている)、そして近頃レインボーの2ndアルバム『虹を翔ける覇者』のデラックス・エディションが出たこと、などが特集を組むきっかけになっているのだろう、とは思うけど、でもやっぱりレココレでレインボーの特集なんて意外である(しつこい)。

それにしても、この『虹を翔ける覇者』のジャケットは素晴らしい。古典的で格調高く、アートの域に達していると言ってもいい。後年の様式HR系のバンドたちの仰々しいジャケットの先駆、と言えなくもないが(笑)、その音楽性と共に、レインボーが様式HRに与えた影響は大きいと思う。

このレインボーいや、ブラックモアズ・レインボーの『虹を翔ける覇者』は衝撃的だった。時は1976年初夏(僕はずっと、このアルバムが出たのは1976年の秋と記憶していたが、実は初夏だったらしい)、ミュージック・ライフ誌の広告で芸術的なジャケットを見て衝撃を受け、FMで「タロット・ウーマン」を聴いて、さらに衝撃を受けた。今でこそ、『虹を翔ける覇者』といえば、「スターゲイザー」か「ア・ライト・イン・ザ・ブラック」という事になるのだろうが、あの当時ラジオでよくかかっていたのは、なんといっても冒頭を飾る「タロット・ウーマン」だったのである。今にして思えば、B面の2曲はラジオでかけるには長過ぎたのだろうけど(笑)、とにかく「タロット・ウーマン」カッコ良かった。深く潜行するイントロのシンセ、そこに鋭く切り込んでくるギターのリフ、それだけでもゾクゾクするのに、加えてドラムのフィルがなだれ込んできたらもうたまらん、中学生だった僕はその場で昇天してしまったのである(笑) ロニーの迫力ある歌いっぷりも良かったな。僕だけでなく、日本中のハードロック少年たちの心を一気に鷲掴みにした一曲と言ってよかろう。ま、とにかく、『虹を翔ける覇者』は衝撃的だったのである。

ブラックモアズ・レインボーといえば、『虹を翔ける覇者』も名盤だけど、個人的には1stの『銀嶺の覇者』も非常に好きである(というか、実は『バビロンの城門』以降のアルバムは、どうも好きではない)。ご存知の通り、パープルを辞めたリッチー・ブラックモアがロニー・ジェイムス・ディオらとレインボーを結成しての第一作な訳だが、基本的にはパープル系統のハードロックだけど、割とバラエティに富んだ内容で、飽きることなく聴けるアルバムである。いかにもリッチーみたいなタイトル曲、初めてロニーと共作したという「16世紀のグリーンスリーブズ」、美しいメロディの「虹をつかもう」、といった有名曲はもちろん、パープル時代にレコーディングを提案するも却下されたという「黒い羊」、珍しく3拍子の「自画像」、アコースティックな「王様の宮殿」(狐年のある日、という歌詞がミョーに耳に残る)、といった曲も実に素晴らしい。ヤードバーズのカバーだという「スティル・アイム・サッド」も好きだ。2ndの『虹を翔ける覇者』は、とことんソリッドなハードロックを追求したアルバムだが、『銀嶺の覇者』は多様な音楽性で楽しめる。パープル脱退後のリッチーが志向していたのは、一体どちらの路線だったのだろう?

リッチーは第3期パープルの2作目『嵐の使者』を最後に、パープルを脱退する。そこに至るまでの経緯は諸説あるが、要するに、ファンキーな音楽性を持ち込もうとしたデビッド・カバーデイルやグレン・ヒューズと、ハードロックをやりたいリッチーとは、嗜好が合わなかったとする説が一般的である。レココレのレインボー特集にも、そんな事が書いてある。けど、以前、リッチーのインタビューで、「リフ→歌→ソロ、というワンパターンな展開ばかりでイヤになった」「凄く良いメロディを書いたんで、これはスローな感じにしよう、と言ったのに、結局今までと似たような曲に仕上げられてしまった」等の発言を見た事があり、これだと、ハードロックから脱却したかったのはリッチーなのに、周囲がそれを許さなかった、という風に受け取れる。実際の所、どうなのか。レココレの記事でも、リッチーは『嵐の使者』収録曲で、「聖人」「ホールド・オン」といった、自身が作曲に加わってない曲には嫌悪感を示していた、とあるが、その割にはこの2曲を聴くと、確かに今までのパープルにはなかった曲調だけど、リッチー自身も結構良いソロを弾いてたりして、本当に嫌いだったのだろうか、なんて疑問も湧いてくる。まぁ、プロなんだから、イヤでもきちんと仕事をした、と言えばそれまでなんだけどね(笑) この『嵐の使者』の場合、タイトル曲やヒットした「嵐の女」といった、いかにもパープルなハードロックも良い出来だが、前述の「聖人」「ホールド・オン」の他、リッチーがアッと驚くバッキングを聴かせる「ユー・キャント・トゥー・イット・ライト」、静かな「幸運な兵士」といった曲たちとのバランスが非常に良く、ハードロック一辺倒でないパープルの新しい側面がクローズアップされた名盤である、と僕は思っている。そして、このアルバムと『銀嶺の覇者』には、相通じるものを感じてしまうのである。リッチーは本当に『嵐の使者』が嫌いなんだろうか?(笑)

ま、真相はともかく、リッチーはパープルを脱退し、その後釜としてトミー・ボーリンが加入する。そして、またしてもパープルは名盤をものにするのだ。

Purple06

『カム・テイスト・ザ・バンド』1975年発表。最近、35周年アニバーサリー・エディションが出た。このアルバム、出た当時の日本盤の帯に書かれていたコピーが印象的だ。

“聴け!沈黙を破ったパープルのリッチーに対する解答はこれだ!”

う~む、今みても凄い(笑) 昔のレコード会社の人って、アイデアマンが多かったような気がする。しかし、確かにその通りなのだ。世間ではパープル=リッチーって事になってるけど、リッチー以外にも優秀なギタリストはいるし、そういうギタリストと組めばこれだけのアルバムが作れるのさ、って所だろうか。ギタリストはお前だけじゃないよ、なんてね(笑)

その新加入のトミー・ボーリンだが、全9曲中7曲の曲作りに加わり、すっかり実権を握ってしまった。確かに才能豊かな人だし、パープル以前にジョー・ウォルシュの後釜としてジェイムズ・ギャングに加入した時も、すぐにメインライターとなっていた。個性的な大物の後に入るのはイヤなものだと思うが、このトミー・ボーリンという人、2度もそれを経験し、しかもすかさず自分の個性を打ち出し、かつてとはイメージは変わるものの、クオリティの高い作品を作ってしまった、という点だけを見ても、やはり凄い人である。

この『カム・テイスト・ザ・バンド』、リズムが実に多彩である。色々なタイプの曲をやってる、というだけの意味ではなく、何重にもダビングされたギターが絡み合って、バッキングが様々な表情を見せているのである。リッチーとの大きな違いは、ここにあると思う。もちろん、ソロも弾いてるし、速弾きも披露してるけど、メロディというより瞬間的に閃いたフレーズを気の向くままに繰り出してくる、という感じ。ここいらもリッチーとは違う。あと、スライドを多用するところとか。

このアルバム、実は僕が初めて買ったパープルのアルバムでもある。2期も3期も最初は分からず、「ハッシュ」を歌ってるのはイアン・ギランと思い込んでいた時もあったけど(笑)、FM等で1期から4期まで一通り聴いて、いずれも甲乙つけ難い、なんて思うようになり、忘れもしない中学3年の夏、千円札3枚を握り締めて買いに行ったのが『カム・テイスト・ザ・バンド』だった。何故このアルバムにしたのかというと、周囲は誰も持ってなかったからだ(笑)

それにしても、このアルバムよく聴いたなぁ。当時、冒頭の「カミン・ホーム」のあまりのカッコよさには言葉もなかった。今もだけど(笑) 他には、「レディ・ラック」「ゲッティン・タイター」「ドリフター」あたりが好きだったな。全体的にはファンキーでもありブルージーでもあり、なんとなくアメリカ的な感触がある音である。とにかく多様。リズムやバッキングが多彩なだけではなく、ボーカルが2人いること(トミー・ボーリンも、一曲だけ一部で歌っている)、単調にならないようにアレンジに工夫を凝らしていること、等々の要素がこのアルバムを多様なものにしている。

B面の「ディス・タイム・アラウンド」は、ジョン・ロードとグレン・ヒューズの二人だけで演奏される、静かだがスペーシーな広がりを持つ曲である。これも、今までのパープルにはなかったタイプの曲だ。余談だが、栗本薫の『僕らの時代』の主人公はバンドでキーボードを担当している、という設定だが、スタジオで練習するシーンがあり、そこで「ディス・タイム・アラウンド」を演奏している記述がある。パープルのこの曲なのか、同名異曲なのか、そこいらは分からない。ただ、栗本女史の好みからすると、パープルの「ディス・タイム・アラウンド」である可能性は高い(と思う。笑)

『カム・テイスト・ザ・バンド』を発表した翌年の夏頃、パープルは解散を表明し、さらにその年の暮れ、トミー・ボーリンはこの世を去ってしまった。僕が『カム・テイスト・ザ・バンド』を買った時、既にトミー・ボーリンは亡くなっていた訳で、アルバムを聴きながら惜しいなぁ、なんて思ったりしていたものだ(生意気な。笑)。けど、4期パープルがこの後もアルバムを作っていたなら、一体どんな作品になったのだろう、なんて想像すると、やはり惜しい。

かつて、4期パープルよりプラックモアズ・レインボーの方がパープルの名にふさわしいのではないか、などという不毛な会話がファンの間でかわされていたようだが、そんな不毛な会話の元となったと思しき『カム・テイトスト・ザ・バンド』『虹を翔ける覇者』のどちらも、僕にとっては忘れえぬ名盤である。あ、もちろん、『嵐の使者』も(笑)

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奇跡の9ヶ月

2011年06月28日 22時37分49秒 | 本と雑誌

P1010001

やや遅くなったが、今月のレコードコレクターズの特集はキャンディーズである。日本の歌謡曲系がレココレで取り上げられる事自体珍しいのに、キャンディーズとはむちゃくちゃ意外な気がするけど、よくよく考えてみるとそうではない。洋楽(ロック)好きでありながら、実はキャンディーズが好き、という人は実は多いのだ。僕の周囲にも結構いた。特定の世代にとっては、キャンディーズは別格なのだ。もしかすると、山口百恵やピンク・レディー以上に。何故なのかは、よく分からないけど(笑)

ついでに言うと、今月のもうひとつの特集は、こりゃまた意外なことにTOTOである。先月号でレインボーの特集が組まれた時も、レココレも変わったもんだと隔世の感に捉われたものだが(笑)、今月はTOTOである。レココレでフォリナーやジャーニーの特集が実現する日も近いかも(爆) と、それはともかく、レココレは変わりつつあるような気がする。いや、洋楽ジャーナリズムが少しづつ変化してるのかもしれない。やはりレココレの今年の2月号で、ムーンライダーズ(というか鈴木慶一)の特集が組まれたのだが、そこに掲載されたインタビューの中で、鈴木慶一がムーンライダーズ結成の頃を振り返って、1975年頃10ccの「アイム・ノット・イン・ラブ」やクイーンの「キラー・クイーン」を聴いて「やっぱイギリスは面白い」と大いに刺激された、という発言をしている。これこそ、21世紀の今だからこそ、公にされる発言であろう。前世紀であれば、封印されたはずだ。なんたって、最先端のミュージシャンがクイーンを肯定してるのである。かつての日本の洋楽ジャーナリズム的思考では、クイーンなんてバカにされるべき存在であり、鈴木慶一クラスがクイーンを良いなんて言う訳ないし、また言っちゃいけないのである。このインタビューは最近のもので、鈴木慶一自身も今だから口にしたのかもしれない。10年前なら言わなかったろう。それくらい、日本の洋楽ジャーナリズムは変化しているのだ(なんのこっちゃ)

という訳で、その変わりつつあるレココレ、今後どんな展開を見せるのか、非常に楽しみである。こんな境地にたどり着くのに20年かかったけど(爆)

閑話休題。で、そのレココレのキャンディーズ特集だが、「奇跡の9ヶ月に何が起こったのか」という記事が興味深い。奇跡の9ヶ月とは何か。1977年7月の解散宣言から1978年4月のファイナル・カーニバルまでの間、つまり最後の9ヶ月、キャンディーズは今までになく盛り上がった。精一杯盛り上げて送り出してあげよう、というファンクラブの熱意と活動によるものであるのは間違いないが、それほど熱心なファンでなくても、この時期だけはキャンディーズ一色だった、という人も多かった。そんな、熱心なファンもフツーのファンもにわかファンも巻き込んでの一大キャンディーズ・フィーバーが吹き荒れたのが「奇跡の9ヶ月」だったのである。うむ、実に懐かしい(笑)

僕自身はどうだったのか、というとビミョーだなぁ。『8時だョ!全員集合』などを見てて、デビュー前から知っていたせいか、キャンディーズには親しみを感じていたし、ヒット曲が出てメジャーになったのも嬉しかったし、作品を重ねるごとに曲のクォリティも歌唱力も向上していくのが分かったし、それなりにキャンディーズには注目していたのである。ただ、ファンというほどではなかったような^^; けど、後から出てきたピンク・レディーよりは、圧倒的にキャンディーズ派であった。よく比較されてたけど、歌ってる曲も全然違うし、僕としてはキャンディーズの方が実力は上と思っていた。あの頃は、アイドルというと低く見られていたけど、それでも、男だろうが女だろうが、グループであれば曲の途中でハモったりするのは当たり前で、そんな中でもキャンディーズは上手かったのである。今では、AKB48もモーニング娘。もSMAPもハモる事なんてまずないけど、いつからアイドルグループはユニゾンで歌うのが普通になったのか。悲しい^^;

好きな曲も多かったけど、一番好きなのは、ちょうど解散宣言した頃に流行っていた「暑中お見舞い申し上げます」である。レココレの特集ではこの曲について、「クイーンのバイシクル・レース並みに、情報量が豊富なシングル曲」なんて書いてあるけど(笑)、明るく浮き立つようなテンポと曲調、サビ部分の見事なハーモニー、曲のあちこちに入る合いの手、などなど実に夏らしく、ほんとウキウキしてくる素晴らしい曲である。この曲が好きだっただけに、余計に解散宣言はショックだった。音楽的には絶好調に見えたので、勿体ないと感じたのだ。この後、解散に向けてのカウントダウンが始まると、その思いは一層強くなった。その頃リリースされたシングルは、どれも素晴らしい曲ばかりだったからだ。初のオリコン一位になったラストシングル「微笑みがえし」がフツーの曲に思えてしまうくらい(笑)

でも、僕もその「奇跡の9ヶ月」の最中、それなりに盛り上がっていたのだろう。時折見る程度だった『みごろ!たべごろ!笑いごろ!!』も、解散宣言以降は毎週見るようになったし(笑) 高校受験の時期だというのに(笑)

余談だが、そのキャンディーズの解散コンサートが、フォリナーの初来日公演(東京公演)と同日に行なわれたのは一部では有名な話だが(笑)、どちらへ行こうか、迷う人はまずいなかったのでは、と思われる。レココレの記事の中で、伊藤秀世氏が「フォリナーの東京公演が武道館で予定されていたが、私は一秒も迷わなかった」と書いているが、伊藤氏がキャンディーズとかぶらなかったとしても、フォリナーを見に行くとはどうしても思えないので、これはマニアウケ狙いであろう(爆) ちなみに、僕も迷わずフォリナー見に行きました(爆爆)

解散後、ラン・スー・ミキの3人が揃ってステージに立つ事はなかった。昨今の再結成ブームにあっても、キャンディーズの再結成は実現しなかった。彼女たち3人は、ずっと“元キャンディーズ”のままだった。スーちゃんは、解散後10年近く経過するまで、プライベートなカラオケなどでも、絶対にキャンディーズの曲を歌うことはなかったという。

「奇跡の9ヶ月」、キャンディーズの3人にとってもファンにとっても、輝ける幸福な日々だったに違いない。

所で、キャンディーズって何年かの周期でプチブームがあったような気がするが、こんなCDが出ていたのをご存知の方はいらっしゃるだろうか?

Candiesbeats

タイトルは『Candies Beats』という。写真が小さくて申し訳ない^^; 1989年か1990年頃に出たと記憶してるが、いわゆるリミックス・アルバムだ。当時、カセットに録音して車でよく聴いてた。キャンディーズの曲を、ボーカルはオリジナルのまま、バックトラックを差し替えて、ハウスやダブやメタルに変身させたもので、まぁ別に珍しいモノではないのかもしれない。実際、リミックスが成功してる曲ばかりではないし。けど、冒頭を飾るハウス版「危ない土曜日」は素晴らしい。原曲より良いかも^^; 中古レコード屋で500円以下で売ってたら、買ってもいいかもしれません(笑)

キャンディーズ再結成は永遠になくなってしまった今、夫婦でカラオケに行くと、時折「微笑みがえし」「ハートのエースが出てこない」あたりを一緒に歌ったりする。それは、とても楽しいひと時である。

スーちゃんのご冥福を、心よりお祈り致します。

コメント (8)
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